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Kanon Short Story #14
プールに行こう4 Episode 38

 廊下に出ると、ちょうど洗面所のドアを開けて、栞と香里が出てきたところだった。
「あ……」
「お……」
 ばしっと合ってしまった俺と香里が、同時にその視線を逸らし、気まずい沈黙が降りる。
「ええっと、香里はもう寝るのか?」
「えっ? え、ええ。そうね」
「そうか。それじゃお休み」
「う、うん。……お休み」
 そう言い残して、香里は俺の脇をすり抜けて階段を上がっていった。
 それを見るともなく見送っていると、俺の脇にぴったりと栞が身を寄せた。
「祐一さん、どうかしたんですか?」
 どうやら、栞も風呂に入ったようで、髪がしっとりと濡れていた。その髪の先をほとんど無意識にいじりながら、俺は答えた。
「いや、別に。それより、そっちはどうだ?」
「判らないです」
 首を振る栞。
「お姉ちゃん、何も教えてくれなかったですから。でも……」
 そう言ってくすっと笑う栞。
「初めてでした。お姉ちゃんが可愛いって思ったのは」
「そうなのか?」
「はい」
 そう言って、栞は既に姿が見えなくなった階段の方に視線を向けた。
「……祐一さん」
「どうした?」
「お姉ちゃんって、とっても強い人だって思ってました。でも、本当は、とっても脆い人だったのかもしれませんね」
 そう呟くと、俺に視線を向けて微笑む栞。
「でも、私はそんなお姉ちゃんが大好きですから。……祐一さんの次くらいに」
「香里がそれを聞いたら泣くぞ」
「そうかもしれませんね」
 そう言うと、栞はリビングに向かって歩き出した。
「あ、おい……?」
「勉強道具を片付けてないですから。それでは」
 ぺこりと頭を下げて、栞はリビングに入っていった。
 そして、30秒後、飛び出してきた。
「よう」
「祐一さん、ひどいです。教えてくれても良いじゃないですかっ」
 俺の顔を見るなり、くってかかる栞。
「……で、食ったのか?」
「いえ、あゆさんを見て状況は判りましたから」
 しれっと答える栞。
「そうか、あゆを見捨てて来たのか」
「わっ、人聞き悪いですっ。それに、祐一さんだって同罪じゃないですかっ」
 俺は、栞の肩を抱き寄せて、上の方を指さした。
「ごらん、栞。あゆはきっと、あの空の星になって僕らを見守ってくれているんだよ」
 栞も手を組んで、瞳をうるうるさせながら上を見上げた。
「そうですね。あゆさん、私はあなたのこと、忘れません」
「……うぐぅ、ボクまだ生きてるよぉ……」
「おう、元気かあゆあゆ」
「あゆさん、生きてたんですね。良かったです」
「うぐぅ……。二人ともいじわる……」
 青い顔をして、足取りもふらふらのあゆは、そのまま階段に座り込んでしまった。
「二人とも出て行っちゃうし、秋子さんは笑顔で勧めてくれるから、結局ボクが一人でクッキー全部食べたんだよ……」
「……それで良く生きてるな」
「それにしても、あれは一体何なんですか?」
 栞に聞かれて、俺は首を振った。
「いや。名雪ですら知らないそうだ。一説によると……」
「うぐぅっ!」
 あゆが両手で耳を押さえて悲鳴を上げた。
「ジャムは、ジャムの話をしたら寄ってくるらしいから、絶対にジャムの話はしたらダメだよっ!」
「……お前、今思い切り連呼してるだろ」
「わっ! ど、どうしようっ? 栞ちゃん、ボクを見捨てないでようっ」
 慌てて栞にすがりつくあゆ。
 栞が苦笑して肩をぽんぽんと叩く。
「大丈夫ですから、とりあえず落ち着いてください」
「でっ、でもっ」
「そうですね、それじゃ深呼吸してみてください。はい、吸って〜」
「すー」
「吐いて〜」
「はー」
「吸って〜」
「すー」
「吸って〜」
「すー」
「吸って〜」
「す……ごほごほごほっ」
 息を吸い込みすぎて咳き込むあゆ。
「うぐぅ……、栞ちゃんいじわるだよ〜」
「まぁ、とりあえず明日に向かってダッシュだ!」
「ぜんっぜんわけがわかんないようっ!」
「3人とも、もう夜も遅いんだから廊下で騒いだらダメですよ」
 リビングから出てきた秋子さんが、俺達に声をかけた。
「ごめんなさい、秋子さん」
「すみません」
「あ、はい」
 慌てて頭を下げる俺達に、秋子さんは満足げに頷いた。
「ほら、明日も学校があるんだから、そろそろ寝た方がいいわよ」
 そこで言葉を切ると、秋子さんはくすっと笑った。
「特に、祐一さんはお疲れでしょうから」
「……ええっと、そうします」
 俺は、あゆと栞に秋子さんの言葉の意味を追求される前に、そそくさと自分の部屋に戻ることにした

 その後は何事もなく、夜が明けた。
「朝〜、朝だよ〜。朝ご飯食べて学校行くよ〜」
 聞き慣れた目覚ましの声が聞こえてくる。
「……まだ眠い……」
「そんなこと言ったって、遅刻しちゃうよ〜」
「……もう少し……」
「時間ないよ〜」
 ……今朝の目覚ましはやけに親切だな。
 俺はとりあえず目覚ましを止めようと、音の方に手を伸ばして叩いた。
「痛っ。ひどいよ祐一〜」
「……はい?」
 ようやく目を開けると、俺の手の下には、名雪の顔があった。

「いきなり頭叩くんだもん……」
 朝食の席でも、まだご機嫌斜めな名雪であった。
「悪かった。お詫びにイチゴジャムを塗ってやるから」
「ほんとっ? それならいいよ」
 結構お手軽に機嫌を直す名雪だったが、そうなると黙っていないのが栞である。
「私も塗って欲しいです〜」
「それじゃこのマスタードをたっぷりと……」
「えぅ〜。そんなことする人は大っ嫌いですぅ〜」
「相沢くん、あたしの目の前で栞に嫌がらせするとはいい度胸ね」
 一晩寝たせいか、すっかりいつもの調子に戻ったらしい香里が、腕組みして俺を睨む。
「わかったわかった。何がいいんだ?」
「私はバニラアイスがいいです」
「……パンにバニラアイスを塗るやつは、普通いないぞ」
「でも、クリームを塗るっていうのはあるじゃないですか」
「それはそうかもしれないが……。第一、バニラアイスがないだろ?」
「あら、ありますよ」
 タイミングよく顔を出す秋子さんである。
「ちょっと待っててね」
 そう言ってキッチンに入ると、冷蔵庫から大きな容器を取り出してくる。
「はい、これでよろしければ」
 うぉ、これはずっと前に海に行ったときにみんなで食べた秋子さんお手製のアイスではないか。
「わぁい、秋子さんありがとうございますぅ」
 既に瞳に星をきらめかせている栞であった。
 俺はため息混じりに、パンにアイスを塗りつけ、というか、盛りつけていったのだった。
「それじゃボクはたい焼き……」
 ごん
「……うぐぅ、痛い……」
「もう、祐一。あゆちゃんいじめたらダメだよっ」
「くそ、2人とも姉を味方に付けるとは卑怯な……」
「それはいいんだけど、早く食べないとまた時間が無くなるわよ」
 ちゃっかりと一人だけ先に食べ終わった香里が、コーヒーを飲みながら、柱にかかっている時計を指して言う。
 俺達はその時計を見て、それから黙って食事を再開した。ちなみに食べる速度は5割増しになっていることは、言うまでもない。

「よし、まさに『努力・友情・勝利』だな」
 玄関を出ると、空からはうららかな太陽が光を投げかけていた。
 腕時計を見ると、まだ十分に歩いても間に合う時間だ。
「いたた、祐一、腕引っ張らないでよ〜」
「しょうがないだろ? 俺、腕時計持ってないんだし」
 そう言いながら、俺は覗き込んでいた名雪の腕時計から目を離した。
「それはそうだけど……」
 名雪は肩をすくめると、にこっと笑った。
「そうだ。わたしが腕時計プレゼントしてあげるよ」
「いや、せっかくもらっても、多分付けないと思うし」
「そうだね、猫さんのプリントのついてるやつとか、可愛くていいよね」
 既に名雪は聞いていなかった。
「あ、それなら持ち主が謎の変死を遂げる呪われた腕時計とかどうですか?」
「栞は俺に謎の変死を遂げて欲しいのか?」
「小説みたいでちょっとかっこいいですよ」
「かっこよくても死にたくないわっ!」
「残念です……」
 本気で残念そうな栞だった。
「まぁ、いいけどさ……。あれ?」
 言葉を切って、俺は前の方を見た。そして、見慣れた後ろ姿を見つける。
「あれ、まこぴーと愉快な仲間たちじゃないか?」
「え? あ、ホントだ」
 名雪もうなずいて、手を振る。
「真琴〜っ」
 その声に真琴が、そしてその隣を歩いていた天野と舞が振り返る。
「あっ、祐一〜っ!!」
 俺の姿を見つけた真琴が、ずだだーっと駆け寄ってくると、いつものように一気にジャンプ……。
「えい」
「え? きゃう〜っ!!」
 ずべしゃーーっ
 ジャンプしないで、そのままあゆみたいな豪快なヘッドスライディングをかました。
「……真琴、それは新手のアピールか?」
 俺が見下ろして尋ねると、がばっと起きあがる。
「そんなわけないわようっ! 何かにつまづいただけようっ!」
「……何にだ?」
「……えっと」
 振り返ってみるが、何もない。ただ、栞が心配そうにこっちを見てるだけだ。
「大丈夫ですか、真琴さん?」
「う、うん、大丈夫……」
 と、天野がすたすたとやってくると、真琴の制服をポンポンと叩いて土ぼこりを払ってやった。
「はい、きれいになりました」
「あ、ありがと……」
「天野、佐祐理さん家から来たんだろ? 佐祐理さんはどうしたんだ?」
「先に行きました。……悪く思わないでください」
 俺の表情の変化を見て取った天野が、そっと付け加える。
「……佐祐理は、佐祐理だから」
 すたすたと近づいてきた舞が付け加える。その表情がいつもの表情に戻っているのに気づいて、俺はそれならいいか、と思った。
「舞、仲直りできてよかったな」
「……うん」
 うなずいて、舞は恥ずかしそうにそっぽを向いた。
 俺はその舞の髪をうりゃっと掻き回してやると、言った。
「よし、みんな行こうぜっ!」
「……学校に行くのに、何を張り切ってるんだか」
「それは、相沢さんですから」
 香里と天野の冷たいつっこみは、この際聞こえなかったことにしておく。

Fortsetzung folgt

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あとがき


 プールに行こう4 Episode 38 01/2/13 Up

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