12月も半ばをすぎた頃、言っていたとおり、みさきは入院した。
To fortune be with you
オレは、病室の脇にかかっているネームプレートを確認した。
『川名みさき様』
ここだな。個室なのか。
トントン
ノックをすると、ドアの向こうから「どうぞ」と声が聞こえた。
オレはドアを開けて、中に入った。
白い清潔な病室。
みさきは、ベッドから身を起こした。
「誰? ……って、判るよ。浩平だよね?」
「当り。すごいな、みさきは」
オレは、持ってきた花束を脇のテーブルに置いた。
みさきは、鼻をくんくんさせて、にこっと笑った。
「花だね〜。嬉しいよ〜」
「ま、とりあえず定番だからな。もっとも、みさきには食べ物の方がよかったかな?」
「え〜。そんなことないよ〜。もう、浩平、意地悪だよ〜」
プンと拗ねると、みさきは壁の方を向いてしまった。
「そんな意地悪な事言う浩平とは、もうお話ししてあげないよ〜」
「……」
黙っていると、みさきはこっちの方を伺うように振り返った。
「ホントに、お話してあげないよ?」
「……」
「あの、浩平……。そこに、いるよね?」
不安そうに、オレの方に手を伸ばすみさき。
オレは、その手をぎゅっと握った。
「いるよ」
「もうっ! やっぱり、浩平意地悪だよ〜」
涙を浮かべて怒るみさき。オレは、そんなみさきを抱きしめた。
「きゃっ」
「みさき……」
「も、もう。いつも、いきなりなんだから……」
そう言いながら、体の力を抜くみさき。
オレは、みさきの耳にささやいた。
「な、いまからしよっか?」
「えっ? だ、ダメだよ〜。ここ、病院だよ〜」
かぁっと赤くなるみさき。オレは笑った。
「はて、みさきちゃんは何を想像したのかなぁ〜? オレはただ、しりとりでもしよっかって思っただけだったんだけどなぁ」
「……ぐすっ」
みさきは俯いた。
「浩平、どうして、そんな意地悪ばっかりするの? 私、私……ひっく」
まずい。からかいすぎたか。
「ごっ、ごめん、みさき。オレ、みさきが不安なんじゃないかなって思って、気を紛らわしてやろうかと、えっと、ごめんっ!」
「……なんてね」
ぱっと顔を上げると、みさきは笑った。
「あっ! こ、このっ」
「でも、嬉しいよ〜。浩平、私のこと気遣ってくれたんだもんね〜」
「……あ、ああ」
結局、この笑顔を見ると、怒れないんだよなぁ。
オレは、ベッドサイドにある椅子に座り込んで話をしていた。
「ええっ!? それじゃ、手術って明日なのかっ!?」
大げさに驚くと、みさきはぷっと吹き出した。
「もう、浩平演技へただよ〜。知ってて、お見舞いに来てくれたんでしょ?」
「ま、まぁ、そうだけどな」
頭を掻くオレ。
「ま、思ったよりも元気そうで、安心したぜ」
「……うん、元気だよ」
あれ?
今、一瞬間が空いたような……。
気のせいかな?
オレは時計を見た。そろそろ面会時間も終わりのようだ。
「もう、こんな時間か。それじゃ、そろそろオレ帰るよ」
「えっ? あ、そう……。もうそんな時間なんだ……」
つぶやくと、みさきはオレに笑顔を向けた。
「来てくれて嬉しかったよ〜」
「ああ。じゃあな」
オレは、立ち上がった。そしてドアに手をかけ、ノブを回す。
カチャリ
「浩平っ!」
「え?」
「……な、なんでもないよ……」
俯くみさき。
そうか……。
オレは、みさきのベッドサイドにある椅子に座り直した。
「ごめん、みさき」
「浩平?」
「約束したんだったな。ずっとそばにいるって」
オレがそういうと、みさきはぱっと表情を明るくした。
「いてくれるの?」
「ああ。恐がりのお姫様のためにな」
「嬉しいよ〜。ホントは、とっても怖かったんだよ〜」
にこにこするみさき。
付き添いってことで、許可をもらったりしてるうちに、8時をすぎてしまった。
トントン
「ただいま〜」
オレがノックをしてからドアを開けると、点字の本を読んでいたみさきは顔を上げた。
「おかえりなさぁい。ちゃんと許可もらえた?」
「ああ。だけど、あの看護婦め〜」
「どうしたの?」
みさきが尋ねた。オレは肩をすくめた。
「いや。許可はくれたんだけど、『手術の前なんだから、我慢してね』だってさ」
「え? あっ……」
ぽっと赤くなるみさき。
オレは椅子を引き寄せて座った。
「ったく。オレは性欲魔人かっての」
「えっと、えっと」
なぜか慌てるみさき。
それを見て、オレはピンときた。
「さては、オレのあることないこと看護婦に話してたんだな〜」
「だって〜」
「み〜さ〜き〜」
みさきは俯いて「ごめんなさい」と言った。でも、全然悪いとは思ってないようだった。
結局、オレはその晩、みさきが眠りにつくまで一緒にいた。
フッ
“手術中”のランプが消えた。
廊下にある椅子に座って待っていた俺は、立ち上がった。隣のおじさん、おばさんも立ち上がる。
カチャ
ドアが開き、ストレッチャーに乗せられたみさきが運び出されてくる。その口から上には白い布がかぶせられている。
「みさき!」
「まだ麻酔が効いて、眠っていますから」
駆け寄りかけたオレを、白衣の男が抱き留めるように止めた。その間に、みさきは運んで行かれてしまった。
おじさんが、外人の医者に駆け寄っていた。
「手術はどうなったんですか? 娘は?」
脇の日本人の医者がそれを英語にして伝えると、外人の医者はそれに答えた。
それを、日本人の医者が通訳する。
「現時点では、成功と言えるでしょう。ただし、実際に見えるかどうかは、まだ判りません。術後の経過を見なければ」
「あっ、有り難うございます」
おじさんとおばさんは、ぺこぺこと頭を下げた。
「成功って、言ったじゃねぇか!」
病院の屋上。
オレは、フェンスを掴んで、叫んだ。
叫び声は、むなしく青空に吸い込まれていった。
医者の説明によると、人工視神経の埋め込み自体は成功したらしい。
だが、その後、拒絶反応が起こってしまった。
みさきの身体が、埋め込まれた人工視神経を異物と判断した、ということだ。
医師も免疫抑制剤の投与などを考えたが、一度拒絶反応が起こってしまえば、ほとんど無理だと言うことで、結局あきらめたらしい。
「そんなのって……あるかよ」
オレは、事務的にそう告げた医者の顔を思い出しながら、そのまま屋上に座り込んだ。
風が冷たかった。
「……風邪、引くよ」
「えっ?」
顔を上げると、そこにみさきがいた。
まだ、鼻から上は包帯で巻いたままという姿で、そこに立っていた。
「みさきこそ、どうして……」
「私、後悔してないよ」
そう言って微笑むみさき。
「自分で決めたことだし。応援してくれた浩平には悪いかなって思ったけど……全然後悔はしてないよ」
「みさき……」
「だから、苦しまないでよ。その方が、私は辛いんだよ」
あの時と同じ。失明したときと同じ苦しみを、もう一度味わったんだろうな。
それで、それをもう一度乗り越えたのか……。少なくとも、乗り越えようとはしてるんだ。
じゃあ、オレはそれを応援してやらなくちゃならないんだよな。
と、みさきは自分で自分の身体を抱くようにして震えた。
「浩平。ここ寒いね」
「……ああ」
オレは、みさきを抱きしめた。
「少しは、暖かくなったかな?」
「少しはね。でもやっぱり寒いから、戻ろうよ」
「……そうだな」
オレは数歩歩いて、不意に気づいた。
「そういえば、もうすぐだったな」
「え?」
「クリスマス」
「……そうだね」
「よし、それじゃ今年はみさきの病室でやろう。クリスマスパーティー」
オレはせめて、そうしようと思った。
ツリーを飾って、みさきとケーキを食べようと思った。
24日、クリスマス・イブ。
「え? 今日、包帯を取るのか?」
「うん、そうらしいんだよ」
ツリーに飾りをつけるオレに、みさきはそう言って微笑んだ。
「そっか」
オレはうなずいて、サンタクロースの人形を枝に吊す。
みさきが尋ねた。
「そういえば、ろうそくに火を付けるのはダメって言われたんだって?」
「ああ、そうなんだよ。せっかく24本も買ってきたのにな」
オレは苦笑して答えた。看護婦に念を押されちゃ、仕方ない。病院だしな。
「残念だよ〜。暖かいのにね〜」
電球をツリーにはわせ、モールを巻き付ける。
「ま、みさきはケーキがあればいいか」
「なんだかひどいこと言ってない?」
それでも嬉しそうに、みさきは笑っていた。
最後に、一番上に大きな星を付けて、オレは立ち上がった。
「よし、出来上がり」
「わぁ〜」
パチパチと手をたたくみさき。
「綺麗なんだろうね〜。見たかったよ〜」
ズキッと胸が痛んだ。
「あっ、ごめん……」
みさきも俯く。
と。
トントン、とノックの音がして、看護婦が顔を出した。
「川名さん、そろそろ時間ですけど、よろしいですか?」
「はい」
みさきが答えると、看護婦がドアを大きく開けた。医者が入ってくる。
オレは尋ねた。
「もしかして、ここで包帯をはずすんですか?」
「ああ、そうだよ」
医者が、ブラインドを下げながら答えた。
「オレ、出てましょうか?」
「いや、かまわんよ。むしろ、いた方がいいかもしれんな」
「そうですね」
うなずき逢う看護婦と医者。
「は、はぁ」
「それじゃ、川名さん。身体を起こして」
「はい」
「今から包帯をほどくからね。あ、目はいいって言うまで閉じておいてね」
「判りました」
みさきは、身体を起こした。医者が、その頭に巻かれた包帯をゆっくりとほどいていく。
その下から、額に大きなガーゼを当てた、それ以外は変わらない、目を閉じたみさきの顔が現われた。
「浩平……。私、何か変になってないかな?」
ちょっと不安そうな声で、みさきが尋ねた。
オレは、答えた。
「全然変わってないぜ」
「そうなんだ。綺麗になってるかなって期待してたんだけどな」
「おいおい、整形手術したんじゃないだろ」
医者が苦笑して口を挟んだ。オレがその後を続ける。
「それに、整形なんてしなくても、みさきが一番綺麗だよ」
「あっ」
かぁっと赤くなるみさき。看護婦が笑う。
「はいはい、ごちそうさま」
「さて、それじゃ、目をゆっくり開けて」
「はい」
みさきは、ゆっくりと目を開けた。そして、微笑んだ。
「やっぱり、見えないんですね」
「……すまない」
「いえ、いいんです」
謝る医者にそう言うと、みさきはオレの方を見た。
「見えなくても、見えるものはありますから」
「みさき……」
オレはうなずいた。
「そうだよな」
医者たちが帰っていった後、オレは立ち上がった。
「それじゃ、ブラインド上げるか」
「うん」
うなずくと、みさきはぺろっと舌を出した。
「私はどっちでもいいんだけどね」
「それもそっか。なら、このままでいいか」
「えっ? でも、浩平が困るよ〜?」
「いや、その前にな」
オレは立ち上がると、クリスマスツリーの電気を入れた。
パッと綺麗なランプがクリスマスツリーを彩る。
「えっ? 何をしたの?」
「クリスマスツリーのランプを点けたんだ。せっかくだからな」
「そっか……」
オレは、ベッドのみさきの隣に腰を下ろした。
みさきは、オレに寄りかかると、つぶやいた。
「綺麗なんだろうね……」
「ああ……」
「……やっぱり、見たかったよ」
小さくつぶやくみさき。
その頬を、雫が転がり落ちていった。
「みさき……」
「ごめんね、浩平……」
そう言って、みさきはオレの胸に顔を押しつけて、かすかに嗚咽を漏らした。
オレは、みさきをぐっと抱きしめた。それしか、オレにできることがなかったから……。
しばらくして、みさきは顔を上げた。
「ごめんね。もう大丈夫だよ」
「……ああ」
オレは、腕の力を緩めた。
みさきは、ツリーの方を見た。赤や黄色や青や緑の光を明滅させ続けるクリスマスツリー。
「……綺麗なんだろうね……。なんだか、見える気がするよ〜」
「そっか」
「……あれ?」
みさきは、ツリーの方に顔を向けたまま、停止してしまった。
「どうした、みさき?」
「……ねぇ、浩平。なんだか、見えるよ」
「え?」
「光ってるのが、見えるよ」
「ま、まさか、それって……」
みさきは、その姿勢のままゆっくりとうなずいた。
オレは、窓に駆け寄ると、ブラインドを上げた。
シャッ
「きゃっ」
小さな悲鳴を上げて、目の前に手をかざすみさき。
「眩しいよ、浩平……」
「みさき……」
みさきは、ゆっくりとオレの方に視線を向けた。
「……そっか……。浩平って、こんな顔だったんだ……」
その頬を、涙が一筋流れ落ちた。
オレは、尋ねた。
「がっかりしたか?」
「ううん。想像してたより、格好いいよ」
みさきは、そう言って微笑んだ。
どうして、失敗したはずの手術が成功してしまったのか、医者もわからないと首を傾げていた。
でも、理由なんてどうでもいい。
みさきの目は見えるようになった。それだけで充分じゃないか。
翌日、オレは検査が終わって退院することになったみさきを、病院の前で待っていた。ちなみに、荷物なんかは、おじさんとおばさんが先に全部運んでくれたんで、手ぶらだ。
「お待たせ〜」
みさきが一人で歩いて出てきた。なんだか新鮮だ。
「……どうしたの、浩平?」
「いや、ホントに見えるようになったんだなぁって感動してた」
「うん。これでもう、浩平が悪いコトしても見逃さないからね〜」
みさきはにこっと笑うと、駆けだした。
「あっ、こら待てって!」
オレはその後を追いかけた。そして、その手を掴んだ。
「ふぅ。思いっきり走るって気持ちいいねっ」
みさきは笑うと、オレに言った。
「ね。あの公園に行ってみようよ」
「へぇ〜。こんな風になってたんだぁ〜」
みさきは、公園を見回してしきりに感心していた。
オレはみさきに声をかけた。
「みさき」
「どうしたの、浩平」
みさきは振り返った。あの、冷たい瞳じゃない。表情と同じ、暖かさをたたえた瞳で。
「愛してるよ」
「……恥ずかしいよ〜、浩平」
そう言って笑うみさき。
「あっ、ひでぇの」
オレが苦笑すると、みさきはたたっとオレに駆け寄ってきた。そして、オレに抱きついた。
「私も、愛してるよ」
オレ達は、唇を重ねた。
どこからか、鐘の音が聞こえてきた。
12月25日。
今日は、クリスマスだった。