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「嫌だよ!」
Fortsetzung folgt
そう小さく叫ぶと、名雪は俺の背中から抱きついてきた。
「なっ、名雪?」
「行くなら、一緒に、だよ」
そのままの姿勢で言う名雪。
俺の体に回した腕が、微かに震えていた。
「なんだよ、怖いのか?」
「わたしだって、女の子だよ」
名雪はその腕に少し力を込めて、俺を抱く。
同じ歳のいとこの少女。
「怖いものは怖いよ」
「そ、そうか……」
「でも、一番怖いのは……」
そのままの姿勢で、名雪は呟いた。
「祐一がどこかに行っちゃうこと……。あのときみたいに……」
「え?」
俺は肩越しに振り返った。
「名雪、それって……?」
名雪はそれ以上、何も言わずに俺の背中に顔を埋めていた。
俺は何故か、それ以上そのことについて追求する気になれなかった。
「わかったよ。それじゃ一緒に……」
まず香里のいる1階に……。
俺がそう言いかけたとき、またあの嗚咽が微かに聞こえてきた。
「……っ、……」
もう一度、その声のした方、2階の奧に向き直る。
と、名雪が俺の隣にすっと進み出た。
「名雪?」
「一緒だよね?」
名雪は、俺の顔をのぞき込んで、にこっと笑った。
いや、一緒に謎の嗚咽の正体を見極める探索をしよう、と言った訳じゃないんだが……。
「わたし、祐一と一緒なら大丈夫だと思うんだよ」
「……どっからその根拠のない自信が湧いて来るんだ?」
俺は半ば呆れて聞き返しながらも、さっきのいわれのない恐怖感が薄らいでいるのを感じていた。
なんだか、名雪が隣にいるだけで、この非日常な世界がいつもの日常の世界になったようだった。
思わず苦笑する。
なんだかんだ言っても、俺も怖かったってことかよ。
「よし、行こう」
「うんっ」
俺達は2階の廊下を進み始めた。
2階の廊下は、間取りの関係か曲がりくねっていて、先が見通せない。
俺と名雪はその廊下をそろそろと進んでいた。
廊下を進んで行くにつれて、だんだん嗚咽もはっきり聞こえるようになってくる。
「もっと先か?」
「うん、そうだね」
頷きあって、角からそぉっと向こうをのぞき込む。
「うぐぅ……暗いよぉ狭いよぉ怖いよぉ……」
廊下の真ん中にぺたんと座り込んでいたのは、あゆだった。
「あゆ!?」
思わず声をあげてしまう。と、あゆがこっちを見て、ぱっと表情を明るくし、それから泣き顔に戻る。
「ゆ、祐一君っ!」
……器用な奴。
と思う間もなく、あゆは起き上がると両手を広げてこっちに走ってきた。
「ゆういちくぅぅんっ!」
俺は軽いステップを踏んで右に避ける。
べちいぃっ
壁に激突するあゆ。
そのまま身動きひとつしない。
「……あゆ、大丈夫か?」
「大丈夫じゃないよぅっ!!」
がばっと振り返ると、涙目になって俺に詰め寄るあゆ。
「すっごく痛かったんだよぉっ!!」
「そ、そうか?」
「うぐぅっ。またまた避けたぁっ」
「お前も、いつもいつも抱きついて来るなって。いい加減に学習しろよなぁ」
「今のは祐一が悪いよ」
脇から名雪が言って、あゆは初めて名雪に気付いたようだった。
「あっ、名雪さん……」
「何処に行ってたの、あゆちゃん? わたし達心配したんだよ〜」
佐祐理さん達とお茶してる辺りからはあんまり心配しているようにも見えなかったが、それは言わないでおく。
「うぐぅ、ごめんなさい」
「あ、怒ってるわけじゃないんだよっ。無事で良かったよ〜」
にこにこする名雪。
「で、なんでお前がここで泣いてるんだ?」
「うぐぅ……」
何故か赤くなって俯くあゆ。
「そ、それは……」
「それは?」
「うぐぅ……、その……」
「その?」
そこに名雪が割り込んできた。
「祐一、こんなところで立ち話もなんだし、謎も解けたんだから、香里の所に移動しようよ〜」
それもそうか。
「よし、1階に行くか」
俺は歩き出した。と、カッターシャツの背中が引っ張られる。振り返ると、しっかりとあゆがカッターシャツを掴んでいた。
「こら、引っ張るな」
「だ、だって、うぐぅ……」
見るからに怖がっている。
「大体なんで一人でこんなところで泣いてたんだ?」
「祐一、話が戻ってるよ」
苦笑して名雪が言う。それもそうか。
俺も苦笑すると、あゆに手を差し出した。
「しょうがない奴。手を繋いでやろうか?」
「うぐぅ……」
しばらく俺の手と顔を交互に見て、あゆはおそるおそる俺の手を掴んだ。それからぎゅっと握って笑顔になる。
「よかったぁ」
「何がだ?」
「だって、ボクが掴もうとしたら、祐一君、すっと手を引くかなと思ったんだよ」
「あのな。俺がそんな悪ふざけするように見えるか?」
「見えるよ」
「やっぱり繋ぐの止めた」
そう言ってふりほどこうとすると、あゆは慌てて握った手に力を込めた。
「わぁっ、嘘嘘っ!」
「祐一、日頃の行いが悪いんだよ」
名雪に突っ込まれて、俺は不満そうにうなった。
「あのな……」
「そ、それより、早く明るいところに行きたいよ、ボク」
あゆが急かす。その握った手が汗でじっとりと湿っている、ということは、あゆもかなり緊張してるってことだな。
なんでも聞いた話だと、人間に限らず動物全般的に、精神的な緊張をすると手や足に汗をかくんだそうだ。これは普通の体温調整のためにかく汗とは違って、滑り止めのためにかく汗らしい。
「それじゃ、行くか」
俺とあゆは手を繋いで歩き出した。それから、俺は振り返る。
「どうした、名雪? あゆの代わりに残るのか?」
「えっ? あ、ううん。そんなことしないよ」
名雪はそう言って、小走りに追いかけてきた。
「祐一君達が出ていってから、しばらくして、天野さんと真琴さんが出ていったんだよ」
廊下を歩いていると、不意にあゆが言った。
「さっきの話か?」
「う、うん。それで、おトイレに行ったのかなって思って、ボクもちょうど行きたかったから、その後を追いかけたんだけど、途中で見失って……」
「天野達はトイレに出てきたんじゃなくて、俺と栞を追いかけてきたんだ」
俺が言うと、あゆは目を丸くした。
「えっ? そうだったの?」
「ったく、早とちりしやがって。で、見失ってどうしたんだ?」
「あ、うん。戻ろうかなとも思ったんだけど、でも……」
「我慢できなかったんだ」
俺が言うと、あゆにぽかっと叩かれた。
「うぐぅ……。女の子にいうことじゃないよっ!」
「無神経」
なぜ名雪までっ!
「で、捜したんだけど、3階にはおトイレなくて、2階に降りて捜して、見つけたんだけど」
「しゃがみ込むと中から白い手が……」
「きゃぁっ!」
悲鳴を上げてしゃがみ込むあゆ。俺まで引っ張られてつんのめりかける。
「おわっ、何をするんだっ」
「うぐぅ、だって祐一君が……」
「祐一が悪いよ」
名雪が半ば怒って半ば呆れたという複雑な表情で言った。
「あゆちゃんいじめちゃだめだよ」
「だからからかってるだけだってば」
「……」
何か言いかけて、名雪は途中で止めた。
「なんだよ?」
「なんでもないよ」
それだけ答えて、先に歩き出す。
「お、おい?」
「わたしが言っても仕方ないことだよ」
「……?」
俺とあゆは顔を見合わせた。
一人メンバーを増やして、1階に降りた俺達だったが……。
「で、どの部屋なの?」
「……」
俺は名雪に言われて、頭を掻いた。
「どこだろう?」
「……もしかして?」
「どうやら、迷ったらしい。っていうか、どの部屋だったかわからん」
最初に来たときには開きっぱなしだったドアも、今は全て閉まっている。ドアの隙間から光でも漏れててくれれば、どこだというのも判るんだろうが、立て付けがいいらしくどのドアからも光は漏れていなかった。
「一つ一つ開けていけばいいよ、きっと」
もっともなことを言う名雪。こういうパニクりそうなとき、こいつのマイペースさはなかなか頼もしいものがある。
「そのうちに香里達のいる部屋に着くよ、……多分」
最後は自信なさそうに言う。
「ま、いいや。とりあえずドアを開けていくぞ」
俺はそう言って、手近なドアを開けた。
部屋の中は真っ暗だった。外からのわずかな光さえも、窓に引かれた分厚いカーテンに遮られている。
懐中電灯で部屋の中を照らすまでもなく、この部屋に天野達がいる様子はなかった。
「ここじゃないようだな」
呟いてドアを閉めようとしたとき、突然稲妻が走った。
カーテンを通して一瞬だけ閃光が室内を照らす。
後ろで名雪とあゆが息をのむのが聞こえた。
俺も、一瞬、唖然としていた。
部屋の中央に人が倒れていたのだ。
「ゆ、祐一、誰かいるよ」
その声に、俺は慌てて手にしていた懐中電灯の光を室内に向けた。
「うぐうっ」
あゆが悲鳴をあげて、俺の手を強く握った。
部屋の中央で倒れているのは、おそらく男性だったんだろう。部屋の入り口、つまりこっち側に足を向けて俯せに倒れていた。そして床の絨毯には、その男の下を中心にして黒っぽい染みが出来ている。
服装は一見するとサラリーマン風のスーツ姿だった。
そして、その背中には、サバイバルナイフが突き刺さっている。ちょうど心臓あたりなんだろうか?
どう見ても、背中から刺されてその場に倒れて死んだふうにしか見えない。
「ゆ、祐一……」
その声に我に返った俺は、ドアを閉めた。
「と、とにかく天野達と合流してから考えようぜ」
「そ、そうだね」
こくこくと頷く名雪。あゆは……、と思って見てみると、硬直していた。
「おい、あゆ、あゆっ!」
その肩を掴んで手荒く揺さぶると、あゆは顔を上げた。
「あ、祐一君……。ボク、大丈夫だよ……」
棒読みの言葉。焦点の合ってない瞳。
あゆには精神的な負担が大きすぎたのか?
「あゆっ! しっかりしろっ!」
俺は軽くあゆの頬を叩きながら、叫んだ。
「あゆちゃんっ!」
横から名雪も加わってあゆの名を呼ぶ。
ダメか?
こうなったら……。
「あゆっ! たい焼きだっ!」
「えっ? どこどこっ?」
きょろきょろと左右を見て、あゆは俺の顔に気付いて涙目になる。
「うぐぅ、また騙したぁ……」
……っていうか、これで正気に戻るのか、お前は。
と、不意に隣の部屋のドアが予告もなく開いた。
ガチャッ
その瞬間、硬直する3人。
おそるおそる、俺はそのドアの方を見た。
「あれ? 3人ともなにしてんの?」
その脳天気な声がこれほどありがたいと思えることなど、多分今世紀中はもう二度とないだろう。
「真琴っ!」
「真琴ちゃん」
「真琴さん」
3人に同時に声をかけられ、ドアの影から顔だけ覗かせた真琴は、小首を傾げた。
「何よ、いったい……」
「香里は?」
訊ねながら、名雪は部屋の中に飛び込んだ。俺とあゆもそれに続いて室内に入った。
ベッドサイドでは、シーツを掛けられた香里の枕元に、栞が付き添っていた。物音に顔を上げて、俺達に気付く。
「あっ、祐一さん、名雪さん、あゆさんも」
「香里はどうなの?」
名雪が駆け寄りながら訊ねた。栞は頷いた。
「多分、眠ってるだけだと思います。呼吸も安定してますし、熱もなく、脈も正常です。それ以上は、私もお医者さまじゃないので判りませんけど……」
そこまで判れば立派なものだ。
「良かったよ〜」
胸をなで下ろす名雪をよそに、俺は天野の姿を捜した。そして部屋の隅のキッチンでタオルを洗っている天野に気付いて駆け寄った。
「天野」
「はい」
天野は振り返って、俺と、それにひっついてきたあゆの表情を見た。そして、静かに頷いた。
「見たんですね?」
「あれは、何なんだ?」
俺が訊ねると、天野は今まで洗っていたタオルの方に向き直った。
「見たとおりのものです」
「見たとおりって……」
「何に見えましたか?」
聞き返されて、俺は答えた。
「男の死体、じゃないのか?」
「えっ?」
あゆが声を上げた。
「女の人だったよ、今のっ!」
「え?」
今度は俺が声を上げる番だった。
「男だろ、どう見てもっ!」
「違うよっ、女の人が……うぐぅっ、もう思い出したくないよっ!!」
涙目になって俺の手を握りしめるあゆ。
しかし……、どういうことだ?
俺は、しばし唖然としていた……。
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あとがき
いやぁ、夏っぽいお天気になって死にそうな今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょう?
私は気温が30度を超えるとやばいです(苦笑)
毎年このシーズンはクーラーかけすぎで風邪引くか、冷たく冷やした麦茶のがぶ飲みでお腹を壊してるかのどっちかですな。
そういえば、学生さんには夏休みなんてものもあるんですね〜。社会人にとっちゃ羨ましい限りでございます。はい。
ではでは
PS
ああっ、とうとう七瀬さん越えちまったぁ(笑)
プールへ行こう Episode 20 99/7/4 Up