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それはそよ風のごとく 第16話
 委員長とヤックと本当の優しさ

 キーンコーンカーンコーン
 チャイムの音が、6時間目の終わりを告げる。
 ……午後の授業は、全然耳に入らなかった。
 昼休みの、あの琴音ちゃんの告白。
「どないしたん? 神岸さんが風邪で休んでると思ったら、あんたまでダウンかいな?」
 委員長が、隣の席から俺の方に眼鏡越しの視線を向けた。
「ああ、そうかもな」
 机に突っ伏したまま答えると、委員長は鞄に教科書をまとめて入れながら、言った。
「うちにはうつさんといてぇな」
「きついお言葉」
 俺が思わず苦笑すると、委員長も唇をちょっと曲げた。冷笑してるように見えるが、これは違う。俺も、親しくなって初めて判るようになったんだが。
「ま、昼まではいつもと同じやったんやし、昼休みにいきなり発病したわけでもないやろ」
「良く見てらっしゃる」
「神岸さんの代わりや」
 ホントか嘘かわからんことを言ってから、委員長は鞄を片手にして立ち上がった。
「ほな、うちはもう帰るで」
「委員長、今日は塾か?」
「いや、今日は暇やけど」
 以前、委員長は、大学に行くときは神戸の大学に行くんだと、猛勉強をしていた。だが、その必要もなくなった今では、前ほど塾通いをしてるわけではない。それでも成績トップは譲ってないあたりが流石だ。
「なら、一緒に帰ろうぜ」
「ええの? 部活は?」
「エクストリームはしばらく活動停止。なんてったって同好会の部長がいないからな」
 葵ちゃんはしばらくは空手部のほうに通うことになった。当然部外者の俺の入れる場所でもない。自主トレをするっていう手もあるが、さすがに今日はそんな気分でもない。
「そっか。藤田くんがええんなら、うちはかまわへんよ」
「よし」
 俺は鞄を手に立ち上がった。委員長はぺったんこな鞄を、じろっと見る。
「たまには、教科書持って帰ったほうがええんとちゃうの?」
「なんとかのものはなんとかにって言うじゃねぇか」
「カイザーのもんはカイザーに返せ、やろ。神岸さん、苦労しはるなぁ」
「ほっとけ」
 志保に言われるとむかつくが、委員長に言われると、なんかそうした方がいいようにも思えてしまう。人徳の差ってやつだろう。

 俺と委員長はヤック(委員長曰くヤクド)に寄った。俺のおごりである(くそ)
「で、何の相談やねん?」
 2階席でバリューセットを前にして、委員長が訊ねた。
「え?」
「とぼけんといてもええやろ。藤田くんがなんの魂胆もなしにうちにおごるわけないやん」
 そう言って、コーラのストローをくわえる委員長。
 やっぱり、委員長は鋭いな。
 俺は肩をすくめた。
 委員長はポテトを一本摘むと、窓の外に視線を向けた。
「恋の相談かいな?」
「なにぃっ!?」
 今度こそ、俺は声を上げてしまった。店内の客達の視線が、俺達に集まる。
 慌てて座りなおす俺。
 店内の視線が離れるのを待ってから、委員長は苦笑して俺に向き直る。
「藤田くんがうちに相談っつうたら、それしか思いつかへんでな。普通のことやったら、神岸さんでも佐藤くんでもおるやろし」
「……まぁな」
 俺は観念して、昼休みに琴音ちゃんに告白されたことを委員長に話した。
 ズズーッ
 委員長は、俺の話の間にコーラを飲み干した。それから、空になったコップをトンと置いた。
「で、藤田くんはどないしたいん?」
「それがわかりゃ相談してねぇよ」
 俺は、椅子の背もたれによりかかった。
「だから、あんときさっさと決めろって言うたやん」
 委員長は苦笑した。それから、真面目な顔に戻って一言呟いた。
「どっちにしても、はっきりしぃや。姫川さんは、決めたんや。今度決めるんは、藤田くんの番やろ」
「まぁ、そうなんだけどな……」
「藤田くんは、姫川さんと付き合うのが嫌なん?」
「そんなやつはいねぇだろ」
 俺は、琴音ちゃんの明るい笑顔を思い出しながら、呟いた。
「それなら、なんでその場でオッケイせぇへんかったん?」
「それは……」
「藤田くんの心の中に、もう別の娘がおるから、やろ?」
「……あかりのことか?」
 委員長はこくりと頷いた。
 俺は、窓から通りの方を眺めながら、呟いた。
「……わかんね」
「え?」
「正直言ってさ、俺、誰が好きなんだか、自分でもわかんねぇんだよ」
「……最低やで、それ」
 委員長は冷たく言った。俺は苦笑した。
「委員長にはそう言われると思ったぜ」
「うちやなくてもそう言うわ」
「……そうだろうなぁ」
「はぁぁ。どうして神岸さんといい、姫川さんといい、こんなのがええんやろ」
 委員長は溜息をついた。それから、俺に視線を向ける。
「ええか? とにかく、早いとこ姫川さんに返事せぇへんとあかんって」
「そりゃわかってるよ。だけど、なんて言えば……」
「姫川さんと、恋人同士として、付き合う気はあるん?」
「それは……」
「ないんやろ? だったら、ちゃんと断り」
 委員長はきっぱりと言った。それから、俯くと、小さな声で呟いた。
「何も言わないで、期待だけさせとくなんて、残酷やで……」
「委員長……」
「それとな」
 不意に顔を上げると、委員長は俺を睨んだ。
「誰にでも優しいのも、やで」
「優しい? 俺がか?」
 俺は思わず聞き返した。
「それって、マジ?」
「そや。……それも、ナンパな優しさとは違う、ほんまの優しさやから、余計に始末に負えんのやで」
「……なんだよ、そりゃ」
「おまけに、本人に自覚無し、と来とる」
 委員長は額を押さえた。それから、俺に言う。
「とにかく、その気がないんやったら、姫川さんに、そうはっきり言わなあかん」
「……そうだな」
 俺は頷いた。
 俺と委員長がヤックを出る頃には、もう日は沈みかけていた。西の空が赤く染まっている。
「なんや、日が短こうなったなぁ」
 委員長が、大きく伸びをして言った。
「委員長、今日はサンキューな」
「かまへんよ」
 俺が礼を言うと、委員長はくすっと笑った。
「これも委員長の役目や。で、これは忠告やけど……」
「ん?」
「はやいとこ、神岸さんに告白して、彼女にしてしまい」
「……は?」
 思わず、目をぱちくりさせる俺。
「あかりに、か?」
「そや。藤田くんに一番お似合いなのは、神岸さんやと思うで」
「……」
 俺は黙り込んだ。
「気ぃ悪くしたんなら、謝るわ。でも、こんなことになったんは……」
「判ってるよ」
 委員長の言葉を遮ると、俺は苦笑した。
「でもな、俺は本当にあかりが好きなのか、自分でもよくわかんねぇんだ」
「……しょうがないやっちゃなぁ」
 呆れたように言うと、委員長はきびすを返した。そして、俺に背中を向けたまま、言った。
「でも、姫川さんの事が片づいたとしても、同じ事は、また起こるで」
「……かもな」
「じゃ、うちは帰るわ。ごっそさん」
 軽く手を上げ、そのまま委員長は歩いていった。
 俺は時計をちらっと見た。
 あかりの見舞い。遅くなっちまったけど、行ってやるか。
 あかりの家に向かって歩きながら、俺は自分に問いかけていた。
 俺は、あかりが好きなのか?
 判らなかった。自分の心さえ。
 ただ……。
 俺は少し考えて、一人頷いた。
「そうだな。あかりだけだよな……」
 そう呟いたとき、俺の目の前に、『神岸』と書かれた表札のある家があった。
「俺が……」
「浩之ちゃん?」
 声が聞こえた。俺が見上げると、ピンクのパジャマ姿のあかりが、部屋の窓から身を乗り出していた。

《続く》

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