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Kanon Short Story #15
プールに行こう5 Episode 6

「それにしても、どうしたんですか、この肉まんは?」
 とりあえずお相伴に預かりながら訊ねると、佐祐理さんは笑顔で答えた。
「はい。秋子さんに、2階の皆さんにお夜食を持っていってあげてくれませんか、って頼まれたんですよ。ね、舞?」
「……こんこんまこちゃん……」
 舞はというと、真琴を可愛がるというかねてからの念願が現在進行形で叶っているところなので、とても幸せそうだった。今も耳をぺたぺたと触っている。
 その真琴は、とりあえず今は肉まんを食べる方を優先させているようで、舞が触るに任せていた。
「はぐはぐ……」
「……嬉しい」
 真面目な顔で言うのであまり嬉しそうに見えないが、あれが舞の最大級の嬉しさの表現なのだ。それが証拠に、そんな舞を見つめる佐祐理さんはとっても喜んでいる。
「あんなに嬉しそうな舞は、久しぶりですね〜」
「まぁ、舞はともかく……。ところで、天野のことは聞きましたか?」
「あ、いいえ。それについては祐一さん達に聞いてくださいねって、秋子さんに言われましたから」
 首を振る佐祐理さん。俺は頷いて、事情を話し始めた。

「……はぇ〜。それじゃ、1階にいる天野さんには、幽霊さんが取り憑いちゃってるんですか?」
 俺の話を聞いて、佐祐理さんは目を丸くした。ちなみに舞はまだ真琴を撫でている。
「まぁ、聞いた話じゃそういうことになるんだ。それで……」
 と、その時、ドアがノックされた。
 トントン
「みなさん、ちょっといいですか?」
 秋子さんの声だった。
「あ、はい。どうぞ」
 俺が返事をすると、ドアを開けて秋子さんが入ってきた。
「どうなりました?」
「それが、困ったことになったのよ」
 秋子さんは、ちっとも困ったようには見えない表情で言った。
「……と言いますと?」
「美汐さんがいないの」
 あっさりと答えられた。
「いないって、……どういうことなんですか?」
「そうね……。人は、物理的な存在と精神的な存在に分けられるわよね?」
「……は、はぁ」
「身体と心っていうことですね」
 突然、話が飛んでしまい、俺が思わず相づちを打つと、栞がわかりやすく言い直してくれた。
「そうね、そう言えばわかりやすいわね。ありがとう、栞ちゃん」
「いえ、大したこと無いですよ」
 栞は笑顔で答えた。
「私、死んだらどうなっちゃうのかって、色々と調べたことありますから……」
 ……うかつにツッコミを入れられないぞ、それって。
 俺達の表情に気付いて、慌てて手を振る栞。
「あ、今は必要なくなりましたから、ご心配なく」
「まぁ、それはそれとして……」
 俺は咳払いをして、秋子さんに尋ねた。
「とりあえず、人が心と体から出来ているっていうのは判りました。それで……?」
「普通、幽霊が人に取り憑く場合、元々その人の持っている心は、その身体の中に残っています。つまり、1つの身体に2つの心が同居する、という感じになるんです。ところが……、今の美汐さんの体の中には、美汐さんの心が残っていないんです」
「……それって、どういうことです?」
「つまり……」
 秋子さんは、俺達をぐるりと見回して、言った。
「天野美汐という人は、死んでしまったと同然ということです」

「……ど、どういうこと?」
 さすがに肉まんを食べ続けるのを中断して、真琴が聞き返す。
「美汐が死んだって、どういうことようっ!?」
「落ち着け真琴っ!」
 そのまま秋子さんに掴みかかろうとする真琴を慌てて押さえる。
「秋子さんに当たったってどうにもならんだろうっ!」
「祐一離してっ! 美汐が死ぬわけないでしょっ!」
 じたばたもがいて、俺の腕から離れようしながら泣き叫ぶ真琴。
「美汐は、美汐は真琴の大切な人なのにっ! 死んじゃうなんてないわようっ! あうっ、あうぅっ」
 と、黙っていた佐祐理さんが口を挟んだ。
「死んでしまったも同然、って言いましたよね?」
「ええ」
 頷く秋子さん。
 佐祐理さんは、慎重に言葉を選ぶように言った。
「それはつまり、正確に言えば、死んではいない、ということですか?」
「ええ、そうです」
「……えっ?」
 泣きわめいていた真琴の動きがぴたりと止まる。
「……どういう……こと?」
「美汐さんの心がこの世に存在しなければ、死んだと言ってもいいでしょう。でも、そうとは限りませんから。もしかしたら、身体から離れても、どこかに存在しているのかもしれませんし。でも、このまま身体と心が離れたままだと、死んだと同じことですから」
「それで、その天野の心っていうのは、どこにあるんです?」
「それが判らないから、困っているのよ」
 秋子さんは、相変わらず困ってない様子で答えた。
「多分、瑞姫さんが美汐さんの身体に入ったときに、その弾みで美汐さん自身がその身体から弾き飛ばされたんだと思うわ」
「それじゃ、美汐さんが幽霊になっちゃったの?」
 あゆが目をぱちくりさせて聞き返すと、秋子さんは頷いた。
「そうね。そう言ってもいいと思うわ。でも、普通、身体から離れた心はそのままではいられない。よほど強い思いがあれば、それこそ瑞姫さんのように幽霊となって残ることが出来るでしょうけど、普通はそのまま消えてしまうのよ」
「大変っ! 祐一くん、早く捜さないと、美汐さんが消えちゃうよっ!」
 慌てて立ち上がるあゆ。そのままドアに向かって駆け出す。
 ……いや、駆け出そうとした。
「えい」
「えっ? わわっ!!」
 ばぁん
 あゆはそのまま、ドアに顔面から体当たりをしていた。そして、そのまま動かなくなる。
「あらあら。あゆちゃん、大丈夫?」
「……」
 心配そうに訊ねる秋子さんにも、まったく返事がない。
「もしかして、痛くも何ともなかったとか?」
「すっごく痛かったようっ!」
 がば、と振り返ると、あゆは涙目になって俺にくってかかった。
「ちょっと待て! それは俺のせいじゃないだろうっ!」
「うぐぅ……。何かにつまづいた……」
「落ち着いてください、あゆさん。捜しに行くって言っても、どこに行くんですか?」
 栞に言われて、あゆは鼻をさすりながら頷いた。
「そうだね。……うぐぅ、いたた」
「もう、あゆさんったら慌てん坊さんなんですから」
 笑って言う栞。まったく、何もないところで転ぶんだもんなぁ。
 ま、あゆはどうでもいいとして……。
「どうでもよくないようっ! すっごく痛かったんだからっ!」
「だから、それは俺のせいじゃないだろうがっ!」
「うぐぅ……、そうだけど……」
 まだうぐうぐ言っているあゆは放っておいて、俺は秋子さんに尋ねた。
「それで、これからどうするんですか?」
 秋子さんは、あゆの鼻の様子を見ながら答えた。
「八汐さんは、今から現場に行ってみると言ってましたけれど……。うん、大丈夫ですよ、あゆちゃん」
「あ、ありがとう、秋子さん」
「真琴も行くっ!」
 秋子さんの言葉を聞いて、ぴょこんと立ち上がる真琴。
「美汐がピンチなんだから、今度は真琴が助ける番だもんっ!」
「それならボクもっ!」
 あゆも名乗りを上げる。
「でも、八汐さんは車で行くんですよね。そうすると、全員、というわけにはいかないですよね……」
 佐祐理さんが言った。確かに、八汐さんの乗ってきた車は普通車だから、八汐さんが運転するとして、残りは4人というところか。
「それじゃ、真琴と祐一は行くとして、あと2人だね」
 俺の腕にしがみついて言う真琴。……って、なんで俺がデフォ?
「それなら私も行きます」
 さも当然のごとく、栞が俺のもう片方の腕を取る。
「えーっ? どうしてしおしおも来るのようっ!」
「遊びに行くわけじゃないですから」
 澄まして言う栞。
 ……まぁ、冷静に考えれば、四次元ポケットがあるのは心強いかもしれない。
「……祐一さん、今なにか変なこと考えてませんでしたか?」
「滅相もない。ええっと、それじゃ後一人だけど……、秋子さんはどうします?」
「私はまだ夕御飯の後かたづけがありますから」
 あっさりと言うと、秋子さんは舞に視線を向けた。
「舞さん、お手伝いしていただけませんか?」
「……私が?」
「ええ」
 にっこり笑って頷く秋子さん。
 佐祐理さんも、ぽんと手を合わせて言う。
「佐祐理からもお願い。みんなを手伝ってあげて」
「……わかった」
 舞は頷いた。
 確かに、舞がいてくれるといろんな意味で心強いしな。
 というわけで、「美汐のココロ捜索隊」のメンバーは決定した。
「……うぐぅ」
「さて、と……」
 秋子さんは、あゆに向き直った。
「あゆちゃんは私の方を手伝ってくれないかしら?」
「えっ? ボク?」
「ええ。あゆちゃんを見込んでお願いしたいことがあるのよ」
 メンバーから外されて沈みかけていたあゆは、その秋子さんの言葉でいきなり緊急浮上した。
「うんっ、ボクがんばるよっ!!」
 うーむ、さすが秋子さんである。
「母親ですから」

 キィッ
 車をパーキングエリアに止めると、八汐さんは外に出た。
 俺達もそれに続く。
「この先の交差点が、問題の事故が起こった交差点なんだが……」
 そう言うと、八汐さんは目を閉じた。そして、呟く。
「今は、霊的にも安定してるようだな……。まぁ、瑞姫さんが美汐の体の中にいる以上、ここにはもう幽霊が出ることもないわけだし……」
「美汐〜っ、どこよう〜っ」
 きょろきょろ見回しながら声を上げる真琴を、歩く人たちが奇妙な目で見るが、すぐに興味を失って流れていく。
「さて、どうします?」
 俺は八汐さんに訊ねた。
「……美汐がもう消滅しているとは、思いたくないが……」
 と、不意に舞が呟いた。
「ここには、いない……」
「舞、判るのか?」
 訊ねると、舞はこくりと頷いた。そして歩き出す。
「お、おい、舞?」
「こっちにいる」
 そう言って、こちらを見ようともせずに歩いていく舞。
 俺達は顔を見合わせ、その後を追いかけた。

「お、おい、舞……?」
「……こっち」
 俺の声にそれだけ返事をして、すたすたと歩いていく舞。
 いつしか、俺達の周りは並木道になっていた。
 栞が俺の腕に自分の腕を絡めてきた。
「祐一さん。ここって、私達が運命的な出会いをしたところですね」
「……運命的っていうか、あゆが自爆したっていうか」
「私にとっては、運命的でしたから」
 そう言って、そっと身を寄せてくる栞。
「あーっ! しおしおっ、なにやってんのようっ!」
「……せっかくいい雰囲気だったのに。でも、そうですね、ごめんなさい」
 珍しく素直に身を離す栞。いつもなら絡んでくる真琴も、一言文句を付けただけで、すぐに注意を周りに戻した。
 と、前を歩いていた舞が立ち止まる。
「……この辺りから、感じる」
「……私には何も感じ取れないな」
 目を閉じて何か念じていた八汐さんが、目を開けて呟いた。
 俺は栞に声をかけた。
「よし、こんな時こそ念派探知機だ!」
「そんなもの持ってません」
「それじゃ、外道照身霊波光線の発生装置とかないのか?」
「ダイヤモンドアイなんて今時わかりませんよ」
 ……どうしてそれを知ってる、栞?
「ちぃっ、肝心なときに役に立ってないぞ」
「別の事ならお役に立てますけど。祐一さんをお慰めするとか……。やだ、私ったら」
 自分の言ったセリフにぽっと赤くなっていやいやと首を振る栞。「はいはい」とげんなりする俺。
「あ、祐一さんあきれてますねっ?」
「そりゃそうだろ」
「そんなこと言う人嫌いですっ」
「もうっ、しおしおも祐一もちゃんと探してようっ!」
 辺りの茂みに頭を突っ込んでごそごそとしていた真琴が、顔を上げて文句を言う。
 と、その足下に白い猫が歩いてくると、身体をすりつけた。
「えっ?」
 真琴は、その猫を抱き上げた。そして、その瞳を覗き込んで、呟いた。
「……美汐」
「へ?」
 思わず聞き返す俺達をよそに、真琴はぱっと笑顔になって、猫を抱きしめた。
「見つけたっ、美汐っ!」

Fortsetzung folgt

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あとがき
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