「暑っちぃなぁ〜」
To be continued...
俺は、照りつける太陽を見上げながら呟くと、額の汗を拭ってもう一度屈み込んだ。
「耕介さん、手伝いましょうか?」
悪戦苦闘している俺を見かねたのか、薫が横から屈み込んで俺に尋ねた。だが俺にも管理人のプライドがある。
「いや、ここは大丈夫だから、みんなの方を頼む」
そう答えて、俺はハンマーでプラスチック製のくさびを地面に打ち込む。
ごきぃん
「おーのー」
「ああっ! だ、大丈夫ですか? 十六夜っ!」
親指を押さえてうずくまる俺に、薫が慌てて声を掛けると、十六夜さんを呼んだ。
ふわりと十六夜さんが現れる。
「どうしたのですか?」
「耕介さんが負傷した。治癒を」
「まぁ」
十六夜さんは、すっと手を伸ばした。その手を薫が引っ張って俺の肩に当てる。
「ありがとう、薫」
そう言って、十六夜さんは俺の腕に沿って、ひんやりと冷たい手を滑らせ、そして親指で止めた。
「ここですね。少しお待ち下さい」
「すまないね、十六夜さん」
「いえ」
首を振ると、十六夜さんは軽く眉を潜めた。同時に、その冷たい指先から、暖かな“力”が流れ込んでくる。
「少し、時間がかかります」
「あ、それならその間は私が」
そう言って、薫が俺の手からハンマーを取ると、プラスチックのくさびを打ち込み始めた。
「で、でも……」
「こういうのは、慣れとりますから」
確かに言うとおり、堂に入った手つきだった。
「じゃ、頼むよ。手が治ったらすぐに代わるから」
そう言って、俺は手の治療を十六夜さんに任せて、辺りを見回した。
「他のみんなは?」
「この下の川に水を汲みに行ったはずですが……、多分そこで遊んでいるのでしょう」
苦笑混じりの声で答える薫。
俺は頭上を見上げた。木漏れ日がまぶしい。
それは、1週間ほど前のことだった。
「キャンプ場の利用優待券?」
「はい、そうなんです」
さざなみ寮のオーナーであり、俺の従姉でもある愛さんが、夕食の席で得意そうにみんなに見せたのは、愛さんの言うとおりキャンプ場の利用優待券だった。
「それで、よろしければ、たまにはみんなでキャンプに行きませんか?」
「あ、うちはさんせー」
さざなみ寮一のお祭り女ことゆうひが真っ先に手を挙げた。
「どうせ大学は長ぁ〜いお休みやし、毎日暇やってん」
「あたしも行くのだぁ」
こっちも暇なクチの美緒が手を上げる。
「で、きゃんぷってなんだ?」
だぁ〜、知らないで行くって言ってたのかぁ?
「そっか〜、キャンプ行ったことないんやな、美緒ちゃんは。ええよ、うちがしっかりとキャンプのなんたるかを教えたるさかいなぁ」
「ううっ、なんかゆうひが怖いのだぁ〜」
ゆうひの口調に怯える美緒。
「こら、ゆうひ! 美緒に変なことを教え込むんじゃないっ!」
俺はゆうひを止めながら、くるっと食卓を見回した。
「他に参加希望者は?」
「その前に質問。いつ行く気だ? 何泊?」
もっともな質問を真雪さんにされた。俺は愛さんに視線を向ける。
愛さんは優待券をひっくり返した。
「ええっと、期限は特に書いてませんから、皆さんの都合のいい日に合わせていいと思いますよ」
「そっか。ええっと、フローラルの締め切りがあれだろ? それからヤングロゼがぁ……」
空を睨んでぶつぶつ言い始めた真雪さんはとりあえず放っておいて、俺は部活組に訊ねる。
「みなみちゃんと薫は?」
「あ、はい。合宿も大会もスケジュール通りですっ! だから、それ以外の日だったら大丈夫です」
ご飯をお代わりしながら答えるみなみちゃん。
「私は……務めがありますから」
「あ、そうか……」
薫には、退魔という仕事があるからなぁ……。
と、そこにふわりと現れた十六夜さんが、薫に言った。
「薫、良い機会ですから、みなさんとご一緒させていただいてはどうですか?」
「でも、私は……」
「務めのことをしばし忘れ、心身を休めることも必要なことですよ」
十六夜さんは噛んで含めるように言った。薫は少し考えて、頷いた。
「……判った。十六夜がそこまで言うなら……」
相変わらず、思春期の娘と母親って感じだ。
俺は思わず浮かびかけた笑みをかみ殺しながら、視線を移した。
「知佳ちゃんは?」
「私はいつでもいいんだけど、お姉ちゃんが……」
知佳は、心配そうにぶつぶつ呟く真雪さんを見ている。
と、真雪さんはその知佳の頭にぽんと手を乗せた。
「あたしのことは心配無用だって」
「ダメだよっ。お姉ちゃん、私がいなかったら、カラー原稿どうするの?」
ピタリと固まる真雪さん。
確かに、ずっとカラー原稿は知佳ちゃんのパソコンでやってるもんなぁ。
「いや、確かカラーの仕事は、えっーっと、入ってなかったような……」
頭を掻く真雪さん。
俺は知佳ちゃんに尋ねた。
「締め切りがやばそうな仕事入ってるの?」
「んーー。ちょっと調べてくるね」
そう言って、知佳ちゃんは席を立った。ぱたぱたとキッチンを出ていくのを見送ってから、俺は真雪さんに訊ねる。
「知佳ちゃん、キャンプに出かけて大丈夫なんですか?」
普段は明るく振る舞ってるので忘れがちだが、知佳ちゃんは病気持ちなのだ。
真雪さんはんーと考えたが、視線を脇に向けてにっと笑った。
「まぁ、いざとなればリスティもいるし、大丈夫だろ。2人同時に倒れることは無いんじゃないか? それに、知佳の奴、キャンプなんて行ったことないからな。たまにはいいだろ?」
「うん、ボクがいれば問題はないよ」
真雪さんの隣りに座っていた、銀髪の少女がこくりと頷く。このさざなみ寮の一番新顔で、今年の春からここで暮らしているリスティ・C・クロフォード――手続きが済めば、正式にリスティ・槙原になる予定――である。
「なら、大丈夫だな」
俺が頷くと同時に、知佳がぱたぱたと戻ってきた。抱えていたノートパソコンを机に置いて起動させる。
「はい、お姉ちゃん。予定表だよ」
「えー、どれどれ?」
液晶画面をのぞき込んで、真雪さんはうーんと考え込んだ。
「ここから後はまずいな。あっちの締め切りと重なる。……ってことは、ここか?」
「だめだよ、これが引っかかっちゃうよ」
「じゃあ……」
「えっとね」
知佳が考えながら、キーを叩く。
「あ、こうすれば、1週間は空くよ」
「そっか……。って、待てっ! これじゃ今から徹夜で仕上げないと間に合わないじゃないかっ!」
「うん。私も手伝うから、がんばろうね」
「……トホホ〜」
がっくりうなだれると、真雪さんは立ち上がった。「ごっそさん」と言い残して、のそのそと出ていく。
「あっ、お姉ちゃん! お兄ちゃん、ごめんね!」
知佳ちゃんもノートを閉じて、その後を追いかける。
残った俺達は顔を見合わせて苦笑した。
「仁村姉妹のがんばり次第ってことだな」
「そうですね〜」
そして1週間、なんとか原稿も完成し、俺達は愛さんのミニちゃん、真雪さんのセダン、俺のバイクを連ねて、このキャンプ場にやって来たのだった。
で、俺が何をしてたかというと……。
「こんなものでよかと思いますが?」
ロープを軽く引いて確かめながら、薫が訊ねた。俺は頷いた。
「そうだね。ごめん、結局全部やらせちゃって」
「いえ。テント張るんは慣れとりますけん」
薫は笑顔で頷いた。
そう、合計3つのテントを張っていたのだ。男は辛いよなぁ。
「あっ、耕介さん、テント張り終わりました?」
愛さんの声が聞こえて、俺は振り返った。
みんなが木立を抜けてこっちに戻ってくる。美緒とゆうひが水を滴らせながら歩いてくるのは思った通りの展開だった。
「こーすけ〜、タオル〜」
「やぁん、びしょびしょやわぁ」
「……お前ら、何してたんだ?」
俺は、荷物からタオルを出して放りながら訊ねた。
「む〜。ネコも木から落ちるのだ」
「それを言うなら、猿も木から落ちる、や」
美緒に突っ込む薫。
「あう〜」
「まぁまぁ。細かいこと言わんと」
タオルで髪を拭きながら、ゆうひは笑った。
「ところで、うち着替えたいんやけど、テントの中、ええ?」
「あ〜、はいはい。ごゆっくり」
俺は笑って言った。ゆうひは頷いて、自分のバッグを持ってテントの中に入った。と、首だけ出して俺に言う。
「覗いたら嫌やで?」
「誰が覗くかぁっ!」
「あはは〜」
笑って、入り口のファスナーを閉めるゆうひ。たしかに、さざなみ寮のメンバーの中でも有数のナイスバディをほこるゆうひの着替えに興味がないとは言わないが、俺も生命は惜しい。
「さて、それじゃ飯の準備をするかな」
俺は腰を上げた。と、愛さんがはいはいと手を上げる。
「はいはい、私手伝いますよ〜」
……。
一瞬、空気が凍り付いた。
「……?」
無邪気にきょとんとする愛さん。俺は必死になって知佳に目配せする。知佳もこくこくと頷くと、愛さんの背中を押した。
「あ、愛さん、私ちょっと愛さんに聞きたいことがあったの〜」
「えっ? 何、知佳ちゃん?」
「えーっと、その〜。あ、ほら、リスティ、なんだっけ?」
「ボクは別に……」
いきなり話を振られて困るリスティ。
ともかく、今のうちだ。
俺は食材の入った段ボール箱を抱えて、ダッシュで炊事場に向かった。
とりあえず米を洗っていると、真雪さんがふらっとやって来た。
「よ、耕介。がんばって働いてるか〜?」
言うまでもなく、片手にスーパードライ装備だ。
「ま、いつもやってることとそう代わりはないですし」
「そりゃそうだ。ケケッ」
笑うと、ぐいっと手にした缶ビールをあおる。
「……ぷはぁ。いいねぇ、大自然の中、締め切りもなんにもなしでのんびり出来るってのは」
「そうっすねぇ」
そう言いながら、俺はビニール袋から野菜を出す。
「こーすけ〜、まだ〜?」
ひょこひょこと美緒がやって来る。着替えたらしく、新しいTシャツにホットパンツという実に動きやすい姿だった。
「あ、こら。美緒、耳が出てる」
「あり? しまったのだ」
慌てて、わしわしと頭をかき回すと、耳をしまい込む美緒。
「これで大丈夫か?」
「OK」
俺が親指を立てると、美緒はふにゃっと笑った。
「で、ご飯まだ〜?」
「……お前、遊ぶことと飯のことしかないのか?」
「人生にとってとても大事なことなのだ」
「お、珍しく良いこと言うねぇ」
真雪さんがにぃっと笑う。俺も苦笑した。
「ともかく、もうしばらくかかるから、待ってろ。あ、それとも手伝うか?」
「さて、あたしはもうちょっと遊んでくるのだ〜」
慌ててそう言うと、ぱたぱたと走っていく美緒。俺は苦笑した。
「やれやれ」
「何か人手がいるのか? 知佳くらいなら貸してやるぞ」
真雪さんが腕組みして言った。
「あ、いや。ちょっと薪拾いに行ってもらおうかな、と思いましてね」
「薪ならあるじゃん」
真雪さんは、炊事場の隅に積んである薪を指した。
「あ、いえ。あんな太い薪じゃ、火が付くまで時間がかかるじゃないですか。焚き付け用の細い小枝なんかがあるといいなって」
「ほー、なるほどね。耕介、結構キャンプ慣れしてる? ん〜、それじゃ岡本くんや薫辺りが適任かな〜。あたしがちょっと行って命令してくるわ」
「頼みます」
俺は人参を切りながら、真雪さんに頼んだ。
「耕介さ〜ん、これくらいでいいですか〜」
「……みなみちゃん、ありがと」
「いえいえ〜」
はにゃ〜っと笑うと、みなみちゃんはどさどさっと小枝を置いた。
……キャンプしてる間、もう薪拾いは必要ないみたいだな。
「他になにか手伝うことありますか? 岡本、なんでもやりますよ」
「そうだな。薫、みなみちゃんと一緒に火を起こしてくれるか?」
「判りました。岡本、こっち来てくれんね?」
「はい〜」
薫にかまどのほうに引っ張って行かれるみなみちゃん。
さて、それじゃこっちもがんばって料理しますか。
「お待たせ〜。今日はキャンプの定番、カレー料理だよ〜」
「おーっ」
歓声を上げる一同。ううっ、これだけ待ってもらっていると、料理人冥利に尽きるよなぁ。
久しぶりの飯ごう炊飯だったが、薫がずっと番をしてくれていたので、上手く炊けている。
「薫さん、慣れてるんですよね〜。感動しました」
「『はじめチョロチョロ中パッパ、親が死すとも蓋取るな』っていうのが基本中の基本だ」
素直に誉められて嬉しかったらしく、薫にしては珍しく説明してやってる。
「ま、薫は野生児だからな〜」
「……真雪さん、なんか言いたいことでもあるとですか?」
「まぁまぁ、お姉ちゃんも薫さんも、こんなところで喧嘩しちゃダメだよ〜」
慌てて真雪さんと薫の間に割って入る知佳。ううっ、苦労してるな、妹よ。
「あうーっ、こ〜すけ〜、熱くて食べられないのだ〜」
泣きそうな声を出す美緒。そういえば猫舌なんだよな、美緒って。いや、猫舌っていうより猫そのものだが。
「冷めるまで水でも飲んでろ」
「こーすけ、むごいのだ〜」
恨めしそうな顔をする美緒。
「美緒ちゃん、そやったら、先にスイカ食うか〜?」
「あ、ゆうひさんダメですよ。そんなもの食べてたら夕ご飯が食べられなくなるんですから」
「なるほど。ほなら、これはお預けやな」
ゆうひは、出しかけたスイカを引っ込める。
「ゆうひも愛も冷たいのだ〜」
……世話の焼ける奴だな〜。
「ボクが冷まそうか?」
「お? リスティ、出来るのか? なら頼む」
「判った」
俺がカレーをついだ皿を置くと、リスティがそれを睨む。と、微かな音がして、立ち上っていた湯気が一瞬だけ消えた。
ただ、一瞬だけで、また湯気が立ち上り始めたが。
「これで冷えたよ」
「おー」
歓声をあげて、皿を取る美緒。……と、その手が止まった。
「……痛い」
「うん。冷ましたから」
「リ、リスティ、もしかして……」
知佳がこめかみに汗をかきながら訊ねた。リスティは頷く。
「うん。分子の動きを制止させた」
「リスティ、それじゃ絶対零度だよっ!」
「ぜ、ぜったいれいどぉ!?」
……湯気だと思ってたのは、どうやらドライアイスなんかの出すあれのようだった。
いくら美緒でも絶対零度のカレー食ったらただじゃ済まないぞ。
「ぜってーれーどって何度?」
「絶対零度は、−273.15度よ」
愛さんに教えられて、美緒は慌ててカレーの皿を放り捨てて飛び退く。
ガシャン
カレーが砕けた。……バナナで釘が打てる、どころじゃないわけか。
「リスティ、冷たくしすぎなのだ」
「ごめん、美緒」
爽やかに謝るリスティ。……どこまで天然なのかいまいちわからんが、マジボケなら愛さんに匹敵するな。
そんなこんなで夕食は和やかに過ぎていった。
あとがき
とりあえず、『危機一髪!』が詰まったので、こっちを上げました。はい。
99/8/23 Up