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それはそよ風のごとく 第22話
アクシデント
昼休みの終わりのチャイムが鳴る寸前になって、慌てて飛び出して行く志保と入れ替わりに、雅史が教室に戻ってきた。真っ直ぐ俺の所に向かってくる。……って言っても、雅史の席は俺の真後ろだから、当然だが。
「浩之、姫川さんと話してきたよ」
「そっか? その、どうだった?」
俺はおそるおそる訊ねた。雅史はいつものように罪のない爽やかな笑顔で笑っていた。
「まぁ、なるようになるんじゃないかな?」
「なんじゃそりゃ?」
思わずツッコミを入れてしまう俺。だが、そこで5時間目の教師が入ってきたので、そこで話は打ち切りになった。
5時間目が終わったところで(5時間目はうるさ型の先生だったので、後ろを振り向いて長話をするわけにもいかなかったのだ)、俺は早速椅子に後ろ向きに座り直した。
「で、どうだった?」
「姫川さんのこと?」
聞き返す雅史に、俺はこくりと頷いた。
雅史は、ちらっと教科書を鞄にしまっているあかりの方を見てから、俺に言った。
「多分大丈夫だと思うよ」
「そっか……。サンキュな」
だてに雅史とも長い付き合いじゃない。俺はそれだけで判った。
くすっと笑って、雅史は言った。
「さてと、浩之も身を固めたことだし、僕もいい人見つけようかな」
「どういう意味だ、こら」
「浩之ちゃん」
雅史を小突こうと手を延ばしかけた俺に、脇からあかりが声をかけてきた。
「ん?」
「お客さんだよ」
その言葉に教室の入り口に視線を向けると、葵ちゃんがぺこりと頭を下げた。
「休み時間中にすみません」
廊下に出ると、葵ちゃんはもう一度頭を下げた。
「いや、いいって。それでどうしたの?」
「はい。実は……。昨日、綾香さんから電話があったんです」
「綾香から?」
そういや、綾香に葵ちゃんのことを頼んでいたっけ。
琴音ちゃんのことばかり気にしてて、葵ちゃんのことを忘れてたなんて、俺は間抜けだ……。
「……どうかしましたか?」
俺が頭を抱えたのに気付いて、訊ねる葵ちゃん。俺は慌てて首を振った。
「いや、なんでもないよ。それで?」
「はい……」
こくりと頷いて、葵ちゃんは窓から外に視線を向けた。
「私、綾香さんに叱られちゃいました」
「叱られたって? 格闘の道に恋愛は不要とか何とか言われたの?」
俺が聞くと、葵ちゃんは首を振った。
「逆です。恋をするのはいいことなんだから、どんどんやりなさいって。それで悩んだり苦しんだりして、いい女になるものなんだからって」
「はぁ〜」
綾香らしいっていえば綾香らしい。
葵ちゃんは、言葉を続けた。
「私、間違ってました」
「えっ?」
「綾香さんに言われて、判ったんです。藤田先輩に恋人が出来たって、それで私が藤田先輩が好きな気持ちには代わりはないんだし、それに……」
そこで言葉を切ると、葵ちゃんは俺を見上げた。
「私がこんなことでくよくよしてたら、絶対、綾香さんには追いつけないって」
「……葵ちゃん」
「私、今日からまた空手部に行きます。さっき、好恵さんにも謝ってきました」
そう言って、葵ちゃんはぺこりと頭を下げた。
「藤田先輩にもご迷惑をおかけしました」
「いや、俺は別に……」
「それじゃ、失礼しますっ!」
もう一度ぺこりと頭を下げると、葵ちゃんは廊下をたたっと走っていった。
……いい子だよな、本当に。
「……浩之ちゃん」
後ろから声を掛けられて振り向くと、あかりが心配そうに俺に視線を向けていた。
「松原さん、何だったの?」
「いや」
俺は軽く手を振ると、教室の中に戻った。と、あかりはぐいっと俺の腕を引っ張った。
「あかり?」
「隠し事は、なしだよ」
思わず苦笑する。
「なんだよ、随分と干渉するようになったな」
「そりゃ、今までほっときすぎたかなって思ってるくらいだもの」
あかりは笑顔で言うと、俺の腕を抱え込んだ。
「浩之ちゃん、優しすぎるんだから」
「そっか?」
あかりが、それに答えて何かを言おうとしたとき、チャイムが鳴り出した。
キーンコーンカーンコーン
「あっ、チャイムだよ」
「いちいち言わなくても聞こえてる」
俺達は駆け出して、自分の席についた。雅史が何か意味ありげににこにこしながら俺達を見ていたが、とりあえず無視して授業の準備をする。
6時間目、ホームルームと時間は順調に経過して、ようやく放課後がやって来た。
「さて、それじゃ帰るか」
大きく伸びをして立ち上がり、あかりに声をかけると、あかりは困ったような顔をして言った。
「浩之ちゃん、うちの班、掃除当番だよ」
「……さらばだあかりっ!」
そう言い残してダッシュしようとした俺の目の前に、にゅっとモップの柄が突き出された。
「うちの目の前で逃亡しようとはええ度胸やなぁ」
「その声は……、委員長かっ!」
「当たりや。ご褒美に、もれなく教室掃除させたるわ」
委員長は、俺に向かってモップの柄をさらにぐいっと突きつける。
「……わ、わかったよ」
俺は仕方なくモップを受け取ると、ため息をついた。
「ほら、ため息ついとらんと、さっさとすませぇ。……あんたらもな」
そう言って、委員長は腰に手を当てて、教室を見回した。お喋りしていた女子生徒達が慌てて手を動かす。
逃げることも出来そうだが、そうした場合明日からの学校生活がどうなるか保証の限りではない。俺は諦めて掃除をすることにした。
「ほらそこの男子、ちゃんとはばかんかい!」
しかし、委員長も変わったなぁ。前だと「あんたらの好きにしたらええ」って感じでしゃべろうとだべろうとお構いなしだったってのに。
俺が感慨を抱いて委員長を見ていると、不意にその委員長が振り返った。
「藤田くん、なんや暇そうやね」
「げ」
「そういや、ゴミ箱がもう一杯やったような気、するんやけど」
「焼却場までゴミを捨てに行けばいいんだろ? とほほ〜」
焼却場の蓋を開けてゴミを捨てていると、不意に後ろから声を掛けられた。
「ハァイ、ヒロユキ。久しぶりネ!」
こんなイントネーションで話しかけてくるのは、校内広しといえど1人しかいない。
俺は振り返った。
「よぉ、レミィ」
「こんなとこで何してるネ?」
「見ての通りだが」
焼却場にゴミを捨てる以外の理由で来る奴なんて、あんまりいないような気がする。
レミィは嬉しそうに笑った。
「ワォ、イッツファンタスティック!」
「何がファンタスティックだ?」
「だって、アタシもダストをファイヤしに来たの」
そう言ってゴミ箱を見せるレミィ。
俺は苦笑して、自分の持っていたゴミ箱をその場に置いて、手を伸ばした。
「貸せよ。俺が捨ててやるから」
「サンクス、ヒロユキ」
嬉しそうに言うと、レミィは抱えていたゴミ箱を俺に渡した。
俺はそのゴミ箱の中身を焼却場に放り込んで、蓋を閉めた。
「さて、戻るか。レミィも一緒に行くか?」
「オッケイ」
俺からゴミ箱を受け取りながら、レミィは大きく頷いた。うぉ、胸が揺れたぞ。さすが国産とは違うダイナミズム……。
「ヒロユキ、行かないの?」
振り返るレミィに、俺は慌てて頷いた。
「今行くって」
俺とレミィは雑談をしながら廊下を並んで歩いていた。
「そっか、今度弓道部の試合があるのか」
「イエス! だから、アタシ今猛練習よ」
そう言ってから、レミィははぁ、とため息をついた。
「でも、どうも的にヒットしないのネ」
「うーむ」
レミィには妙な才能があって、動く的には百発百中なくせに、停まってる的には何故かかすりもしないのだ。
「やっぱり、アタシには弓道、向いてないみたいデス」
しょげるレミィ。
俺はその肩を叩いた。
「頑張れって」
「ん……。ヒロユキがそう言うなら、アタシ頑張ってもいいよ」
そう言うと、レミィは立ち止まった。
「その代わり、勇気欲しいネ」
「へ?」
俺が間抜けな返事をすると、レミィは目を閉じた。
「ヒロユキ……」
こ、これってもしかして据え膳状態ってやつかっ!?
と、
バタバタバタッ
「浩之ちゃんっ!」
後ろから駆け寄ってくる足音と、俺を呼ぶ声に、俺は慌てて振り返った。
「あかりかっ!?」
「ハァイ、あかり!」
俺の後ろから、レミィが屈託ない声を上げた。
「久しぶりネ。こんなところで逢うなんて合縁奇縁ネ」
相変わらずよく判らない日本語を使うと、レミィはしゅたっと片手を上げた。
「それじゃグッバァイ」
「へっ?」
「バイバイ、またね〜」
間の抜けた返事をする俺と、笑って手を振るあかりにウィンクして、レミィはゴミ箱を抱えてたたっと走っていってしまった。
「……なんだったんだ?」
思わず呟く俺。その顔をのぞき込むあかり。
「レミィと、何かあったの?」
「べ、べつに……」
「浩之ちゃん、嘘つくと眉がぴくっと動くんだよ」
あかりに言われて、思わず俺は眉を押さえた。
「マジか?」
「嘘だよ〜ん」
笑ってから、あかりは俺をじろっと見た。
「でも、嘘ついてたんだね」
げ、誘導尋問か? あかりのくせに高等技術を使いやがって。
「それよりあかりの方こそ、掃除はどうしたんだよ」
「えっ? あ、えっと、浩之ちゃんがなかなか帰ってこないから……」
「サボってきたのか? あかりも悪い子になったねぇ〜」
「ううっ……」
根が真面目なあかりには、この手の攻撃が効果的なのである。伊達に幼なじみはしてないわけで、お互いに弱点は知り尽くしているのだ。
「わ、私は、その……、浩之ちゃんが浮気してないかって心配になって……」
「お前、浮気ってなんだよ、人聞きの悪い。それじゃ何か? 俺は今後女の子と口をきいちゃいけないのか?」
「そっ、そんなことないけど……。……ごめん」
俯いたまま謝るあかり。
俺はあかりの頭にぽんと手を置いた。
「ひゃっ」
小さな悲鳴を上げるあかり。
俺はコホンと咳払いして言った。
「俺を信じろって」
「……浩之ちゃん、恥ずかしいこと言ってるよ」
あかりは、赤くなった顔を上げた。
「でも、嬉しいな」
「よせって。さて、教室に戻るか」
ゴミ箱を担いで、俺はすたすたと歩き出した。
「あっ、待ってよ浩之ちゃん!」
15分遅れで教室に戻った俺達が、委員長から怒られたのは言うまでもない。
「ふぅ、ちょっとはすっきりしたわ。ごっそさん」
ヤックでバリューセット(今なら半額だった)を平らげて、委員長は紙ナプキンで口元を拭った。
「くそ、普通奢らせるか? 公私混同だぞ、これって」
「まぁまぁ……」
ぶつぶつ言う俺を、隣りに座ったあかりがなだめる。
委員長は、俺達に視線を向ける。
「ま、どうやら納まるとこ、納まったみたいでなによりや」
ボン、と音を立てたようにあかりが真っ赤になった。そのまま俯いて指をつつき合わせる。
「えっと、それはその、あの、その、ええと、……浩之ちゃ〜ん」
最後は泣きそうな顔で俺に助けを求めるあかり。
俺は苦笑した。あかりの肩に手を置いて、委員長に答える。
「おかげさんでな」
「ま、仲良うやってや。なんだかんだ言うたかて、神岸さんと藤田くんはうちのクラスのムードメーカーなんやから。クラス委員長としては、あんたらが仲良うしてくれて、クラスが平和なんが一番助かるんや」
俺達は顔を見合わせ、素知らぬ顔でコーラを飲んでいる委員長に視線を戻した。
「俺達がムードメーカー?」
「そや。なんや、今まで気ぃつかんかったんかいな」
あかりがこくりと頷く。
「浩之ちゃんはともかく、私はそんなんじゃないよ……」
ちょっと待て。なんで俺はともかくなんだ?
あかりを追求しようかとも思ったが、とりあえずそれは脇に置いておく。
委員長は肩をすくめた。
「ん。正確にはあんたら、なんやけどな。藤田くんと神岸さんがおって、佐藤くんがそのそばにおって、長岡はんが隣のクラスから来る。それがうちのクラスのムードを作っとるんや」
「そうだったんだ……。全然知らなかった」
あかりが呟いた。
「ま、それを意識したってどうってこともあらへんけどな。喧嘩せぇへんとってくれれば……。あ、でもたまには大喧嘩するっちゅうんも気分転換になってええかもしれへんな」
そう言ってくすくす笑う委員長。
俺はため息混じりに言った。
「なぁ、委員長」
「なんや?」
「最近思うんだが、委員長、段々志保に似てきてないか?」
「……なっ!?」
ガガーン
「たでーま」
玄関の鍵を開けて、誰もいないことが判ってるけど、一応声をかける。習慣になってるからな。
「……おかえり」
後ろでぼそっと小さな声が聞こえて、俺は振り返った。
「あかり、何か言ったか?」
「えっ? な、なんにも言ってないよっ」
慌てて首を振るあかり。
「そ、それより、はやく材料を冷蔵庫に入れないと腐っちゃうよ」
「今買ったばかりで腐るかっ!」
そう言いながら、靴を脱ぐ。後ろからあかりも入ってきた。
「お邪魔します」
「おう」
委員長とヤックで別れ(よほどショックだったのか、別れた時もまだよろよろしてたな)、俺達は帰途についたのだが、途中で話の成り行きからあかりがまた夕飯を作ってくれることになり、スーパーで買い物をしてから家に着いたというわけだ。
「それじゃ、台所借りるね」
「適当に頼む」
「うんっ」
頷いて、あかりはスーパーのビニール袋を提げたまま台所に入っていった。
うーむ、最近じゃ俺よりもあかりの方が俺の家の台所を使ってるんじゃないだろうか?
ま、いいけどさ。
と、
トルルルルッ、トルルルルッ、トルルルルッ
電話が鳴りだした。
「あ、私が……」
「待てこら。俺の家の電話にあかりが出てどうするっ!」
「あ、そっか」
頷くあかりを残して、俺は玄関に出て受話器を取った。
「はい、藤田……」
『ヒロっ!』
受話器の向こうで、聞きたくない声が聞こえた。
「なんだ、志保か。暇だから遊んで欲しいのか?」
『バカっ! 冗談言ってる場合じゃないわよっ!』
志保にしては珍しくせっぱ詰まってるような声だった。だが、騙されてはいけない。この程度の演技は平気でする奴だから……。
そんな考えは次の瞬間吹っ飛んだ。
『雅史が事故に遭ったのよっ!!』
「なにぃっ!?」
俺は思わず受話器を握りしめた。
「冗談じゃねぇだろうなっ!」
『こんな冗談言える訳ないでしょっ! いいから来なさいっ!』
「来なさいって、どこに行けばいいんだよっ!」
『病院よ、病院っ!』
「どこの病院だ? いいから落ち着けっ!」
あまりに志保が慌ててるもんだから、かえってこっちが落ち着いてしまった。
志保に病院を聞いてから受話器を置くと、いつの間に来てたのか、あかりが後ろから心配そうに声を掛けてきた。
「浩之ちゃん、雅史ちゃんがどうしたの?」
「志保が言うには事故だそうだ。だけど、いまいち要領を得ないんで、今から病院に行ってみる」
「あっ、私も行くよ」
あたふたとエプロンを外すあかり。
「料理の方はいいのか?」
「あ、コンロにお鍋かけたままっ!」
慌てて台所に戻るあかり。俺も自分の部屋に戻ってジャケットを羽織ると、玄関にとって返した。
「で、どこの病院なの?」
「駅前の市民病院だと。……ところであかり、駅前の市民病院って場所知ってるか?」
自慢じゃないが、病院なんてほとんど世話になったことがないので、場所もよく知らないのだ。
あかりは頷いた。
「前に友達のお見舞いで行ったことあるから」
「よし」
俺は頷いて、ガレージから自転車を引っ張り出し、サドルに跨る。
「あかり、後ろ乗れっ」
「うんっ」
頷くと、あかりは後ろの荷台に横座りに腰掛けて、俺の腰に腕を回した。
「まず、駅前に出て」
「オッケイ」
俺はペダルを踏んだ。
《続く》
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あとがき
「猪名川で行こう」発売記念(笑)
それはそよ風のごとく 第22話 00/01/27 Up