「もうすぐ、クリスマスなんだね〜」
To Be Continued...
みさきは、商店街のざわめきの理由を敏感に聞き取っていた。
11月も終わり。確かに、商店街ではクリスマスの飾り付けが始まっていた。
でも、みさきは、きらびやかな飾り付けを見ることはできない……。
「どうしたの? 浩平」
光を失った冷たい瞳で、暖かな優しい笑顔で、オレを見るみさき。
「……いや」
オレは、肩をすくめた。
「なんでもないって。それより、今年のクリスマスは豪勢に祝ってやらなくちゃな」
「いいよ〜、そんなことしなくても。浩平がいてくれるんだから」
そう言って、はにかむように笑うみさき。
「そうはいかないだろ。最初がロウソク一本にポテトチップスのクリスマス。次にはオレがいてやれなかった。今度こそ、ちゃんとやってやるって」
「本当? うれしいよ〜」
ひゅうっと風が吹き抜けていった。みさきが身をすくませる。
「ちょっと寒いね」
「そっか。それじゃ、これでどうだ?」
オレはみさきを抱き寄せた。
「寒くないだろ?」
「うん。浩平、暖かいよ〜」
みさきは微笑んで、オレに体をすり寄せた。
「なんだよ、みさき。猫みたいだな」
「うん。私猫なんだ。ごろにゃお〜ん」
ううっ、可愛い。とても年上には見えんが。
「そっかぁ。それじゃ、みさき猫のクリスマスプレゼントは、かつぶしパックでオッケーだな」
「え〜。浩平意地悪だよ〜」
ぷぅっとすねるみさき。オレは笑いながら言った。
「冗談だよ、冗談。それじゃ、そろそろ帰ろうか?」
「えっ……」
みさきは、不意に表情を曇らせた。
「もう、帰るの……?」
「だって、そろそろ暗くなるぜ」
「私、もうちょっと浩平と一緒にいたいな」
みさきは俯いて、小さな声で言った。
いつものオレなら有頂天になるところだけど、なんだかオレにはそのときのみさきの表情が気になった。
「どうしたの?」
「えっ? な、何でもないよ、浩平。そ、そうだね。そろそろ帰ったほうがいいよね」
みさきは、小さくうなずくと、オレに言った。
「ただいま」
「お帰りなさい、みさき。あら、折原君も」
みさきの家に着くと、おばさんが出てきた。
「みさき、折原君に迷惑かけなかった?」
「ひどいよ、お母さん。私、そんなに子供じゃないよ〜」
ぷっと膨れるみさきに、おばさんは笑いながら言った。
「そう? それじゃ、子供じゃないみさきちゃんに、ちょっとお願いがあるんだけど」
「なに?」
「台所にケーキが置いてあるから、ちょっと味見して欲しいの」
「テーブルの上? うん、いいよ〜。それじゃ、浩平。またね〜」
みさきは手を振って、家の中に入っていった。
おばさんはそれを見送ってから、オレに尋ねた。
「折原君、ちょっと話があるの」
「オレにですか?」
「ええ」
おばさんはうなずいた。
「でも、ここじゃ何だから、ちょっと歩かない? みさきなら大丈夫。15分はケーキを食べてるから」
さすが、みさきの母親。読み切ってるな。
「わかりました」
オレはうなずいた。
おれとみさきのおばさんは、公園に来ていた。
夕暮れともなると、結構冷える。だけど、おばさんの言葉は、オレに寒さを忘れさせるに充分だった。
「手術? みさきの目の?」
「ええ」
おばさんはうなずくと、オレに聞き返した。
「みさきは、そのことは……?」
「全然言ってませんでしたけど……」
「やっぱり……」
ため息をつくおばさん。
オレは尋ねた。
「その手術をすれば、みさきの目は見えるようになるんですか?」
「……成功すれば、だけど……」
ベンチに座ったおばさんは、俯いた。
「成功率は、10%と言われたわ」
「どういう手術なんです? そもそも、どうしてみさきの目は見えないんですか?」
オレが尋ねると、おばさんは辛そうな顔をした。
「みさき、あなたに話してないのね?」
「……ええ。オレも聞いた訳じゃないですけど……。どうしてそうなったか、よりも、これからどうしていくか、の方が大事だとオレは思ってますから」
「ありがとう……」
おばさんは俯いた。
「あの子、人を見る目はあるみたいね……」
「そんな。オレなんて大した奴じゃないですよ」
オレは苦笑した。何しろ、大事な人を1年も放り出していったような奴なんだ。
おばさんは顔を上げた。
「あの子は、小さな頃から高校に遊びに行くのが好きだったの。何がそんなに面白かったのかしらね。暇さえあれば校舎の中を走り回ってた。そして、あの事故が起きたの」
「事故……」
「資料室に入り込んだあの子が何をしたのかは、私もしらないわ。でも、きっといろいろと珍しいものがあったんでしょうね。はしゃぎ回って、……ううっ」
おばさんは目頭を押さえた。
「おばさん……」
「スチール棚の上にね、大きな額があったのよ。それが、みさきが触ったか何かしたんでしょうね。滑り落ちてきて、みさきのおでこに当たったの」
「おでこに、ですか?」
「ええ。そのままみさきは意識を失って、資料室に倒れていて……。たまたま資料を取りに来た先生が見つけてくださって、そのまま病院に運ばれたんだけど……」
おばさんは、そのときの事を思い出したのか、体を折って震えていた。
「私が知らせを聞いて駆けつけたとき、みさきはベッドで眠っていたわ。ちょっとおでこが赤くなっているだけで、特に怪我らしい怪我もなくて、お医者さまの話だと、ちょっと脳しんとうを起こしただけだって。なのに、なのに……」
「もう、もういいです」
「……あの子が気が付いて、最初に言った言葉は、こうだったわ。『ねぇ、どうして暗いの? 夜になっちゃったの?』 私、最初はあの子がふざけてるんだと思ったわ。でも、そうじゃなかった。あの子はそのときはもう、光を失っていたのよ……」
「もういいですっ!」
オレは叫んでいた。おばさんは、はっとしたようにオレを見た。
力無くベンチに座り込みながら、オレはつぶやいていた。
「もう、おばさんは十分苦しんできたんでしょう? これ以上苦しむ必要なんて、ないんです」
「折原君……」
おばさんは、顔を上げた。その頬を、光るモノが流れ落ちた。
それをハンカチで拭きながら、おばさんは照れたように笑った。
「ご、ごめんなさいね。ふふ、歳は取りたくないものだわ。スグに涙もろくなっちゃって……」
「……いえ、こっちこそ言い過ぎました」
「それでね、みさきの失明の原因なんだけど」
おばさんは、目の上、ちょうど眉のすぐ下を指さした。
「ここを強打したらしいの。で、私も詳しくは知らないんだけど、視神経が入ってる管が、千切れたんですって」
「視神経が、千切れた? 両方ともですか?」
「ええ。額が水平に、こうガンッと当たったらしいの。で、両方とも」
おばさんは、手のひらを水平に目の上にトンと当てて見せた。
「それじゃ、手術っていうのは……?」
「サイバネスティックって知ってるかしら?」
おばさんに聞かれ、オレは考えた。
「確か、人工の臓器みたいなもんじゃないのかな? よく知らないけど」
「ええ。その技術を使えば、切れた視神経を人工の視神経で繋ぐことができるんですって。ただし……」
言葉を一度切ると、おばさんは俯いた。
「この手術が失敗したら、もう視神経は二度と元には戻らない……」
「それじゃ……」
「ええ。みさきの視力が回復する可能性はなくなってしまうの……」
「みさきは……?」
オレは尋ねた。
「みさきは、なんて言ってるんですか?」
「手術を受けるって……」
そう言うと、おばさんはオレに向き直った。
「お願いがあるの。折原君、みさきを止めて」
「えっ? でも……」
「今、成功率が10%っていうのは、その技術が、まだ実用段階じゃないからなのよ。もっと待てば、確実にみさきの目は治るようになるの。それまで待つように、みさきを説得して欲しいの……」
「……ただいま」
オレは、ドアを開けた。
「お帰りなさい。遅かったわね」
「あ、由起子さん」
台所から由起子さんが顔を出した。
「彼女とのデート、楽しかった?」
「ええ、まぁ……」
「もうちょっと待っててね。もうすぐご飯ができるから。あ、それとも食べてきた?」
「……いえ」
「そう? ならよかったわ」
そう言って、顔を引っ込める由起子さん。
オレは、靴を脱ぎながら、考えていた。
「……どうしたの? おいしくない?」
由起子さんに言われて、オレはあわてて止まっていた箸をのばした。
「そんなことないよ。うん、美味い」
「それならいいんだけど。……なにか、悩みでもあるの? 相談なら乗るわよ」
「……」
「ね、浩平君。私、あなたのことは息子みたいに思ってるの。だから、何でも相談して欲しいの」
由起子さんは、じっとオレを見つめていた。
そうだよな。
父さん、みさおを失い、母さんがどこかに消えた後、オレをずっとここまで養ってくれてるのは由起子さんなんだ。
それなのに、オレは……。
「ごめん」
オレは頭を下げた。
「え? どうしたの?」
きょとんとする由起子さんに、オレは苦笑した。
「いや、とにかく謝らせてほしかっただけ」
「そ、そうなの?」
「で、話を聞いて欲しいんだけどさ……」
「……というわけなんだ」
オレの話を聞いて、由起子さんは頬杖を付いた。考え事をするときの由起子さんの癖だ。
「理性的に考えれば、問答無用よね。待ちなさいって私も言うわ」
「……そうなんだよなぁ……」
「でも、迷ってる。それは、なぜ?」
「……」
「みさきさんが、そう決めたから。そうでしょ?」
由起子さんは、にこっと笑った。
「ま、とにかくみさきさんとよく話してみることよ。ね?」
「ああ、そうだな。ありがとう、由起子さん」
「いえいえ。これも親のつとめですから」
そう言って、由起子さんは立ち上がった。
「さぁて、それじゃ後かたづけよろしくね〜」
「あ、汚ねぇの」
オレも笑いながら立ち上がった。
トルルル、トルルル
受話器の向こうで呼び出し音が鳴っている。と、それが途絶えた。
「はい、川名でございます」
おばさんが出た。
「あ、夜分遅くすみません。折原です」
「あ、折原さん。あの……」
「すみませんっ」
オレは受話器に向かって頭を下げた。
「え?」
「オレ、みさきに手術をやめろ、なんて言えません。その、うまく言えないけど、みさきが自分で考えて決めたことなんです。それをオレが……」
「……ありがとう」
「え?」
おばさんは、電話の向こうでくすっと笑った。
「みさきの言ってる通りの人よね、折原君って」
「えっ? ええっ?」
「もし、あなたが私の言うとおり、みさきを説得しよう、なんてしてたら、私絶対もう二度とうちの敷居は跨がせないつもりだったのよ」
ころころ笑いながら言うおばさん。
「それって、オレを試したってことなんですか?」
「ごめんね。でも、みさきが言ってたわよ。『浩平って私に貸しがひとつあるんだから、一回ならいじめてもいいよ〜』って」
「貸し?」
ちょっと考えて、不意に思い出した。
初めて逢ったすぐ後、みさき先輩(当時は、だ)と屋上にどっちが早くつくか、競争したことがあった。そのとき、オレとみさき先輩は正面衝突してしまったのだが、当然誰と衝突したのかわからないみさき先輩は、半泣きになりながら相手(オレだ)に謝っていた。それが可愛くてついしばらくそのままにしていたのだが、後でそれを知ったみさき先輩はずいぶん怒ったんだっけ。
ま、結局は許してくれたんだけど、そのときに「いつか絶対仕返しするからね」って言ってたんだよな。しかし、今頃来るとは。
「じゃ、手術の話も全部嘘なんですか?」
「それは本当よ」
あっけらかんと答えるおばさん。
「みさき、なんだか自分から伝えるのは嫌とか言ってるのよ」
かすかに後ろで「ひどいよ〜、お母さん」とか言ってるみさきの声が聞こえた。
「もしもし? みさき、いるんですか?」
「ええ。さっきから私が話してると焼き餅焼いてるのよ。今代わるわね。はい、みさき」
ややあって、みさきの憮然とした口調が聞こえてきた。
「焼き餅なんて焼いてないよ〜。お母さん嘘ばっかり言ってるよ〜」
「まぁまぁ。それより、手術の話は聞いたよ」
「うん。ごめんね、黙ってて。ホントは、ずっと黙っててビックリさせようかなって思ってたんだよ」
「それはそれでビックリしただろうけどな。で、手術はいつなんだ?」
「12月の中ぐらいになりそうなんだって。なんでもね、アメリカから有名なお医者さんが来て、手術してくれるんだって。だから、その人待ちなんだよ〜」
みさきは嬉しそうに言った。
「そっか。がんばれよ」
オレが言うと、受話器の向こうでみさきは笑った。
「うん、がんばるよ〜」
それから、みさきと他愛のない話をして、オレは電話を切った。
「どうだった?」
いつの間にか後ろに、由起子さんが立っていた。どうやら心配だったみたいだ。
「問題なし」
オレはぴっと親指を立てて見せた。
「そう。それじゃ、あとは手術が上手く行くことをお祈りするだけね」
由起子さんはうなずいた。
確率10%か。
でも、大丈夫。オレとみさきで45%ずつ補えば、100%になるさ。な、みさき。