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 ミーンミーンミーンミーン
 目が覚めると、蝉の鳴き声がうるさく響いてた。
 目覚ましに起こされることもない、爽快な――と言うにはちょっと暑すぎるけど――目覚め。
 そう。今日からいよいよ夏休みなのだ!
 ドンドンドン
「恭一っ! きょういちーーーっ! 起きてるのーっ!?」
 ドアをノック……というよりは乱打する音が、爽快な気分をいきなりぶちこわしてくれた。
「起きなさーいっ! 夏休みだからってぼけぼけーっとしてるんじゃないわようーーっ!」
 俺が布団の中で頭を抱えていると、ドアを叩く音はますます激しくなってきた。冗談抜きにこのまま放っておくと、いくらスチール製のドアだからって破壊されるかもしれん。
 仕方なく、俺は布団から顔だけ出して、怒鳴り返す。
「起きてるわいっ! 起きてるからドアを壊すなっ!」
「そんなことしないわよっ! いいから開けなさいっ!」
 今度はノブをガチャガチャと回す音がする。
 ふ。無駄なあがきを。ちゃんとドアには鍵をかけているのだよ。
 と。
 ガチャガチャ、カチャッ
 いきなりドアが開いて、凶暴女が顔を出した。
「やっぱり寝てるじゃないのっ!」
「な、なんでお前っ! 鍵はどうしたっ!?」
「へへーん。ママに借りて来ちゃった」
 そう言って、銀色の鍵を得意そうに指に引っかけて回してみせる。
「そ、それはまさかマスターキー!? 卑怯だぞ! いくら大家の娘だからってそれは反則……」
「いいから、さっさと着替えなさいよっ! 約束の時間に遅れるでしょっ!」
「……約束?」
 俺が聞き返すと、凶暴女は一瞬目を丸くした。それから、じわじわと額に血管が浮き上がる……って言うのは冗談だが、そんな感じだ。
「きょ〜お〜い〜ち〜。ま〜さ〜か〜」
「そ、その伸ばした言い方止めろっ!」
「じゃ、簡潔に聞くけど。忘れたんじゃないでしょうね?」
「……えーと」
「制限時間3秒」
「待ていっ! 短すぎるっ!!」
「2、1、0! 忘れたなぁっ!」
 スパーーンッ
「いてぇっ! そのハリセンどこから出したっ!!」
「乙女の必需品よっ!! さぁ、覚悟しなさいっ!」
「しばいてから言うなっ!」
「大丈夫。もう一度しばくから(ハート)」
 スパパパン

 俺は、柳井恭一。ごく普通の平凡な高校2年生の男子だ。
 中学2年の時、この街に引っ越してきた我が一家だが、俺が高校に入って2ヶ月ほどした頃、またしても親父の転勤が決まった。だが、小さな頃から散々両親の転勤に付き合って全国津々浦々を駆けめぐってきた俺は、もう引っ越しはたくさんだった。そこで、表向きは大学受験に備えてっていう名目で一人暮らしを主張し、両親も渋々承諾した。
 これで自由な暮らしをエンジョイできると喜んだ俺だったが、残念ながら親の方がまだ上手だった。
 独り暮らしをするための家を決める段になって、親父の知り合いがやっているアパートに俺は押し込まれてしまったのだ。
 それだけならまだしも、その大家さんの娘というのが、なぜかしつこく俺につきまとってくる。ま、何かと世話を焼いてくれるのは便利といえば便利だが……。
「わぁ、こんなの読んでるんだぁ。恭一やらしー」
「うわっ! お前俺の秘蔵の本を勝手に……わぁっ! パソコンをいじるなっ!!」
「あー、エッチサイトがぽーたるになってるぅ。ママに報告しなくちゃ」
「やめんかぁっ!!」
 ……この体たらくなのである。
「あっ! こんなことしてるばあいじゃなかった! ほら、用意しなさいっ!!」
「だから、なんだって……。わぁっ! ハリセン構えるなっ!!」
「もうっ! 面接よっ! 面接!」
「めんせつ? お前バイトでもするのか?」
「あんたもでしょ、恭一っ!」
 言われて、俺は額に手を当てて考え込んだ。
「ん〜、そう言われればそんなこともあったかいのぉ?」
「惚けるなぁっ!」
 スパーン
 後頭部を思い切り叩かれて、俺はベッドにつんのめった。
「……ったぁ。何すんだっ!」
「ああっ! もう時間が! とにかく着替えてうちに来なさいよね! 朝御飯の用意出来てるから」
 そう言って、飛び出していく。
 ……台風一過って感じだ。
 まぁ、見ての通り、あいつがさっき言ってた大家の娘にして俺の同級生(何の因果か、高校に入ってからずっと同じクラスだったりする)の、山名かおるである。

 こうして、俺の2014年の夏休みは始まった。

Pia☆キャロットへようこそ2014 
Sect.1 


 とりあえず、こざっぱりした服装に着替えて、大家さんの家(ちなみに隣である)にお邪魔した。
「こんにちわ〜。柳井です〜」
「あら、恭一くん。いらっしゃい」
 笑顔で出迎えてくれたのが、大家さんにしてかおるのお母さんである山名春恵さん。
 どうしてこんな優しくて綺麗な人からこんな凶暴なやつが産まれたのか、毎度のことながら理解に苦しむ。
 ご主人(つまりかおるのお父さん)を、まだかおるが小さな頃に亡くして、それ以後苦労してかおるを育ててきたそうなのだが、俺が知ってる限り怒ったり泣いたりしてるところを見たことがない。それだけ出来た人だ、ということだ。
「朝ご飯出来てるわよ。どうぞ」
「あ、すみません」
 朝食はこの山名家で食べていくのが、ここで暮し始めてからの俺の日課になっている。春恵さんの朝食は、なにかとうるさいかおるのことをさっ引いても十分にお釣りが来るほど美味いのである。
「もう、恭一はママには弱いんだから」
 何故か膨れながら、かおるも飯をかき込んでいる。
 俺はひょいと目玉焼きを摘んで口に入れた。うむ、美味い。
「あーっっ! 恭一あたしの目玉焼き食べたーっ!」
「うん。美味かった」
「ぶーっ。こうなったら、そのベーコンもらいっ!」
「あっ! てめぇ、俺の大事にとって置いたベーコンを……」
「もう、止めなさい。2人とも」
 春恵さんにやんわりと言われて、俺達はとりあえず休戦することにした。
 お茶を淹れながら、春恵さんが訊ねる。
「それで、朝御飯食べたら面接に行くんでしょう?」
「うん、そうだよ」
 笑顔で頷くかおる。
 春恵さんは俺に視線を向けた。
「恭一さん。かおるのこと、よろしくお願いしますね」
「は、はぁ……」
「あー、無駄無駄。恭一ったら、今日のことも忘れてるくらいだもん」
 箸を振りながら偉そうに言うかおる。
「あらまぁ……」
「いや、それはですねっ! ……すみません」
 忘れてるのは事実なので、俺は頭を掻いて頭を下げた。くそ、春恵さんはともかく、かおるに頭を下げるとはカノッサ以来の屈辱だ。
 かおるはえへんと偉そうに咳払いした。
「それじゃ思い出させてあげましょう。あたしとついでの恭一は、今からPia☆キャロット2号店のアルバイトの面接を受けに行くのです」
「……」
 俺は中空を睨んだ。それから慌てて立ち上がった。
「それじゃ、俺帰るから」
「待てい」
 がしっとズボンのベルトを後ろから掴まれた。
 振り返ると、かおるがにんまりと笑っていた。
「期末テストの成績、あたしの方が上だったもんね〜。賭けはあたしの勝ち」
「たかが3点じゃないかっ!」
「3点でも勝ちだもん」
 がくりと膝を着く俺。
「なんたる悲劇っ! たかが3点のために、俺のバラ色の夏休みプロジェクトは全て崩壊し、バイトに明け暮れる灰色の毎日となるのかぁっ!」
「なに莫迦なこと言ってんのよ。ほら、立った立った」
 かおるに引っ張り上げられるように立たされると、とりあえず反撃を試みてみる。
「第一、なんでお前のバイトに付き合わないといかんのだ? ああ?」
「ふふーん。敗者の遠吠えが聞こえるわ〜」
 わざとらしく耳に手を当てるかおる。
 くそ。
「わーった。でも面接で落ちた場合は知らんからなっ!」
「あ、ずるーい。逃げる気ねっ!」
「あのな……」
「冗談よ、冗談」
 くすくす笑いながら、かおるはダイニングを出ていった。
「それじゃ、恭一。ちょっと、待っててね〜」
「……へいへい」
 俺はほとんど自棄になっていた。誰だって、俺と同じ状況に陥れば、そうなるってもんだ。

 その15分後。俺達はバイト先(になるかもしれない所)に向かって歩いていた。
 Pia☆キャロット2号店。通称、中杉通り店。
 今や日本中に支店を巡らせ、大手ファミレスチェーンとして有名なPia☆キャロットの中でも、2号店というくらいだから2番目に出来たという老舗だ。
 俺も何度か来たことがある。なにしろ、うちから一番近いファミレスだからなぁ。
 このPia☆キャロットで特に有名なのが、女の子の制服。3種類あって、それをシーズンで使い回してるっていう話だ。俺のクラスにも常連が数多いし、女の子のアルバイト先としても人気が高い。
 なるほど、こいつもそれが目当てなんだな。
 俺は、るんるんとスキップするように俺の前を歩いているかおるの背中を睨んだ。
 と、いきなりかおるが振り返る。
「何よ?」
「あ、いやぁ、今日は暑いなぁ」
「……変なの」
 首を傾げるかおる。
 うーん。黙って立ってれば、ポニーテイルにした青みがかった黒髪に大きなリボンの似合っている、そこそこ美少女なんだが……。口よりも手が早いその性格さえなんとかなればなぁ。
 そんなことを考えてる間に、俺達は店の前まで来てしまった。
 まだ開店前の時間なので、当然客はいない。店の前では、店員さんが箒で掃除をしてるだけだ。
 かおるがその店員に駆け寄って挨拶してる。
「こんにちわ〜、美奈さん」
「あっ、かおるちゃん。こんにちわ」
 笑顔でぺこりと頭を下げる店員さん。顔見知りなのか? 意外に人脈の広い奴。
「もう涼子さん来てます?」
「ええ。奥にいるわよ」
 ショートカットで大人しそうな雰囲気のお姉さんは、かおるにそう答えてから、俺にも頭を下げた。
「こんにちわ。あなたが柳井さんですね。かおるちゃんから話はよく聞いてますよ」
「あ、ど、ども……」
 いきなり俺に振ってこられるとは思わなかったので、ちょっと驚いてどもってしまった。
 お姉さんはくすっと笑うと、ドアの方を手で示した。
「さ、どうぞ。面接は事務室ですから」
「はぁい」
 ずかずかっと入っていくかおる。俺が呆気にとられていると、先に入ったかおるが顔を出す。
「莫迦、なにぼーっと美奈さんに見とれてるのよっ!!」
「えっ? や、やだ、もうっ」
 ぽっと赤くなるお姉さん。……美奈さん、っていったっけ?
「あ、あの……」
「ほら、来なさいっ!」
 美奈さんに話しかけようとしたところで、かおるが俺の腕を引っ張って、俺はそのまま店内に引きずり込まれてしまった。

 かおるは、店内の掃除をしている他の店員さん達に挨拶しながら、迷いもせずにすすっと奧の「従業員以外立入禁止」のエリアに入っていく。
 俺は、店員さん達に愛想笑いをしながら、かおるを追いかけて捕まえた。
「こら、どんどん先に行くなっ! 第一どこに行けばいいのかわかってんのかよ?」
「へへーん。ここはあたし、小さい頃から良く来てるもんね」
 そう言って、奥に入っていくかおる。……小さい頃から来てるにしても、こんなところまで入り込んでたのか、こいつは? とんでもないチャレンジャーだ。
 と、かおるはドアの前で立ち止まった。そのドアには「事務室」と書かれたプレートが貼ってある。
 くるっとこっちを見るかおる。
「いい? 行くわよ」
「おう」
 もうどうにでもなれ、と腹をくくって、俺は頷いた。
 かおるはドアに向き直って、ノックした。
 トントン
「どうぞ」
 女の人の声がした。
「失礼します」
 珍しく、ちょっと緊張した声で、かおるはドアを開けた。そして、ぺこりと頭を下げる。
「こんにちわ、涼子さん」
「いらっしゃい。面接ね。そちらが?」
 中にいたのは、スーツ姿に眼鏡をかけた、長い髪の女の人だった。
 かおるは頷いた。
「はい。これがお話ししてた、恭一です。ほら、恭一、挨拶挨拶」
 俺の脇腹を肘でつつくかおるに、俺ははっと我に返って頭を下げた。
「あの、柳井恭一です」
 女の人は笑顔で頷いた。
「私が、Pia☆キャロット2号店のマネージャー、双葉涼子です。これからよろしくね、山名かおるさん、柳井恭一くん」
「はいっ!」
 大声で返事して頷くかおる。……って、ちょっと待て。
「あ、あの……」
「何かしら?」
 双葉さんは、小首を傾げた。
「仕事のことなら、これから説明するけど……」
「いや、そうじゃなくて、面接って聞いてきたんですけど……」
 俺がそういうと、双葉さんはにこっと微笑んだ。
「もちろん、合格よ」
「そんな……。まだ何も……」
「もうっ! 涼子さんが合格って言ってくれたんだから、ありがたく受け取っておきなさいよぅ」
 かおるが笑顔で俺の脇腹を肘でつつく。
 謀ったな、かおるっ!
 奮然として俺が睨むと、かおるは笑顔にプラスVサインまで出しやがった。くそ、どうしてくれよう……。
 と、双葉さんがぴっと指を立てた。
「ただし、プライベートにまでは口出しはしないけど、恋人同士だからって、お仕事中はちゃんとわきまえるように。いいですね?」
「ちょ、ちょっと双葉さ……」
「涼子さんっ、冗談が過ぎますよっ! なんであたしがこんなのとっ!」
 反論しかけた俺を上から押さえつけて、かおるが大声を上げた。
 双葉さんがくすっと笑う。
「あら、違うの? 二人ともとっても仲が良さそうだったから、てっきり恋人同士だって思ったんだけど」
「ちっ、違いますっ!」
 かおるが真っ赤になって、俺をぱこぱこと叩く。
「なんでこんなのとっ!」
「や、やめんかっ莫迦かあるっ!」
「かあるって呼ぶなぁっ!」
「うーっ」
「ふかぁーーっ」
「もう、止めなさい、二人ともっ! はぁ、困ったわねぇ」
 にらみ合う俺とかおるを見て、双葉さんは深々とため息をついた。それで俺とかおるも我に返る。
「あ、す、すみません」
「ごめんなさい」
「……言っておきますけど、仕事中に喧嘩するのも、だめですからね」
「はぁい」
 同時に答える俺達を見て、双葉さんは頷くと、立ち上がった。
「それじゃ、今日はとりあえず仕事の説明だけするわね。着いて来て……、っと、その前に」
 事務室を出て行きかけて、いきなり立ち止まる双葉さん。続いて出ていこうとしていた俺は、その背中に衝突してしまった。
 トン
「きゃっ」
 うわ、いい香り……。っていけね。
「す、すみません」
「ううん、こっちこそ。それより、聞いておかないといけなかったんだけど、二人とも自宅から通うってことでいいのかしら?」
「はい」
 頷くかおる。
 俺は訊ねた。
「自宅から通うんじゃなかったら、どうなるんです?」
「一応、うちの社員の寮があるのよ。部屋は空いてるから、アルバイトの人でも、希望すれば入ってもらってもいいってことになっているの」
 そうか。寮に入れば、勝手にこいつに毎朝叩き起こされることもないなっ。
 俺はぱっと手を上げた。
「双葉マネージャー、俺、寮に行きます」
「えーっ、なんでようっ!!」
 双葉さんが何か言うよりも前に速攻で文句を付けてきたかおるに、俺は指を突きつけて宣言した。
「俺は静かな生活を送りたいんだっ!」
 双葉さんは苦笑気味に呟いた。
「寮もあんまり静かじゃないけど……」
「構いませんっ。今のうちよりはマシですっ!」
「ちょっと、大家の娘の前で随分な発言ねっ! そんなこと言うのはこの口かっ、このく〜ち〜か〜っ」
「びょ、びょうりょふふぁんふぁーい(ぼ、ぼうりょくはんたーい)」
「もう。二人ともやめなさいっ!」
 慌てて割って入る双葉さん。
 かおるは、俺の口から手を離すと、ふんぞり返って宣言した。
「あたし、決めましたっ。恭一が寮に入るなら、あたしも寮に入りますっ!」
「なにぃっ!?」
「……確かに部屋は空いてるけど……」
 双葉さんが困ったようにほっぺたに手を当てた。
 と、いきなりバーンとドアが開いた。
「ふっふっふ。話は聞かせてもらったわよん」
 振り返ると、……うわ、美人だ。
 キャロットの制服を着た、ショートカットのお姉さんが、片手にモップを持って笑顔で立っていた。
「寮へようこそっ。寮長のあたし、皆瀬葵さんが、大歓迎するわよ〜」
「……はぁ」
 後ろで、双葉さんが大きくため息をついた。でも、その時はまだ、なぜ双葉さんがため息をついたかなんて、俺は知る由も無かった……。

TO BE CONTINUED?

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あとがき
 いや、連載じゃないですよ、連載じゃ(笑)
 ええ、決して。

 Pia☆キャロットへようこそ2014 Sect.1 00/3/6 Up 00/5/21 Update

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