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クリスマス・Pia☆キャロット《前編》

「もうすぐ楽しいクリスマス、かぁ」
 年も押し迫った12月も終盤です。
 いつものように残業して書類整理をしていた、Pia☆キャロット中杉通り店のマネージャー、双葉涼子さんは、ため息混じりに呟くと、最後の一枚にサインをして、大きく伸びをしました。
「はぁ〜、っと。ま、しょうがないか。今年も葵に付き合って、シングルベルを鳴らすとしましょう」
「こらこら、誰がシングルだ、誰が」
「あら、葵?」
 涼子さんが振り返ると、いつの間にか開いていたドアから、葵さんが顔を出していました。
「どうしたの? さっさと帰ったと思ってたのに」
「待っててあげたのよ。それなのに、ひどいわあんまりだわぁ〜」
 うらめしそうに腰をかがめて涼子さんを見上げる葵さん。
「親友が独り冬の道をトボトボと帰るのが可哀想だからって待っててあげたのに、その親友にシングルなんて言われるとは思わなかったわぁ。もう情けもなにもないのねぇ〜よよよ」
「はいはい。わかりました」
 そう言うと、涼子さんは立ち上がりました。
「それじゃ、さっさと帰りましょ」
「そーね。寂しい女同士、今日は飲むわよぉ!」
 なんだか自棄になってるような葵さん。何かあったんでしょうか?
「……いつものことよ」
「りょ〜おこ〜、誰と話してんのよぉ〜」
「あ、こっちのこと。さ、着替え着替えっと」
 涼子さんは更衣室に入っていきました。なお、これ以上はプライバシーの侵害なのでお見せできません。
「きゃ! どうして入ってくるのよ!」
「あ〜ん、だって独りで寂しいんだも〜ん」
「わ、お酒臭い! どこかで飲んでたのね、葵ったら」
「だってぇ〜。えい、もみもみぃ」
「きゃぁ! やっ、やめな……あっ……」
「あ、涼子ってば感じてるんだぁ」
「ばっ、馬鹿ぁ!」
 ……お見せできません。残念です。

 30分後、寮へ向かって二人は仲良く並んで歩いていました。
「もうすぐクリスマス、かぁ」
 葵さんは、白く染まった息が闇に消えるのを目で追いながら、呟きました。
「こういうとき、彼氏がほしーなって思うなぁ」
「しみじみ言わないでよ、もう」
 半分呆れ、半分怒ったように、涼子さんはほっぺたを膨らませました。そのほっぺたを、葵さんがツンツンとつつきます。
「まぁまぁ。膨れてると、せっかくの美人が台無しだぞぉ」
「やめてよ、お酒臭いんだから。どれくらい飲んだの?」
「大したこと無いわよ。カップ酒を2本くらい、かなっ?」
「かなっ、じゃないわよ」
 と言いつつ、半分諦めてる涼子さんでした。
 と、不意に葵さんは手をポンと打ちました。
「そうだ。うちのお店にも彼氏がいるじゃないの」
「彼氏? でも、店長さんは新婚でしょ?」
「ちゃうちゃう。前田くんよ、前田くん」
「前田くん? でも、前田くんはあずささんと……、でしょう?」
 小首を傾げる涼子さん。
「いーのいーの。おねーさんの見たところ、どーも二人には進展が無いみたいだし、それじゃあおねーさんがオトナの女を教えてあげたっていーじゃない」
「ちょ、ちょっと葵!」
 話が不穏な方向に向かい始めたのを敏感に感じ取った涼子さん、慌てて葵さんの手を引っ張ります。
「ちょっと待ちなさいよ! どうする気なの?」
「どうするって、そりゃ女を教えてあ・げ・る・のよ」
「それはまずいんじゃないの? あずさちゃん、黙ってないわよ」
「何よぉ、涼子はあたしよりもあずさちゃんの方が女の魅力があるって言うのぉ? ひどい、ひどいわ。みんなして私をいじめるのねぇ〜」
 猛烈な頭痛を感じて、こめかみを押さえる涼子さんでした。
「あのね、葵。とにかく寮に帰るわよ!」
「あ、ちょっと、待ってよぉ。涼子ぉ、置いて行かないでぇ〜」
 さっさと歩きだした涼子さんを、慌てて追いかける葵さん。本当に仲がいいですねぇ。
 翌朝。……と言っても、もうすぐお昼という時間帯です。
「つつー。昨日は飲み過ぎたかなぁ……」
 Pia☆キャロットの店内では、ウェイトレス姿の葵さんが、額を押さえて顔をしかめています。どうやら昨日の夜のお酒がちょっと過ぎていたようですね。
 と、外からお客さんが入ってきました。葵さん、そこはプロですから、さっと営業スマイルに切り替えます。
「いらっしゃいませ! Pia☆キャロットにようこそ。お煙草はお吸いになられますかぁ?」
「やぁ、葵さん!」
「あら、前田くんじゃない。やっだぁ、久しぶり。元気だった?」
 そこにいたのは、前田くんでした。夏の間、アルバイトをしていたんですが、夏休みが終わってからは時々しか来なくなっていたんです。
「ええ、まぁ。えっと……」
 そう言って、店内を見回す前田くん。葵さんはにこっと笑うと、声を潜めました。
「心配しなくても、あずさちゃんは今日はお休みよん」
「え? あずさ……じゃない、日野森は今日じゃなかったですか?」
「いつのシフトの話してるのよ。もうあのシフトはとっくに変わってるわよ」
 肩をすくめる葵さん。ちなみに、シフトっていうのは、早い話が当番のことです。
「そっか、そうですよね。……じゃなくて」
 言いかけたところに、別のウェイトレスの娘が声を掛けました。
「あ、前田くんじゃない。久しぶりだね!」
「え?」
 言われてそっちを見る前田くん。しげしげとそのショートカットの娘を見て首を傾げます。
「お会いしたことありました?」
「……」
 そのウェイトレスの娘と葵さんは顔を見合わせて、同時に吹き出しました。
「あはははは〜、そういえばこの姿では初めてだっけ?」
「くくく。そういえばそうでした」
「??」
 ますます判らない、という顔をする前田くんに、その娘は笑いながら言いました。
「男子更衣室に鍵掛けたって怒ってたのは、誰だっけ?」
「え?」
 前田くん、もう一度しげしげとその娘を見て、静かに言いました。
「変な奴とは思ってたけど、とうとう女装に走ったか、潤」
 バキィ
 次の瞬間、ストレートパンチを受けてそのまま床に倒れ伏す前田くんでした。
「つーっ」
「大丈夫ですか? これで冷やして下さい」
「あ、ありがとう、早苗さん」
 早苗ちゃんから濡れたタオルを受け取ると、それをほっぺたに当てて顔をしかめる前田くん。
 その前では、潤ちゃんが小さくなって頭を下げてました。
「ごめんなさい」
「いや、いいって。俺の方が悪かったんだから」
 見事なKOを決められた前田くんは、懐かしい事務室に運び込まれて、手当を受けていたのでした。
「しっかし、本当に女だったとはねぇ」
 もう一度、しげしげと潤ちゃんのウェイトレス姿を見ながら、感心する前田くん。
「全然気付かなかったぜ」
「本当は、いつ気付かれるかってハラハラしてたのよ。前田くんったら、着替えてる最中にも平気で入って来るんだから」
「ちぇ、そうと知ってたらなぁ」
 笑ってそう言うと、前田くんは起きあがりました。
「それはそうと、今日、本当に日野森は来てないんだよな?」
「あずささん? それとも美奈ちゃん?」
 悪戯っぽく笑いながら訊ねる潤ちゃんに、前田くんは苦笑しました。
「あずさだよ」
「わぁ、あずさって呼び捨てなんだ。すっごぉ〜いすっごぉ〜い」
「てめ、どつくぞ」
 早苗さんが笑顔で漫才に割って入りました。
「二人とも今日はお休みですよ」
「そっか……。よかった」
「何が?」
 鋭く突っ込む潤ちゃんです。そんな潤ちゃんを見て、前田くんはげっそりします。
「男だった時の方がよかった……」
 じろり
「ってのは、冗談で……」
「いいから、本題に入ってよ。わたし達も遊んでるわけにはいかないんだから」
「……」
 お前ら、俺を介抱することにかこつけてさぼってるだけじゃないのか? と一瞬言いかけて、前田くんはその言葉を飲み込みました。
「実は……、もうすぐクリスマスだろ?」
「任務了解」
 肯く潤ちゃん。
「お、おい、何が任務了解なんだ?」
「おおかた前田くんのことだから、あずさちゃんに送るプレゼントを選ぶの手伝ってくれ……ってところでしょ?」
 ぴしっと指を突きつけながら言う潤ちゃん。前田くん、黙り込んじゃった所を見ると、どうやら図星のようですね。
「そういうことなんですか? それなら、私もお手伝いしますよ」
 にこにこしながら肯く早苗ちゃん。
 そして……。
「どうして、そーゆーことをボクに黙ってやろうとするのかな、君達はぁ」
「その声は、つかさちゃん!?」
 ドアの方を見る前田くん。そこにはつかさちゃんが立っておりました。相変わらず、妙なポーズを付ける癖は直ってないようですね。
 ぴしっと指を2本揃えて敬礼のようなポーズをとって、つかさちゃんは言いました。
「そういうことなら、ボクにお任せぇ!」
「丁重にお断り申し上げます」
 キッパリ言う前田くんに、つかさちゃんはぷっと膨れました。
「何でよぉ?」
「前にデートのプレゼント選ぶの手伝ってもらった時のことは、忘れてないぞ、こら」
「あ……、そ、そんなこともあったっけね?」
 あさっての方を見てしゃらっと言うつかさちゃん。でもその後頭部には大粒の汗が浮かんでいるのでした。
「ったく。何が「これがいいと思うよ」だ。おかげであずさに機嫌直してもらうのに半月かかったんだぞ!」
「えっと、それはまぁ、個人的価値観の相違ってやつで。ボクはいいと思ったんだけどなぁ」
 一体、前田くんは何をあずさちゃんに贈ったんでしょうねぇ?
「と、とにかく、いつプレゼントを選びに行くの?」
 横から割り込む潤ちゃん。前田くんも我に返ったようです。
「そうだった、そうだった。何時がいいかなぁ?」
「そうですね。やっぱり早いうちがいいと思うんですけど……」
 早苗さんはそう言って考え込みました。前田くんも気がつきます。
「そっか。みんなシフトがあるもんなぁ。早苗さんはいつ休み?」
「私は、月曜と木曜です」
「僕は火曜と木曜」
 と潤ちゃん。
「ボクは月曜と金曜」
「木曜にしよう」
 つかさちゃんの答えを聞くと、前田くんはきっぱりと言い切りました。
「……ということになったんです」
 前田くんが帰ったあと、お昼の休憩時間になって、入れ代わりに事務室にやって来た葵さんに、早苗さんが顛末を説明しました。
「ははぁん、そういうことだったのね。それでつかさちゃんがむくれてるってわけだ」
「ボク、むくれてなんかないもん!」
 すみの椅子に座って腕を組んで膨れてるつかさちゃんが、葵さんに向かって言います。どう見てもむくれてますよね。
「はいはい、いい子いい子」
 その頭を撫でてあげてから、葵さんはにまっと笑いました。
「木曜は、確かあずさちゃんはここに来るわよね?」
「ええ、その筈ですけど」
 早苗さんは、怪訝そうに葵さんを見ましたが、葵さんは「ふっふっふ」と笑っているだけでした。
 さて、その頃のあずさちゃん。
 チン
「もう、前田くんったら、どこに行ったのかしら?」
 受話器を置くと、ため息をつくあずさちゃん。
「せっかくのお休みなのに……」
「お姉ちゃん」
「うわぉう!」
 思わず飛び上がるあずさちゃん。おそるおそる後ろを見ると、美奈ちゃんが睨んでいます。
「みっ、みっ、ミーナ、どうしたの? 怖いお顔して」
「お姉ちゃん、ミーナとの約束、忘れてる」
「ええっ!?」
 あずさちゃん、慌てて頭の中の棚をひっくり返して思いだそうとします。
 えっと、ミーナと約束、ミーナと約束、なんだったっけ? あー、どうしよう、思い出せない。でも、そんなこと言うとミーナが怒るし、えっと、わぁ〜どうしよう?
「お姉ちゃん」
 びくり
「み、ミーナ、えっとね、あたし、その、あのね」
「忘れたの?」
「それが、その、ですね、えっと」
「忘れたんですね?」
「……ごめんなさい」
 深々と頭を下げるあずさちゃん。
「……お姉ちゃん、やっぱりミーナのこと、どうでもいいんだ……」
 じわっと大きな瞳をうるませる美奈ちゃん。さらに慌てるあずさちゃん。
「そ、そんなことないわよ!」
「いいんだ。ぐすん。美奈は独りで生きていきます」
 そのままトボトボと廊下を歩いていく美奈ちゃん。
「ミーナ」
 フワリと、あずさちゃんは美奈ちゃんを後ろから抱きしめました。
「あっ、お姉ちゃん?」
「ミーナ、そんなことあるはず無いでしょう? 私達、この広い世界でたった二人だけの姉妹じゃない。どんな辛い時だって、励まし合って生きていこうって決めたじゃない。ね?」
 美奈ちゃんに後ろから半分体を預けるようにして、静かに言うあずさちゃん。
 こうしてみると、絵になりますねぇ。
 あずさちゃんは、その姿勢のまま、軽く微笑みました。
「うん、いいよ。ミーナ、今日はずっと、一緒にいるから」
「お姉ちゃん……。うん」
 こくんとうなずく美奈ちゃん。実は約束なんてしてなかったんだよ、とは今さら言えるわけもありません。
(ごめんね、お姉ちゃん)
 心の中で呟く美奈ちゃんでありました。

to be continued

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