隆山に、また夏が来た……。
了
もうすぐ学校も夏休みに入ろうかという、ある朝。
「もう、千鶴姉もいつまでものたのた飯食ってんじゃないよ。後かたづけだってあるんだからさっ」
「そんなこと言ったってぇ」
「……ごちそうさま」
今朝も、いつもと同じ風景が繰り広げられていた。
千鶴お姉ちゃんを叱っていた梓お姉ちゃんが、私の前にある皿に気付いて、訊ねる。
「あれ? 初音、どうしたの? 全然食べてないみたいだけど」
「え? あ、うん。ごめんなさい、ちょっと食欲がなくて……」
「大丈夫? 気分でも悪いの?」
千鶴お姉ちゃんが気遣わしげに私の顔を覗き込んだ。私は笑って答える。
「ううん、そんなこと全然ないよ」
「なら、いいんだけど……」
と、とっくに食べ終わって麦茶を飲んでいた楓お姉ちゃんが、ぼそっと呟く。
「耕一さん、ね」
ぼっ、と真っ赤になる私。
「かっ、楓お姉ちゃんっ!」
「……」
そっぽを向いて、ごくごくと麦茶を飲み干す楓お姉ちゃん。
梓お姉ちゃんが私に尋ねる。
「耕一の馬鹿が何かしたのか? よし、あたしがとっちめてやるっ」
と、タイミング悪くふすまが開いて耕一お兄ちゃんが顔を出した。
「梓〜、朝飯〜……って、なんだどうした?」
私が何か言う間もなく、梓お姉ちゃんが耕一お兄ちゃんのTシャツを掴んで締め上げる。
「耕一〜っ、初音に何したーっ! 言ってみろっ!」
「わわっ、なんだよいきなりっ!」
「梓お姉ちゃんっ! そうじゃなくて、えっと!」
おろおろしながら、とりあえず止めようと立ち上がった私の後ろから、不意にクーラーよりもずっと冷たい風が流れてきた。
びくっとして振り返ると、千鶴お姉ちゃんがにっこり笑っていた。
「耕一さん」
「は、はいっ」
慌てて答える耕一お兄ちゃん。ちなみに梓お姉ちゃんも耕一お兄ちゃんを締め上げた姿勢のままで固まってるみたい。
「ち、千鶴姉、あたしにまで鬼気を向けるな……」
呻く梓お姉ちゃんをよそに、あくまでもにこやかに訊ねる千鶴お姉ちゃん。
「初音になにかしたんですか?」
「何もしてないです、今年はまだっ」
「今年は、まだ?」
うわ、千鶴お姉ちゃんが怖いようっ。
「あ、いや、それは言葉のあやってもんでしてっ、その……」
今年の夏も、耕一お兄ちゃんは、私達のところに来てくれた。
表向き、ほかのみんなには、大学が夏休みになって暇だから、なんて言ってたけど。でも、本当は……。
まだ、お姉ちゃん達にも言ってない、私とお兄ちゃんだけの秘密。
……あのとき、私とお兄ちゃんだけが見た、再び地球にやってきた、エルクゥ達の新しい船。
あれ以来、まったく音沙汰は無いんだけど、でも、いつかはきっと、私達がここで暮らしていることが判ってしまうはず。
お兄ちゃんは、だから、少しでも休みが取れるときは、ここに来てくれるんだけど……。
ホントはね、私のため……だったりすると、嬉しいんだけど……。
「……耕一お兄ちゃん、大丈夫?」
「おう、大丈夫だぞ。それより、まだ時間は大丈夫なの?」
「うん」
玄関で靴を履くと、とんとんとつま先を地面に当てて位置を直す。
「はい、鞄」
「あ、ありがとう」
お兄ちゃんから鞄を受け取って、もう一度訊ねる。
「本当に大丈夫?」
「一応、俺にもエルクゥの血が流れてるから、傷の回復は早いぞ」
笑顔で言うお兄ちゃん。確かに、ほっぺたのひっかき傷はもう治りかけてるけど。
「それから、初音ちゃん。夕べ言ったことだけど、あれは、その……」
「わわっ! お、お兄ちゃん行って来ますっ!」
慌てて外に飛び出すと、眩しい日射しが辺りを明るく照らしていた。
「あっ、初音ちゃんっ!」
後ろからお兄ちゃんの声が聞こえたけど、私は全力疾走で……あやや、食べてないからちょっとくらくらするかも……。
キーンコーンカーンコーン
「……うはぁ、間に合ったぁ」
鞄を机の脇にさげて、そのまま机に突っ伏していると、隣の席の由香ちゃんに声をかけられた。
「あらら、珍しいわね〜。初音がこんなにごゆっくりとは」
「あう……」
「あ、そういえば“お兄ちゃん”が来てるんだっけ。ふふーん、そっかー」
「べ、べつにそんなんじゃ……」
「あ、先生が来た」
そう言って前に向き直る由香ちゃん。私も慌てて顔を上げた。
と、由香ちゃんが小声で囁く。
「後でちゃんと報告しなさいよっ」
うう……。
で、お昼休み。
いつものようにみんなで机を寄せ合ってお弁当タイム。
「あら、初音お弁当は?」
「あ、私今日はちょっと食欲なくって。あは、あはは」
「ふぅん」
な、なによ、みんなじと目で……。
「さては、“お兄ちゃん”に「太った」って言われたな?」
ぎくぅ
「ななななんのことっ!?」
「うんうん、わかるわかる。乙女してるなぁ、初音も」
「でも、初音が太ってたらあたしたち何なのよ?」
「まぁ初音はちっちゃいから」
「うーっ、みんな意地悪〜」
私が膨れていると、由香ちゃんが私を小突いた。
「で、どうなの?」
「どう、って何が?」
「愛しのお兄ちゃんが来てるんでしょ? なんか進展あった?」
「あう、えっと……」
私が口ごもっていると、脇から美佐ちゃんが笑いながら言う。
「あ〜、無理無理。初音はまだまだお子さまだもの」
「ん〜、確かに。この子に手を出したら犯罪よね〜」
「そ、そんなことないもんっ!」
思わず言い返してから、慌てて口を塞ぐ。
「ほほぉ、そんなことないんですか? これは是非、後学のために教えてもらわなければねぇ」
「そうですねぇ」
「あう〜」
やっとのことで、みんなの質問をかわして教室から逃げ出すと、閉めたドアを背中にして大きくため息。
もう、みんな、私のことすぐ子供扱いするんだから。
でも、お兄ちゃんだけはちゃんと女の子として扱ってくれるもんね。
えへへ
一人で廊下でにやけてると、不意に声を掛けられた。
「あの、柏木初音さん、ですね?」
「あ、はははいっ」
びっくりして顔を上げると、知らない男子生徒だった。
「すみません。俺の友達が、これ渡してくれって」
「えっ? あ、はぁ……」
その人に白い封筒を差し出されて、私はため息をついた。ぺこりと頭を下げる。
「ごめんなさい。それ受け取れません」
「あ、やっぱり?」
「本当にごめんなさい」
もう一度頭を下げると、その人は苦笑した。
「いや、いいって。あいつには最初から無理な話だし」
「それって、その人に悪いんじゃないですか?」
思わず言ってから、私が言うことじゃないな、と思ったけど、その人は頭を掻いた。
「それもそうだ。でも、言い寄る男子生徒をことごとく振ってるって話だけど、どうして? よかったら教えてくれないかな?」
「私、もう好きな人がいますから……」
「へぇ、あれって噂じゃなかったんだ」
「えっ? 噂って?」
「ああ、柏木さんには付き合ってる人がいるって。まぁそれだけなんだけど、でもみんな認めたくないらしいよ」
「そうなんですか?」
「ああ。何しろ柏木さんは我が校のアイドルだし」
「あはは」
私は苦笑した。多分、顔が引きつってたと思う。
「それじゃ、私はこれで」
「あ、うん。ごめんね、面倒かけて」
「いいえ」
その人と別れて、ふぅとため息。
と、後ろから声をかけられた。
「せめて手紙読むくらいはしてあげてもいいんじゃない?」
「あ、由香ちゃん、見てたの?」
「しっかりと」
笑いながら由香ちゃんは私の肩をぽんと叩いた。
「ったく、うちの男どもも、こんなお子さまのどこがいいんだか」
「あ、それちょっと傷つく」
「あはは〜」
ひとしきり笑ってから、由香ちゃんは不意に腕組みして考え込んだ。
「それにしても、あんたのお兄ちゃんの話は耳タコだけど、実際にはあたし達も見たことはないのよね〜」
「うん、そうだね」
頷く私。
「今、隆山に来てるんだよね?」
にこっと笑う由香ちゃんに、私は嫌な予感が背筋を走るのを感じた。
「来てる……けど……」
「よし、今日の放課後、あんたの家までそのお兄ちゃんを拝みに行くわ」
「ええーーっ!?」
「心配しなさんな。現物確かめたら、ちゃんと「初音には付き合ってるお兄ちゃんがいます」って宣伝してあげるから。これで言い寄る男も全滅よん」
それはそれでいいかもしれないけど、でも、うーん……。
「や、やっぱりいいよぉ。恥ずかしいし……」
「遠慮しない、遠慮しない。さてと、そうと決まればみんなのアポ取らないと。みんな〜」
大声上げながら、由香ちゃんは教室の中に駆け込んで行ったの。私は慌ててその後を追いかけた。
「ちょ、ちょっと由香ちゃんっ!」
「みんな、今日の放課後初音のお兄ちゃんを見に行こうと思うんだけど、異議は?」
『異議なーし』
……あうう……。
放課後。
こっそり逃げようとしたけれど、あえなく由香ちゃんに見つかってしまい、私は仕方なくみんなを家に案内することになってしまった。
「うわ、すごいお屋敷〜。初音ってお嬢様なんだね〜」
「初音のお姉さんって、柏木グループの会長だもん。そりゃお嬢様よ」
家の前で騒ぐみんなに苦笑しながら、私は玄関の戸を引く。
ガラガラガラ
「ただいま〜」
「あ、お帰りなさ〜い、初音ちゃん」
「こら、かおりっ! なんでおめぇが出迎えるんだよっ!!」
奧からかおりさんと、続いて梓お姉ちゃんが出てくる。
「よう、お帰り、初音。あれ? 後ろの人は?」
「あ、私のクラスメイト。みんな、こちらが梓お姉ちゃんと、そのお友達の日吉さん」
「ああ、初音ちゃんのクラスメイトのみなさんですか。妹の初音がいつもお世話になっております」
丁寧にお辞儀するかおりさん。
「なんで初音がおめぇの妹だっ!? あ、みんな適当に上がってくれや。そうそう、みんなに麦茶でも出すカニ」
そう言ってぱたぱたと台所に走っていく梓お姉ちゃんを、慌てて追いかけるかおりさん。
「ああん、待ってぇ梓せんぱーい」
「こ、こらっ、ついて来るなっ!」
「いやですぅ〜」
2人が台所に消えてから、私はおそるおそる振り返った。
「ふぅむ、初音のお姉さんがそういう趣味の持ち主とは」
「知られざる柏木家の秘密その1ってやつ?」
梓お姉ちゃんはノーマルなんだけどな……。あはは……。
あ、そうだ。お兄ちゃんはいるのかな?
私はそれを聞こうと思って台所に顔を出した。
「ああん、梓せんぱぁい」
「わっ、てめ、胸に触るなぁっ!」
「わぁ、ふかふか〜」
……放っておいてあげようっと。
応接間(って言っても、一番広い畳の部屋をそう呼んでるだけなんだけど)にみんなを通して廊下に出ると、ちょうど楓お姉ちゃんが自分の部屋から出てきた。
騒がしい応接間の方をちらっと見て、訊ねる。
「お客様?」
「うん、私のクラスメイトなの。ごめんね、騒がしくて」
「……いいの」
首を振って、台所に向かおうとする楓お姉ちゃん。私は慌てて止めた。
「か、楓お姉ちゃん、どこに?」
「喉渇いたから……」
「あ、あの、今はちょっと……。梓お姉ちゃんとかおりさんがいるから……」
「大丈夫。気にしないから」
そう言って、楓お姉ちゃんは台所に入っていった。しばらくして出てくると、その後ろから梓お姉ちゃんの悲鳴が聞こえてくる。
「わぁっ、楓、助け……この薄情者っ!! ひゃっ、やめろぉっ」
「……」
無言で戻ってくる楓お姉ちゃん。
「楓お姉ちゃん、梓お姉ちゃんは……?」
おそるおそる訊ねると、楓お姉ちゃんはくすっと笑った。
「楽しそうだった」
……本当に?
あ、それより。
「楓お姉ちゃん、耕一お兄ちゃん知らない?」
「耕一さん? 私が帰ってきたときにはいなかったけど。出かけてるんじゃないかしら」
「あ、そうなんだ」
みんなに紹介しなくても済むことを考えると、ちょっとだけほっとしたりして。
楓お姉ちゃんはそのまま部屋に戻ろうとしかけて、不意に立ち止まって振り返った。
「……初音」
「えっ、どうしたの?」
「……なんでもない」
微かに首を振って、楓お姉ちゃんは部屋に戻っていった。
その後ろ姿を見てると、やっぱりちょっと辛い。
「……お姉ちゃん……」
無意識に漏れた声に、楓お姉ちゃんは呟いた。
「私は、最後まで一緒にいられなかったから……」
ガラガラッ
玄関が開く音に振り返ると、千鶴お姉ちゃんだった。
「ふぅ、今日も疲れたわ……。あら、この靴どうしたの?」
「えっ? あ……」
「初音……、どうしたの?」
顔を上げた千鶴お姉ちゃんに言われて、私は初めて、自分の頬が濡れているのに気付いた。慌てて、目元を拭う。
「な、なんでもないよ」
「でも……」
「あ、そうそう。私の友達が来てるの。今応接間にいるから……」
「ああ、そういうことね。いっぱい靴があるから、梓が買ってきたのかと思ったわ」
「あはは、そんなわけないよ〜」
相変わらずの千鶴お姉ちゃんに、思わず笑ってしまうと、千鶴お姉ちゃんも笑う。
「うふふ。あ、そうだ。お客さまなら私が何か作って……」
「あ、えっと……、そ、そうだ! あの、今台所は梓お姉ちゃんが使ってるから。それに、あ、そうだ、シャワー浴びた方がいいよっ。ほら、外は暑いから汗かいたでしょっ」
「え? でも……」
「ほらほらっ!」
千鶴お姉ちゃんの背中を押して、脱衣場に押し込むと、ドアを閉めた。
「それじゃ、ごゆっくりー」
「もう、判ったわよ」
呆れたような声で言うと、千鶴お姉ちゃんは服を脱ぎ始めたみたいだった。私は、ほっと一息ついて、応接間に戻る。
ふすまを開けて、みんなに「ごめんね……」と言いかけたときだった。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁーーーーーっ」
すごい悲鳴が後ろから聞こえた。思わず振り返る。
「なになに、いまのっ!?」
由香ちゃん達が私の後ろに張り付いて、廊下の方を伺う。
今の悲鳴、千鶴お姉ちゃんだった。なにが……。
「なんだなんだっ!?」
台所から梓お姉ちゃんも飛び出してくる。
「あっ、梓先輩、待ってくださぁいっ!」
「うるさいっ、それどころじゃねぇっ!」
どうやらこれ幸いと逃げてきたみたい……って、そんな事言ってる場合じゃなかった!
「あ、初音っ、今のは!?」
「千鶴お姉ちゃん、だと思う。いま、シャワー浴びるって……」
「よしっ!」
梓お姉ちゃんはだだっと脱衣場の方に走っていった。その後をかおりさんが追いかける。
「ああ〜ん、逃げないでぇ〜」
「そうじゃねぇっ!」
……どう見ても逃げてるんだけど。
あ、いけないいけない。
「みんな、私、ちょっと見てくるから、ここで待ってて」
そう言って、私も脱衣場の方に向かって駆け出した。
脱衣場のドアを梓お姉ちゃんががらっと開ける。
「どうした、なにがあったんだ、千鶴姉……って、なにしてんだよっ!!」
「えっ? あ、梓? えっと、それはそのね、あのね……」
千鶴お姉ちゃんは無事みたいだけど……なにを慌ててるんだろ?
私は梓お姉ちゃんの後ろから脱衣場をのぞき込んで、硬直した。
脱衣場の中では、素っ裸の千鶴お姉ちゃんが、ぺたんと座り込んで背中に大きな男の人を隠そうとしてるけど全然隠せて無くてその男の人も素っ裸でうつぶせだから見えてないけどどう見てもその男の人って耕一お兄ちゃんでこんだけ騒ぎになってるのにお兄ちゃんぴくりとも動かないし後頭部に大きなこぶできてるし千鶴お姉ちゃん手元にけろよんの洗面器持ってるわけで
「初音」
後ろからぼそっと声をかけられて、私ははっと我に返った。
「あっ、楓お姉ちゃん?」
「とりあえず、耕一さんを」
「あっ、そ、そうだね、うん」
私は慌てて脱衣場に入ると、俯せになっていたお兄ちゃんをとりあえずひっくり返そうとしかけて、はたと気付いた。
「お姉ちゃんっ!」
「あっ、えっと……」
千鶴お姉ちゃんと梓お姉ちゃんが慌てて視線を逸らした。私はため息をついて、バスタオルでお兄ちゃんの腰を隠してから、ひっくりかえ……せない。
「お、重い……。ううっ、梓お姉ちゃん、手伝って」
「あ、あたしっ!? えっと……しょうが……」
しょうがないなぁ、とか言いかけたところを、金切り声が遮る。
「ダメですっ! 私の梓先輩が男にさわるなんて許しませんっ!」
「か、かおりっ! お前いつの間にっ!?」
「梓先輩にさわらせるくらいなら、私が涙を飲んでその男をさわりますっ」
「いや、さわるなんて言ったわけじゃねぇだろ……」
梓お姉ちゃんがぶつぶつ言う間に、かおりさんは脱衣場にずかずかっと入ってくると、耕一お兄ちゃんの体をえいっとひっくり返した。
「ううっ、男にさわってしまった……。後で消毒しなくっちゃ……」
……そこまで嫌わなくても……って、そんなこと言ってる場合じゃなかったっ!
「お兄ちゃん、大丈夫っ? しっかりしてっ!」
「……ううっ」
うめき声をあげて、お兄ちゃんは息を吹き返した。
「……いつつ、何だ、いったい何が起こったんだ? ……あれ、初音ちゃん?」
「うわぁん、よかったよぉ」
いつもと変わらないお兄ちゃんの様子に、なんか張りつめていたものがぷっつり切れたみたい。思わずお兄ちゃんの胸に顔を埋めて泣き出しちゃった。
お兄ちゃんにすがりついてわんわん泣いていたところを由香ちゃん達にしっかり見られてしまい、由香ちゃん達は私を散々からかって、大満足で帰っていった。……明日から学校でもまたからかわれそうだな。ふぅ……。
で、由香ちゃん達を送り返してから、私たちは応接間に集まっていた。
「……つまり、千鶴姉が悪いんだな?」
「あう……はい」
梓お姉ちゃんに言われて、普段着に着替えた千鶴お姉ちゃんは、小さくなる。
「でもでも、お風呂場のドア開けたら、いきなりあんなの見せられて……やだ、私ったら……」
ぽっと赤くなる千鶴お姉ちゃんと、ポリポリとほっぺたを掻く耕一お兄ちゃん。
「お粗末なものお見せしましてすみません……」
「いえ、とても立派な……コホン」
途中ではっと気付いて、咳払いしてから、千鶴お姉ちゃんはぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい、耕一さん」
「いえ、そんな。俺の方こそ……」
「そうだよな。耕一なら亀姉の攻撃くらい避けられたはずだよな」
梓お姉ちゃんが腕組みして言った。
「それが避けられなかったってことは、なにかに気を取られてたってことだな?」
「そりゃあんなもの見せられちゃ……」
はたと気付いて、お兄ちゃんは慌てて手を振った。
「あいや、そうじゃなくて……」
千鶴お姉ちゃんは、じとっと耕一お兄ちゃんを見る。
「……見たんですか?」
「えっと……、すみません」
私はとうとうたまらなくなって、割って入っていた。
「千鶴お姉ちゃんも、梓お姉ちゃんもいい加減にして。耕一お兄ちゃんは全然悪くないんじゃない」
「初音ちゃん、ありがとう」
後ろから耕一お兄ちゃんが私の頭を撫でてくれた。
「優しいな、初音ちゃんは。俺の味方は初音ちゃんだけだよ」
あ、楓お姉ちゃんがじーっと見てます。
と。
「ごめんください」
玄関の方で声がした。ちょうどいいタイミング。
「あっ、はいっ!」
私は慌てて立ち上がると、玄関に走った。
玄関の戸をガラッと開けると、そこに見たことのないおじさんが立っていた。
そのおじさんは、戸を開けた私をじーっと見てる。うっ、ちょっと気味悪い。変なおじさんじゃないよね?
「……あ、あの、どちら様ですか?」
その瞬間だった。私の胸にかけていた、おじさんの形見のペンダントがぼうっと光ったのは。
「えっ?」
このペンダントが光ったのは、あの時以来初めて。ということは、このおじさんは……!
「……間違いない」
おじさんは呟くと、慌てて逃げようとした私にがばっと頭を下げた。
「お捜しいたしましたぞ、リネット様」
「え? ええっ!?」
私は、思わず声を上げてた。
だって、リネットって……。
「初音ちゃん、どうした?」
「なんだ、どうした初音っ!?」
奧からだだっと、耕一お兄ちゃんと梓お姉ちゃんが走ってきてくれた。
おじさんは梓お姉ちゃんを見て、もう一度頭を下げる。
「これはこれは! アズエル様も、御健勝そうでなによりでございます」
「……は?」
お姉ちゃんはきょとんとしてる。
「……なんだよ、あず……って。おじさん、あんた誰?」
「お兄ちゃん!」
私は、耕一お兄ちゃんにかけよると、ぎゅっとしがみついた。そして、小声で囁く。
「お兄ちゃん、この人……」
「……ああ、どうやら、そうらしいな」
お兄ちゃんも頷くと、私をさりげなく背中にかばってくれた。
そこに千鶴お姉ちゃんがやって来た。
「どうしたの、みんな? お客様?」
「おお、リズエル様!」
おじさんは、今度は千鶴お姉ちゃんに頭を下げて……さっきから頭下げてばっかり。
「りず……える?」
小首を傾げる千鶴お姉ちゃん。
と、不意に静かな声が後ろから聞こえた。
「梓姉さんと、千鶴姉さんは、転生前のことはそれほど覚えてるわけじゃないわ。だから、その名で呼んでも無駄よ、ムカエリ」
「おおっ、エディフィル様! ……え? 今、なんと?」
「ちょっと楓、どういうことなんだよ? 何か知ってるのか?」
おじさんと梓お姉ちゃんに同時に聞かれて、楓お姉ちゃんは静かに答えた。
「玄関先で話すことじゃないから」
訂正。……楓お姉ちゃんの返事は、答えになってなかった。
でも、千鶴お姉ちゃんはこくりと頷いた。
「そ、それもそうね。ええっと、あなた、むか……?」
「まさか、リズエル様! 私のこともお忘れなのですか!?」
「……?」
きょとんとしている千鶴お姉ちゃんに、おじさんはショックを受けたみたい。思わずよろよろと後ずさってる。
でも、私もこの人のことは知らないんだけどな……。
「……なんだよ、それじゃあたし達はそのなんとかって奴の転生だって? おまけにそいつらは宇宙人だぁ? なんなんだよ、そりゃ!?」
楓お姉ちゃんの長い話を聞き終わると、梓お姉ちゃんはいらだたしげに頭を掻きむしった。
「そんなこと、はいそうですか、なんて信じられるかよっ!」
「大丈夫ですっ! 私は梓先輩が人間でなくても、どこまでも付いていきますっ!」
「うわっ! かおり、てめぇいつの間にっ!」
……私も、かおりさんがいたのに気付かなかったな。
千鶴お姉ちゃんは、ため息を付いた。
「楓、そこまで思い出していたのね……」
そして、楓お姉ちゃんをきゅっと抱きしめる。
「辛かったでしょうね……」
「……みんながいてくれたから」
楓お姉ちゃんはふるふると首を振った。
「ううっ、皆様、ご苦労されたのですなぁ」
おじさんもハンカチで涙を絞ってた。そして、がばと顔を上げる。
「しかし、このムカエリがお迎えに参ったからにはもう安心でございますっ!」
「かおりっ、離せよっ、このっ!」
「あ〜ん、梓せんぱぁい」
……緊張感、ないです。
私は思い切って声をかけた。
「あ、あの……」
「はいっ、何でございましょう、リネット様っ」
ううっ、なんか話しにくいなぁ。
「その、どうして、今頃になって……?」
「はい。ヨークが行方を絶って以来、我々は銀河を探し回りました。しかし、皆様の行方はようとして知れず、我々も諦めかけていました。しかしっ! ついに我々はヨークの救難信号を捉えることに成功したのですっ!」
がっと拳を振り上げるおじさん。と、急にがくっとうなだれる。
「しかし、我々がこの星にたどり着いた、まさにその時、その救難信号が途絶えたのです。その後の我々の必死の捜索で、ようやくヨークは発見しましたが、残念ながら既に息絶えておりました」
「息絶えたって、宇宙船が、ですか?」
聞き返す千鶴お姉ちゃん。楓お姉ちゃんが横から言う。
「ヨークは生きている宇宙船だから」
「そういうものなの?」
こくりと頷く楓お姉ちゃん。
おじさんが「よろしいですかな?」と聞いて、話を続けた。
「しかし、そのヨークに残された記録によって、我々はリネット様がまだ生きていらっしゃることを知りました。しかも、この地にて転生なさっていらっしゃると」
私はお兄ちゃんと顔を見合わせた。
……記録って、あの時の、だよね、きっと……。
「……大体の話は分かりました」
千鶴お姉ちゃんが静かに言った。そして、まだ何か言いたげな梓お姉ちゃんを視線で黙らせてから、ムカエリさんに聞き返す。
「それで、あなたは私たちにどうしろと? 迎えに来た、と言いましたね?」
「はい。我々はあなた方に、我等が星にお戻りいただいて……」
「嫌だね。あたしはれっきとした地球人だ」
かおりさんを腰のあたりにぶら下げたまま、梓お姉ちゃんが言う。
「そんな、わけのわからん話に付き合ってどっかに行くなんてごめんだね」
「私も……」
楓お姉ちゃんも静かに頷いた。
おじさんが私を見たので、私はお兄ちゃんの服の裾をぎゅっと握って、勇気を出して答えたの。
「ごめんなさい。私も、行きたくないです」
おじさんは驚いたように私たちを順番に見て、それから、目を閉じてなにか考えてる千鶴お姉ちゃんに訊ねた。
「リズエル様っ、まさかあなたまで……」
お姉ちゃんは、ゆっくりと目を開くと、きっぱりと言い切った。
「お断りします」
「……」
おじさんは、がっくりと肩を落とした。
「わかりました。確かにこの星に愛着があるのも理解できます。やむを得ませんな」
……ちょっと意外。腕ずくでも連れて行かれるのかと思ってた。
「では、我々がこの星に来る事にします」
一拍置いて、全員(かおりさんと楓お姉ちゃんを除く)が大声を上げた。
「ええーっ!?」
「それでは、明日、同じ時間に、お返事を伺いに参ります」
一礼して、おじさんは帰っていった。
それを見送ってから、私たちは慌てて応接間に戻ると、いつものようにちゃぶ台を囲んで話し合おうと……。
ぐーっ
「……腹減ったな」
私たちは、話し合う前に、夕ご飯にすることにしたのでした。
トントントントント……
リズミカルなまな板の音がふと止まった。
「……なぁ、初音」
「え?」
お芋を洗いながら、私は隣の梓お姉ちゃんに視線を向ける。
梓お姉ちゃんは、包丁を片手にしたまま、私を見た。
「あたし、全然知らなかった。……いや、全然、じゃないんだけど……」
そう呟いて、手元に視線を落とすと、再び大根を刻み始める。
「……あたし達一族に呪われた力があるってのは知ってた。それが鬼の力だってのも……。でも、その鬼ってのが実は異星人で、あたし達がその皇女の生まれ変わりだなんて……」
ダムッ
包丁が、大根を真っ二つにしてまな板にめり込むのを見て、私は梓お姉ちゃんの腕に触れた。
「梓お姉ちゃん……」
「……ああ、ごめん」
梓お姉ちゃんは、苦笑してまな板から包丁を抜くと、わざとらしく大きなため息をついた。
「あーあ、まな板駄目にしちまったなぁ」
「……うん」
「とにかく、早いとこ飯作らないと、亀姉や耕一がぶつぶつ言い出すだろうからな」
「私は、梓先輩の作ってくれるご飯ならっ!」
「わぁっ、かおりっ! お前まだいたのかっ!!」
「あ、それとも、梓先輩自身でもいいですよっ!」
「なにがだぁっ!!」
梓お姉ちゃん、ああ見えてすぐに深刻に悩み出しちゃうからな〜。
私は、とりあえずこの場はかおりさんに感謝しながら、夕ご飯を作ることにした。
「わっ、初音っ! 落ち着いてないで助けろっ!!」
ようやく梓お姉ちゃんがかおりさんを追い返してから、みんなで夕ご飯を食べることにした。
私や千鶴お姉ちゃんは、もう遅いから、かおりさんも夕ご飯一緒に食べて行った方がいいんじゃ、と思ったけど、梓お姉ちゃんが断固反対したので、かおりさんは泣きながら帰っていった。……多分嘘泣きだけど。
それはさておき、夕ご飯を食べながら、耕一お兄ちゃんが言った。
「あいつらがここに来るってことは、要するに“鬼”が大量に地球にやって来る、ってことなんだろ?」
「……ええ」
千鶴お姉ちゃんが暗い顔で頷く。
こと、とお箸を置くと、楓お姉ちゃんが呟いた。
「そうなると、あの時どころじゃない騒ぎになる……」
お姉ちゃんが「あの時」って言ってるのは1年前のことか、それとも最初の時のことかは判らなかったけど。でも、どっちにしても、それよりひどいことになるのは間違いないと思う。
「でも、それじゃ耕一は、あたし達があいつにくっついて、その星とやらに行けばいいって思ってるのかよ?」
「そんなわけないだろ?」
くってかかった梓お姉ちゃんを、耕一お兄ちゃんはかるくいなして、真面目な顔で言った。
「どっちも呑めないな」
「……そうね」
千鶴お姉ちゃんは頷いた。
「前世がどうあれ、今の私たちは、ここで生まれ、ここで生きていく……他の誰にも、それを邪魔する権利はないわ」
「お、耕一も千鶴姉も、たまにはいいこと言うじゃん」
「たまに、は余計よ」
千鶴お姉ちゃんは笑うと、ぽんと手を打った。
「そうそう。たしか西瓜があったわよね?」
「ああ、そうくると思って冷やしてあるぜ」
梓お姉ちゃんはそう言うと立ち上がった。
「んじゃ、ちょっと待ってな。切ってくるから」
しばらくして、梓お姉ちゃんが切った西瓜を皿に乗せて戻ってくると、みんなでそれを食べた。
とっても甘くて美味しかった……。
次の日の朝。
食卓にお兄ちゃんの姿は無かった。
「……耕一お兄ちゃんは? まだ寝てるのかな?」
「んにゃ、起こしに行ったらもういなかった」
ずずーーっと味噌汁をすすりながら、梓お姉ちゃん。それから、トン、とお椀を置くと、千鶴お姉ちゃんに言う。
「千鶴姉、あたし、今日ちょっと遅くなるから。ほら、陸上部の集まりがあってさ。あいつが来る頃には帰るから……」
「あら、困ったわね。私もちょっと遅くなりそうなのよ。ほら、足立さんに書類の決裁頼まれたのがたまってて……」
「私も、ちょっと……」
楓お姉ちゃんもそう言うと、立ち上がった。
「あら、楓も? それじゃ仕方ないわね。初音、私たちが戻るまで、留守番お願いできるかしら?」
「うん、いいけど……」
私はその時、何故かお姉ちゃん達が視線を合わせようとしないのが、少し不思議だった。
教室に入ると、わっと由香ちゃん達に取り囲まれてしまった。
「ふっふっふー。昨日はごちそうさまでした〜」
「いやぁ、堪能させていただきました」
「も、もうっ、みんなやめてようっ」
「おにいちゃーん、だもんね」
「でも、思ってたより結構いけてるじゃない、あの人」
「そうだね〜、なんか頼りがいありそうでさ」
「理奈ってば、ああいう人タイプだったりするの?」
「だめよ、理奈。ほら、初音が睨んでるわよ〜」
どっと笑うみんな。
……もし、あの人達が来れば、大切なお友達も……。
その瞬間、私には見えたような気がした。
みんなの顔が、遙か昔の光景にだぶって見えて……。
「……初音、どうしたの? やだ、何も泣かなくても……」
「ごめん、からかいすぎた……」
「うっ、えぐっ……ち、ちが……」
「あ〜、ほらほら、とりあえず鞄置いて、ね?」
由香ちゃんに肩を抱かれるようにして席についても、しばらく涙は止まらなかった。
ホームルームが終わって、私は鞄を掴んで立ち上がった。
由香ちゃんがやってくると、私の顔を覗き込む。
「初音、今朝はごめんね」
「あ、ううん、もういいんだってば」
よっぽど私が泣き出したのが意外だったのか、あれから由香ちゃん達、休み時間ごとに謝りに来てくれて、私はかえって辛かった。
まさか、泣き出した本当の理由を言うわけにもいかないし。
「それで、お詫び代わりに、帰りにヤックに寄っていこうかって思ってるんだけど……」
「……ごめん、今日はちょっと用事あるから」
そう言ってから、慌てて付け加える。
「ホントに今日は用事があるんだよ」
「そっかぁ。それじゃ明日は?」
明日……。
私はこくりと頷いた。由香ちゃんはぽんと手を打った。
「よしっ、それじゃ明日の放課後はヤックねっ! 決まりっ」
「う、うん……」
「じゃね〜」
ぱたぱたと走っていく由香ちゃんの背中を見て、ちょっと悲しくなったけど。
私は立ち上がった。
耕一お兄ちゃんも、千鶴お姉ちゃん、梓お姉ちゃん、楓お姉ちゃん、そして由香ちゃん達も、みんなとっても大切だから。
夕方、赤い光が辺りを包む中、柏木家の玄関の前で、私は待っていた。
門が開いて、昨日のおじさんが入ってくる。
私はそっちに駆け寄っていった。
「あっ、あのっ!」
「おお、リネット様。わざわざお出迎え頂けるとは恐悦至極……。しかし、この星は暑いですなぁ」
ハンカチで汗を拭いながら苦笑するおじさん。
私は思いきって言った。
「私、あなたと一緒に行きます」
「おお、決心してくださいましたか!」
嬉しそうな顔をするおじさんに、私は頭を下げた。
「ですからっ、お姉ちゃん達は連れて行かないでくださいっ!」
「……ほう。つまり、リネット様はご自分が行かれるかわりに、他の皇女殿下はここに留まらせて欲しいと、そう言うわけですな」
「……はい」
こくりと頷く私に、おじさんは苦笑した。
「困りましたな」
「……だめ、ですか?」
「いや、そうではなく……」
おじさんは門を指した。私はそっちを見て、目を丸くした。
そこに並んで立っていたのは……。
「千鶴お姉ちゃん、梓お姉ちゃん、楓お姉ちゃん……」
帰ってこないとは思ったけど……、まさか……。
「リズエル様は駅前で、アズエル様はそこの道で、エディフィル様は門の前でお逢いしましてね」
おじさんは肩をすくめた。
「しかし、皆さん同じ事を言われますなぁ」
「え?」
私たちは顔を見合わせた。
「まさか、みんなも?」
「……まいったな、こりゃ」
千鶴お姉ちゃんの呟きに、梓お姉ちゃんが頭を掻いて苦笑した。
おじさんも苦笑する。
「それより驚いたのは、彼ですけどね」
「彼?」
その瞬間、私ははっとした。
「まさか、耕一お兄ちゃん!?」
「ええ。今朝、どうやって見つけたのか、我々の乗ってきた宇宙船に一人で乗り込んでいらっしゃいましたよ」
「てめっ、耕一に何かしたのか?」
梓お姉ちゃんがおじさんの襟首を掴んで持ち上げた。ううん、持ち上げようとしたけど、おじさんの身体は持ち上がらなかった。
「くっ、お、重い……」
「まぁアズエル様、落ち着かれてくださいよ。むしろ、我々の方がひどい目にあったんですからねぇ」
「なんだって? ええい、耕一はどうしたんだよっ!」
「こちらとしても遺憾ではありますが、自衛のためやむなく……」
そう言いかけたとき、不意に気温が下がったような気がした。
千鶴お姉ちゃんが、おじさんを睨んでいた。
「耕一さんを、どうしたのですか?」
静かに訊ねる千鶴お姉ちゃん。でも、その目は……とっても怖かった。
おじさんも、そのおじさんを掴んでる梓お姉ちゃんも、身動き取れなくなっているみたいだった。梓お姉ちゃんが、ようよう声を絞り出す。
「ち、千鶴姉……。だから、あたしにまで、それを向けるなって……」
「だ、大丈夫です。命には別状ありません。今は我々の宇宙船で休んでおられます。動いても差し支えないほどに回復されたら、すぐにお帰りいただきます」
おじさんが、やっとのことで答えた。
「そう……。でも、もし耕一さんにもしものことがあったら……」
千鶴お姉ちゃんは静かに、あくまでも静かに言った。
「……あなたを殺します」
「……わかりました、リズエル様」
おじさんは梓お姉ちゃんごと平身低頭した。それから顔を上げる。
「彼はこう言いましたよ。あなた方のことは諦めて自分の星に帰れ、と。それからこうも言ってました。あなた方の幸せの為なら自分は鬼にもなれる、と」
「……」
楓お姉ちゃんが、すごく複雑な表情をしたのが見えた。それは、一言では言い表せない表情だった。
千鶴お姉ちゃんが、ふっとおじさん(と梓お姉ちゃん)に向けていた気を解いた。そして訊ねる。
「それで、あなた方は、どうなさるおつもりですか?」
「……私はこう、報告することにしました。ヨークの残骸は発見せしも、追加調査の結果、搭乗員は皇女様を含め、全員死亡を確認、とね」
「えっ?」
「では、幾久しくお健やかに」
おじさんはもう一度頭を下げた。それから、ふと、顔を上げて訊ねる。
「あの若者、我らの血が?」
「……はい」
なぜか、ぽっと赤くなって答える楓お姉ちゃん。
「……なるほど。では、失礼します」
おじさんは深々と頭を下げた。
びゅぅぅーーっ
急にすごい風が吹いた。思わず閉じていた目を開けると、もうおじさんの姿はなかった。
その代わり……。
「……あ、あれ?」
そこには、目をまるくして辺りを見回している耕一お兄ちゃんがいた。
「こ……」
ドンッ
「耕一お兄ちゃんっ!!」
私は無我夢中で、耕一お兄ちゃんに飛びついていた。耕一お兄ちゃんは、ちょっと驚いた顔をして、それでも私をしっかりと受け止めてくれた。
「初音ちゃん……」
「うっ、うわぁぁぁん」
なんだか、色々言いたいことが多すぎて、胸の中からそれがあふれ出して、気が付いたら私は、大きな声で泣きじゃくってた。
お兄ちゃんは、そんな私をきゅっと抱きしめてくれた。
「……耕一」
「耕一さん」
梓お姉ちゃんと楓お姉ちゃんの声に、耕一お兄ちゃんは私を右腕で抱きしめたまま、左手を上げて「よう」と返事した。
「な、なにが、よう、だよ。この馬鹿」
ぐすっと鼻をすすり上げながら、わざと乱暴な口調で言う梓お姉ちゃん。
黙ったまま、でも多分微笑んでる楓お姉ちゃん。
そして……。
「初音、ひどいわ。しくしく」
私が耕一お兄ちゃんに抱きついたとき、その弾みに跳ね飛ばされた千鶴お姉ちゃんは、すっかり拗ねてアスファルトにのの字を書いていた。
その夜。
梓お姉ちゃんが腕を振るった夕ご飯を食べ終わってから、私は縁側に腰掛けて涼んでいた。
と、不意に後ろから声をかけられた。
「よう、初音ちゃん」
「あっ」
振り返ると、耕一お兄ちゃんが笑っていた。
私は、しがみついてわんわん泣いたことを思い出して、恥ずかしくなって目をそらした。
「えっと、私、その……」
「……まぁ、何事もなくてよかったよな」
「……う、うん」
私は頷いた。
お兄ちゃんは私の隣りに腰を下ろした。
「……お兄ちゃん、あのね……」
「うん?」
「……大好き、だよ」
お兄ちゃんは微笑んだ。
「俺もだよ」
その時、流れ星が空に駆け上がっていくのが見えた。
「あっ、流れ星……」
「……ああ」
二人とも、それが本当は何なのか判ってた。でも、それを口には出さないで、流れ星が見えなくなるまで、黙ってそれを見送っていた。
隆山に、また夏が来た……。
私は、一つ歳を取って、少しだけ大人になった、と思う。
あとがき
夏コミで、JO-HTBさんの同人誌「sunshine」に掲載していただいたSSをそのまま転載させていただきました。快く転載を許可していただいたJO-HTBさんには感謝します。
ちなみに、タイトルのみ多少変更しています。
あの雨の中、買いに来てくれた人が幸せになれますように。
なお、夏コミ前に予告編をHPに掲載しておりました。一応、こちらに転載しておきます。
宇宙(そら)に帰る流れ星 00/7/5 Up 01/7/21 Update