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とらいあんぐるハート Short Story #2
さざなみ寮危機一髪 その4

 ザーッ
 カチャカチャ
 静かな朝食が終わり、知佳や薫達が暗い顔のまま、それでも学校に出かけていった。
 そう、何があったって、地球は回り続けてるんだ。
 そんなことを思いながら、俺は食器を洗っていた。
 全部の皿を洗い終わり、乾燥機の中に入れてスイッチを入れると、向き直る。
「あ……」
 キッチンの入り口に立っていたのはゆうひだった。
「ゆうひ、どうしたんだ? 学校は?」
「ん〜。今日はなんか気ぃ乗らへんから、自主休校や」
 そう言って笑うゆうひ。
 でも、すぐに気まずげに黙り込んでしまう。
 俺も、何か言うタイミングをつかめずに、そのまま立ちつくす。
「……あ、あの」
「ゆうひ……」
 言葉が被り、一瞬視線を交わして、それからお互いに逸らす。
「な、なんだ?」
「耕介くんこそ……」
「……」
「……」
 さらになんだか気まずい。
 と、不意にゆうひが俺に歩み寄ってきた。
「耕介くん……」
「え?」
 顔を上げると、すぐ目の前に、ゆうひの整った顔があった。
 香水付けてるのか、いい匂いがする。
「えっと、なんてゆうか……。うち、頭悪いさかい、こういうとき何てゆうてええんかよぉわからんけど、……きっと愛さんも大丈夫やと思う……」
「……ありがとう」
 俺も笑ってみせた。
 と、不意にゆうひは身を翻した。
「言いたかったんは、それだけや。ほな、うちは部屋におるわ」
「えっ?」
 俺の鼻先を、ゆうひの髪がくすぐって、微かな芳香を残した。
 たたたっ、と足音が階段を駆け上がっていく。
 ……ゆうひのやつ。
 俺は自分の頭を拳で軽く叩いた。
 俺がしっかりしないでどうする? さざなみ寮の管理人失格だぞ。
 そう言い聞かせて、俺は廊下に出た。食料品の買い出しにも行かないといけなかったのだ。

 ドッドッドッドッ……
 キーを回してエンジンを切ると、俺は被っていたメットを外して大きく深呼吸した。
 潮風が胸に広がる。
 海鳴臨海公園。愛さんと、何度も来て、思い出を積み重ねた場所。
 ……今、どこにいるんだ?
 と。
「槙原耕介さんですね」
 不意に、後ろから男の声が聞こえた。
 振り返ると、黒いスーツ姿の男が数人。
 直感的にうさんくさいものを感じる。
 その先頭に立っている男が、まさに慇懃無礼を絵に描いたような口調で言う。
「少々ご足労願いたいのですが、お時間はよろしいでしょうか?」
「嫌だ……って言うと困るんだろうな、あんたらは?」
「ええ。仕事が増えてしまいますから」
 そう言う間にも、その男の背後にいた男達が、俺を取り囲むように散開する。
 ただならぬ緊張感が高まる。
 ……こいつら、プロか?
 映画かなにかでしか見たことのないような世界が、俺の回りに展開していた。
「何の用なんだ? 俺だって忙しいんだけどな」
 そう答えながら、瞳の言っていた言葉を思い出す。
 知佳を狙っている連中なら、俺に接触してくる意味はない。とすると、もう片方の、病院を建てようとしている連中ってことか?
 でも、どうして俺に……?
「私には、用向きまでは判りかねます。私が命じられたのは、あなたを丁重にお連れするように、ということだけですので」
「……丁重に、ね?」
 俺は身構えながら呟いた。
「抵抗しても無意味かもしれねぇけど、あいにく俺はあんまり利口じゃないからな」
「そうですか。残念です」
 そう言って、その男はパチンと指を鳴らした。
 同時に、回りに散開していた男達が、俺に向かってくる。だが、素人と舐めてかかってるのか、その動きはわりと緩慢だった。
 掴み掛かってくる一人の腕を掴んで、その勢いを利用して、別の男に向けて投げ飛ばす。
 だけど、うめき声なり怒声なり上がるかと思ったが、投げ飛ばされた奴も、他の奴も、何も声を立てない。
 間違いなく、街のちんぴらレベルじゃない。プロだ。
 そう思った俺は、無意識に怯んでいた。ほんの一瞬。
 でも、プロにはそれで十分だった。
 ガッ
 後ろから、首筋に衝撃が走った。それほど強い一撃じゃなかったのに、膝がかくんと折れる。
 その場に俺は膝をついていた。
 視界がすぅっと白く霞んでいく。
 ……あっけなかったな。
 男達の声が聞こえる。
「なんだっ!?」
「煙か?」
「違う、これはっ、げほげほっ」
 ……あれ?
 視界が白く霞んでたのは、俺の意識が飛びかけたからじゃない。本当に白いガスが目の前を覆っていた。
 と。
「耕介くん、頭を低くするんだ。そうすればガスを吸い込まずに済む」
「えっ?」
「じゃ、とりあえず他の連中を片付けてくるから、ここで待っててくれ」
 その声がすっと遠くなると同時に、打撃音と悲鳴が聞こえてきた。
「がっ!」
「ぐはっ!」
 俺が投げ飛ばしても声一つ立てなかった、プロの奴らが悲鳴を上げてるなんて……。
 俺は、とりあえず言われた通りに頭を低くしながら、様子をうかがっていた。
「くそっ、引けっ!」
 男の声と同時に、足音が遠ざかる。そして、車の急発進する音。
 潮風が、白い煙を払っていく。そして、そこに一人佇む人影が見えてきた。
 そこにいたのは……。
「……陣内さん……」
「やぁ、久しぶりだね、耕介くん」
 眼鏡の位置を直しながら、啓吾さんはにっこりと笑った。それから言う。
「ところで耕介くん」
「はい?」
「君が良ければ、さざなみ寮まで連れて行ってくれないか?」

「ただいま〜」
 さざなみ寮の玄関を開けると、帰っていた美緒がとたたっと走って出てきた。
「耕介、遅いのだ〜。お腹空いたのだ〜。何か食べさせるのだ〜」
「こらこら、美緒。あんまり耕介さんに迷惑かけるんじゃないぞ」
 そう言いながら、俺の後ろから顔を出す啓吾さん。
 仏頂面だった美緒の顔が、一瞬で輝く。
「おとーさんっ!」
「やぁ、美緒」
「わぁーっ、おとーさんなのだぁ〜っ」
 そのままジャンプして啓吾さんに飛びつく美緒。さすが猫。
「おとーさん、いつ帰ってきたのだ?」
「ついさっき。耕介くんに途中で逢ってね」
「まぁまぁ、こんなところじゃなんですから、とりあえずリビングに」
「ああ、そうだね。それじゃお邪魔するよ」
「邪魔じゃないのだ〜! 早く上がってお話しするのだ〜」

 親娘をとりあえずリビングに通してから、俺は買ってきた食料品を冷蔵庫に入れた。
 あらかた片づいたところで、タイミングよくインターホンが鳴る。
「はい?」
「あ、耕介? 真雪だけど、なんか見繕って持ってきてくんない?」
 そういや、締め切りだったっけ。
「了解。ビールは?」
「うっ、今そんな甘美な誘惑を入れるんじゃねぇよっ! とりあえず腹にたまるもん!」
「判りました。10分で行きますよ」
「頼むぜ」
 ピッ
 インターフォンを切って、俺は苦笑した。

 とりあえず10分でゴーヤチャンプル(沖縄の炒め物。辛くて真雪さんのお気に入りだ)を作って届けると、俺は唸っている真雪さんを置いて部屋を出た。
 と、ベランダの方から歌声が聞こえてきた。
 ゆうひ、か。
 そうだな。朝の礼を言っておくか。
 俺はそっちに足を向けた。
 と、歌声が止んだ。そして声。
「な、次郎。うち、やな女やろか?」
 ……ゆうひ?
 思わず足を止めて、様子をうかがってみると、ゆうひはこっちに背を向けて、手すりに顎を乗せるようにして、その脇で寝そべっている次郎に話し掛けていた。
「そりゃ、うちかて愛さんには帰ってきて欲しいで。でも、このまま帰って来ぃへんかったら、耕介くんはフリーや、なんて思ってしもたんも事実なんや……。うち、どないしたらええんか、よぉわからへん……」
 え? ……ゆうひ、それって……。
「次郎……。うち、やっぱり耕介くんが好きなんや……」
 俺は、そっと後ずさりしてその場を離れた。

 リビングに入ると、啓吾さんが話し掛けてきた。
「耕介くん、……何かあったのかい?」
「え? あ、いえ」
 俺は首を振った。それから、ソファに座る啓吾さんの膝に頭を乗せてすやすや寝ている美緒を見て、思わず苦笑した。
「なんだ、せっかく逢えたのに寝てるんですか?」
「ああ。ひとしきりはしゃいでそのまま寝てしまったよ。どうやら、ここのところ寝不足気味だったみたいだな」
「え?」
 そうか……。愛さんがいなくなったり、俺が倒れたりして、こいつはこいつなりに心を痛めてたんだな……。
「耕介くん」
 不意に眼鏡の奧の瞳を細めて、啓吾さんが言った。
「さっき美緒に聞いたんだが、愛さんになにかあったのかね?」
「……ええ。それが……」
 俺は今まで起こったことを、知ってる限り全て話した。

「なるほど、そんなことがあったのかね……」
 啓吾さんは深々と頷いた。
「ええ。もう俺にも何がなんだか……」
「耕介くん」
 俺を見つめて、啓吾さんは言った。
「僕の仕事は知っているかな?」
「海外で不動産の仕事をしてるってみんなは言ってますね」
 それが本当じゃないってことは、もう判っていた。いくらなんでも不動産屋が煙幕を張ったり、プロの男達を撤退させたり出来るとは思えない。
 もっと驚いたり、問いつめたりするのが普通の反応かもしれないけど、その程度のことでおたおたしてると、とてもさざなみ寮じゃ生きていけない。その手のことじゃ随分と鍛えられてきたからなぁ。
「もっとも、美緒だけはスパイをしてるって言ってましたけど」
「ま、美緒が一番近いな」
 そう言ってから、啓吾さんは辺りを伺って、小さな声で言った。
「香港国際警防部隊副隊長。それが俺の仕事だ」
「……」
 非日常には慣れているけど、実際に言われると、またなんとも……。
 だけど、それならさっきのことも納得できる。
「それで、どうして日本に?」
 いきおい、俺の声も小さくなった。
「武器を第三国に売りさばいていた国際シンジケートが香港に置いた拠点を俺達が潰したのがきっかけだったんだ。そこから芋蔓式にずるずるとその組織の全貌が掴めてね」
「そんなに簡単に掴めたんですか?」
 聞いてから、俺は後悔した。
 啓吾さんはむしろ淡々と言った。
「6人ほど、もう二度と一緒に飯を食えなくなったよ」
「……すみません」
「いや。それで、俺達が組織をかなり潰したんで、奴らは最後の賭に出たんだ。組織を立て直す最後の、な」
「まさか、それって!」
「その切り札が、知佳ってことかい」
 その声に、俺達は一斉に顔を上げて、リビングの入り口を見た。
 リビングの入り口にもたれて、真雪さんが煙草をくわえていた。
 啓吾さんはため息をついた。
「聞かれちゃったかい、まゆちゃん」
「その、まゆちゃん、はやめてくれよ」
 真雪さんは苦笑すると、俺に皿を放ってよこした。
「ごっそさん」
「わわっ!」
 慌てて皿を受け止める俺をよそに、真雪さんは啓吾さんに歩み寄った。
「あたしは絶対に知佳を危険にさらすつもりはないからね」
「判ってる」
 啓吾さんは頷いた。
「でも、奴らも必死だ。それに俺達も全力は尽くすが、絶対、はない。酷かもしれないけど……」
「……ああ」
 真雪さんは頷き、不意ににやっと唇の端に笑みを浮かべた。
「あんがとさん」
「いやいや。元管理人としてはそれくらいしないとね」
 啓吾さんも微笑むと、俺に視線を向けた。
「しかし、君が襲われたのには驚いたな」
「え?」
「耕介が襲われたって?」
 真雪さんは耳をぴくっと動かした。
「どういうことだ、それ?」
「ああ、買い物に行ったときにちょっとね。そこを啓吾さんに助けられたわけ」
「俺が張っていたのは、もちろん知佳ちゃんを狙ってる連中だ。そいつらの一部に動きがあったんで、追いかけていったら君が襲われてたわけだ」
「ちょっと待ってください。知佳ちゃんを狙ってる連中が俺を襲って何のメリットがあるんです?」
「それが俺にもわからん」
 啓吾さんは首を振った。
 と、不意に真雪さんが顎に手を当てた。
「まさかとは思うけど……」

To be continued...

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あとがき
 ううっ、なんだか気が付いたらえらく久しぶりになってしまった「危機一髪」の4話です。
 なんか話が大きくなってきたような……。
 ま、あとはと箱が出た後になるんじゃないかな? 追加シナリオも気になるしね(笑)

 これを書いていたときに、成田きんさんの訃報に接しました。
 大変残念ですが、107歳での大往生と聞き、心慰められる思いです。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 さざなみ寮危機一髪 その4 00/01/23 Up

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