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それはそよ風のごとく 第3話
卵入り炒飯

「先輩は、私のこと……」
 そう言ってから、葵ちゃんはじっとオレを見つめた。
 正直な話、葵ちゃんのこの癖はちょっと苦手だ。どんなときでも一直線の葵ちゃんは、話すときも相手の目をじっと見る。その怖いくらいにひたむきな目は、嘘や妥協を許してくれないんだ。
 オレは、ベンチを指した。
「立ったままもなんだから、座らないか?」
 ずるい、とは思う。でも、間を外さなくちゃ、耐えられなかった。

 オレと葵ちゃんは、並んでベンチに腰かけた。
 オレは、ひとつため息をついた。
 いつまでも、このままじゃいけないんだ。それは判ってる。
 葵ちゃんはオレに好意を寄せてくれてる。
 オレは……どうなんだ?
 自分に問いかけたとき、オレの脳裏をよぎったのは、哀しそうな顔で、でも微笑んでオレを見つめている、あかりの顔だった。
 やっぱり……、オレはあかりのことが……、好きなんだろうか?
 そもそも、あかりに対してオレが抱いてる想いは、なんなんだろう?
「あ、あのっ」
 考え込んでいたオレは、葵ちゃんの声で我に返った。
「え?」
「先輩、やっぱり、さっきのはなしにしてください」
 不意に葵ちゃんは言った。
「なし?」
「はい」
 葵ちゃんはうなずいた。オレは聞き返した。
「さっきのって、葵ちゃんの事をどう思ってるかっていうの?」
「はい。……私、まだ綾香さんには勝てません。でも、一生懸命やってれば、いつかは対等に戦えるようになると思ってます。だから……」
 そう呟くと、葵ちゃんは顔をあげた。
「今はまだ、勝てません。でも、一生懸命やって、いつか対等に戦えるって自信がついたら、その時に今の質問を、先輩にしようと思います」
 誰と? なんて質問は愚問に思えて、だからオレは、ただ頭を下げるだけしか、できなかった。
「……ごめん」
「先輩……」
 葵ちゃんは、ベンチからぴょんと立ち上がった。そして、夕焼け空をバックにして振り返る。
「ありがとうございました! それじゃ!」
 そのまま、駆けていく葵ちゃんを、オレは黙って見送っていた。
「藤田くん」
「え?」
 どれくらいそうしてたか。後ろから呼ぶ声に、オレは我に返った。
 いつしか、辺りは薄暗くなりはじめていた。
 振り返ると、その夕焼けの残滓にほのかに照らされた、綾香の姿があった。
「綾香……、か」
「葵は?」
 オレは、その質問に黙って肩をすくめた。彼女は、「そう」と呟くと、辺りを見回した。
「いい雰囲気の公園ね」
「そうか?」
 ジジィーッ
 水銀灯に電気が入る、独特の音がしはじめた。水銀灯ってのは、明るくなるまでちょっとばかり時間がかかる。
 その短い間、綾香は黙ってそこに立っていた。
 次第に、水銀灯の青白い光が、暗闇を駆逐し始める。
「……それじゃな。お前も早く帰った方がいいぜ」
 オレは、ポケットに片手をつっこんで、歩きだそうとした。
「……藤田くん」
 不意に、綾香が呼び止めた。
「何だ?」
「姉さんから聞いたんだけど、あなた、一人暮らししてるんですって?」
「まぁ、そうだけど……」
「それじゃ、ご飯とか、どうしてるの?」
「いつも適当に済ませてるけど。それがどうかした?」
 俺がそう言うと、綾香は嬉しそうに笑った。
「それじゃさ、今日はあたしが何か作ってあげよっか?」
「綾香が? お前、料理できるのか?」
「姉さんと一緒にしないでよ」
 綾香は口をとがらせた。たしかに芹香先輩なら、なにやら怪しげな薬は作っても、料理をするとはあまり思えないけど、でも綾香も料理しそうには見えないなぁ。
「ほらほら、行くわよ」
 そう言って、綾香は俺の腕をひっぱっていこうとして、不意に立ち止まった。
「ところで……、藤田くんの家ってどこ?」
「おじゃまします」
 そう言って、綾香は俺の家に上がってきた。
「別に挨拶しなくても、誰もいねぇって」
「あなたがいるじゃないの。それより、台所はどこなの?」
「本気で料理する気か? でも材料だって、買いに行かないと何もないぜ」
「いいから、案内し・な・さ・い・よ」
 一言ごとに句切りながら、俺の胸をツンツンとつつく綾香。なんだか妙な迫力を感じて、俺はそれ以上何も言わずに、綾香を台所に案内していた。
 冷凍庫を開けると、綾香は中に入っていたタッパーを開けてみて、一言。
「へぇ。ご飯を凍らせてるのね。なかなかやるじゃない」
「まぁな」
 俺は肩をすくめた。
 本当は、あかりが前に飯を作りに来たとき、余ったご飯をタッパーに詰めて凍らせたのだ。
「いいわ。あとは、卵があれば……。おっ、あるじゃない」
「何を作る気だ?」
「秘密よ、ヒ・ミ・ツ。エプロン借りるわよ」
 そう言うと、綾香は俺の背中を押した。
「さぁ、もういいわよ。あとはあたしがやるから、あなたは待ってなさい」
 しばらくして、急に台所から声が聞こえた。
「ねぇ、藤田くんって料理するんだ?」
「しねぇよ」
「……だったら、どうしてほん○りがあるのよ?」
「は?」
「なんでもないわよ。それより、卵使っていい?」
「どうぞぉ」
 それっきり、台所からは何の声もしてこなくなった。
 どうでもいいが、綾香よ。CMネタはスグに風化するぞ(笑)
 10分ほどして、綾香が大きな皿に湯気の立つ炒飯を乗せて現れた。
「お待たせ。綾香特製、卵入り炒飯よ」
「ほほぉ?」
 自慢じゃないが、俺は炒飯にはちょっとうるさい。その俺に炒飯を出してくるとは、真っ向勝負をかける気だな。いいだろう、受けてたとう。
 二人は大皿を間にして向かい合って座った。自分の前の皿に大皿から炒飯を移して、蓮華ですくって口に運ぶ。
「む……」
 程良くほぐれた米とふっくらした卵の醸しだす絶妙のハーモニー!
 こ、こいつは、出来る!
「どう?」
 頬杖をついて俺をじっと見つめながら、綾香は俺に尋ねた。
 俺はうなずいた。
「美味い。五つ星をやるよ」
「でしょ?」
 ニコッと笑う綾香。その笑顔に、俺はどきっとした。
「……どうしたの?」
「な、なんでもねぇ」
 俺は慌てて蓮華で炒飯をかきこんだ。
「すっかり遅くなっちまったな。家の人、心配してねぇか?」
「大丈夫よ」
 二人で炒飯を平らげてから、俺は玄関まで綾香を送りに出ていた。
「本当に送らなくてもいいのか?」
「ええ」
 そう言って靴紐を結んだ綾香は立ち上がって、じっと俺を見つめた。
「ん? 何だ?」
「……なんでもない。お休み」
 そう言うと、綾香は身を翻して、ドアを開け、出ていった。
 彼女の残り香が、オレの鼻をくすぐった。
 とりあえずおざなりに宿題をやってから、オレはベッドに寝ころんで考え込んだ。
 葵ちゃんがなんだかわけのわからんやつに怖い目に遭わされたっていうのは間違いないようだが……。
 悪霊とか自縛霊とかいうやつなんだろうか?
 うーん。わからん。
 それにしても……

「先輩にとって、私って何なんですか?」

 このままじゃ、いけないんだよな。このままじゃ……。
 それだけを呪文のように頭の中で呟きながら、オレはいつしか眠りに落ちていった。

《続く》

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