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White Album Short Story #6
弁護士 観月マナ 2

白銀のMTB その2

「さ、殺人って、なんでまたいったいどうしててぇっ!!」
 蹴っ飛ばされたすねを抱える俺を睨んでマナちゃんが言う。
「落ち着きなさいよ、みっともない」
「だ、大丈夫?」
 美咲さんが心配そうに俺をのぞき込む。
「だ、大丈夫です。それより……」
「とりあえず、一旦事務所に戻るわよ。あ、美咲先輩も一緒にいらしてくれると助かります」
 マナちゃんの言葉に、美咲さんはこくりと頷いた。

 ついさっきまで仕事をしていた事務所に舞い戻ると、マナちゃんはコートを脱ごうともせずに机を開けて判子を取り出した。
「マナちゃん、あの……」
「とにかく、警察に行くのが先決よ」
 そう言いながら、マナちゃんはキャビネットから書類を取り出して、バンバンと判子を押した。それからその書類を封筒に入れて立ち上がる。
「ほら、行くわよ」
「あ、待ってよマナちゃん!」
「外では観月先生って呼びなさいよねっ」
 俺達のそんなやりとりを見ていた美咲さんが、くすっと笑った。
「あ、ごめんなさい、笑ったりして」
「いえ……」
 ちょっとでも美咲さんの気がほぐれてくれたなら、俺がすねを痛めた甲斐もあるってものだ。……いてて。

「や、どーもお久しぶりですなぁ」
 警察署に着いた俺達を出迎えたのは、由綺の事件の時にも世話になった長瀬刑事だった。彼は俺達をこの前と同じような会議室に案内した。
 椅子に座るのももどかしげに、マナちゃんが開口一番訊ねた。
「長瀬さんが担当なの?」
「ま、そんなとこで。煙草、いいですか?」
「ダメ」
 にべもないマナちゃんの言葉に、長瀬刑事は残念そうに煙草の箱を胸ポケットに突っ込んだ。
「あの、はるかちゃんは……?」
 心配そうに訊ねる美咲さんに視線を向ける長瀬刑事。
「失礼ですが、どちら様で?」
「あ、すみません。私、澤倉美咲っていいます。はるかちゃんとは高校からの知り合いで……」
「なるほど。それだったらこっちも聞きたいことがあるんですがね……」
「それよりこっちの方が優先よっ!」
 マナちゃんは、封筒から書類を出した。
「とりあえず、接見を要求したいの」
「はぁ。でも本人が別に弁護士を要求してるわけでもありませんしなぁ」
 扇子を出してパタパタと自分を仰ぐ長瀬刑事。
 書類を机に置くと、マナちゃんははぁ、とため息をついた。
「とりあえず、事件の状況を説明してくれないかしら?」
「はぁ、またご存じないと」
 嫌みでもなく淡々と言うと、長瀬刑事は椅子に座り直して足を組んだ。
「それじゃ、まぁとりあえず説明しますかね」

「通り魔?」
 俺と美咲さんは顔を見合わせた。と、その俺の頭をぐいっと曲げて、マナちゃんが訊ねる。
「被害者は?」
「東山良二、35歳。とりあえず持っていた免許証から判明したのは本人の名前と生年月日だけで、それ以上のことは今照会中ですわ」
「1人だけなのね?」
「あと、梶田静六29歳、秋人隆介44歳……」
「全員死亡?」
 途中でマナちゃんが遮るように訊ねた。長瀬刑事は頷いた。
「ええ。もう1人を含めて、全員即死状態ですわ」
「……もう1人?」
「まだ身元はわからんのですけどね、若い女性がもう1人」
「4人……」
 マナちゃんは深刻な顔で呟いた。
「どうしたの?」
「無差別殺人の場合、死亡者が4人を越えた場合、まず間違いなく死刑になるのよ」
 そう呟くと、マナちゃんは顔を上げた。
「詳しく、その時の状況を教えてくれないかしら」
「いいでしょう」
 長瀬刑事は頷いた。
「現場は、駅前の商店街の入り口でした……」


 夕方の駅前は人混みでごった返していた。
 いつもと変わらぬ夕刻の情景。
 だから、その中を銀色のMTBが駆け抜けていくのも、誰も気にとめなかった。
 その瞬間まで。
「ギャァァァッ」
 1人の男の悲鳴が響き渡り、そして続いてもう1人。
 赤い血が噴き出し、歩道を非現実な色に染める。
 その時になって、何が起こったかを知った人々が、一斉に逃げまどう。
 そして、不幸にも転んだ女性が、目の前に迫る恐怖に悲鳴を上げ、そしてその悲鳴が不意に途切れる。
 勇敢な青年が飛びかかり、そして胸を突かれて倒れる。
 だが、彼は自分の生命と引き替えに、その惨劇に終止符を打った。
 凶行を行った柳刃包丁は、彼の体に突き刺さったまま、彼の体と共に地面に落ちたのだ。
 凶器を失った犯人が、返り血を浴びたまま、その場に倒れていた銀色のMTBを引き起こしたとき、数人の男達がその上に飛びかかった。
 だが、犯人は観念したのか、押さえ込まれたまま、身動き一つしなかった。
 パトカーのサイレンが聞こえてきたとき、人々はようやく、惨劇が終わったことを実感した。
 だが、それはもう一つの劇の幕開けだった。

「と、まぁ、こんな顛末ですがね。今回は、まぁ現行犯逮捕ですからなぁ。いくら観月先生でも、どうしようもないでしょう?」
 長瀬刑事はそう言って、煙草をくわえた。それからはたと気付いて、「こりゃ失礼」と元の通り胸ポケットに戻す。
 マナちゃんはむっとした口調で訊ねた。
「で、河島さんは? 何かしゃべったの?」
「それがねぇ」
 肩をすくめる長瀬刑事。
「完全黙秘。っていうか、ありゃ心ここにあらずって感じですわ」
 俺と美咲さんはもう一度、顔を見合わせた。
 はるかは元々そういう奴だ。でも……。
「なるほどね」
 マナちゃんは頬杖をついた。それから長瀬刑事を見上げる。
「ともかく、彼女に逢わせて欲しいんだけど」
「どうしても、ですか? 弱ったなぁ……」
 本当に弱った、という表情で頭を掻く長瀬刑事。
「ん〜。最近、警察に対する一般市民の目って厳しいのよねぇ。長瀬さんもよくご存じと思いますけど」
 そう言ってふっと笑うマナちゃん。
 長瀬刑事は、頭の後ろに手を当てて、苦笑した。
「勘弁してくださいよ。あれはお偉いさんがやったことで、私らみたいに一生懸命奉職してる下っ端には迷惑なだけなんですから」
「ま、それはどうでもいいんだけどね。あ、それなら電話貸してくれるかしら? ちょっと弁護士会に連絡取りたいんだけど……」
 長瀬刑事は、身体を伸ばして俺に囁いた。
「いやぁ、観月先生も搦め手を使うようになりましたなぁ」
「こう見えても成長してるんですよ、一応」
「ちょっと、なにこそこそ話してるのよ」
 マナちゃんが腕組みして俺達を睨んだ。俺は慌てて手を振る。
「いや、マナちゃんっていい弁護士なんだよって話をだね……」
「どーだか。ま、いいけどね。で、どうするの?」
 視線を長瀬刑事に移して尋ねるマナちゃん。でも、ちょっと嬉しそうだったぞ。
 長瀬刑事は肩をすくめた。
「降参ですよ。ただし、私も同席させてもらえるなら、って条件付きですけど」
「そうね……。ま、いいわよ」
 ちょっと考えて、マナちゃんは頷いた。
 長瀬刑事は俺達に視線を向けた。
「それから、そちらさん方は遠慮してもらえますか? 外から見るのは構いませんけどね」
「でも、私も……」
「美咲さん」
 俺は立ち上がろうとした美咲さんの肩を軽く押さえた。俺に視線を向ける美咲さん。
「冬弥くん……」
「マナちゃんに任せといた方がいいって。こう見えても弁護士なんだから」
「うんうん」
 笑顔で頷くマナちゃん。
「それじゃ、こちらへ」
 長瀬刑事が立ち上がり、会議室のドアを開けた。続いて俺が出ようとしたとき、出し抜けにすねに激痛が走った。
「いってぇぇぇぇっっ!」
「どうかしましたぁ?」
 振り返る長瀬刑事に、俺は涙を浮かべながら首を振った。
「もう、藤井さんったら、相変わらずドジなんだから。ドアに足ぶつけてるんじゃないわよ」
 マナちゃんは、後ろから澄まして言うと、背を伸ばして俺の耳を掴んで囁いた。
「マナちゃんじゃなくて観月先生でしょっ! 藤井さんの馬鹿っ」
 どうやら聞き逃してもらえなかったらしい。

 俺と美咲さんは、取調室の隣の部屋に通された。その部屋からは取調室が見える窓がある。向こうからはマジックミラーになっていてこちらは見えないようになっている。
 俺は、青ざめている美咲さんに尋ねた。
「でも、まだ俺信じられないんですけど……」
「私もよ。でも……」
 美咲さんは壁に寄りかかった。そして、天井を見上げた。
「私もね、いたの……」
「いたって、まさか……?」
 絶句した俺に、美咲さんは頷いた。
「あの現場に……」
「それじゃ、はるかが……」
「ううん。それは見てない。私がそこを通りかかったのは、はるかちゃんが警察の車に乗せられるところだったの」
 美咲さんの声が震えた。
「最初は、はるかちゃんが何か事故に遭ったのかなって……、でもそれなら救急車でしょ? おかしいと思って、その辺りにいた人に聞いたの。そしたら、はるかちゃんが、はるかちゃんが……」
「美咲さんっ、もういい」
 俺は、美咲さんをぎゅっと抱きしめた。
「もうそれ以上言わなくてもいいんだ……」
「……」
 美咲さんは、じっと耐えているようだった。
 俺は、ただその体を抱きしめることしかできない自分が、歯がゆかった。

「あ、ご苦労さん」
 隣の部屋から聞こえてきた声に、俺達は我に返って離れた。
「ご、ごめん、美咲さん」
「ううん。それより……」
「あ、そうだね」
 俺達は、互いの顔から視線を逸らすように、窓を覗き込んだ。
 取調室の中は、よく刑事ドラマで見るような、殺風景な部屋だった。その部屋の中央に置かれた小さな机の前に座っている姿を見て、俺は息をのんだ。
「……はるか」
 俺のつぶやきは、はるかの正面に座ったマナちゃんの言葉にかき消された。
「こんにちわ、河島さん。怪我はもういいの?」
「……」
 はるかはぼんやりとマナちゃんに視線を向けた。
 マナちゃんは自分を指した。
「お昼に逢ったでしょ? 観月マナよ」
 お昼に逢った、という言葉を聞いて、長瀬刑事の眉がぴくりと動いたが、彼は口を挟むことをせずに、取調室の壁に寄りかかった。
「早速だけど、あなた、本当に、人を殺したの?」
「……」
 はるかは少し考えている様子だった。それから、ゆっくりと答えた。
「みんながそう言うから、そうなんだと思う」
「……長瀬さん、自白の強要か、誘導をしたんじゃないの?」
 はるかに視線を止めたまま、マナちゃんは言った。
「そんなつもりはありませんけどね」
 長瀬刑事は肩をすくめた。
 それ以上は追求せずに、マナちゃんは言った。
「私も、藤井さんも、澤倉さんも心配してるよ」
「……冬弥と、美咲さん……?」
「うんうん」
 こくこくと頷くマナちゃん。
「それでね、まずは河島さん、あなたの選任弁護士として、私を選んで欲しいんだけど。そうしたら、絶対に力になってあげるよ」
「……うん」
 こくりと頷くはるか。
「いいのね?」
「好きなように、してくれていいから」
 呟くはるか。俺や美咲さんには、いつもこんな感じだと判るけど、知らない人にとっちゃ投げ槍だとしか思えないだろう。
 案の定、マナちゃんはむっとした。
「あのね。あなたの為なのよ、これは。わかってるの?」
「そうなんだ……」
「ちょっと、真面目に聞いてるのっ!?」
 やばい。マナちゃん切れかけてる。
 俺は部屋を出て取調室に乗り込もうと、窓から視線を離しかけた。
「……ありがと」
 はるかの声がした。
 視線を戻した俺は、はっとした。
 はるかは、笑っていた。声も出さずに、でも確かに笑っていた。

「……精神鑑定を申請するわ」
 並んで警察署を出ると、マナちゃんが疲れた声で言った。
 俺達は同時にマナちゃんに視線を向けた。
「はるかが狂ってるとでも言うのかよ?」
「そうじゃないわよ。でも、心神喪失か、心神耗弱なら、まだ裁判を有利に進められる……」
「マナちゃんは、はるかが本当に人を殺したっていうのか!?」
「違うのっ!?」
 マナちゃんは立ち止まった。そして、俺を怒鳴りつける。
「しっかりしてよ、藤井さんっ! 事実は事実なのよっ!」
「……でも、でも俺は……」
 信じられないよ……。
「藤井くん、私も信じられない。でも……」
 美咲さんは、首を振った。
「もう、どうしようもないのかも……」
「……」
 俺は、もう一度、留置場の方に視線を向けた。
 ……はるか、どうなっちまったんだよ……?
 何があったって言うんだよ……。なぁ、はるか……。

To be continued...

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あとがき
 クリスマスイブに何を書いてるんでしょうねぇ(笑)
 今年は仕事で冬コミに行けないので、その憂さ晴らしという説もありますが。

 銀色のMTB その2 99/12/24 Up