「あっつ〜」
To be continued...
俺は額の汗を拭った。
頭上には真夏の太陽が輝いている。
ここ、さざなみ寮は、山の中にあるので、夏でも涼しい日が多いのだが、ここ数日は太平洋高気圧ががんばっているせいか、連日暑い日が続いていた。
「あっ、耕介さん。こんな所にいたんですか〜」
とてとてっと愛さんが走ってきた。
「ん? どうしたの?」
庭の掃き掃除をしていた俺が振り返ると、愛さんはにこっと笑って俺の体にもたれかかった。
「……お日様の匂いがしますね」
相変わらず可愛いよなぁ。反則だよ、愛さん。
と、不意に視線を感じて、俺は頭上を振り仰いだ。
ベランダのところで紫がかった髪がちらっと見えるた。かと思うと、微かに声が聞こえる。
「わぁっ、どうしたの美緒ちゃんっ!」
「静かにするのだ、みなみっ! 見つかってしまうではないかっ」
「えっ!? 見つかっちゃった!? あわわ〜っ」
……あいつらぁ。
「……どうかしましたか?」
どうやら愛さんには聞こえなかったらしい。きょとんとして俺の顔を見つめている。
思わず抱き寄せてキスしたくなったが、さすがに美緒やみなみちゃんが見てる前でキスシーンをするわけにもいかず、俺はたははっと笑って誤魔化した。
あ。
愛さんの左手の薬指に、俺の送ったシルバーリングがはまっている。
「愛さん、つけててくれてるんだ」
「えっ? あ、これですか?」
愛さんは、恥ずかしさ半分誇らしさ半分という感じで胸を張って答えた。
「当然です。だって、耕介さんがくださったものですから」
「あ、愛さん……」
「耕介さん」
その瞬間、俺の頭からは、ベランダから見守っているはずの美緒やみなみちゃんのことはすっ飛んでいた。そのまま、がばっと愛さんを抱きしめる。
「あっ、やぁ……」
小さく抗う愛さん。それでもかたく抱きしめていると、すぐに抵抗は止んで大人しくなる。
「もうっ、耕介さん、強引です……」
ちょっと拗ねたような顔の愛さん。その顎にすっと手を滑らせる。
「あっ……」
「好きだ」
ダイレクトに告げると、愛さんの目がとろんとする。
「私も……。大好き……」
「愛さん……」
「耕介さん……」
2人の唇が重なろうとした、まさにその時。
プップーーーッ
いきなり盛大にクラクションが鳴り響き、俺達は文字通り飛び上がった。
「わぁっ!」
「きゃっ!」
慌てて振り返ると、白いセダンが俺達のすぐ後ろに止まっていた。
運転席の窓から、にやにや笑いながら真雪さんが言う。
「あんたら、ラブシーンするのもいいけど、あたしが車が入れてからにしてくんない?」
「わっ、すみません」
「ごごごごめんなさいっ!」
俺達は慌てて脇にどく。
「はいはい、ごめんなさいよ」
そう言って顔を引っ込めた真雪さんは、車庫にセダンを入れた。
助手席の知佳ちゃんが、俺達に手を合わせて「ごめんなさい」をしている。
「び、病院からですか?」
「知佳乗せて他にどこに行ったと思ってるんだ? このすっとこどっこい」
笑いながら、真雪さんが車から降りてきた。
俺は助手席から降りる知佳ちゃんを見て、真雪さんに尋ねた。
「で、検査結果は?」
「別に。いつも通りだよ」
ぶっきらぼうに答える真雪さん。
あれ? そういえば、リスティも一緒だったんじゃ……。
「リスティはもう少し検査があるから、まだ病院だよ」
俺がキョロキョロしていると、知佳ちゃんが答えてくれた。
「そっか。それじゃ、終わった頃に迎えに行くかな」
俺は肩をすくめた。
「あ、それなら車貸してやるから、薫とゆうひも拾ってやれば? あいつらもそろそろ戻ってくる頃だろ?」
「そうですね。電話入れてみます」
「……すみません、私のミニちゃんがあれば」
暗い顔をする愛さん。
ミニちゃんこと愛さん愛用のミニは、事故でおシャカになってしまった。愛さんにとってはおじいさんの形見で、それ以上に親友とも呼べる存在だったミニ。
「それはしょうがないって」
俺は愛さんの肩を叩いた。
「さて、それじゃジュースでも入れるから、上がって上がって」
「あ、あたしビールね」
「お姉ちゃん、お昼からビールなんてダメだよっ!」
「堅いこと言うなよ知佳」
言い合いながら、仁村姉妹が玄関の方に消えても、愛さんは車庫に佇んでいた。
「……ミニちゃん……」
「……というわけで、愛さん、落ち込んでるんだよなぁ」
リスティを病院で、ゆうひを大学で、そして最後に薫と十六夜さんを駅で拾って、さざなみ寮に続く山道でステアリングを握りながら、俺は言った。
「愛さん、あの車を随分と可愛がってましたし、無理もないと思います」
後ろから薫が言った。
「そりゃ耕介ちゃんの甲斐性がないんや」
助手席から辛辣なことを言うゆうひ。
「耕介ちゃんがちゃんとしとれば、愛ちゃんだって寂しい思いはせぇへんと思うで」
「耕介さんは耕介さんなりに一生懸命やってると思います」
薫が弁護してくれる。
「それに、どんなものにも換えることが出来ないものというのもあると思うんです」
「いや、ゆうひの言うとおりかもしれないよ」
俺は苦笑混じりにハンドルを切った。
もう随分と暗くなってきている。ヘッドライトの光が、暗闇をなぎ払うように動く。
「俺がさざなみ寮に来て、まだ2年ちょっとだ。あのミニは、おじいさんが使ってた頃から、ずっと愛さんと一緒だったんだ。積み重ねた思い出の数が違うよ」
「なんや、えらい弱気やなぁ。いつもの強引な槙原耕介はどこに行ったん?」
ゆうひが助手席から言った。
「強引かな?」
「強引や」
「強引です」
2人に同時に言われて、俺はため息を付いた。
「君たちが俺のことをどう見てるか、よく判ったよ」
と、今まで黙っていたリスティが、不意にぼそっと言った。
「……危ない!」
「え?」
反射的に、俺の足がブレーキを踏んだ。
キキキーーーッ
セダンは大きく尻を振って、坂道の途中で止まった。
「……あいたた〜、ダッシュボードに頭ぶつけたわぁ」
ゆうひが顔をしかめて、のそのそと頭を上げる。
俺は振り返って訊ねた。
「どうした、リスティ?」
「……耕介、すぐに2人を連れて戻って。外に一歩も出ないで」
そう言うと、リスティの姿がふっと消えた。瞬間移動したのだ。
「はやぁ〜、いつ見てもびっくりやな」
「リスティ、どうしたんだろう? ……薫?」
「十六夜が……」
薫は呟いた。
俺にも判った。薫が抱きかかえるようにしている霊剣十六夜が、カタカタと鳴っているのだ。
「十六夜さんが何か言いたがってるのかも」
俺が言うと、薫は頷いて、鍔と鞘との間に張ってあるお札に手をかけた。
このお札は、十六夜さんを刀に封じておくためのもので、こうしておかないと十六夜さんはふらふらっと出てきてしまうことがあるので、町中を歩く必要があるときはこうして封印してあるのだ。
薫は札をぺりっとはがすと、鞘から5センチほど抜いてみた。
と、ふわりと白い着物を着た金髪の女性が姿を現した。霊剣十六夜が霊剣と呼ばれるゆえん、それがこの十六夜さんである。
「十六夜、どげんした?」
薫の声を頼りに、十六夜さんは薫の方に顔を向けた。十六夜さんは目が見えないので、声やその他の感覚で方向を探るしかないわけで。
「薫、妙な波動を感じます」
十六夜さんは口を開いた。聞き返す薫。
「どげな?」
ちなみに薫は鹿児島出身なので薩摩弁を使う。流石に2年も一緒の寮で暮らしているので俺は大分慣れたが、それでもたまに戸惑うことがある。「どげな」とは「どのような」という意味らしい。
無論、薫が生まれるよりずっと前から代々の伝承者に使えてきた十六夜さんは、薩摩弁も完全に理解できる。薫の質問に、よどみなく答えた。
「霊的な……、悪霊、とは少し違うようですが……」
「どっちね?」
「……あちらです」
十六夜さんは指さした。
十六夜さんは目こそ見えないのだが、霊的なものを感じ取る能力は普通の人間以上にある。
薫は十六夜(剣の方だ)を掴んで車から出ようとした。
「ダメです! 薫、あなたは退魔の仕事をしてきたばかりではありませんか! 今のあなたには力が残っていないのですよ!」
慌ててそれを止める十六夜さん。
「でも……」
「普段の薫なら、この程度の波動にはすぐに気付いたはずです。でも、それを感じられなかったということがどういうことか、あなたなら判るでしょう?」
「……くっ」
唇を噛む薫。
十六夜さんは俺に向き直った。
「とにかく、早く皆さんと合流した方がよいでしょう。リスティ様の言ったとおりにするのが一番良いと思います」
「わ、わかりました」
俺は頷くと、アクセルを踏んだ。
キーッ
さざなみ寮の前でブレーキを踏んで止まると、俺はそのままさざなみ寮を見上げた。
いつもと変わらない様に見える。でも、何かが違うような気もする。
「どないかしたん、耕介くん?」
そう言いながら、ゆうひが助手席のドアを開けた。
と、さざなみ寮の玄関が開いて、美緒がちょこっと顔を出した。
「あっ、帰ってきたのだっ!」
「やっほー、美緒ちゃん。ゆうひちゃんのお帰りやで〜」
いつもの調子で呼びかけるゆうひ。
薫が後ろのシートから俺に声を掛けた。
「とにかく、早く寮内へ」
「わかった。薫はゆうひと先に行っててくれ。俺は車を車庫に入れてくる」
「はい。あの、十六夜を持ってきてください」
そう言って、薫は霊剣十六夜を、後ろのシートに置いたまま、車から降りた。
やっぱり、薫も疲れてるんだろうか?
「わかった。後で持っていくよ」
「……お気をつけて」
そう言うと、薫は先に戻ったゆうひを追って、寮に入っていった。
車庫にセダンを入れて、エンジンを切ると、静寂が身に染みた。
俺はセダンから降りると、後部座席から十六夜を出した。
「それじゃ、俺達も戻りましょうかね」
そう言って、車庫から出た俺は、何気なく十六夜を左手に持ち替えた。
その瞬間だった。
ガキィン
その十六夜から鈍い音がし、そして、そのまま弾かれた。
俺の体は空を舞い、地面に叩きつけられた。
「つぅっ」
俺は右手で頭を押さえて、軽く振った。それから、顔を上げた。
誰かが、俺を見下ろしている。
「誰だ?」
聞き返しながら、俺は背筋がぞくりと震えるのを感じた。
その恐怖を振り払うように、俺はもう少し強めに叫んだ。
「誰だって聞いてるだろっ!!」
ちょうどその時、雲の切れ間から、月の光が射してきた。そして、俺の前に立っている人の姿を照らし出した。
「……愛さん?」
俺の恋人の顔を見間違えるわけがない。サマーセーターとフレアスカートに身を包んだその女性は、間違いなく愛さんだった。
でも、いつも微笑んでいたその顔が、今は恐ろしいほど無表情だった。
パキッ
微かな音と共に、十六夜の刀身を包んでいた鞘が二つに割れて、地面に転がった。
俺は、その十六夜の束を左手で掴んだまま、訊ねた。
「どうしたの、愛さん?」
「……神咲の者では……ないな」
愛さんが言った。愛さんの声なのに、それは何故か、冷たく感じられた。
「愛さん……」
「なら、無用だ」
そう言って愛さんは右手を挙げた。
その時、俺は初めて愛さんが右手に剣を持っているのに気付いた。
後から考えてみると、多分、最初の一撃も、その剣で繰り出したものだったんだろう。たまたまその瞬間、俺が十六夜を持ち替えたおかげで、その一撃は十六夜の鞘に当たって直撃はしなかったんだと思う。
でも、その時はそんなことには思いも及ばず、ただ俺は唖然としていた。
「愛……さん?」
「死ね」
剣が振り下ろされる。
とっさに俺は十六夜でそれを受けた。
ガキィン
鈍い音と共に火花が散る。
次の瞬間、どんな力が加わったのか、俺の手から十六夜は吹っ飛んだ。
ストン
さざなみ寮の壁に、十六夜が突き刺さり、微かに震える。俺からの距離は5メートル以上。この状況では絶望的な距離だった。
「あっ!」
「くっくっくっ」
愛さんは笑い声を上げた。
「人間なんて、みんな死んじゃえばいいんだっ!」
「愛さん、どうしたんだよっ! 俺だよ、耕介だよっ!」
「うるさいっ!」
そう叫ぶと、愛さんは俺に向けて剣を突きだした。
ザシュ
鈍い音と共に、胸に灼熱の激痛が走った。赤い血が噴き出すのが見える。
……嘘だろ?
「愛……さ……」
ごぼっ、と口からも血が流れる。
「あっはっはっはっ、脆い、脆いぞっ」
笑いながら、愛さんは俺から剣を抜いた。
その軌跡に沿うように、赤い血が舞う。
続けて、剣を振り上げる愛さん。
「だめぇ〜〜〜っ!!」
悲鳴のような声と同時に、俺の後ろから、光の固まりが愛さんめがけて飛んで行くのが見えた。
「ちっ」
舌打ちして、愛さんはその光に剣を振り下ろす。
バチィッ
鈍い音がして、光の固まりは真っ二つに裂けた。
「なんだ、この力……」
「好きな人を守る為の力だ」
別の方から声が聞こえた。俺は、急速に薄れていく視界に、金色の羽を震わせながら降りてくるリスティの姿を見た。
「……くっ」
愛さんは、踵を返し、無言で駆け去っていく。
「待てっ!」
「リスティっ! お兄ちゃんが、お兄ちゃんがっ!」
「……くっ」
悔しそうに手をパンと打ち合わせ、リスティが駆け寄ってくる。
「落ち着いて、知佳! まだ死んではいない」
「だって、血が、血がこんなにっ!」
……そんなに泣くなって、知佳。俺、そう簡単には……。
だって、まだ愛さんが、帰ってきてないじゃないか……。
そう思いながら、俺の意識は沈んでいった……。
あとがき
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