21世紀初頭。
冥王星で発見された、謎の超テクノロジーによって、私たち人類の文明は、一気に発展しました。
でも、それに伴って心まで発展したわけではありません。
それは、つまり、地球上で繰り広げられていたいろんな問題を、宇宙に広げたに過ぎませんでした。
そんな時代に、私たちは生きています……。
私は、伊藤乃絵美、16歳。
ゴォォン
「きゃぁっ!」
私たち……、私とお父さん、お母さんが一緒に住んでいた宇宙コロニー“桜美”は、その日突然、大混乱に陥りました。
宇宙コロニー“桜美”は、冥王星の衛星軌道上にある、研究員とその家族が暮らすごく小さな、名も知られていないコロニーです。いえ、『でした』。でも、この日以来、このコロニーの名は、歴史の教科書に載ることでしょう。
“有史以来、一番最初に異星人の攻撃を受けたコロニー”として。
冥王星。太陽系9番目の惑星。
ごく小さなこの星が、人類の注目を浴びたのは、あの超テクノロジーの遺跡が発見されたときでした。
そして、それ以来各国は競争でこの星に軍を送り込みました。その利権を手に握るために。
一部の偉い人以外には何の意味もない戦いがいくつもあり、そして皮肉にも宇宙船の技術は、人類初めての宇宙戦争で飛躍的に上がっていきました。
そして、休戦協定。
各国は、以後宇宙では協調体制を取ることを確認。
システムが、システムで在り続けるために、連合宇宙軍は、生まれました。
意味のない戦争が終わって、いよいよ本格的に遺跡を調査することになり、冥王星の軌道上に、このコロニー、“桜美”が建設されたのが3年前です。
そして、私たち一家は、このコロニーに引っ越してきました。あ、もちろん、私のお父さんもお母さんも学者さんじゃありません。このコロニーで喫茶店を経営するためです。
あの日まで、平和な日が続きました。
あの日まで……。
「お父さん、お母さん!」
「乃絵美、早く逃げろっ!」
「で、でも……」
「早く、脱出艇に。そこまで行けば安全だ!」
「私たちは後で行くから、乃絵美は早く!」
「う、うん……」
私は駆け出しました。
既に、通路はパニックになっていました。大勢の人々――“桜美”には、研究員とその家族、そしてその人たちを補助する私たちのような人を合わせて、194人がいました――が、我先に脱出艇のある区画に向かって走っています。
ドン
誰かに押されて、私は転んでしまいました。ひどく身体をぶつけて、息が詰まりました。
その間に、他の人はみんな向こうに走って行ってしまいました。
でも、それが結果的に私を助けてくれたのです。
カァッ
いきなり、目の前が真っ赤になりました。そしてすごい風が吹き抜けました。私は、その場に伏せているだけで精一杯で、何も見る余裕がありませんでした。
そして、唐突に風が止まり、私は一人ぼっちになってしまいました。
後で知ったことなんですが、焦った一人が手順を間違えて、脱出艇のシステムを暴走させて、オーバーヒートで自爆してしまったんだそうです。
もちろん、私はそんなことは知りません。慌てて起きあがると、脱出艇のある区画に走りました。
でも、途中で道はふさがっていました。通路には隔壁が降りていて、それ以上進めません。
ゴォン
また、床が大きく揺れました。
「きゃぁっ」
私は足下をすくわれて、その場に倒れました。
ガシャ、ガシャ、ガシャ
機械的な音が、だんだん近づいてくるのが聞こえました。そして、通路の角を曲がって、それが姿を現しました。
機械の蜘蛛、というのが一番合ってると思います。黄色い体に、金属製の足、そして赤い目。
シュィィン
微かな音がして、その赤い目から、赤い光が放たれて、私の体をはい回ります。
「い、いや……」
私は、本能的に後ずさりました。
トン
その背中が、隔壁に当たりました。それ以上、下がれません。
「助けて……」
私は、ここに居るはずのない人を呼んでいました。
「助けて、お兄ちゃん!」
「乃絵美ぃっ、伏せろぉっ!!」
う……そ……。
私は、とっさに右に体を投げ出しました。同時に、爆発音。
そして、衝撃……。
「えみ、乃絵美っ! 大丈夫かっ!? 菜織、本当に大丈夫なんだろうなっ!!」
「だから、何度も言ってるでしょ? 気を失ってるだけなんだから。あんたの方が落ち着きなさい」
耳元の騒がしさに、目がさめました。
「う、……うん」
「ほら、目を覚ましたわよ」
「乃絵美!」
覗き込む顔。
ぼんやりとしていた焦点が合います。
「お……兄ちゃん?」
「ああ、そうだよ。……無事でよかった……」
私は、抱き起こされて、ぎゅっと抱きしめられていました。
「お兄ちゃん……?」
「そうだよ」
その優しい答え。そして、私を抱きしめる力強さ。
その時、私の中で何かが切れて、私は泣きじゃくりながらお兄ちゃんに抱きついていました。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん……」
「大丈夫、もう大丈夫だ」
お兄ちゃんは、私の背中をぽんぽんと叩いてくれました。
「……すん。ありがと、お兄ちゃん。それから、ごめんなさい」
しばらくたって、やっと落ち着いたところで、私は慌ててお兄ちゃんから離れて謝りました。
「謝る事なんてないって」
にこっと笑うお兄ちゃん。
「おほん」
咳払いの声に、私はそっちを見ました。
「感動の対面に水を差して悪いけど、そろそろいいかしら?」
「菜織……ちゃん?」
「そ。お久しぶり、乃絵美」
菜織ちゃんはにこっと笑いました。
「無事でよかったわ」
「お兄ちゃんも菜織ちゃんも、どうしてここに? あれ? ここはどこ?」
私がきょとんとしていると、お兄ちゃんは苦笑して言いました。
「ここは、連合宇宙軍の練習艦“舶用”の艦内だよ」
「はく……よう?」
「そ。練習航海の途中でたまたま冥王星近くに来たところで、“桜美”のSOSを受信してね」
菜織ちゃんはウィンクした。
「もう、正樹ったら大変だったのよ。「乃絵美が危ないんだっ、オレは行くぞっ!!」ってね」
「あ、こら! それはだなぁ……」
お兄ちゃん、赤くなってる。
あ、ちゃんと説明しますね。
お兄ちゃんの名前は、伊藤正樹。私のお兄ちゃん。とっても優しいの。
で、その隣で笑ってる人が、氷川菜織さん。お兄ちゃんと同じ歳で、私たちは幼なじみ同士なの。もっとも、私は体が弱かったから、あんまり外では遊べなかったんだけど……。
お兄ちゃんと菜織ちゃんは、今は二人とも連合宇宙軍のカナガワ士官学校に入ってるの。士官学校は寮生活だから、私たち家族とは別れて暮らしてたんだけど……。
あっ!
「お兄ちゃん! お父さんとお母さんは!?」
「ああ、無事だよ。今はこの艦の食堂にいると……」
シュン
ドアが開いて、そのお父さんとお母さんが飛び込んできました。
「乃絵美が気がついたって!?」
「乃絵美!」
「お父さん、お母さん!」
「よかったぁ……」
シュン
ドアが開くと、広い部屋に出た。
お兄ちゃんが私の肩を叩いて言う。
「ほら、ここがブリッジなんだ」
「……はぁ〜」
私は、細々した機械類よりも、目の前に広がる大きな窓に映った宇宙に、目を丸くしていました。
と。
「おや? 正樹、菜織くん。その娘は?」
気付かなかったけど、ブリッジは前の方が低くなってて、そこの陰になってたところから、男の人が顔を出しました。
私は、反射的にお兄ちゃんの後ろに隠れちゃった。
「わぁっ!」
「橋本先輩っ!! いいいらっしゃったんですかっ!?」
なんだか慌ててる二人。
「今の時間は非番なんじゃ?」
「あんなことがあったんだ。今のこの艦の責任者は俺だからな。のうのうと休むわけにもいかないだろ」
私は、こわごわとお兄ちゃんの後ろから覗いてみました。
「で、その娘は?」
微笑みながら言う男の人。
「あ、こいつは俺の妹なんです。“桜美”から救出した……」
「ええ、今艦内を案内してるところなんです」
菜織ちゃんが後に続けて言ってくれます。
「そうか。俺は橋本まさし。君のお兄さんの先輩ってところだ。よろしくな」
「は、はい……」
私は、お兄ちゃんの後ろから出て、ぺこりとお辞儀しました。
「伊藤乃絵美です」
「乃絵美ちゃんか。俺にも君とおなじくらいの妹がいるんだ。だから、正樹が君を可愛がるのはよく判るぞ。うんうん」
腕組みしてうなずく橋本さん。
「せ、先輩! そ、それよりも、“桜美”を襲ったのは誰なのか判ったんですか?」
え?
私は橋本さんのことも忘れて、お兄ちゃんに視線を向けました。
菜織ちゃんがお兄ちゃんをこずいています。
「ばかっ! 乃絵美がいるのよっ!」
「あ……」
私、事故が起こったんだとばっかり思ってました……。誰かが襲ってきたって……?
そういえば、あの機械蜘蛛……。夢をみたんだとばっかり思ってたのに……。
「お兄ちゃん……」
私は、お兄ちゃんの服の裾をぎゅっと握っていました。お兄ちゃんは視線を逸らして言います。
「乃絵美、そろそろ行こうか。なぁ」
誤魔化す時のお兄ちゃんの癖。
「教えて、お兄ちゃん。何があったの?」
「それは……」
お兄ちゃんが口ごもったとき、不意に大きな音が鳴り響きました。
ピリリリリ、ピリリリリ
「な、何っ!?」
「警戒警報? ちょ、ちょっと待ってよ!」
「菜織くん、操舵を頼むぞ。正樹、お前はレーダーを頼む!」
「待ってください、その前に乃絵美を安全なところに……」
「乃絵美くん、そこのオペレータ席に座って、シートベルトを締めるんだ」
橋本さんは、私に前の席を指しました。
「先輩!? 乃絵美に何をさせるつもりですっ!?」
思わずくってかかろうとするお兄ちゃんに、橋本さんは笑って言います。
「心配するな。何もさせるつもりはない。こと、戦闘になったらブリッジが一番安全だ。そうだろ?」
「それは、そうですが……」
「お兄ちゃん、私は大丈夫だから」
私はそう言って、橋本さんに言われた席に座わりました。ベルトを締めます。
お兄ちゃんは、私の肩をポンと叩いて「大丈夫だよ」と一言言ってから、隣の席に座りました。反対側の席に、菜織ちゃんが座っています。
橋本さんから指示が飛びます。
「正樹、状況確認!」
「え、えっと、ちょっと待ってください……」
レーダースクリーンを睨むお兄ちゃん。
「えっとですね……。前方からなにか来ます」
「なんじゃそりゃ?」
思わず聞き返す橋本さん。菜織ちゃんもお兄ちゃんの方を見てます。
「正樹、それじゃなんだかわかんないわよ!」
「んなこと言われたって!」
そう言いながら、レーダースクリーンと格闘するお兄ちゃん。
「俺はパイロットなんだよっ! えーと、識別はどれだ?」
お兄ちゃん……。
私は、目の前のキーボードに指を走らせた。
「識別コード、該当ありません」
「え?」
「乃絵美?」
「距離、28000。大きさは、200メートルくらい、細長いのが3つ。こちらに向かってきます。現在速度では、240秒後に接触」
「戦艦クラスの大きさだな。正樹、フィールド展開」
「えっ?」
戸惑うお兄ちゃん。私は、キーボードからメニューを呼び出す。
「フィールド、展開します。出力は?」
「あ、ああ。120%で」
「はい。フィールド展開。出力120%……あ」
画面上に出た警告文を読む。
「前方の正体不明艦から、小型のものが発射されました。識別不明……。推定……ミサイル」
「ミサイル?」
「数、約200。直進してきます。着弾まで60秒」
「菜織くん、急速上昇! そのまま回避運動に移れ!」
「はいっ!」
菜織ちゃんが言って、ぐいっとレバーを引く。正面の窓の星が、下に流れる。
その星の中から、何かが光って迫ってくる。あれが、ミサイル?
そのミサイルは、艦の下を流れていった。
私は、キーボードを叩く。
怖くない。お兄ちゃんがいてくれるから。
「正体不明艦、なおも接近。あ、今度は重力振動を検知」
「重力振動? ま、まさか」
次の瞬間、ズグゥンと艦が揺れた。
「なに、今の!?」
「左舷区画に被弾。第277から290の装甲板剥離。内部への被害は軽微」
「正樹、主砲発射用意! それならできるな!?」
「はいっ。主砲、エネルギー充填開始します!」
なんだか生き生きした声で答えるお兄ちゃん。菜織ちゃんが額を押さえる。
「正樹のバカ。攻撃になると生き生きしちゃって……」
「前方からミサイル第二波来ます!」
「おっとっと!」
菜織ちゃんは大きくレバーを引く。
あっ!
「後方にも正体不明艦発見! 数……4です」
私が言うと、さっと緊張が走った。
「橋本さん、どうします!?」
お兄ちゃんが振り返って叫ぶ。
「むぅ……。7対1か……」
あっ!
「後方の3隻から重力振動検知! 来ます!!」
そして……。
艦が大きく揺れた。
フィフィフィフィフィ
気が付くと、視界は赤く染まってました。一瞬、血が目に入ったのかな、と思うくらい。
でも、それは違いました。非常用の赤色灯が付いていたせいだったんです。
お兄ちゃんは!?
私は慌てて、左の方に視線を向けました。お兄ちゃんはコンソールに伏せています。
シートベルトを外して、お兄ちゃんに駆け寄りました。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんっ!!」
「う……うん」
お兄ちゃんは、額を押さえながら顔を上げました。よかった、たいしたことないみたい。
「あ、乃絵美か? 何がどうなったんだ?」
「わかんないけど……」
「橋本さんっ!!」
菜織ちゃんの悲鳴に、私たちは振り返りました。
橋本さんが、床に倒れています。衝撃で椅子から飛ばされて、床に叩き付けられたようでした。
お兄ちゃんが叫びました。
「乃絵美! 橋本さんの様子を見て。菜織!」
「で、でも……」
「橋本さんより、この艦だ! でないと、みんなが!」
「う、うん」
菜織ちゃんは、操舵手の席につきました。私はシートベルトを外して、橋本さんに駆け寄ります。
「どうしよう、正樹?」
「……」
お兄ちゃんは、正面をにらみつけて言いました。
「全速前進!」
「な、何を言ってんの!?」
「それが、正しい」
橋本さんが、体を起こしました。でも、額には汗を浮かべて、とても辛そうです。
「菜織くん、全速で正面の敵に向かえ」
「そんな、特攻する気ですか!?」
「違うよ。正面の敵を突破して、そのまま逃げるんだ!」
お兄ちゃんの言葉に、橋本さんはうなずきました。胸を押さえて、壁により掛かって座ります。
「正樹、菜織くん。頼むぞ」
「あー、もうわかったわよ。何があっても私は知らないわよっ!! 機関出力最大、全速前進っ!!」
そう言って、菜織ちゃんはレバーを思いっきり引きました。
「主砲、発射!!」
お兄ちゃんがそう叫ぶと同時に、光の帯が伸びていきます。そして、正面で光の玉が開きました。
「いっけぇぇえっ!!」
菜織ちゃんが叫びました。同時に、左右の窓から見える星が、尾を引いて後ろに流れます。
“舶用”は、一気に敵に突っ込んでいきました。
「……逃げ切れた?」
菜織ちゃんが、げっそりした顔で私に尋ねました。
あれから3時間。
橋本さんは、医療班の皆さんに医務室に連れていかれ、代わりに通信士の信楽さん、パイロットの田中さんがブリッジに入ってくれました。私は、お兄ちゃんに頼まれて、オペレータをやってます。
「えっと……」
私はキーボードを叩いて、画面に出てくる表示を見ました。
「追尾してくる船影なし。どうやら逃げ切ったみたいです」
私が答えると、菜織ちゃんは椅子の背もたれにもたれかかって、深々と息を付きました。
「疲れたぁ〜」
「にしても、よくやるよ、菜織も」
田中さんが後ろから菜織ちゃんの肩を叩きました。
「あのあと、小惑星帯を突っ切って相手を巻くなんて、な」
「あのバカでないと思いつかないわよ、そんなこと」
菜織ちゃんは肩をすくめました。
あのバカ――つまりお兄ちゃんは、レーダースクリーンに顔を突っ伏して、ぐーぐーと寝てました。
「それに、乃絵美ちゃんのナビゲートもよかったしね」
「そんな、私は……」
「そうそう。ミャーコもビックリしちゃったなぁ」
信楽さんが、自分の席で笑って言いました。
「おっと、どさくさ紛れで自己紹介もまだだったな。あたしは田中冴子。本来は正樹と同じパイロットだぜ」
菜織ちゃんの後ろで、冴子さんがぴっと手を挙げて挨拶してくれました。それから、信楽さんにも声をかけます。
「ミャーコも自己紹介くらいしろよ」
「あたしはミャーコこと信楽美亜子。この練習艦“舶用”の通信士。でもそれは仮の姿。本当は、舶用・ブロード・キャスト、舶用通信の敏腕レポーターなのよっ」
「なんだよ、その舶用通信ってのは! それにおめぇは信楽美亜子ことミャーコだろうが!!」
私は慌てて立ち上がって頭を下げました。
「伊藤乃絵美です。お兄ちゃんがお世話になってます」
「まぁ、そんなに言われるほど世話なんてしてねぇけどさ」
「あ〜、冴ちゃん照れてるぅ」
「う、うるせミャーコ! てめ、この待ちやがれぇっ!」
「ひゅーひゅー、照れ照れ冴ちゃぁん」
信楽さんを追いかけ回す田中さん。
唖然としてそれを見てる私に、菜織ちゃんが話しかけてきた。
「ま、いつもあの二人はあんな感じだから、気にしちゃだめよ。さぁてと、あたしはちょっと休むわ。正樹のこと、よろしくねっ」
「は、はいっ」
私はこくりとうなずくと、まだ眠ってるお兄ちゃんに、上着をかけてあげたの。