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はぁはぁはぁ
《続く》
荒い息をなんとか納めようとしながら、僕は目の前にある部室棟を見上げた。
このどこかに、春歌が……。
「あにぃ、ここは?」
「ああ、部室棟っていって、運動部の部室が集まってるところで……って、衛っ!?」
「うん? どうしたの、あにぃ?」
僕の隣で、腰に手を当てて部室棟を見上げていた衛が、僕に視線を向けた。
「なんで……」
「でも、あにぃもやっぱり足が速いんだねゥ だって、ほら。他のみんなはまだ来てないんだよ」
そう言って振り返る衛。
つられて振り返ると、四葉と咲耶がこっちに向かって走ってきているのが見えた。
……みんな、僕の言うことは聞いてくれないわけね。
思わずしゃがみ込んで、地面にのの字を書いていると、先に追いついてきた四葉が、屈み込んで僕の顔を覗き込む。
「兄チャマ、どうしたデスか?」
「……いや」
うむ、落ち込んでる場合じゃなかった。早く春歌を見つけ出さないと……。
と。
「あらっ、兄君さま? それに、咲耶さん、衛さん、四葉さんまで……」
不意に声が聞こえた。
顔を上げると、春歌がそこに立っていた。いつもの和服ではなく、弓道着っていうんだろうか、紺の袴に白い上衣と黒い胸当てを付けた格好だった。
「春歌……? あ、あれ?」
僕が戸惑っていると、春歌はぽっと頬を染めて俯いた。
「やはり兄君さま、春歌のことを想ってくださっていらっしゃるのですね」
……話が全然見えない。
と、今まで深呼吸して息を整えていた咲耶が、ずいっと割り込んだ。
「春歌ちゃん、一体何がどうしたのか、説明してくれないかしら?」
「あ、はい……。それがですね……」
春歌が話し始めようとしたところで、部室棟からぞろぞろと、春歌と同じように弓道着を着た女の子が出てきた。
その中の一人が、僕たちに近寄ってくると、一礼して訊ねた。
「失礼ですが、春歌さんのお身内の方々とお見受けしますが?」
「あ、はい。僕は兄の俊一です」
思わずこちらも丁寧に返事をする。
彼女は頷いた。
「やはりそうでしたか。あ、申し遅れました。私は白並木学園の弓道部長を勤めております、坂代と申します」
「あ、これはご丁寧に……」
……ちょっと待て。弓道部の部長ってことは、春歌を弓道部に入れないって言った張本人じゃないのか?
それに気付いて、僕は彼女に尋ねようとした。
「あ、あの……」
だけど、彼女は「失礼」と軽く頭を下げて僕の質問をかわすと、春歌に言った。
「春歌さん、お話の途中で申し訳ありませんが、道場へ」
「あっ、はい」
頷くと、春歌は僕に囁いた。
「御安心を。兄君さまの名を辱めるような真似は、わたくし、絶対にいたしませんからゥ」
「えっ?」
聞き返そうとしたときには、もう春歌は、先に歩き出した部長さんの後について歩き出していた。ちなみにそのほかの女の子達はとっくに先に行ってしまっている。
僕は春歌を追いかけようとして、はたと気付いた。
「あ、そういえば……」
可憐や鞠絵達は、後からここに来るはずだったのだ。
さて、どうしようか。やっぱり、ここは……。
「……咲耶、お願いがあるんだけど……」
「心得てますわ、お兄様。可憐ちゃん達が来たら、弓道場まで案内すればいいのね」
にっこり笑うと、咲耶はそっと顔を近づけて、囁いた。
「あとで、この分の埋め合わせ、期待してるからゥ」
「……心得てます」
咲耶の真似をして言うと、咲耶はもう一度笑って、素早く僕の頬にキスをして、踵を返した。
「じゃ、お兄様。後でねゥ」
ぱちん、とウィンクして、校門に向かって歩いていく咲耶。
僕は咲耶の後ろ姿を目で見送ってから、春歌達を追いかけようとして、振り返る。
「どうしたんだ、衛、四葉?」
「……うーん。ボクもわかんない……。でも、なんか……あーーっ、もうっ!」
衛は頭をくしゃっとかきむしると、僕のところまで駆け寄ってきた。そして、右腕にしがみつく。
「ごめん、あにぃ。でも、ちょっとだけこうしててもいいでしょ?」
そう言って、僕の腕を自分の胸に抱え込む衛。
うぉ、ちょうど二の腕辺りになんか柔らかな感触がっ!
と、左腕にもぐいっと重みがかかった。そっちを見ると、四葉が笑顔でぶら下がっていた。
「兄チャマ、チェキ!」
……なにがチェキなのだかよく判らないけど、でも左腕にも柔らかな感触が……。
はう、いかん。このままじゃ春歌達を見失ってしまうっ!
まぁ、行き先は弓道場以外にはないだろうけど、見失ってる間に何かあっても困る。
「ちょっと衛、四葉、離れて離れて。ほら、春歌を追いかけないと」
「あ、そうだね。ごめん、あにぃ」
頷いて素直に離れると、衛は照れたような笑いを浮かべた。
「えへへっ。もうボクは大丈夫」
「四葉もデス!」
こっちもぴょんと離れると、四葉はびしっと、離れていく春歌達を指した。
「さぁ、兄チャマ! レッツ・チェキデス!!」
……まぁ、そうなんだけどさ。
僕は苦笑して、駆け足で春歌達を追いかけた。
弓道場の入り口まで来たところで、僕は足を止めた。
なぜなら、そこで僕を待っていたように、部長さんがもたれていた壁から身体を起こしたから。
「あの……」
「皆様にも、事情を説明した方がいいのでは、と思いましたので。先ほどお話ししましたら、春歌さんの方も誤解していらっしゃったようですし……」
そう言うと、部長さんは真っ直ぐに僕に視線を向けた。
その瞬間。
まるで、視線に貫かれたような気がした。
息が詰まる。
呼吸が出来ない。
な、なんで、いきもできなく……。
「あにぃに何するんだよっ」
衛が声を上げながら、僕の前に立った。そして、部長さんを睨み付ける。
「……いい目をしてらっしゃいますね」
部長さんは、にこっと微笑んで、衛に言った。それから僕に視線を移す。
「春歌さんに誤解を招くような発言をしたことは、私も申し訳ないと思っています」
「誤解って、ドイツから来たから入部出来ないって春歌に言ったことですか?」
「ええ」
彼女は頷いた。それから、苦笑した。
「ただ、私としてはそういうつもりで言ったわけじゃなかったのですが」
「……それじゃ、どういう?」
「弓道部は、……いえ、うちに限らず、運動部系の部活はみなそうだと思いますが、4月に新入部員が入部してくることを前提として、練習のスケジュールを組んでいます」
「……そうなの、衛?」
僕は隣にいる衛に訊ねてみた。衛はこくりと頷いた。
「それは、うん、そうだよ、あにぃ。ボクんとこだって、確かに覚えることは弓道部に比べれば少ないけど、それでも色々と教えなくちゃいけないからね」
「そちらは……?」
「あ、僕の妹で衛。若草学園の陸上部にいるんだ」
頭にぽんと手を載せて紹介すると、照れたように笑う衛。
「えへへ」
「なるほど、道理で……。あ、すみません。やはり、常日頃から運動をしている人には、そういう感じがありますもので」
納得したように頷くと、部長さんは話を戻した。
「弓道部の場合、特にここに新しくいらっしゃる方は、今まで弓なんて触ったこともない、という方が多いのです。そして、弓道は武道の中でも特に“型”を重んじるものですから」
「なるほど、教育に時間をかける必要がある、と」
「ええ。ですから、お恥ずかしい話ですが、途中から入って来られても、充分にその方に教えられる余力がないのが実情なので、基本的に弓道部は途中入部はお断りしてるんです」
そこで言葉を切ると、部長さんは困ったように俯いた。
「それに、……うちの学校は、帰国子女の受け入れに積極的じゃないですか。それは結構なことだと思いますが……。帰国子女の方々は、物珍しさからか、武道系の部活に入ろうとする傾向があるんです。それで、今までにも色々とトラブルが起こっているんです」
「なるほど……。それはお気の毒というか……」
それで、ドイツ帰りの春歌も断られたってわけなのか。
「ただ、春歌さんの場合、初心者にしては熱心でしたので、後で他の方々にお聞きしたところ、実はドイツで弓道を学んでおられたとか。それで、一度手の内を見せていただきたいと思ったわけです」
「手の内? 春歌になにか秘密でもあるっていうんですか?」
「あ、御免なさい。弓道用語ですね。手の内っていうのは、弓を持つ形のことなんです」
部長さんは苦笑した。
「元々、手の内っていうのは弓道から来た言葉なんですよ、兄上さま」
後ろから柔らかい声がした。振り返ると、鞠絵と可憐、亞里亞を連れて、咲耶がやってきたところだった。
「お待たせ、お兄ちゃん。話は、咲耶ちゃんから聞いたよ」
可憐がにっこり笑って言う。
僕は頷いて、振り返った。
「それじゃ、今から春歌に試し打ちをさせてみるってことですか?」
「ええ。それで、それなりに手の内が出来ているようなら、むしろこちらからお願いします。残念ながら、それほどでもないようでしたら、4月までお待ちいただくということで」
「春歌にも、それは……?」
「ええ。誤解されていた件も含めて、ご本人にも納得していただきました」
そう言うと、部長さんは僕たちに尋ねた。
「皆さんも、ご覧になられますか?」
「是非!」
そう言ってから、僕ははたと気づいた。
他の妹たちはともかく、亞里亞は恐がりそうだなぁ。それでだだをこねたりしたら、春歌の立場が丸つぶれだし……。
その時、僕をじっと見ていた可憐が口を挟んだ。
「あ、お兄ちゃん。可憐、ちょっとお菓子買いに行かなくちゃ」
「えっ、お菓子?」
その言葉に反応する亞里亞に、可憐は笑って頷いた。
「うん。あ、亞里亞ちゃんも行く?」
「……兄や、亞里亞、行ってもいいの?」
「ああ、構わないよ」
頷いて、僕は可憐の耳元に口を寄せた。
「ありがとう、可憐」
「ううん、お兄ちゃんゥ」
にっこり笑って、可憐は亞里亞の手を取った。
「それじゃ、行こう、亞里亞ちゃん」
「うんっ」
嬉しそうに可憐の後に続く亞里亞。
僕はそれを見送って、向き直った。
「それじゃ僕たちは……」
「可憐ちゃん、存在感無いわりにはやるわね」
「兄上様の好感度、1アップですわね」
「……咲耶、鞠絵?」
「あっ、なんでもないのよ、お兄様ゥ」
「そ、そうですわ、兄上様。さぁ、参りましょう」
そそくさと弓道場に入っていく2人。
僕は苦笑して、その後に続いた。
部長さんに教えられた通り、板張りの壁際のところに座る。
ぴたっと正座する僕たちを見て、部長さんは苦笑して言った。
「皆さんは、足は崩されても結構ですよ。別に私語も構いませんし」
「そうなんですか? いや、足はともかく、後ろでゴチャゴチャしゃべったりしたら……」
「それくらいで集中を乱されるようでは、お話になりませんから」
なるほど。厳しいんだなぁ。
そう思って、的の方を見る。
芝生の向こうに小さく的が見える。
随分遠くに見えるんだけど、どれくらいの距離があるんだろう?
そう思っていると、部長さんが説明してくれた。
「的までの距離は28メートルです。ちなみに、的の大きさは36センチです」
「そうなんですか。で、真ん中に当たれば10点とかそういう話なんですよね、確か」
鞠絵が苦笑して口を挟む。
「兄上様、それは洋弓競技ですよ」
「あ、そうなの?」
「厳密には、弓道でも得点を計る競技がありますけど、普通は中りと外れしかありません。そもそも、本当に見るのは、正しい動きをしているか、なんですよ。中るか外れるかは、その動作の結果に過ぎない、というのが弓道の考え方ですから」
部長さんがそう言ったとき、春歌が入ってきた。
お、雰囲気からして、いつもの春歌とは違うなぁ。
軽く一礼してから、中央に進み出ると、春歌は右手に矢を、左手に弓を持って、的とは直角の方を向いて立った。
「的の方を向かないデスか?」
「弓はそうなんだよ」
「なるほどデス」
四葉が頷く間に、まず的の方に視線を向けて、足を左右に開く。
部長さんは、一つ頷いた。
「綺麗な胴造りですね……」
よくわかんないけど、部長さんの評価はいいようだった。
春歌は、弓と矢を目でチェックしてから、弓を起こすと、矢をつがえた。そして、再び的に視線を向けると、ゆっくりと弓を掲げるようにして、頭の上まで上げる。
それを見ていた部長さんが、腕を組んだ。
「斜面打起し……。ドイツということは、日置流の流れを汲んでいるのかしらね」
「それって、まずいんですか?」
思わず訊ねると、部長さんは我に返ったように僕を見て、それから笑顔で首を振った。
「いいえ。ただ、あまり使われない作法だから、ちょっとびっくりしただけ。私も話には聞いてたけど、実際に見たのは初めてだし」
「へぇ……」
そう言っている間にも、春歌はゆっくりと上げた弓と矢を降ろしはじめた。降ろしながら、弓を左に、矢を右に引いていく。
弦が、微かにキリキリと音を立てているのが聞こえたような気がした。
そして、ちょうど口のあたりの高さで止めると、そのままの姿勢で一瞬動きが止まったように見えた。
「……春歌」
思わず呟いたその瞬間。
ビシュゥン
微かな音を立てて、矢が放たれた。
思わずその矢を目で追う僕たちをよそに、部長さんはじっと春歌を見つめていた。
「……残心も綺麗ね」
「へ?」
「わぁっ! あにぃ、当たったよっ!」
衛の声に、的に視線を戻すと、春歌の放った矢が的の中央で揺れていた。
春歌は、と見ると、既に次の矢をつがえようとしていた。
二本の矢を打ち終わると、春歌は一礼してから、部長の前に正座した。
「いかがでしたでしょうか?」
「率直に言って、見事なものでした」
部長さんは頷いて、それから僕たちの隣に座ってみていた部員達に視線を向けた。
「春歌さんを部員として迎えることに、異義のある者は?」
「異議なし!」
部員達が全員揃って答えるのを見て、部長さんは静かに頷き、そして春歌に向き直った。
「春歌さん、色々とご迷惑をおかけしましたが、よろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ」
春歌も丁寧にお辞儀をしてから、僕に視線を向けて、嬉しそうに微笑んだ。
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あとがき
弓道のことを調べるのにやたら時間食いました(苦笑)
でも、やっぱりかなり適当です。
春歌編もそろそろ大詰め……のはず。
01/07/23 Up