THE END
どうすればよかったんだろう。
あたしの大事な親友。
その親友が、心の底から信じてる人。
最初は、嫉妬してたのかもしれない。
あたしの方が、ずっとよく知ってるんだから。
でも、ある時気が付いた。
あたしの知らないあの娘を、彼は知ってるんだって。
それから、あたしは2人を応援することにした。
悔しいけど、あたしには越えられなかったあの娘の心の中に、あいつは易々と入り込めたんだから。
でも……。
あいつを良く知るようになって、そしてあたしはもう一つ、気が付いた。
あたしも、あいつのことを好きになってたことに。
それは、許されないこと。
あたしがあいつを好きになるってことは、あたしの大事な親友を悲しませることになる。
それに、あいつだってあの娘がいる以上、あたしに振り向くことなんてあるはずない。
それでも、あたし自身の想いは止められなかった。
あたしが、いなくなれば、全ては丸く収まるんだ。
いつからだったんだろう。そんな考えが、浮かんでは消えるようになってきたのは。
そして、浮かんでいる時間の方が、消えてる時間よりも長くなってきたのは。
あたしは存在していなかったんだ。
だから、あたしもみんなの事なんて知らないんだ。
そう、知らないんだ……。
あたしは、全てを忘れた。
でも、ダメだった。
どうしても、あの娘のことは、忘れられなかった。記憶から全てを消しても、あの娘の悲しそうな顔だけは消えなかった。
あたしは、だから、こうするしかなかった。
こうするしかなかった……。
「えいえんは、あるよ」
「ここに、あるよ」
茜の親友だったやつが、病院で消えて以来、茜はそいつの名前を口にしたことがなかった。
だから、俺はそいつの名前を知らない。
そいつが確かにいたのかどうかすら、知らない。
全ては、茜の記憶の中にしか、存在していないのだから……。
「茜……」
俺が声を掛けると、茜は振り返った。
「また、来てたのか」
「……はい」
こくりと頷き、元のように俺に背を向けて、その巨大な建物――病院を見上げる茜。
いつ頃から、茜はそうするようになったんだろう?
俺にもよく判らないのは、茜が待っている人が誰なのか判らないからだ。
だけど、そいつは確かに存在していて、そして……。
そして、“えいえん”に旅立っていった。
俺は、そっと茜の肩を抱き寄せた。
「いつまで、待てばいいんだ?」
「……」
無言のまま、首を振る茜。
俺が現れるまで、茜はあの空き地で、幼なじみの男を待ち続けていた。
「……私は、あきらめは悪いほうですから」
微かに聞こえる声。
「そう、だったな」
茜を抱く手に力を込めながら、俺は頷いた。
「……浩平」
「ん?」
「……ありがとう」
何に対しての礼なのか、俺にはよく判らなかった。
しばらくして、茜はすっと俺から体を放した。
「行きましょう」
「もう、いいのか?」
「……はい」
頷いて、茜は歩き出した。
静かに、緩やかに、だが確実に、季節は移っていく。
夏。コンクリートに照り返す日射しは眩しく、暴力的ですらあった。
秋。枯れ葉の赤や黄色と、コンクリートの白いコントラストが目に残った。
冬。白い雪が街を覆い、そして茜の想いもその下に閉ざしていくように積もっていった。
そして……。
「すっかり、雪もとけたな」
「……はい」
俺は大きく伸びをして、目の前の病院を見上げた。
茜が、振り返った。
「浩平」
「ん、どうした?」
「私は、あきらめは悪い方です」
「そりゃ知ってるよ」
「……でも」
ところどころに雲を浮かべた青空。そして、暖かな光を投げかける太陽。
もう、春と言っても差し支えない季節になろうとしていた。
太陽が眩しいらしく、茜は手でその光を遮るようにして、空を見上げていた。
「もう、あきらめた方が、いいかもしれませんね」
その表情は、穏やかだった。
だけど……。
「茜は、それでいいのか?」
「……」
「茜にとっちゃ、大切な親友だったんだろ? そいつを忘れてしまっていいのか?」
「でもっ!」
不意に、茜は俺に視線を向けた。
その瞳から、涙が一筋、流れ落ちた。
「浩平、私は……どうしたらいいんですか?」
「なら、忘れてもいいって思ってるのか? 茜が忘れちまったら、この世界でそいつを覚えているのは誰もいなくなっちまうんだぞ」
「でも……。その方が、楽です」
「茜、お前……」
「それに、浩平も……」
俺?
茜は、視線を地面に落とした。
「浩平も、もう嫌になってきたんじゃないですか? こんな意味のないことにさんざん付き合わせられて……」
「……」
「私だったら、嫌です」
そう言うと、茜は顔を上げた。
「自分の好きな人が、自分よりも他の人のことを優先させてるのは……」
「だから、茜は忘れるっていうのか?」
俺は、茜の肩を掴んだ。
「俺のことは関係ないだろ!?」
「でもっ! それじゃいいんですか!? ずっとこのままで、浩平はいいんですかっ!?」
茜が、珍しく大きな声を上げた。そして、自分でその声に驚いたように、俺から体を放して、後ずさった。
「茜……」
「……すみません」
茜は、自分で自分を抱くようにして、その場にしゃがみ込んだ。
「でも、私、もうわからない……。どうしていいのか……」
「……なぁ、茜」
俺は、茜の隣りに屈み込んだ。そして、訊ねた。
「もし、もしもだぞ。……俺が、そいつのことは一切忘れて、俺と楽しくやろうぜ、って言ったとして、茜はそうするか?」
「……」
しばしの沈黙の後、茜は俺の方を向いて、微笑んだ。
「……絶対に、嫌です」
でも、ダメだった……。
あの娘は、優しすぎたから。
忘れてくれなかった。
最後まで、忘れようとしてくれなかった。
それなら……。
ここにいる意味なんてないじゃない。
「えいえんは、いらなかったんだ……」
「……そうだよな」
茜の頭にぽんと手を置いて、俺は立ち上がった。
「あきらめが悪いのが茜の売りだからな」
「そんな売りは嫌です」
そう言いながらも、茜は立ち上がった。そして、すっと頭を下げる。
「ごめんなさい、浩平」
「なぁに。茜の知られざる一面が見られたし」
俺がわざとからかうような口調で言うと、茜は赤くなってそっぽを向いた。
「浩平はいじわるです。それに……」
「それに?」
「段々、あの人に似てきました」
「冗談はよせ。なんで俺が柚木に似てこないといかんのだ?」
俺は肩をすくめた。それから、ぶらぶらと歩き出しながら、訊ねる。
「そういや、最近、柚木を見ないけど、食中毒にでもなったのか? ……茜?」
隣りにいるはずの茜の姿がなかった。振り返ると、茜が大きく目を見開いて俺を見つめていた。
「どうした、茜?」
「浩平……、今、なんて……?」
「え?」
質問の意味が分からず、俺は首を傾げた。
「なんだって、茜?」
と。
その向こうから走ってくる人影が目に映った。俺は舌打ちした。
「ったく。どうしてあいつは俺と茜がラブラブな時に邪魔しに来るんだ?」
「えっ!?」
振り返った茜は、声を上げた。
「詩子っ!」
「やっほーっ! おひさ〜っ」
柚木は笑顔で手を振った。
茜は柚木に駆け寄って、そのまま抱きついた。
「きゃっ。ど、どうしたのよ、茜?」
苦笑して訊ねる柚木に、茜は呟くように答えた。
「……戻って来たんですね、詩子」
「……うん」
頷いて、柚木は目を閉じて、茜を抱きしめた。
「ありがと、茜」
「……はい」
「おっと、あんまり茜とラブラブしてると、折原くんに何されるか、わかんないからな〜」
柚木は手をほどくと、茜を俺に押しやった。
「はい、茜は返したげるわね」
「当たり前だ。これは俺のだ」
茜を抱き寄せながら、俺は笑って言った。
俺の腕の中で、茜はきっぱりと言った。
「嫌です」
柚木が笑う。
「ほら、やっぱり茜はあたしの〜」
「それも嫌です」
またきっぱりと言う茜。
「そらみろ。茜は俺のだって」
「嫌です。私は私のものです」
俺には茜の態度から推測することしか出来なかったけど、でも間違いない。
“えいえん”の世界に行っていたのはこの柚木で、そして、たった今、戻ってきたんだ。
俺は、茜にささやいた。茜は微笑んで頷くと、柚木に向き直った。
「詩子……」
「うん? どうしたの、茜?」
「……お帰りなさい」
そう言った茜に、柚木はもう一度抱きついた。
「……うん、ただいま」
……とりあえず、あと15秒は見逃してやろう。
そう思う俺だった。
「桜ももうすぐだね〜」
俺と茜、そしてお邪魔虫1人の3人で、公園を歩く。
柚木は、まだつぼみだが、かなりふくらみ始めている花を手にして、しみじみと呟いた。それから、くるっと俺達の方に向き直る。
「ね、今の絵になってたでしょ?」
「はいはい」
俺が投げやりに相づちを打つと、柚木は不満そうにふくれた。
「なによ、投げやりね〜。もうちょっと愛想良くしても罰は当たらないわよ」
「お前に愛想良くしてどうなるんだよ。いいからもう帰れっ!」
「茜〜。折原くんがあんなこと言ってるよ〜」
「お前に言ったんだっ!」
茜は、俺達のやりとりを微笑んで見ていた。
「それじゃ、桜が咲いたらお花見しようね!」
「あ、お前また俺と茜の邪魔をする気だな!?」
「そんなことしてないでしょ? あたしは2人を暖かく見守ってるだけよ」
柚木は、あれから住井とは正式に別れてフリーになったそうで、俺と茜がデートをしていると、どこからともなく現れてはちょっかいをかけてくる。まったく困ったもんだ。
でも、まぁいいか。
「なぁ、茜」
「何ですか?」
「手を繋がないか?」
「恥ずかしいから、嫌です」
俺は苦笑した。
「相変わらずだな」
「はい、そうですね」
茜もくすっと笑った。
春は、すぐそこまで来てるようだった。
「ねぇねぇ、何、内緒話してるの?」
「君には教えてやらん」
「あーっ、けち! いいもん、茜に聞くから。茜は教えてくれるよね〜」
「嫌です」
「うぐぅ」
「詩子がやっても可愛くありません」
「それじゃ俺が見本を見せてやろう」
「絶対に、嫌です」
あとがき
野バラのエチュード その11 2000/1/7 Up 2000/1/9 Update