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承前
《続く》
カチャ
ドアが開いて、志津香が食堂に戻ってきたのは、出ていってからきっかり30分後だった。
「……」
彼女は、もといた席に腰を下ろすと、深々とため息をついた。それから、かたずを飲んで見守る一同に向かって言うでもなく、ぽつりとつぶやいた。
「親娘揃って大迷惑ね……」
思わずうんうんと頷きかけて、かなみは聞き返した。
「志津香さん、どういうこと?」
「リセット・カラー、だっけ? ランスの娘……」
「うん」
メナドが頷いた。志津香は頬杖を付いたまま、言った。
「厄介なことになりそうね」
「だから、どういうことなのよ?」
じれたように、かなみが聞き返す。志津香はもの憂げに、テーブルの上で両手を組み、その上にあごを乗せると、言った。
「リセットの反応を追ってたら、魔の気配がしたわ。もしかしたら、連中が絡んでるのかもしれない」
「連中って、まさか……」
「ええ、そのまさかよ」
ランの言葉に答えると、志津香は手を解き、今度は頬杖をついた。
「魔人か、それに近い存在……」
「魔人!?」
一同は顔を見合わせた。それから、ランが訊ねる。
「でも、魔人って今残ってるの?」
魔人。それは、魔王に仕える、恐るべき力を秘めた魔の存在である。
魔王の血を受け継ぎ、それゆえに魔王と同じく不死の存在となった彼らを倒すことは、いかな剣士や魔法使いでも不可能である。彼等を倒すことができる武器は、ただ二つ。鬼畜王ランスが持つ魔剣カオスと、小川健太郎が持つ聖刀日光のみである。
「たしか、魔人って24人でしょ? それ以上には絶対に増えないって……」
マリアの言葉に、志津香は頷いた。
「ええ、そうよ。魔人は、魔王の血を受け継ぐ者。それゆえに、24体しかいない。魔王の血の量がそれで限界に達したから。そう言われてる……」
「魔人かぁ……。レキシントンとバークスハムはそもそもずっと昔に倒されたはずよね……」
かなみが頬杖をついて呟く。
マリアが指を折った。
「リーザス戦争のとき、魔王ジルを復活させようとしてたノスとアイゼルは、ランスが倒したのよね」
「一応ね」
思いきり嫌そうな顔で頷く志津香。
「そして、こないだの戦争で、ケイブリス、カミーラ、ケッセルリンク、レイ、メディウサ、レッド・アイ、ジーク、パイアール、信長の9人が倒れた。そして、ワーグはルドラサウムに夢を見せてる、と」
志津香の表情を無視して、マリアはさらに指を折った。そして呟く。
「残りは、10人」
「でも、バボラは魔物の世界とヘルマンとの国境で生き埋めになってるんでしょ? 確か、クリーム将軍が落とし穴作戦を思いついたんだよね」
メナドがぴっと指を立てた。かなみが言葉を継ぐ。
「それと、カイトは行方不明だけど、人間に対して敵意は持ってないそうよ。彼は、ミドリ病になった娘達を救おうと、自ら魔人になったって話だし」
そのミドリ病の治療法を(偶然とはいえ)見つけたのもランスなのだが、本筋とは関係ないので省く。
「するってぇと、あと8人だな」
ミリがワインを飲みながら数えた。
「それから、除外していいのが、まずホーネット達よね。ホーネット、シルキィ、サテラ、メガラスの4人」
「ああ、美樹さんを守って旅をしてるんでしょ?」
マリアの言葉に、ランが頷いた。
「それから、リーザス城の居候を続けてるサイゼルとハウゼル、そしてサクラ&パスタにいる食欲魔人ガルティアの3人も外していいんじゃない? 仲良し姉妹はお互いがいればそれでいいみたいだし、ガルティアはマルチナさんがいる限り人間を攻撃するなんてあり得ないしね」
かなみが言った。
最後に志津香が言う。
「そして、ますぞえはハニーの魔人だから、人間には興味ないでしょう。つまり、今現在、魔人で人間に関心があるようなのは、いないってことね」
「……それじゃ、誰なのよ? リセットちゃんにからんでるっていう、魔人に近い存在ってのは」
マリアは志津香に尋ねた。彼女は答えた。
「魔人に近い存在といえば、使徒ってことになるわね」
「使徒? なんでぇ、そりゃ?」
ミリが訊ねた。かなみが律儀に説明する。
「魔人の血を受け継いで、魔人に仕える者のことよ。主人たる魔人に対して絶対の忠誠を誓ってるはず」
「カミーラのラインコック、メディウサのアレフガルト、ケイブリスのケイブワン、ケイブニャン、ケッセルリンクのメイド達なんかがわりと知られてるけどね……。でも、魔人はともかく、使徒の詳しいことは、まだ判ってないんでしょ?」
マリアが志津香に尋ねた。
志津香は、それを無視して立ち上がった。そして呟く。
「……まったく、迷惑かけてくれるわね……」
「?」
「相手は、判ってるわ」
「えっ!?」
全員が、思わず声を上げた。
その頃……。
ゼス宮殿。ゼス王国の魔法文化と繁栄の象徴と呼ばれ、栄華を誇っているこの宮殿の事実上の支配者は、ゼス四天王の筆頭、山田千鶴子である。
もっとも、四天王のうち、ナギ・ス・ラガールはゼス陥落時に行方不明となり、パパイヤ・サーバーはリーザス魔法研究所の無料研究員、そしてマジック・ガンジーは学業ともう一つのことに忙しく、事実上千鶴子一人しか残っていない状況であった。
というわけで、千鶴子は多忙な日々を送っていた。この日も、朝からゼス王国からリーザス王国に納める税金の計算を続けていた。
と、不意にドアがノックされた。そして、緑のローブをまとった老人が顔を出す。
「千鶴子さま、失礼いたしますぞ」
「あら、カバッハーン。どうしたの? アニスがなにかした?」
老人は、カバッハーン・ザ・ライトニング。位置的に言えば千鶴子の指揮下にあるゼス王国魔法兵団の4人いた隊長の一人である。いた、というのは、リーザスとの戦争でそのうちの一人、サイアス・クラウンは戦死し、残る二人も戦いの混乱の中で行方知れずになったためである。
彼はまた、ホムンクルスの作成については並ぶ者のない権威としても知られている。その彼に、千鶴子はある頼みをしていたのだった。
「いえいえ、まだアニス殿は、再生中ですぞ。それよりも、悪い知らせでございます」
「何かしら?」
千鶴子は、ペンを持つ手を止めた。そして、眼鏡ごしにカバッハーンを見つめる。
彼は静かに告げた。
「魔路埜要塞が、何者かによって破壊されましたぞ」
「なんですって!?」
思わず、千鶴子は机に手をついて、立ち上がった。
魔路埜要塞。それは、ゼス王国と隣接する魔物の世界から押し寄せてくる魔物の侵入を防ぐために作られた、魔法の監視防衛システムである。とはいえ、魔人がランスによって駆逐され、魔物が組織だって攻撃してくる危険がなくなった以上、さほど重要なものとはみなされなくなっていた。だが、魔法で動いているこのシステムは、それまでと同様の監視と防衛を行っていた。
「で、どこの要塞が?」
「パリティラオンの先の要塞でございます」
カバッハーンは、ゼス宮殿の北西にある都市の名をあげた。
千鶴子は、今度ははっきり顔色を変えた。
「パリティラオン!? まずいわ。あそこには!」
「何か?」
訊ねるカバッハーンに、千鶴子は答えた。
「マジックとアレックスがいるのよ」
「なんと!?」
カバッハーンも、皺に埋もれた目を見開いた。
「マジック殿になにかあっては、拙者も陛下に申し訳が立たぬ」
「カバッハーン。すぐに兵を率いてパリティラオンに向かって!」
「し、しかし……」
カバッハーンは躊躇った。
一応の自治は認められてはいるものの、ゼス王国は未だ、リーザスの支配下である。兵力を動員するためには、まずリーザスの許可を取る必要があった。
「構いません。責任は私が取ります」
千鶴子はキッパリと行った。カバッハーンは一礼すると、老人とは思えぬ機敏な動きで部屋を出ていった。
そのパンティラオンをのぞむ、小高い丘の上に、仲良く弁当を広げる若い男女の姿があった。
緑の髪を長い三つ編みに編んだ少女が、栗色の髪の青年に、ちょっと恥ずかしそうに弁当箱を見せる。
「ごめん、アレックス。上手くできなくて」
「そんなことないですよ、マジックさん」
青年が答えると、少女はぷっと膨れて、青年が手を伸ばしかけた弁当箱を引ったくった。
「だめ」
「えっ?」
「ちゃんと、呼んで」
「あっ。えっと、その……。マジック」
「うん」
一転して幸せそうに微笑むと、少女は弁当を青年に返した。
この少女が、ゼス王国の王女にして元四天王の一人、マジック・ザ・ガンジーである。そして、青年は元ゼス王国魔法兵団の隊長を務めていた、アレックス・ヴァルス。
二人は元々、相思相愛の恋人同士だった。しかし、リーザスとの戦争でアレックスは戦死。それを聞き、マジックは自分も死ぬ覚悟で悪魔と盟約を結び、リーザスに災いをかけようとした。だがそれはランスに阻止され、マジックは彼に初めてまで奪われてしまう。だが、それはマジックに生きる目的を与えることになった。
恋人を死に至らしめ、自分を辱めた相手であるランス。だが、父のガンジーはそんな彼を敬愛している。何が正義で何が悪か、判らなくなったマジックは、暫しの間、ランスの部下として彼を観察しながら過ごしていた。
そんなとき、死んだと思われていたアレックスが、マジックの前に現れたのだ。
ただ、アレックスは全ての記憶を失っていた。そんなアレックスをマジックは献身的に看護し、そして今に至る。
アレックスは、ちょっと不格好な卵焼きを頬ばった。
「うん、美味しいです」
「アレックス、その敬語使うのやめてくれない?」
「あ、ごめん」
「……ううん。いいの。アレックスがこうして私の側にいてくれるだけで」
マジックは幸せそうに微笑んで、アレックスの肩に寄りかかった。
と、不意にその身体を起こすマジック。
「何、この気配?」
「え?」
きょとんとしたアレックスを置いて、マジックは立ち上がった。耳を澄ます。
微かに、地響きのような音が聞こえてくる。数年前、さんざん聞き慣れた音。
それは、軍勢の立てる音だった。
「!!」
マジックは視線を巡らせた。そして、道を黒く埋めて、魔物達がパンティラオンの町に押し寄せていくのに気付いた。
「マジックさん!」
アレックスの声と同時に、魔物達のうなり声に気付いて、マジックは身構えた。
「おおおお女女女〜」
丘の上に立つマジックの姿を見て、魔物達が近寄ってくる。
「来ないでよっ! スノーレーザー!!」
ヴァン
白い光が、魔物をなぎ倒した。
「ったく。……えっ?」
倒れたはずの魔物が、むくっと起き上がった。
「多少は魔法への耐性ありってこと? じゃ、これでどう!? 白色破壊光線!!」
クワァッ
先ほどとは較べものにならないほどの光が、丘の上を満たした。
マジックの必殺技、白色破壊光線。攻撃魔法の中でも黒色破壊光線と並ぶ最強の呪文である。魔物は一撃で蒸発する。
「ふぅ」
一息つくマジック。と、不意にその腕に何かが巻きついた。
「えっ!?」
「マジックさんっ!」
アレックスの叫ぶ声と同時に、細い触手が、マジックの身体に巻きついた。自由にならない体を強引にねじって振り返ると、そこには見たこともないような醜い怪物が群をなしていた。
「女だ! 犯っちまえ!」
「けっけっけっ」
「くぅっ!」
マジックは必死に身をよじりながら、あ然としているアレックスに叫んだ。
「アレックス! 早く逃げて!」
「で、でも……」
「私は大丈夫……きゃうっ!」
喉に巻きついた触手が締まり、マジックは息を詰まらせた。その間にも、怪物達がマジックに近寄ると、有無を言わさずに服をはぎ取り始める。
「マジックさんっ!」
「私に……構わずに……」
酸欠で朦朧となりながら、マジックは懇願した。
(このままじゃ、二人とも……。それに、私はこの怪物達に……。そんなところ、アレックスに見られたくない……)
怪物達は、笑いながら、服をはぎ取られたマジックの白い肌を手で撫でさする。
「や、やめろっ!」
アレックスは叫んだ。そしてそのまま怪物達に突進したが、怪物の一撃であっさりはじき返されてしまう。
「うわっ!」
尻餅をつくアレックス。その前に、怪物の一匹が屈み込んだ。
「うるせぇガキだ。このまま殺しちまおうぜ」
そのとき、怪物達の間から、マジックの顔が見えた。
その頬を、一筋の涙が、流れて落ちた。
「マジックっ!!」
カァッ
閃光が辺りを包んだ。
不意に、マジックの喉を締めつけるものがゆるんだ。新鮮な空気が肺に流れ込んでくる。
と同時に、触手が一斉に解け、吊り上げられていたマジックの身体が落下した。
受け身も取れずに地面に叩き付けられる、と身を固くした彼女の身体が、ふわりと受けとめられた。
「マジック、もう大丈夫」
「……え?」
目を開けたマジックの瞳に、アレックスの笑顔が写った。
「アレックス……、もしかして……」
「けけけっ!」
怪物が、屈み込んでいるアレックスの背中から襲いかかる。だが、アレックスは左手を背中に向けた。
「ライトボム!」
ドォン
一撃で粉砕される怪物。
彼は、マジックをぎゅっと抱きしめた。
「マジックは、僕が守ってみせる!」
「今の呪文……。まさか、アレックス、記憶が……」
マジックは、口に手を当てた。
「記憶が、戻った……?」
「ありがとう、マジック」
アレックスは、上着を脱ぐと、マジックの肩に掛けた。自分の格好に気が付いて、真っ赤になるマジック。
「きゃっ」
「立てる?」
「えっ。あ、うん」
アレックスは、丘を取り囲む魔物達を睨み付けた。
「突破するよ」
「……ええ」
マジックは立ち上がると、頷いた。
「せっかく、貴方を取り戻したんだもん。こんなところで死ぬわけにはいかないわっ」
「行こう!」
「ええ!」
二人は、同時に閃光を放った。
「はぁはぁはぁ」
「マジック、大丈夫かい?」
「え、ええ」
息を切らしながらも、建気に頷くマジック。その白い肌は、様々な煤で汚れていた。
アレックスの方も似たようなものである。
魔物が、また迫ってきた。
「くっ!」
アレックスは、手を上げた。
「雷撃っ!」
バリバリバリッ
「グギャァッ」
魔物が、身体に雷をまとわりつかせ、倒れる。アレックスは、がくりと膝をついた。
「ごめん、マジック。もう、魔力が……」
マジックは、右手を魔物に向けた。パシッと微かに静電気が弾け、そして消える。
「私も、ダメみたい」
「……はは、情けないな。あんな見栄を切ったって言うのにさ」
「ううん」
マジックは、アレックスの胸に顔を埋めた。
「私、幸せだもん」
「マジック……」
二人は、顔を見合わせ、同じ決意を、互いの瞳の中に見て、頷き合った。
もう、一人にはならない。
と、不意に魔物達が退いた。
「?」
何事かとそっちを見たマジックは、目を大きく見開いた。
「あなた……」
魔物達の群の中に、一人の少女がいた。周囲の魔物達は、彼女を畏怖するようにひれ伏しているが、彼女の方は、そのようなものは目にも入らない、というように平然としてこっちを見ている。
マジックの唇から、つぶやきが漏れた。
「そんな。どうして、あなたが……」
と、微かに音が聞こえてきた。明らかに、人間の上げる歓声だ。
少女は、ピクッと眉を動かすと、二人に言った。
「今回は見逃してやる。さっさと行くがいい」
それだけ言うと、彼女は背を向けて歩き去った。魔物達も、彼女に従うように引き返していく。
アレックスは、マジックに囁きかけた。
「今の……」
「うん」
マジックは、無意識にアレックスの上着をかき合わせながら、呟いた。
「ナギ……。生きていたの……」