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突然、9人の妹がいるんだって言われたら、どうする?
《続く》
僕が可憐に連れられてやって来たのは、歩いてほんの10分ほどの所にある家だった。
「ついたよ、お兄ちゃんゥ」
ここまでずっと、僕の腕をしっかりと抱え込んだままの可憐が、そう言って僕の顔を覗き込む。
う。可愛い顔がどアップで僕の目の前に。なんていうか……照れる。
「ここ?」
僕は、可憐から視線を逸らして、その家を見上げた。
どうということもない、ごくふつうの家だ。
僕のアパートからもそんなに遠くないし、今までにこの前の道だって通ったことがある。だから、ここに家があるってことくらいはわかっていたけど、まさかここに僕の妹が住んでいたなんて……。
でも、そうなると、その妹達とも、それとは気づかなかっただけで、実は何度も逢ってるんじゃないのかなぁ……。
「……どうしたの、お兄ちゃん?」
そんなことを考えていると、可憐が小首を傾げながら僕の顔をのぞき込んできた。
「あ、いや……。その9人の妹が、みんなここに住んでいるのかい?」
「ううん、ここは可憐のお家なの。今日は私がお当番だから」
「……お当番?」
「うん。可憐たち、時々こうして集まるんだけど、普段はバラバラに住んでるのよ」
と、不意に目の前の家のドアが開いた。そして、中から一人の少女が出てきた。
わ、綺麗な娘だな。
多分、僕よりは年下だと思うんだけど、可憐よりは年上に見える。可憐が『可愛い』なら、この娘は『綺麗』という形容詞がピッタリくる。長い髪を左右に分けて縛ったその髪型といい、さりげなく左手首に付けた銀色のブレスレットといい、ちょっと大人っぽい感じがするな。
彼女は玄関先のポーチを優雅に歩み寄ってくると、僕の目の前までやってきた。そしてにっこり笑って軽く頭を下げる。
「お帰りなさい、お兄様ゥ」
その瞬間、僕の脳裏を何かが掠めた。とても懐かしい何か……。
それに突き動かされるように、僕の唇が呟いていた。
「……さくや……」
「……お兄様……」
その娘は、不意に瞳を潤ませたかと思うと、そのまま僕の胸にしがみついてきた。
「お兄様ぁっ! やっぱり私のことはちゃんと覚えていてくれたのねゥ やっぱり私とお兄様の愛には何も勝てるものなどないってことよねっゥ」
「え、えっと……」
僕が戸惑っていると、可憐がおそるおそるという感じで声をかけた。
「あ、あの、咲耶ちゃん……。お兄ちゃんは可憐やみんなのこと、覚えてないって……」
「ええ、千影ちゃんがそう言ってたわね」
僕の胸にしがみついたまま、あっさりと答える彼女。
「でも、お兄様は、私のことはちゃんと覚えていてくれたのよねゥ そうよ、やはり愛し合う二人ですものゥ」
「ちょ、ちょっと待って」
僕は慌てて、その少女の肩を掴んだ。
彼女はぽっと頬を染めて、僕を見上げる。
「きゃっ、やだお兄様ったら。でも、お兄様が求めるなら私はいつでも……」
「あー、うー、えーっと……」
うるうるした瞳で見つめられ、思わずどぎまぎしてしまう僕。
「そ、その……ごめんなさいっ」
思い切って頭を下げる。
「僕は君のこと、本当に知らないんだ」
「……えっ?」
一瞬きょとんとして、彼女は僕を見る。
「だって、お兄様……。たった今、私の名前を呼んでくれたじゃない……」
「それは……」
「お兄ちゃん、可憐の名前も呼んでくれたよ。それに千影ちゃんも。きっと、名前だけは覚えてるんだよ。そうだよね、お兄ちゃん?」
可憐が助け船を出してくれた。僕はこくこくと頷く。
「ああ、きっとそうなんだよ」
「……ひ、ひどいわお兄様っ」
そう一声上げるなり、彼女は顔を手のひらで覆ってその場にうずくまった。
「そんなこと言うなんてっ! あの、私と過ごした愛の日々、あれは遊びだったっていうのっ?」
「……可憐、僕そんなことしてたのかい?」
思わず可憐に訊ねる僕。
「……知らないっ。お兄ちゃんのバカっ」
何故か可憐もぷっと膨れてそっぽを向いてしまった。
正面には、うずくまってよよと泣き崩れている少女。隣には膨れてそっぽを向いている少女。
……どう見ても、二股掛けてたのがばれて修羅場になってる男って感じ?
お父さん、お母さん。僕は今、ドキドキするほど大ピンチです。
「えっと、咲耶、だったよね。と、とにかく、泣きやんで……。ねっ? ほら、僕は明るく笑ってる咲耶の方が好きなんだからっ」
何を言ってるのか後半判らなくなっていたけど、とにかくこの場を納めようと、僕はそう言いながら屈み込んだ。
と、不意にその僕の首に手が回された。
「捕まえたっゥ」
「えっ?」
咲耶が微笑みながら、僕の首に腕を回していたのだ。
その整った顔には涙のあとはない。
「ずぅーーーっと、お兄様と逢える日を楽しみにしてたんだもの。これくらいで落ち込んでる場合じゃないわ」
「へっ? で、でも僕は……」
「大丈夫よ。なにしろ、私とお兄様の間には、誰にも負けない愛があるんですものゥ」
「はぇ?」
「咲耶ちゃん、他のみんなも待ってるでしょう? そろそろ家に入ろうよ」
僕が目を白黒させていると、可憐が声を掛けてきた。……そこはかとなく声が怒ってるような気がするんですけどぉ。
「あは、そうね」
あっさりと僕の首を解放して立ち上がる咲耶。
「他のみんなは待ってないわよ」
「えっ? どうして?」
「誰かさんが、なかなかお兄様をお連れしてくれないから、もう帰っちゃったわよ。ほら」
そう言って時計を見せる咲耶。
「えっ? あ、もうこんな時間……」
「そ。鈴凛ちゃんや衛ちゃんは残ってお兄様に逢うって言ってたけど、一人を認めたらみんな残るって言うに決まってるし、雛子や鞠絵には門限があるからね」
「あ、そっか……。ごめんなさい、咲耶ちゃん。可憐、つい嬉しくってぐずぐずしちゃったから……」
なんか、また名前がいくつか出てきたけど……。その娘たちも僕の妹ってわけなのかな?
「で、私が可憐とお兄様に事情を説明するために残っていたってわけ」
「なるほど」
「というわけで……。可憐ちゃん、右手、上げてみて」
咲耶は、可憐に言った。
「えっ? こう?」
言われるままに右手を上げる可憐。
「そうそう、それくらい。はい、タッチ」
ぱん、と可憐の右手と自分の右手を打ち合わせると、咲耶は僕に視線を向けて悪戯っぽく笑った。
「それじゃお兄様、今から私を家まで送ってくださいな」
「へ?」
思わず素っ頓狂な声を上げる僕を横目に、可憐が慌てて僕と咲耶の間に割り込んでくる。
「咲耶ちゃん、ずるいっ」
「あら、可憐ちゃんにそんなこと言えるのかしらぁ?」
「あう……」
いままでずっと僕の側にいたという負い目があるので、強いことを言えない可憐は、僕に救いを求めるような視線を向ける。
「お兄ちゃぁん……」
いや、そう言われてもなぁ。
でも、咲耶の言うことももっとものような気がするし、それに可憐には悪いけど、咲耶とも話をしてみたい。
だけど、このままじゃ可憐も可哀想だしなぁ。うーん。
僕は考え込みながら、ほとんど無意識に可憐に手を伸ばして、その頭を撫でていた。
「……あっゥ」
「わっ! ご、ごめん……」
はっとそれに気付いて、僕は慌てて手を引いた。
可憐はぽーっと僕を見つめると、こくんと頷いた。
「ごめんね、お兄ちゃん。可憐がわがままでした」
「えっ?」
「それに……。ううん、なんでもない。それじゃ咲耶ちゃん、お兄ちゃんのこと、よろしくね」
「ええ、任せといて」
「お兄ちゃん……。また、……逢えるよね?」
じっと僕を見つめる可憐。僕は大きく頷いた。
「ああ」
「うん。それじゃ、またね」
頬を染めてにっこり笑うと、可憐はくるっと踵を返して、家の中に駆け込んでいった。
パタン、とドアが閉まる。
「……お兄様」
ぼーっとそのドアを見つめていると、咲耶がそっと身体をもたれ掛けさせてきた。
「ああ、間違いない。この感触。ずっと昔から変わらない。私のお兄様だわゥ」
「ええっと、咲耶?」
「はい、お兄様ゥ」
にっこり笑って僕に視線を向ける咲耶。
うっ、可愛い。いや、可憐とはまた違った、アダルトな可愛さっていうのが……って、何を考えてるんだ僕はっ!?
「どうしたの、お兄様?」
咲耶に尋ねられて、僕は慌てて首を振った。
「あっ、いや、なんでもないよ。それよりも、今度は君を送ればいいのかい?」
だけど、咲耶はむっとしたように僕から身体を離した。
「そんな、君、だなんて他人行儀な呼び方は嫌。昔みたいに愛を込めて、可愛い僕の咲耶、って呼んで」
「……ええっと」
「あは、冗談よ、お兄様」
笑う咲耶。僕もほっとして笑った。
「あはは、そうだよな、冗談だよな」
「ええ。……ちょっと本気だけど」
「……え?」
「なんでも、ないってば」
そう言って、僕の腕を抱え込む咲耶。うぉ、可憐のときはあまり意識しなかったけど、柔らかな感触が腕に伝わってくるっ! って、妹だろっ、妹っ!
「ほら、行きましょう。あ、でもこのまま2人で愛の旅路っていうのもいいかもゥ」
頬に指を当てて考え込む咲耶を、僕は慌てて引っ張った。
「ほら、早く行かないと日が暮れちゃうよ」
事実、既に太陽は西に沈もうとしていた。辺りを次第にオレンジ色の夕焼けが染めていく、そんな時間。
「あ、そうね」
こくりと頷いて、咲耶は歩き出した。僕の腕をしっかりと抱え込んだまま。
うわ、動くとさらに柔らかな感触がっ!
静まれっ、静まれ煩悩っ! 俺は今静かな湖面のごとき澄んだ心を持つのだっ!
「お兄様、どうかしたの? 顔が赤いみたいだけど」
「ええっと……。そ、それよりも、咲耶に聞きたいことがあるんだけど……」
とりあえず話を逸らそうと、僕は咲耶に話しかけた。
咲耶は嬉しそうに答えた。
「ええ、何でも聞いて、早く私のこと、ちゃんと思い出してよね。あ、でも、何でもっていったけど、体重とスリーサイズはヒ・ミ・ツゥ」
「いや、そういうことじゃなくて……」
「あ、でもお兄様がどうしてもって言うなら……。恥ずかしいけど、咲耶のヒミツ、教えてあ・げ・るゥ」
なんていうか、積極的な娘だなぁ。
どぎまぎしていたのを通り越して、呆れるのも通り越して、僕は苦笑していた。
「咲耶は相変わらずだなぁ……」
「えっ?」
「あ、あれ?」
咲耶が驚いた声を出して、僕も気付いた。
「お兄様、今……」
「ああ……。なんかそんな気がしたんだ。前から、咲耶ってこんな感じだったなぁって……」
「……良かった。ぐすっ」
不意に咲耶が涙ぐんだ。
「わっ、さ、咲耶っ?」
「ご、ごめんなさ……ぐすっ、うっ、うわぁ〜っ」
そのまま、僕の胸にすがりついて泣き出す咲耶。
ど、どうしよう?
一瞬うろたえた僕の目に、咲耶の震える肩が写った。
ああ、そうか。
その時、なんとなく理解した。
この娘、ずっと強がってたけど、やっぱり不安だったんだな、って。
僕は、その肩をそっと抱きしめた。
「大丈夫だよ、咲耶。僕はここにいるから」
「うん……。ぐすっ、で、でも……、もう少し、ぐすっ、このままで……」
「ああ、いいよ」
僕たちは、夕日が辺りを赤く染める中、ずっと2人だった。
辺りには夜のとばりが降りていた。
僕と咲耶は、夜の公園のベンチに並んで座っていた。街灯が辺りを照らし、噴水が水を噴き上げている。
「……やっぱり、お兄様って不思議ね」
ハンカチで涙を拭き終わると、咲耶はそのハンカチを握ったまま、呟いた。
「えっ?」
「だって……。私、この歳になってあんなに泣いたの、初めてだったんだから」
そう言うと、咲耶は僕を睨んだ。
「お兄様が悪いのよ。私をこんなにさせちゃうんだから」
「はは、ごめんよ咲耶」
「ううん。お兄様が帰ってきてくれただけで、私は嬉しいから」
咲耶はそっと僕にもたれかかった。
「……あったかい。お兄様ゥ」
「……」
僕は空を見上げた。頭上には、星がいくつも瞬いていた。
やっと家に帰ってくると、僕はいつもの習慣でパソコンを立ち上げていた。
それから椅子に座って、今日起こった出来事を思い返す。
9人の妹……か。
今日はそのうちの3人、可憐、千影、そして咲耶と再会した。……もっとも、千影は一瞬ここで顔を合わせただけだったけど。
残る6人はどんな娘なんだろう?
ピィフォッ
パソコンから、メールの着信を告げる音が聞こえて、僕は我に返った。
誰からだろう?
そのメールが、また新しい展開を告げるとは、その時の僕は知るよしもなかった……。
あとがき
感想メールでの、第1話の得点がおしなべて低かったので、こりゃ書くことないかな、と思ってたんですが、じつは間違って採点を5点満点にしてたのに後で気付いた私でした(笑)
そんなわけで2話は咲耶さん登場です。
さて、どこまで続きますか……。
とりあえずは感想待ちです。
PS
ハートマークなくして何がシスプリか、という意見を頂いたので、付けてみましたが……。フォントがないとハートに見えないのが難点です。
文中にゥというのがあったら、ハートマークのことだと思ってください(苦笑)
00/04/14 Up