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クリスマス・Pia☆キャロット《完結編》

 場所は再び公園です。
「……はぁ」
 あずさちゃんは、木に背中をもたれかけさせて、ため息をつきました。そして、右の手の平を広げて、見つめます。
「また、やっちゃった……」
 呟くと、あずさちゃんは空を見上げました。
 青い空が、どこまでも広がっています。
「……お父さん、お母さん……。やっぱり、私には、無理なのかな……」
 あずさちゃんの小さな声は、どこまで届いたのでしょうか……?

「……あずさ」
 頬に手を当てて、呆然としている前田くんに、留美さんは頭を下げました。
「ご、ごめんね、前田くん……」
「そうだぞ、みるく。お前はスグにおふざけが過ぎるんだからな」
「え? あ、お兄ちゃん」
「店長?」
「みるく、ここいいか?」
 祐介さんは、そう声をかけて、前田くんの正面のソファに腰掛けました。その隣に、さとみさんが腰を下ろします。
「前田くん、お久しぶり。結婚式以来、かしら」
「あ、さとみさん。こんにちわ」
「まぁ、立ってないで座りたまえ」
「祐介ったら、ずいぶん偉そうね」
 横からさとみさんに突っ込まれて、後頭部に汗の玉を浮かべる祐介さん。
「そ、それはだなぁ」
「涼子さん。この人がセクハラなことしてたら、すぐに教えてね。今度は離縁状叩き付けてあげるんだから」
 さとみさんは涼子さんに笑って言いました。
「は、はい……」
 さすがの涼子さんも、笑顔が引きつりました。なにせ婚約解消、結婚式延期の前例があります。さとみさんの言うことは、冗談には思えませんものね。
「ま、まぁ、それはそれとして、だ」
 祐介さんは、座った前田くんに向き直ります。
「僕たちは、たまたま公園で、あずさくんに会ったんだよ……」
「そうですか。あずさのやつ、そんなことを……」
「ああ」
 前田くんは、祐介さんからあずさちゃんの言っていたことを聞かされて、机の上に乗った紙袋に視線を向けました。
「僕だって、君にとやかく言えるような人格者じゃない。だから、君にどうこうと指図するつもりはないよ。あとは、君が決めればいい」
 祐介さんはそう言うと、前田くんの肩を軽く叩きました。
「前田さん……」
 その声に、前田くんが顔を上げると、美奈ちゃんが立っていました。
「美奈ちゃん……」
「前田さん、……ううん、お兄ちゃん。お姉ちゃんのこと、嫌いにならないでください。でないと、美奈、美奈……、くすん」
 うつむいてしゃくり上げる美奈ちゃん。
「大丈夫だよ、美奈ちゃん」
 前田くんは、紙袋を掴んで、立ち上がりました。
「え? お兄ちゃん……」
「もっとも、あずさの方が俺を嫌いになってたら、どうしようもないんだけどね」
 苦笑する前田くんに、美奈ちゃんはぎゅっと拳を握って言いました。
「そんなことないです! お姉ちゃんは、お兄ちゃんのことが……」
「ありがとう、美奈ちゃん」
 前田くんは、美奈ちゃんの髪をくしゃっとかき回すと、留美さんに頭を下げました。
「すみません、留美さん。俺、行かなくちゃ」
「うん、頑張ってね!」
 留美さんは笑顔で軽く手を振りました。前田くんはもう一度頭を下げると、Pia☆キャロットを飛び出して行きました。
 つかさちゃんは、テーブルに顎を乗せてため息を一つ付きました。
「あ〜あ。妬けちゃうなぁ〜」
「うふっ。美奈もです」
 美奈ちゃんは、店の前を走っていく前田くんを、窓ガラス越しに見送りながら、呟きました。
「でも、これでいいんです。……きっと」
「くぅ〜、美奈ちゃん泣かせるわねぇ」
「ひゃぁ!」
 いきなり葵さんに後ろから抱きしめられて、美奈ちゃんは可愛い悲鳴を上げました。
「はいはい、それくらいにしてみんな仕事に戻りなさい」
 ぱんぱんと手を叩いて、涼子さんが告げ、そしてお店はいつもの静けさを取り戻すのでした。
 十字路で、前田くんは左右を見回しました。
「はぁはぁ……。あずさのやつ、どこへ……?」
 その脳裏に、さっきの祐介さんの声がよぎりました。

「僕たちは、たまたま公園で、あずさくんに会ったんだよ……」

「公園か!?」
 前田くんは、再び駆け出しました。
 だんだんと薄暗くなってきました。
 公園の街灯が灯されます。
 あずさちゃんは、手にはぁっと息を吹きかけました。それから、茜色から黒に変わりつつある空を見上げます。
「これから、どうしよう……」
 と。
「あずさっ!!」
 公園の入り口から、あずさちゃんを呼ぶ声が聞こえました。あずさちゃんがそっちを見ると、前田くんが荒い息を付きながら、あずさちゃんを見つめています。
「前田くん……」
 あずさちゃんは、一瞬そっちに駆け寄りかけて、それから、くるっと背中を向けました。
「何の用かしら?」
「……言い訳はしないよ」
 前田くんは、その場に立ったまま、言いました。
「ふぅん。言い訳するようなコトをしてた、ってわけ?」
「……」
 少し、沈黙が流れました。それから、前田くんは深呼吸をしてから、言いました。
「あずさ。別れよう」
「えっ!?」
 思わず振り返るあずさちゃん。
「ちょ、ちょっと待って! それって……」
「俺達、夏からなんとなく付き合い続けてきたよな。この辺りで、一度別れて、お互いを見つめ直した方がいいと思わないか?」
「前田……くん……」
「話はそれだけだよ。それじゃ」
 前田くんはくるりと振り返って、歩き出しました。そして、ふと立ち止まります。
「もし、よく考えて、それでも俺でいいっていうなら……」
「いうなら……?」
「クリスマスイブの夜。あそこで待ってる」
「あそこ……?」
「寒いから、風邪には気をつけろよ」
 そう言い残して、前田くんは夜の闇の中に消えていきました。
「前田……くん」
 あずさちゃんは、その姿を見送るだけしか、できませんでした。
「ジングルベール、ジングルベール、鈴が鳴るぅ〜っと」
 なんだか自棄気味に歌いながら、葵さんは窓に星をつけています。
「葵〜、もうちょっと上がいいんじゃないかしら?」
「はいはい、こう?」
 涼子さんの指示に従って、星の位置を直すと、葵さんはぶつぶつ呟きました。
「ったく、どうしてあたしが休日出勤してこんなことを……」
「あ〜お〜い〜。前田くんとあずさちゃんがケンカしたのは、誰のせいなのかしらねぇ〜」
 後ろから言われて、葵さんは肩をすくめました。
「はいはい。私が悪うございました」
「それならちゃんと働くっ!」
「鬼ぃ〜」
「何か言った?」
「いいえっ! 不肖皆瀬葵、粉骨砕身の覚悟でクリスマスの飾り付けをお手伝いさせていただきますっ! とほほ〜」
 どうやら葵さん、こないだの騒ぎの責任をとらされているようですね。
「涼子さ〜ん。クリスマスツリーの飾り付け、こんなものかなぁ?」
「出来たの? ちょっと待って」
 つかさちゃんに呼ばれて、涼子さんは店の前に出ました。
「へぇ、すごいじゃない」
「えへへ〜。こういうのは得意なんだ」
 自慢そうにつかさちゃんが言うだけあって、お店の入り口にでんと置かれた、つかさちゃんの背丈ほどもあるツリーは、綺麗にデコレーションされていました。
「つかさちゃん、てっぺんに星つけるから、はしご押さえてて」
「あ、留美さん。はぁい」
 声をかけられて、つかさちゃんははしごを押さえました。そして留美さんはツリーのてっぺんに大きな星を付けます。
「よしっ、完成っと」
「やったね」
 2人で手をパンパンと叩き合わせているのを見て、涼子さんはくすっと笑いました。それから、はっとして店内に駆け戻って、大声を出しました。
「こらっ、葵っ! さぼってるんじゃありませんっ!」
「それじゃ、行って来まぁす」
 美奈ちゃんはお世話になっているおじさんとおばさんに声をかけて、玄関のドアを開けました。
「気を付けてな。なにもクリスマスまでアルバイトさせんでもいいのになぁ」
 玄関まで見送りにきたおばさんがそう言うと、美奈ちゃんは首を振りました。
「ううん。今日は美奈からお願いしたんです。別にどこに出かけるわけでもないし、お店も忙しいから」
「いい子だねぇ。来年にはきっと、誰かにどこかにつれていってもらえるようになるよ」
「や、やだぁ、おばさん。美奈は、えっと……、行って来ます」
 赤くなって、美奈ちゃんは駆けだしていきました。そして、門を出たところで、2階の窓を振り返りました。
「……お姉ちゃん……」
「どうしたの? 忘れ物かい?」
 おばさんに声をかけられて、美奈ちゃんはもう一度首を振りました。
「ううん。行って来まぁす!」
 美奈ちゃんの元気のいい声が、窓から微かに聞こえました。
 ベッドに座り込んでいるあずさちゃんは、抱きしめたクッションに顔を埋めました。
「私、どうすればいいの……? わかんない、わかんないよぉ……」
「あれ? 前田くんじゃない。どうしたの、こんなところで」
 遅番の潤くんは、Pia☆キャロットに入ろうとしたところで、クリスマスツリーの前に立っている前田くんに気付いて立ち止まりました。
「や、やぁ……」
 手を挙げる前田くん。
「なにしてるんだよ。待ち合わせ?」
「そんなとこ」
「と、とにかくお店に入りなよ。そこじゃ寒いだろ?」
 そう言って、前田くんの腕を掴んで、潤くんは顔を上げました。
「こんなに冷え切っちゃって。どれくらい待ってるのさ?」
「そうだな……。店が開いてからだから、かれこれ8時間くらいか」
「ば、ばかっ! 風邪引いて死んじゃうよ! とにかく入りなって!」
「いや」
 前田くんは、潤くんの手を外すと、冷え切った唇に笑みを浮かべました。
「大丈夫だよ」
「でも……」
「彼のことは、放っておいてあげてくれないか?」
 その声に、潤くんは顔を上げました。
「店長! で、でも……」
「男には、やらねばならないことがある。それがどんなに他人から見て馬鹿げていようとも。それが男の浪漫だよ」
「すみません、店長」
「いや、僕にも経験がないわけじゃないからな」
 店長はそう言うと、肩から提げていた水筒を前田くんに渡しました。
「それは涼子君からだ。コーンスープが入っている。少しは暖まるだろう。さ、神楽坂くん。早速だが人手が足りないんだ。手伝ってくれ」
「は、はい……」
 心配そうに前田くんの方を振り返りながら、潤くんは店長に続いて店の中に消えました。
 前田くんは水筒を開けて、コーンスープを飲みながら、赤や青や黄色のライトを点滅させるツリーの脇に立ち続けるのでした。
 そして……。
 店のドアが開き、つかさちゃんが出てくると、前田くんの姿をちらっと見て、ドアにかかっていた札をひっくり返しました。
 『Closed』
 そして、お店の灯りが、すべて一度にふっと消えます。
 前田くんは、腕時計をちらっと見て、苦笑しました。
「ははっ」
 午後10時。Pia☆キャロットの閉店時間です。
「……そうだよな。来るわけ、ないか……」
「前田くん……」
 その声に振り返ると、祐介さんが立っていました。
 前田くんは、苦笑しました。
「ざまないですね。あ、これ、涼子さんに返しておいてください」
 そう言って祐介さんに水筒を渡すと、前田くんは軽く手を挙げて、歩き出そうと向き直りました。
 その足が止まります。
「……あずさ」
 暗闇の中、赤いコートに身を包んだあずさちゃんが、そこに立っていました。吐く息が白く煙って、闇の中に消えていきます。
「前田くん……。ごめんなさい、遅くなって……」
「よかっ……た」
 そのまま、その場に崩れ落ちかける前田くん。
「おっと」
 間一髪、祐介さんがその体を支えました。
「大丈夫かい?」
「ええ。ちょっと気が抜けただけです」
 そう言うと、前田くんは、あずさちゃんに近寄りました。
「あずさ……」
「私、ずっと考えたけど、よくわからなかった。でも、最後に、真士くんの手紙のこと、思い出して……。素直になれって……。それで、それで私……」
 あずさちゃんは、そこまで言うと、前田くんに駆け寄りました。そして、その胸の中に飛び込みました。
「私、やっぱりあなたのそばにいたい。あなたのそばで、笑ったり泣いたり怒ったりしていたい……。そう思ったの」
「……あずさ」
 前田くんは、微笑みました。
「一緒だね、俺と」
「前田くん……」
「そうだ。これ」
 前田くんは、肩から提げていたバックから紙袋を出して、あずさちゃんに渡しました。
「え? これって……」
 あずさちゃんは、それが、前田くんが商店街で潤くんや早苗さんといたときに持っていたものだと気が付きました。
「クリスマスプレゼント。えっと、なにがいいのか良く判らなかったんで、神楽坂と早苗さんに手伝ってもらったんだ」
「それじゃあのときは、これを買うために……?」
「ああ。開けてみてよ」
「う、うん」
 言われて、あずさちゃんは紙袋を開けました。
「服……?」
「結局、無難に白いブラウスなんだけどさ」
 照れくさそうに笑う前田くん。
「ごめんなさい、私……」
 ブラウスを抱きしめて、顔を伏せるあずさちゃん。前田くんは、そのあずさちゃんの顎に手をかけて、上を向かせました。
 あずさちゃんの瞳から、一筋の涙が流れ落ちました。そして、その瞳がまぶたに隠されます。
 目を閉じたあずさちゃんに、前田くんは唇を重ねました。

 そのときでした。

 バァッ
 いきなり、Pia☆キャロットの消えていた灯りがすべてともりました。
「きゃっ!?」
「わ、なんだっ!?」
 いきなりスポットライトで照らされたようにビックリしている2人に、祐介さんが微笑みを浮かべて近寄ると、深々と一礼しました。
「いらっしゃいませ。今宵はお二人のためにスペシャルコースをご用意させていただいております」
「えっ?」
 思わず聞き返すと、前田くんは店の窓からみんながこっちに手を振っているのに気が付きました。
「涼子さん、葵さん、留美さん、つかさちゃん、美奈ちゃん、潤くん、早苗さん……」
「さ、どうぞ」
 祐介さんに促されて、2人は並んでPia☆キャロットに入りました。
 2人を迎える声が、聖夜に響きました。

「いらっしゃいませ! Pia☆キャロットへようこそ!」

FIN  

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