「ふぅ、食った食った」
楽しい夕食が終わり、俺は満腹して廊下を歩いていた。
「ううっ。今日もあんまり食べられなかった……」
俺の後を、ぶつぶつ言いながら歩く七瀬。
「今日も楽しかったね〜」
「み……、うんっ♪」
その後ろから、長森と椎名がにこにこしながら歩いている。
俺は振り返った。
「長森、明日は10時だったか?」
「うん。演劇部のみんなは、バスだからもっと遅くだけど、わたしたち列車だし」
ってことは、バス停までは歩くのか……。面倒だなぁ。
「ついでだから乗せていってもらえばいいじゃねぇか」
「それは悪いよぉ。それに、列車の切符はもう取ってあるんだもん」
気の利かないことを長森が言う。ま、そもそも演劇部御一同と一緒になったってのは、たまたまだったしな。それを予測してろってのも無茶か。
あ、たまたまと言えば……。
「茜や柚木達は? やっぱり明日帰るのか?」
「そこまで知らないもん。あ、でも柚木さん、ゴールデンウィークから少しずらして来たって言ってたから、もう少し泊まっていくのかもしれないよ」
そう言ってから、長森は俺の顔を覗き込んだ。
「そっか。浩平、寂しいんだ」
「ば、ばかっ。何言ってやがる」
俺は前に向き直った。
後ろで七瀬が長森に尋ねている。
「そうなの?」
「うん。だって、ああ見えて、浩平って寂しがりやなんだもん」
「こらっ、長森、変なこと七瀬に吹き込むなっ!」
「ふぅん、そっかぁ……」
なんだか独り納得している七瀬と、にこにこしている長森。むぅ……。
「さっさと行くぞっ!」
そう言って、俺はすたすたと歩き出した。
「あ、ちょっと! 待ちなさいよ、浩平っ!!」
「大丈夫だよ。浩平、照れてるだけだよ〜」
くそぉ、長森がいる限り、俺に勝ち目は無いのかっ!?
「そうそう。あとね〜、浩平ってねぇ〜」
「うんうん?」
……勝ち目はないようだった。しくしく。
七瀬はもとより、椎名までが、その場で立ち止まって、長森の話に聴き入っているのを見て、俺はがくりと肩を落とすのだった。
「それじゃ、わたし達こっちだから。おやすみなさぁい」
「み……、おやすみ」
そう言って、長森と椎名は隣の部屋に入っていった。
俺はドアを開けて、振り返った。
「どうした、七瀬?」
「えっと、あの」
何故か、赤くなって俯いている七瀬。と、不意に顔を上げた。
「あ、あたし、お菓子買ってこようか?」
「心配するな。煎餅ならある」
「あう……」
黙り込む七瀬。
「何だよ、変な奴」
「うっ、うるさいわねっ」
ははぁん。どうやら覚悟を決めかねてるな。
七瀬は、初めての時もそうだったが、どうも往生際の悪いところがある。
現状から一歩踏みだすとなると、いつもの凶暴さ……いや、勝ち気さと言い換えておくが、それがどこかにすっ飛んでしまい、後込みするのだ。
いつも、七瀬はそうだった。状況に流されるように、進んできた。
そんな七瀬が、初めて自分で進もうと決めたのが、俺が消えて1年たった、あの時だった。
帰ろう
ずっとあたしがいなかった、現実に。
とりあえずこのドレスを仕舞って……。
あいつとの時間をもう過去として終えるんだ。
そう決めたところだったんだと、七瀬は俺と踊りながら笑ってた。
しかし、俺も絶妙のタイミングで帰ってこられたもんだ。早くても、遅くても、だめだったろうな。
……と。いかんいかん、回想に浸ってる場合じゃないな。
「なぁ、七瀬」
「何よぉ」
「もしかして、おまえ、緊張してるのか?」
笑いながら、さりげなく聞く。いつもの七瀬なら「そんなことないわよっ」とくってかかるところだ。
「……うん」
しおらしく頷く七瀬。本性すら出てこないとは、こりゃ重症だなぁ。
しょうがねぇ。
「七瀬、すこしじっとしてろよ」
「えっ? きゃっ、こ、浩平何すんのよっ」
俺は、七瀬を抱き上げた。
「何って……、お前重いな」
「アホっ!! わ、きゃっ!」
俺がよろめいたので、慌てて俺の首にしがみつく七瀬。流石に廊下って事を考えてか、耳元で訊ねる。
「何の真似よっ」
「外国だとな、新婚の初夜には、寝室にはいるときはこうやって、新郎が新婦を抱きかかえて入るんだそうだ」
「あ、それ聞いたことがある……。こ、浩平、もしかして……」
「ああ、そのつもり」
かぁっと真っ赤になると、七瀬は俺に尋ねた。
「い、いいの、ホントに? あたしで?」
「七瀬でなくちゃ、俺が嫌だ」
俺は、開きっぱなしのドアから、部屋に入った。そして、既にのべてある布団の上に七瀬を下ろした。
「……浩平」
ぽわ〜んとした表情で、俺を見上げる七瀬。
「ちょっと待ってろ。また長森に覗かれちゃかなわん」
俺はドアを閉めて鍵をかけると、ジャケットを脱いだ。それから、七瀬に訊ねる。
「……いいか?」
「……うん」
七瀬は、両腕を広げた。
「……来て、浩平」
「おうっ」
七瀬を抱き起こすと、唇を重ねる。重ねながら、赤いリボンをすっと引っ張ると、おさげの片方がぱらっと解ける。
「あっ……」
七瀬にとっての、“乙女の証明”の一つである、赤いリボン。
「浩平……」
唇を離して、七瀬は泣きそうな顔をして俺を見る。
構わずに、もう片方もシュルッと解くと、俺はもう一度、キスをした。
こうしてみると、七瀬の髪も結構長い。
髪を手に取ってみる。
「ちょっと、浩平……」
「なんだ? 髪を触られるのは嫌か?」
「……引っ張られるよりはいいけど……」
ちょっと困ったような顔をする七瀬。
「俺は、七瀬の髪は好きだぞ。七瀬のだからな」
「そう? なら、いいよ」
嬉しそうに言うと、七瀬は目を閉じた。
俺は、さらにキスをしながら、七瀬のジャケットを脱がせていった……。
不意に、目が覚めた。
カーテンを引き忘れた窓からは、月明かりが部屋の中にさし込んできていた。
くー、くー
俺の隣で、無邪気に眠る七瀬。
いつだって、奇跡は人との絆が起こすものなんだ……。
いつだったか、そう言った奴がいたよな。
俺は、月を見上げながら、そんなことを思い出していた。
絆、か。
「……浩平……好き……」
七瀬が、小さく呟いた。
俺は、七瀬の髪を撫でると、目を閉じた。
ドンドン、ドンドン
「浩平〜〜〜っ! 七瀬さぁん! 起きてよ〜! もうすぐ時間だよ〜〜っ!」
ノックの音に、俺は目を覚ました。
「うるさいなぁ、長森の奴……」
「う、うん……」
七瀬も目を開けた。
「あ、おはよ、浩平……」
「おう」
ドンドンドン
「起きてってば〜! 早くしないと、列車に乗り遅れちゃうんだよ〜〜〜」
ドアの向こうで長森が叫んでいる。しょうがねぇなぁ。
「わかった、わかったからドアを叩くなっ!」
「あっ、浩平、起きた!?」
「起きたよっ。5分で行くから、ロビーで待ってろ!!」
「信用できないよ〜。七瀬さんっ、起きた?」
「ああ、起きてる起きてる。だから待ってろ」
「うん、早くねっ」
長森はそう言うと、そのまま走っていったらしい。パタパタという足音が小さくなっていく。
「ふわぁ、良く寝たな」
俺は大きく伸びをした。
「ええ〜〜〜っ! もうこんな時間なのっ!?」
隣でがばっと身体を起こした七瀬が、時計を見て悲鳴を上げている。
「この寝ぼすけめ」
「あんたもおなじでしょっ!!」
「俺はいつもだからいいのだ」
「あーん、そんな事言ってる場合じゃないのよっ!」
そう言いながら、慌てて下着を付けていく七瀬。
俺も起き上がって着替えることにする。
ジャケットに袖を通し、バッグを持つと、俺は訊ねた。
「用意出来たか?」
「ちょっと待って……」
七瀬は、ぎゅっとスポーツバッグのファスナーを閉めると、立ち上がった。
「いいよっ」
「じゃあ……」
俺は、2つのバッグを左手にまとめて持つと、部屋のドアを開けた。そして、右手を差しだした。
「行こうぜ、留美」
「浩平……。うんっゥ」
俺達は、手を繋いで駆け出した。
まだ、俺と留美の旅は、始まったばかりだ。
でも、どんなハプニングも、留美となら乗り越えていける。
「浩平……。バス、行っちゃったみたいだよ……。はぁ……」
「どうすんのよっ! 次のバス、1時間半後じゃないっ!! 列車に間に合わないわよっ!」
「バス……来ない……」
乗り越えていけるだろう。たぶん。
俺は、バス停のベンチに腰を下ろし、眩しい陽の光に目を細めるのだった。
季節は、ゆっくりと春から初夏に移ろいつつあった。
「独りで落ち着いてるんじゃないっ!!」
ドカァッ