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Kanon Short Story #7
プールに行こう Episode 15

「前回から引き続き、俺はボートを漕いでいた」
「祐一君、どうしたの?」
「目の前には、男の子のような変な奴がいる。7年前に一緒に遊んだことのある少女、あゆだ」
「うぐぅ……男の子のような変な奴って、嫌……」
「7年前の頃も、まぁ変わった奴だった」
「祐一君に言われたくないよっ」
「でも、まさか食い逃げ犯になっていようとは……」
「だから、あの時はたまたまお金を持ってなかった……うぐぅ、意地悪……」
「……と、そこで俺は気が付いた。どうしてこいつは俺の考えにツッコミを入れられるんだ?」
「さっきから口に出してしゃべってるよっ!!」
 おー、いかんいかん。ところであゆ、俺はそろそろ疲れたぞ。
「……?」
「俺の考えくらい読みとってくれ」
「無茶苦茶だよっ! そんなの出来るわけないよっ!!」
「やれやれ」
 俺はため息を付くと、漕ぐ手を止めて、腕をぐるぐる回した。それから、訊ねた。
「で、今俺達はどこにいるんだろう?」
「……ボクは知らないよ」
「俺だって知らない……っていうか、わかるかっ!」
 大きく手を振って言う俺。
「何も見えないね〜」
 あゆは平然と恐ろしいことを言う。
 ……状況を説明しよう。
 急に霧が出てきて、何も見えなくなった。以上だ。
 最初のうちは、他のみんなの声も聞こえていたような気がするんだが、その声の方に向かって漕いでも誰にも会えず、今はその声も聞こえなくなってしまっていた。
「ちょっと、困ったね」
 それでも、なぜかあゆはそれほど困ったようにも見えない。
「なんであゆはパニくらないんだ? いつものあゆだったら、あわてふためいて海に飛び込むくらいはしてくれるだろうに」
「うぐぅ、ボクそんなことしないもん」
 あ、拗ねた。
 俺も黙ったので、沈黙が流れる。水がボートの縁に当たるチャプチャプという音だけが聞こえてくる音の全てだった。
「……なんとなくね、不安にならないんだよ」
 あゆは、不意に言った。それから俺を見て笑う。
「祐一君がいるから、かな?」
「それならそれでいいけどさ……」
 何となく照れくさくなって、俺は空を見上げた。空と言っても、今は霧のせいで何にも見えない。せめて太陽が見えれば方向も判るんだがなぁ……。
 ……あれ?
「なぁ、あゆ。なんとなくボートが動いてないか?」
「えっ? そうかな?」
 周りが霧ばかりで比較できるものが何もないので、どれくらいの速度かはよくわからないが、確かにボートが動いている。
「……ホラー映画だとさ、この後ボートの上に触手が伸びて来て……」
「いやだぁぁっ!」
 慌てて耳を塞いで小さくなるあゆ。
「うぐぅ、意地悪っ! ボクがそういうのに弱いこと知ってるくせにっ!」
 そういえば、こいつはこの手の話にめっぽう弱い。
「よし、それじゃ暇つぶしに俺が恐怖の怪談シリーズをやってやろう」
「うぐぅ……」
「第1弾、“悪の十字架”!!」(ばばーん)
「ひゃうぅぅぅっ!!」
 さらに小さく縮こまるあゆ。しかし、耳を塞いでるのによく判るもんだ。
「うぐぅ……、祐一君の顔、怖い……」
「俺の顔かいっ!!」
 とと、あゆをからかって遊んでる場合じゃなかった。
 俺は改めて周囲の様子を伺った。どうやらボートは潮に流されているらしい。
「あ、そういえば聞いたことがあるよ。砂浜から沖に向かって流れる潮っていうのがあるって」
「なんだそりゃ?」
 俺が聞き返すと、あゆはこくりと頷いた。
「波で海水がどんどん波打ち際に来るでしょ? それが一気に沖に向かって戻る流れがあるんだよ。海岸でおぼれる人って、その流れにはまった人が多いんだって、ボク聞いたことがあるよ」
「なるほど」
 意外にあゆは博学だった。
「で、どうすればいいんだ?」
 俺が聞き返すと、あゆは小首を傾げてからえへへっと笑った。
「そこまでは聞いてなかったよ」
 ……思ったとおりの展開だった。しかし、心躍る展開ではなかった。
 後日聞いた話では、こういう潮に巻き込まれた場合は、慌てずに海岸と平行な方向に泳げばいいらしい。この潮の幅は意外に狭い場合が多いので、それで潮から脱出できるそうだ。
 閑話休題。
「……あっ! 祐一君、見てっ! 島じゃないかな、あれ?」
 あゆが指さした。確かに、霧の向こうに大きな黒い影が見える。
「霧の中をあてどもなく漕いで行くよりはいいか」
 俺は頷いて、オールを握った。その島の方向に向かってまずは方向を変えようとする。
 ……あれ?
 オールが動かない。
 俺は、右のオールをのぞき込んで、げっとなった。
 オールはいつの間にか海草に絡み付かれていたのだ。
「うぐぅっ」
 あゆもそれを見て悲鳴のような声を上げた。確かに見て気持ち良いもんでもない。
 左側も同じような状態だった。
 まぁ、たかが海草。強引に引っ張れば、ちぎれるだろう。
 俺はそう思って、右のオールを力を込めて上げようとした。
「うぉぉぉっ!!」
 グラッ
「きゃっ!」
 ぐらりとボートが揺れ、慌ててあゆがボートの縁にしがみつく。
「うぐぅ、揺らしたら駄目だよぉ」
 どうやら、強引にちぎろうとしてもちぎれそうにないようだった。
 とすると、手で一本一本ちぎるしかないか。面倒だな、こりゃ。
「あゆ、サバイバルナイフないか?」
「そんなの持ってないよっ!」
 それもそうだ。
「なら、そのカチューシャ貸してくれ」
「いいけど……」
 あゆは赤いカチューシャを頭から外しながら訊ねた。
「何に使うの?」
「これで海草をぶった斬る」
「絶対貸さないっ!」
 慌ててカチューシャを背中に隠すあゆ。
「大体こんなのじゃ切れないよっ!」
「なにっ? それは投げつける武器だろっ!」
「うぐぅ、違うもん!」
 さらに拗ねてぷいっと横を向くあゆ。
 いかんいかん、あゆをからかってる場合じゃなかった。
 俺は、海に手を差し込んで、海草を引きちぎり始めた。
 くそっ、ぬるぬるしてなかなか切れない。
「ええい、このこのこのっ!」
「だ、大丈夫、祐一君?」
 拗ねていたはずのあゆが怖々という感じで訊ねる。無論、俺の手元は見ようとしていない。
 くそっ、切っても切っても絡み付くっ!
 あまりのしつこさにいらついた俺は、海草を掴み、思い切りボートに引っ張り上げた。
 ぶちぶちぶちぃっ
 ちぎれる音と共に、固まりのまま引っ張り上げられる海草。
「うきゃぁっ!」
 あゆは悲鳴を上げて、ボートの舳先のほうに逃げた。
「ゆ、ゆ、祐一君っ、動いてるぅぅっ!!」
 確かに、海草の固まりがもぞもぞと動いている。って、こりゃマジにホラー映画の世界だぞ。
「祐一君っ!!」
 あゆが舳先にしがみついたまま、涙目になって俺を呼ぶ。俺の所に来ようにも、その間にもぞもぞ動く海草の固まりがあるもので身動きがとれないらしい。
 かく言う俺も、あまりの不気味さにちょっと腰が引けていた。
 周りは白い霧ばかり。聞こえるのは、波がボートの縁に当たるチャプチャプという音だけ。で、ボートの上でうぞりうぞりと動く海草とくれば、腰が引けない奴のほうがお目にかかりたい。俺の知ってる奴で、この状況で平然としていられるのは舞くらいなものだと思うぞ。
 でも、ここには俺とあゆしかいないんだから仕方ない。
 俺は勇をふるって海草の端を掴むと、そのまま海に放り投げた。
 海草の固まりは、白い霧のなかに溶けるように消えた……。
 ……って、ちょっと待て! 何でバシャンともボチャンとも言わない?
「うぐぅっ、祐一君っ、怖かったよぉぉっ!」
 俺の疑問は、舳先からジャンプして飛びついてきたあゆによって中断された。
 そのまま、俺の胸にしがみつくようにしてうぐうぐと泣くあゆ。
「判ったから、泣くな。な?」
「だ、だってぇ、ボク、ボクっ……」
 ったく、しょうがない奴。
 俺はしばらくあゆが泣くに任せて、その頭を撫でてやった。

 しばらくしてから、やっと落ち着いたあゆは、俺の顔を見上げて照れくさそうに笑った。
「……えへへっ。ありがと、祐一君」
「落ち着いたか、あゆ?」
「うん、もう大丈夫だよ、ボク」
「だったら、離れろって」
「うぐぅ、だって……」
 ころっと表情を変えて、また怯えた顔になると、あゆはさらにぎゅっと俺に抱きついた。
「また海草がボートにはい上がってくるかもしれないし……」
 真冬だったあの頃なら、俺も厚着していたし、あゆもセーターにダッフルコートという重装備だったので、抱きつかれてもうざったいだけだったのだが、二人とも水着だけというこの状況では、あゆの柔らかな胸の感触が直接感じられるという、嬉しい事態になっている。
 しかも、それを意識した途端に、俺の体の一部が制御不能の事態に陥り始めていた。
「あ……」
 あゆもそれに気付いたらしく、顔をかぁっと赤らめた。
「……祐一君のエッチ……」
「ち、違うぞあゆっ、これは男の生理現象でなっ、その、大体お前が抱きついてるからっ」
「そ、そうかもしれないけど……」
「……」
「……」
 何となく沈黙。
 気まずい。無茶苦茶気まずい沈黙だった。
「あ、あの、あゆ……」
「祐一君、ボク……」
 声が重なり合ってしまい、また黙り込む。
「な、なんだよ」
「祐一君こそっ」
 また、沈黙。
 ええい。
 思い切って口を開こうとしたとき、あゆが真っ赤になった顔を上げた。
「ボクなら……いいよ」
 そう言って、あゆは顔を上げたまま、目を閉じた。
 ……こ、これってもしかして、据え膳状態ってやつなのかぁっ!?
 ドクッ、ドクッ、ドクッ
 心臓の鼓動が自分にも聞こえるくらい高鳴っている。
 俺は思わずごくりと生唾を飲み込んだ。
「あ、あゆ……、いいのか……?」
 ここでいきなり目を開けて「うそぴょ〜ん」とか言われたら、俺は心に深い傷を負って、一生女性不信になるんじゃないか、と馬鹿馬鹿しいことを考えかけて、慌てて首を振る。
 あゆは、あゆだった。
「祐一君のこと……信じてるから」
 目を閉じたまま、あゆは言った。
「だから……」
 あゆは、俺を信じてるからだと言う。
 でも、俺はどうなんだ?
 あゆが好きなのか? 好きって、どんな好きなんだ?
「俺は……」

 その瞬間、いきなりボートが横転した。

 全く不意打ちだった。俺とあゆは何をする間もなく海に投げ出された。
「!!」
 慌てて手足をばたばたさせて藻掻く。
 やっと、海上に顔が出たところで、あゆを呼ぼうと息を吸い込んだ。
 その瞬間、波がもろに顔にかかった。タイミングが悪く、したたか海水を飲み込んでしまう。
 考える間もなく、俺の体はそのまま海に引きずり込まれるように沈んでいった。
 ガボガボッ
 口や鼻から漏れた気泡が上がっていくのが見える。
 ……なんか、あっけないな。
 何故か、冷静にそんなことを考えている俺がいた。
 そして、目を閉じる。
 全てが闇に包まれて……。

“祐一君っ!!”

 誰かが俺を呼んだ。
 目を開いて、俺はそこに幻影を見た。
 あゆがいた。
 大きな、真っ白な4枚の翼を広げて、俺に向かって舞い降りてくるあゆの姿。
 ……なんだよ、それ。まるで天使じゃないか。
 全然、似合わないよ。お前が天使だなんてさ。

 俺は呟き、そして意識が出し抜けにそこで失せた。

Fortsetzung folgt

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