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不意に俺は目を開けた。
《続く》
白い天井に、蛍光灯が目に入る。
身体には毛布が掛けられて、ベッドに横になっているようだ。周囲は、白いカーテンで仕切られている。
……どこだ、ここは?
身体を動かそうとすると、右腕にズキッと痛みが走った。おそるおそる、そっちを見てみると、二の腕に包帯が巻かれている。
その瞬間、俺は思いだしていた。
無人島、クルーザー、ヘリ、芹香先輩、セリオ、綾香、マルチ、葵ちゃん、琴音ちゃん、委員長、そして……あかり。
フラッシュバックする映像と音。
最後に覚えているのは、ヘリが動いたときの浮遊感と、落下感。
……で、どうなったんだ?
俺は、右の二の腕に巻かれた包帯を、じっと見つめた。それから、周囲を見回す。
ここは、病院……なのか?
でも、どうして無人島にいた俺が、病院にいるわけだ?
さっぱりわけが判らなくなった。
芹香先輩や綾香を捕まえようとしていた連中が、俺をわざわざ病院に連れて来て、なおかつ傷の手当までするっていうのも考えにくい。
いや、待てよ。もしかしたら、何かの人体実験に使うつもり……か?
まさか……とは思うが……。
と、不意にカーテンが引かれた。その向こうには……。
「マルチ!?」
「あっ!」
俺の声に、一瞬目をパチクリとさせたマルチは、不意に表情をくしゃっと歪めると、そのまま俺に飛びついてきた。
「うわぁーーん、浩之さぁ〜ん! よかったですぅぅぅ」
「わぎゃっ!」
情けない悲鳴を上げたのは、右腕の怪我をしている所をもろに掴まれたためである。
「わわっ、す、すみませんっ! 私、わた……。ふぇぇぇん」
謝りながらまた泣きだすマルチ。……間違いねぇ。こんな反応を示すのは、俺達が知っているマルチ以外にありえねぇ。
……いや、まてよ。俺を油断させるために、仕組んだのかも……。
よし、俺が確かめてやる。
俺は、マルチの肩に手を置いた。
「マルチ……」
「は、はいっ」
ぐしぐしと、服の袖で目もとを拭って顔を上げるマルチ。
そのマルチの耳元で、俺は囁いた。
「マルチ、好きだ」
「ええっ!?」
「愛している。俺にはもうお前しか見えない。君は俺の太陽だ。ああ、マルチ、おまえはどうしてマルチなんだ?」
「はわぁ〜……」
そのまま、かくっと動かなくなるマルチ。
間違いない。これでブレーカーが落ちてしまうようなメイドロボは、古今東西マルチぐらいなものだな。
うんうんとうなずく俺の耳に、震える声が聞こえてきた。
「ひ、浩之ちゃん……」
「先輩……」
へ?
顔を上げてみると、カーテンの向こう側にあかりと葵ちゃんがいた。二人とも、カーテンに手を掛けたままの姿勢で固まっている。
俺も含めて3人は、しばしそのまま固まっていた。
と、あかりの後ろから綾香がひょこっと顔を出した。
「あら、藤田くん、気がついたのね。……って、どうしたの、3人とも固まって? マルチは落ちてるし」
「あ、綾香!?」
俺は綾香の顔を見て、金縛りから解けた。一体何がどうなってんだ?
俺のその表情を見て、綾香はくすくす笑った。
「なにがどうなってんだって聞きたいみたいねぇ」
「あ、当たり前だろ!」
俺は思わず立ち上がろうとして、右腕に走った痛みに顔をしかめた。
「つつっ」
「浩之ちゃん!」
いきなり復活したあかりが、心配そうに俺の腕に触れた。それから綾香に訊ねる。
「あの、浩之ちゃんの右腕は……?」
「ああ、大した事はないわよ。5針くらい縫ったけど、腱も傷ついてなかったし」
「よかったぁ」
ほっとため息をつくあかり。そのあかりをちらっと見てから、綾香は俺に尋ねた。
「どう? 立てる?」
俺は、そろそろと身を起こした。
「ああ、大丈夫そうだ」
「なら、こっちに来て。他のみんなもいるから」
と。
ブゥゥン
「……はっ? わ、私は何をしてたんでしょう?」
不意にマルチが再起動した。きょときょとと辺りを見回している。俺はそのマルチの頭をぐしぐしと撫でながら、あかりと葵ちゃんに声を掛けた。
「よし、行こうか」
「う、うん……」
「は、はい……」
ちょっと歯切れの悪い二人の返事。
「な、なんだよ」
「べ、別に何でもないよ」
「わ、私もです」
「……」
「……」
沈黙が病室を満たした。俯く二人。
綾香が、おそるおそる声を掛ける。
「私、外で待ってるから」
「あ……」
止める間もなく、綾香はカーテンの影に消えた。一拍置いて、ドアの閉まる音が微かに聞こえる。
「……あ、あの、浩之ちゃん」
不意にあかりが顔を上げた。微笑みを浮かべて言う。
「私、気にしてないよ。浩之ちゃんが誰を好きになったって……、その……」
「わ、私もです。藤田さんが、えっと……」
「ち、違うぞ、二人ともっ! さっきのはだな、その……」
「それじゃ、私、先に行くね」
「私も」
そのまま、視界から消える二人。
「ま、待て! いててて」
慌てて立ち上がろうとした俺に、右腕の激痛が走る。
「だ、大丈夫ですかぁ?」
マルチが心配そうに俺の顔を覗き込んだ。俺は、痛みに耐えながら、微笑を浮かべた。
「だ、大丈夫。それより、行かないと」
「は、はい」
マルチはこくこくとうなずいた。俺はそのマルチの肩を借りて、ようやく立ち上がった。
病室の外に出ると、パジャマ姿の患者やクリップボードを抱えた看護婦が行き来している、どう見ても普通の病院の廊下だった。
「何してたの?」
ドアの前で待っていたらしい綾香が訊ねた。俺は肩をすくめてから、廊下を見渡した。
「あれ? あかりに葵ちゃんは?」
「先に行くって。何かあったの?」
「別に」
素っ気なく答えると、綾香は肩をすくめて歩き出した。それ以上追求して来なかったので、俺は別の事を訊ねた。
「ここは?」
「那覇の総合病院よ。うちの経営だから、問題ないわ」
「うちって、来栖川グループ?」
「そ」
そう言って、綾香はエレベーターに乗り込んだ。俺達を手招きする。
「はい、こっちこっち」
「あ、ああ」
俺はうなずいた。
チーン
チャイムの音が鳴って、エレベーターは1階についた。ドアが開く。
そこは、病院のロビーのようだった。長椅子がいくつか並んでいる。
「あっ、藤田さん」
ロビーを見回していた俺に、琴音ちゃんの声が聞こえた。その方を見ると、琴音ちゃんが駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか?」
「ああ、大したことはないけど……」
「にしても、無茶しよるわ。うちらまで危なかったんやで」
琴音ちゃんの後ろから、委員長が肩をすくめながらやってくる。そして、琴音ちゃんに聞こえないように、俺の耳元で囁いた。
「んで、神岸さんと松原さんに、何をしたんや?」
「何って……?」
「二人とも、あんたを迎えに行って、それで二人で戻ってきた後は、あの通り、だんまりを決め込んではるんやで。何もなかったわけないやんか」
俺は、委員長がちょいちょいと親指で指した方を見た。長椅子に座って、今まで俺を見ていたらしいあかりが、慌てて視線を逸らす。その隣に座っている葵ちゃんは、俯いたままだ。
まずいなぁ……。
「これで、全員揃ったかしら?」
綾香がくるっと見回す。俺は訊ねた。
「芹香先輩は?」
「儀式の準備とか言ってたわ。それから、セリオは、あれだけ壊れちゃったから、送り返したわ。今頃は、研究所で修理中よ」
「んで、藤田くんも目を覚ましたことやし、そろそろ説明してくれるんやろうなぁ? この茶番の」
委員長が腕を組んで綾香を睨んだ。……茶番?
と、綾香がパンと両手をあわせた。
「ごめん、みんな」
「は?」
「実は……、あの黒服の連中って、うちの社員だったのよ」
「うちって、来栖川の?」
聞き返した俺に、綾香はうなずいた。
「それじゃ、もしかして内輪もめってやつだったのか?」
綾香は首を振った。そして、申し訳なさそうに、上目づかいに俺を見ながら、言った。
「予行演習だったのよ」
「予行……演習?」
「ほら、私や姉さんって、いつどんなところで狙われるかわからないでしょ? それに備えて、予行演習をしたってわけなの」
「……もしかして、最初にクルーザーが難破したところから……?」
「ええ。自動航行プログラムは、最初からいじってあったんですって」
「……おめぇなぁ……」
俺は、ふつふつと怒りが湧いてくるのを感じていた。
「それじゃ、俺達はおめぇらの予行演習とやらに巻き込まれたってわけかよ?」
「……そうなるわね。ごめん……」
「謝って済むかよ!」
思わず怒鳴る俺の前で、綾香は予想外の行動に出た。
リメリウムの床の上に、土下座して頭を下げたのだ。
「ごめんなさい」
「あ、綾香さん!?」
葵ちゃんが思わず声を上げていた。
「でも、これだけは信じて。姉さんも私も、こんなことが仕組まれてた、なんて知らなかったの」
「その通りでございます」
別の声がした。俺は、怒りが急速に抜けていくのを感じて、肩をすくめた。
「そうだな。あんたが芹香先輩に着いてこなかった時に、おかしいって思うべきだった」
「恐れ入ります」
セバスチャンが、頭を下げた。俺は訊ねた。
「あんたは知ってたんだな?」
「はい。知っていながら、藤田様や他の方々を巻き込んだのは、私でございます」
「なんでうちらまで巻き込んだんや? 来栖川の人だけでやればええやろ、そんなことは」
委員長が横から突っ込んだ。どうやら委員長はまだ怒っているらしい。
セバスチャンは淡々と答えた。
「芹香さまも綾香さまも、いずれは人の上に立たれる身です。非常時に、どれだけ仲間を守ることができるか、というところも、私は拝見したかったのです」
「……」
むっとして、腕を組んだまま、沈黙する委員長。
と、その委員長の前に小柄な影が立った。
「あかり……」
次の瞬間、誰もが度肝を抜かれた。
あかりが、右手を振りかぶったのだ。
パァン
乾いた音がして、セバスチャンの頬が微かに赤くなった。
「そんなことの、そんなことのために、浩之ちゃんに怪我をさせたの!?」
「あかり! もういい!」
俺は後ろから、なおもセバスチャンを殴る勢いだったあかりの腕を掴んだ。
「もういいんだ……」
「神岸殿のお怒りは、ごもっともでございます。このセバスチャン、浅慮の至りでございました」
セバスチャンは頭を下げた。
「だって、浩之ちゃん!」
振り向いて、さらに何か言おうとしたあかりを、俺は抱きしめた。
「ありがとう、あかり……」
「……浩之ちゃん……」
たちまち、ぽっと赤くなると、あかりは俯いた。
「み、みんな見てるよぉ……」
そう言われて、俺は慌てて手を離した。
「その、なんだ、とにかく落ち着け。な?」
「う、うん」
あかりはこくんとうなずくと、セバスチャンに頭を下げた。
「ごめんなさい。わたし、かっとなっちゃって」
「いえ」
セバスチャンはさらに頭を下げた。
俺は、まだ土下座していた綾香に手を差し出した。
「綾香も、立てよ」
「え?」
「お前が仕組んだことじゃねぇんだろ? なら、もういいって」
「藤田くん……」
綾香は俺の手に素直につかまった。
……ここでぱっと手を離すと面白そうだったけど、後が怖いので、俺は綾香を引っ張り起こした。それから、訊ねる。
「で、これからどうするんだ?」
「姉さんの準備が終わり次第、今度は安全なクルーザーで海に出るわ」
綾香は「安全な」ってところに力を込めて言った。それから、視線を落とす。
「でも、みんなには着いてこい、なんて言わないわ。少し離れたところに、うちのホテルがあるから、ゆっくりと休んでて」
「そやな。また襲われたらたまらへんさかいなぁ。うちらはそのホテルでのんびりさせてもらうわ」
肩をすくめて、委員長が言った。
あかりが、俺に尋ねた。
「浩之ちゃんはどうするの?」
「そうさな……。のんびりするか?」
俺はあかりの頭をくしゃっと撫でた。
「うんっ」
あかりは嬉しそうに微笑んだ。