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Kanon Short Story #9
プールに行こう2 Episode 7

 キーンコーンカーンコーン
 チャイムの音が鳴り響き、皆が待望していた昼休みの到来を告げる。
 が、俺は思いきり気が重かった。

 話は、その前、つまり3時間目と4時間目の間の休み時間に遡る。

「祐一さんっ」
「?」
 トイレに行こうと教室を出たところで、いきなり後ろから呼びかけられた。
 振り返ると、佐祐理さんがにこにこしながら立っていた。いつもみたいに教室に入ってこなかったのは、たまたま俺が速攻で出てきたからだろうけど。
「佐祐理達は、お昼は、いつもの踊り場でお弁当を食べてますから」
「……はぁ」
 まぁ、よほどのことがない限り、佐祐理さんと舞はあそこで昼食を食べてる。それは俺も知ってることだから、わざわざ佐祐理さんが念を押しに来るまでもないことだけど。
 そう思いながら相づちを打つと、佐祐理さんは小さくガッツポーズをする。
「今日は、佐祐理は腕によりをかけてお弁当を作ったんですよ」
 佐祐理さんの料理の腕は、並大抵ではない。多分、秋子さんに匹敵する。ああ、あゆに佐祐理さんの1パーミルほどの腕があれば……。
 俺は思わず、昨日の夜の惨事を思い出して、慌てて首を振った。あれは夢だ。そうに決まってる。
 ちなみに、パーミルというのは千分率のことである。良く聞くパーセントは百分率だ。
「佐祐理さんが腕によりをかけたのか。それは美味そうだなぁ」
 だから、俺が正直な感想を述べたとしても、それはむしろ当然だろう。
 佐祐理さんは嬉しそうにぽんと手を打つと、俺に言った。
「それじゃ、待ってますからね〜」
「……はぁ」
「あ、いけない。佐祐理は次の時間、クラス移動でした。それじゃ失礼しますね〜」
 そう言い残し、佐祐理さんはぱたぱたと走っていった。俺も慌ててトイレにダッシュした。既に阻止臨界点を突破しようとしていたのだ。

 とりあえずすっきりして、手を洗ったところで、俺ははたと気付いた。
 ……佐祐理さん、要するに昼飯は舞と食えと言ってるのか?
 うーむ。
 考え込みながらトイレを出ると、前からあゆが走ってきた。
「あっ、祐一くんっ!」
「やあ、あゆ。久しぶりだな。元気だったか?」
「うんっ。ボクはいつも元気だよっ」
「それはなによりだ。じゃあな」
 そう言い捨てて脇を通り過ぎようとすると、あゆが慌てて脇に並ぶ。
「わぁっ、何事も無かったかのように置いていこうとしないでよっ」
「で、何の用だ? 今日はどこで食い逃げするかの相談か?」
「うぐぅ。食い逃げじゃないもん」
「良いことを教えてやろう。金を払わずに食べ物を持って逃げることを食い逃げって言うんだぞ」
「あの時は、たまたまお金を持ってなかっただけだもん」
 ……あくまでも罪を認めたくないらしい。
「そんなことよりっ! あのね、ボクこの学校に来たの初めてなんだよ」
「まぁ、食い逃げ犯で学校荒しじゃないからなぁ」
「全然違うよっ! ……うぐぅ」
「うぐぅ」
「うぐぅ……真似しないで」
「そうだな。うぐぅはお前のものだった」
「全然嬉しくないよっ! そうじゃなくてっ!」
 なにやらじたばたするあゆ。なんかこいぬ系だなぁ。
「あゆ、お手」
「え?」
「お手」
「う、うん」
 俺の差し出した手に、ぽんと自分の手を乗せるあゆ。
 ……ほんとにやるとは思わなかった。
「あっ、祐一っ!!」
 後ろからけたたましい声が聞こえてきた。そして廊下をばたばたと走る足音。
 俺は振り返った。
「誰かと思えば殺村凶子か」
「沢渡真琴よっ!!」
 真琴はそう怒鳴ると、膝に手を当ててはぁはぁと息をついた。
「まったく、教室にちゃんといないと、どこにいるかわかんないじゃないっ!」
「休み時間にどこにいようと俺の勝手だろ、殺村凶子」
「沢渡真琴っ!」
 うーん、これ以上からかうと、夜中のいたずらが再燃しそうだからやめとこう。最近やっと安眠できるようになったことだしな。
「それで、どうして俺を捜してたんだ?」
「うん。次の休み時間くらいでお昼になるよね」
「……? まぁ、そうだが」
 なんかちょっと持って回った言い方が気になったが、とりあえず頷く。
「それじゃお昼になったら、食堂に連れてって」
「何で俺が。天野にでも頼めばいいだろ?」
 一言で言えば無愛想な天野だが、真琴には妙に優しいところがあるからな。
「なんでようっ!」
 ……なんでだ? 俺の方が聞きたいぞ。
「俺にお前を食堂に連れて行く義務はないぞ」
「意地悪だね」
「意地悪ね」
「意地悪です」
「すっげー意地悪だよなぁ」
 順番に、名雪、香里、栞、北川だ。っていうか、お前らいつからいた?
「純情可憐な転校生がお前だけを頼りにしてるっていうのに、なんと情けない。俺はお前をそんな風に育てた覚えはないぞっ!」
 北川が俺の肩をがしっと掴んで涙をこぼす。
「俺も育てられた覚えはないわいっ!」
「ちゃんと面倒みてあげようよ〜」
 名雪が言う。
「真琴はわたし達の家族の一員なんだから」
「!」
 ぴくっと耳を動かす真琴。
「あたしが、家族の一員?」
「うん、もちろんだよ」
 笑顔でうなずく名雪。真琴も嬉しそうに笑った。
「そっかー。家族なんだ〜」
「それなら名雪、お前が連れていけばいいだろ? どうせ今日も弁当ないから食堂だって言ってたじゃないか」
「でも、真琴は祐一がいいんだよね」
「えっ? あ、えっと、それは〜」
 名雪にズバリと聞かれた真琴は、真っ赤になってあたふたしている。
「えっと、あうーっ!」
 そのままばたばたと逃げて行ってしまった。
 ……結局何だったんだろう?
 と、ぼーっと真琴の駆け去った方向を眺めていた俺の袖がつんつんと引っ張られた。
「ん?」
 振り返ると、栞だった。
「祐一さん、食堂に行くんですか? だったら、アイスクリーム買ってきて下さいね」
「買ってきてって……」
「今日は天気もいいから、中庭で食べる予定ですから」
 笑顔で言う栞。
「そ、そうなのか?」
「はい。私、頑張りましたから、楽しみにしててくださいね」
 そう言うと、栞は身を翻した。
「あ、おいっ!」
「約束ですよ〜っ」
 そう言って、ぱたぱたと駆け去る栞。
「ちょ、ちょっと待てっ!」
「相沢くん、まさか栞の誘いを断るつもりじゃないでしょうね?」
 後ろから、香里が冷たい声で言った。
「か、香里さん?」
「今朝、あの子が5時に起きて、一生懸命作ったお弁当を、無駄にしようなんて考えてないでしょうねぇ?」
「わぁ、すごいね栞ちゃん。わたしにはちょっと出来ないよ〜」
 感心したように目を丸くして言う名雪。確かに名雪には5時に起きるなんて芸当は不可能だ。
「どうなの、相沢くん?」
「ちょ、ちょっと待て香里っ! そういうのは卑怯だぞっ!」
「私はなんと言われてもいいの。あの娘が幸せになってくれれば、卑怯者の汚名もあえて受けるわっ」
 ……勝手に一人で盛り上がるなよ。
 あ、そういえば。
 俺はふと、昨日のことを思い出して香里に尋ねた。
「おい、香里。昨日お前らがスケジュールとやらを決めたんじゃなかったのか?」
「栞、お姉ちゃんを許してね……」
 ……だめだこりゃ。
 俺は振り返って北川に尋ねた。
「スケジュールの件はどうなったんだよ?」
「ああ、俺もよく知らないが、昨日の夕方、美坂さんと倉田先輩が密談して、その席上でいきなり交渉が決裂して破棄されたということだ」
 北川は肩をすくめた。
 おいおい。
 とりあえず、この場は逃げるか。
 香里は……。
「でも、あたしは負けないわっ! 世間に後ろ指を指されてののしられようとも、栞が幸せになってくれるなら……」
 まだ、自己陶酔してるな。名雪は……。
「……くー」
 思った通り、立ったまま寝てる。よし、あとは北川だけだな。
 俺は北川の肩を叩いた。
「なぁ、北川」
「なんだ、相沢?」
「後は任せた」
「……ちょ、ちょっと待てっ! こら相沢っ、逃げるなぁっ!」
 俺は、とりあえずその場を北川に任せ、こそこそとその場を離脱して、教室に戻った。

 自分の席について、大きくため息をつく。
「……ふぅ」
「祐一くんっ!」
「おわぁっ!」
 おもわず椅子ごと転びそうになりながらも、なんとか踏みとどまって、声の方に向き直る。
「なんだよ、あゆあゆ。びっくりするじゃないか」
「あゆあゆじゃないもんっ! ボクはあゆだよっ」
「札幌の寿司屋の娘か?」
「なんのことだかよく判らないけど多分違うよ。それより、あのねっ、ボク……」
 キーンコーン
 あゆが何か言いかけた、ちょうどその時、無情にもチャイムが鳴り響く。
 俺はあゆの肩を叩いた。
「残念だな、あゆ。時間切れだ」
「……うぐぅ」
 涙目になりながらも、しおしおと自分の席に戻っていくあゆ。……チャイムが鳴ったとはいえ、先生もまだ来てないんだから、用件を伝えるくらいなら構わないと思わないでもないんだが。
 それにしても、だ。
 さっきの休み時間の話を総合すると、俺は真琴を食堂に案内してやってから、アイスクリームを買って中庭に行き、栞の手弁当を食べた上で、いつもの屋上に出る踊り場で佐祐理さんのお弁当も食べないといけないのか。
 ……どうしろってんだ?
 俺がもう一度ため息を付くと同時に、先生と一緒に名雪達も戻ってきた。ばたばたと俺の方に駆け寄ってくる。
 まぁ、名雪達の席は俺の近所だからな。
 北川と香里は何も言わずに自分の席に着くが、名雪だけは俺に恨み言を言う。
「祐一、置いていくなんてひどいよ〜」
「そんなことはない」
 俺がきっぱり言うと、名雪はそれ以上は何も言わずに席に着いた。まぁ、先生が教壇に立っているから、それ以上言う暇がなかったっていうのもあるんだろうけど。

 ……というわけで、昼休みの到来は思い切り気が重いのだった。
 さて、どうしたものか……。

 ……すっぽかそう。

 俺は心に決めて、立ち上がる。
 全員すっぽかせば、一応公平は保たれるというものだ。
 そうと決まれば、行動は迅速を尊ぶ。
「あれ? 祐一、どこに行くの?」
「おう、名雪。俺は今から遠い世界に旅立つのだ。その真っ赤なスカーフを振って見送ってくれ」
「え? これ?」
 名雪は制服のスカーフ(ちなみに俺達の学年は赤色である)をしゅるっと抜くと、ぱたぱたと振った。
「これでいい?」
「おう。それじゃ俺は銀河の彼方イスカンダルまで運命背負い今旅立つぞ!」
 そう言い残して、俺は脱兎のごとく駆け出した。
「行ってらっしゃーい」
 名雪は、パタパタと真っ赤なスカーフを振って見送っていた。
 やはり旅立つ男の胸には浪漫のかけらが欲しいのだ。

 というわけで旅立った俺は、生徒が行き来する廊下で、いきなり途方に暮れていた。
 さて、どこに行ったものやら。
 とっておきの隠れ場所だった旧校舎は、昨日使ったばかりだから、今日は近寄らない方がいいだろうし。
「……なにしてるんですか?」
 不意に後ろから声を掛けられて、俺は思わず飛び上がった。
「ネワンペガモリッ!」
「……変な声を上げないでください」
 相変わらず冷静な声で言ったのは、天野だった。手にはパンを抱えている。
 ほっとした俺は、陽気に挨拶した。
「よう、天野。元気か?」
「はい」
 あっさり答えると、「それじゃ失礼します」とだけ言って、天野はすたすたと歩いていこうとした。
「あ、ちょっと」
「はい?」
 振り返る天野。
「どこで飯を食うんだ?」
「先輩に報告しないといけませんか?」
「俺は可愛い後輩の食事場所は把握しないと気が済まないんだ」
「それじゃ、報告する必要、ないですね。私、可愛くありませんから」
 では、と一礼して、すたすたと歩いていく天野。
 ……軽くいなされると、それはそれで悔しい気がする。
 俺は天野の後を追った。
「ちょっと待てって」
「……」
 ピタリと足を止める天野。だが、俺が追いつく前にまたすたすたと歩き出す。
「お、おい?」
「言われたとおり、ちょっとだけ待ちました」
「……」
 天野は思った以上に手強かった。
 しかし、俺も100万円クイズハンターと呼ばれた男だ。(【注】呼ばれてません)
「実はな、俺は天野と一緒に飯を食いたいと思うんだが」
「好きにしてください」
「そっか。やっぱりダメか。でも俺は……あれ?」
 俺は慌てて、すたすたと歩き続ける天野の後を追いかけた。隣りに並んで歩きながら訊ねる。
「いいのか?」
「断っても、素直に引き下がってくれるとは思えませんから」
 そう言うと、天野は俺を見た。
「でも、パンはわけてあげませんよ」
「……へいへい」
 俺は肩をすくめた。
「んじゃ、俺は食堂でパンでも調達してくるとするか。天野はどこで食うんだ?」
「図書室です。あそこは静かですから」
「へぇ、あそこで飯食ってもいいのか。知らなかった」
「本当はいけないんですよ。でも、静かに食べるなら、黙認してくれますから」
 天野は、初めて微かに微笑んだ。

Fortsetzung folgt

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あとがき
 ますます混迷する世界状況の中、一応東ティモールの住民投票も終わり、ときメモ同人ビデオ裁判の一審判決も出た今日このごろ、皆様いかがお過ごしでしょうか?
 という挨拶はさておいて、と。
 今日で一応8月も終わりですね〜。
 なんかあっという間に夏も終わってしまいました。
 とうとう今年も泳ぎに行けませんでした。うーん。
 まぁ、有明で人の波の間を泳ぎ回ったとも言いますけどね(笑)

 さて、そろそろかな。

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