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こみっくパーティー Short Story #3
あさひのようにさわやかに その6

 ……こんなもんかな。
 口に出して言うと、どこからともなく由宇が飛んできそうなので、俺は口の中で呟いて、一つ伸びをした。
 時計を見ると、午後6時。
「詠美〜」
「なっ、なによっ!」
 自分の原稿のペン入れをしていた詠美が、顔を上げる。
 あ……。
 どぷん
 その弾みに詠美の肘が当たってインクの瓶がひっくり返り、インクが詠美の原稿の上にべちゃぁっと流れる。
「わぁっ!!」
 慌てて俺は瓶を元に戻したが、既にアフターフェスティバル、後の祭りだった。
「すっ、すまん、詠美っ!」
 俺は慌てて両手を合わせた。
「今からやり直すんなら徹夜してでも付き合うから」
「……いいわよ、そんなの」
 信じられない言葉だった。いつもの詠美なら、悪口雑言(ま、レベルは小学生なみだが)で罵倒したあげく、重労働をさせるのがオチなんだが。
 しかし……。
 俺は、インクで真っ黒になった原稿を眺めた。
 ……あれ?
 わずかに、端の方にインクの被害を受けていない部分がある。そこを見て、俺は奇妙な違和感に捕らわれた。
 と。
「きゃぁっ! 何見てるのよっ!!」
 慌てて詠美がその原稿を机から持ち上げた。まだ乾ききってないインクが、原稿の上を流れて机に落ちる。
「わっ、何するんだ、お前はっ!」
 俺は慌てて傍らのティッシュをまとめて5枚ほど引っぱり出して、机の上に置いた。それで、危うく下の絨毯に黒いインクが流れ落ちるという事態は回避できた。
「い、いいのよっ、これはもうボツにするんだからっ!」
 そう言って、詠美は自分の手が汚れるのも構わずに、原稿を引き裂いた。2つに裂き、4つに裂き、さらに8つに裂こうとして、うんうんと唸っている。
 ちなみに、漫画用原稿用紙を4枚重ねて破くのは、かなり力がいる。機会があったらやってみればいい。
「なに慌ててるんだ?」
「ああああ慌ててなんてないわよななななにを言ってるのっ!」
 ……どう見ても慌ててるようにしかみえない。
 まぁ、いいけどさ。
「とりあえず、手を洗って来いよ。俺はそろそろ帰るからさ」
 俺は鞄を肩から提げた。
「えっ? も、もうそんな時間?」
「ほれ」
 時計を指すと、詠美はちらっとそれを見て、俺に視線を戻した。
「なによ、まだ6時じゃない」
 ……同人作家なんてしてると、どうも時間の感覚がずれてしまうところがある。俺も同人やってた頃は……。ま、そんな話はどうでもいい。
「世間一般じゃ、6時には家に帰るんだ。じゃな、詠美」
 立ち上がる俺に、詠美は手を拭きながら尋ねた。
「明日も、来てくれるの?」
「……え?」
「あっ、えっと、ち、違うわよ。明日もあたしの邪魔をしに来るのかって聞いてるのよっ、馬鹿っ!」
 また慌てて手を振りながら、詠美は言い返した。……で、なんで馬鹿がつくんだろう?
「いや、詠美が邪魔だって言うんなら……」
「じゃ、邪魔じゃないわよっ。……あ、そうじゃなくって、あたしは色々と忙しいから、あんたの予定を聞いて置かないと時間が作れないっていうか……、えっと……」
「なんだかよくわからんが、明日も来てもいいってことなのか?」
 俺が訊ねると、詠美はこくこくと頷いた。
「そっ、そうよ。ま、この大庭詠美ちゃんは、一度頼まれた以上ちゃんと面倒見るわよ。いい、仕方なく、なんだからねっ!」
「へいへい。んじゃ、明日も9時くらいに来るわ」
 そう言って、俺は廊下に出た。詠美もとてとてっとその後からついてくる。
「そ、そう? しょうがないわね。あたし、とっても忙しいんだけど、特別に時間を割いてあげるわね。恩に着なさいよ」
「はいはい、恩に着ます」
 受け流しながら、俺は玄関で靴を履いた。そしてドアを開けると、むっとした暑さが流れ込んでくる。
「んじゃな」
「……う、うん」
 あれ? なんだか急にさっきまでの元気がなくなったな。
 暑い空気に触れたせいか?
 俺は小首を傾げながらも、ドアを閉めた。

 ピンポーン
「ただいまぁ〜」
 自分の家のチャイムを押して、声を掛ける。
 3秒ほどして、なかでドタドタッと足音が聞こえたかと思うと、瑞希が飛び出してきた。
「和樹っ、頭を下げてっ!」
「なんだっ?」
「いいからっ!」
 そう言って瑞希が俺の頭を抱え込んで、そのまましゃがみ込む。
 バフン
 何かが破裂したような音がしたかと思うと、うっすらと煙が頭上をたなびいていった。
「な、なんだ? 瑞希、何があったんだ?」
 と、家の中から、すすで薄汚れたあさひが顔を出した。エプロンを付けて、片手にはフライパン。
「あっ、和樹さん、お帰りなさい」
「……瑞希、もう説明しなくてもいい。何となく予想がついたから」
 俺は苦笑して立ち上がった。そしてあさひに訊ねる。
「みらいは無事か?」
「はい。死守しました」
 なぜか小さくガッツポーズをすると、あさひは背中を俺に向けた。今まで気付かなかったが、その背中には背負い紐でくくられたみらいがすやすやと眠っていた。……あさひと同じくすすまみれで。
 瑞希はその顔をのぞき込んで、肩をすくめた。
「さすが和樹の娘ね。大物だわ」
「まさしく名の通り、同人界の未来を背負って立つ次世代の星となることであろう。吾輩の野望の為に貴重な人材を提供してくれようとはさすがだな、まいふれんど」
「きゃぁっ!」
 いきなり隣から声が聞こえて、瑞希が悲鳴と共に飛び上がる。
「だぁ〜っ! 大志、お前何しに来たんだっ!」
 いつの間にか瑞希と並んでみらいをのぞき込んでいた大志は、顔を上げてにやりと笑った。
「ちょうどメンバーも揃っているようだな、同志諸君」
「あたしもメンバーっ!?」
 慌てて自分を指す瑞希に、大志は腕組みして頷いた。
「無論だ」
「……あたしの青春を返して〜」
 がっくりとその場に崩れ落ちる瑞希。大志はそんな瑞希には構わず、片膝をついてあさひに深々と一礼する。
「お久しぶりでございます」
「あっ、えっと、あの……」
 てきめんにおろおろするあさひ。声優アイドル桜井あさひならともかく、普段のあさひって、結構人見知りする方だしなぁ。
 俺は苦笑して訊ねた。
「で、何の用だ? 九品仏大志、元桜井あさひファンクラブ会長殿?」
「あっ」
 それで思い出したらしく、あさひはこくりと頷いた。
「うむ。実はだな、あさひ様にご臨席頂くべく、極々内輪の者で一席設けたのだ」
「……?」
 俺とあさひ、そして瑞希は顔を見合わせる。それから瑞希が訊ねた。
「何が言いたいのよ? はっきり言いなさいよ」
「うむ、平たく言えばだな、夕食を一緒にどうでしょうか、と申し上げておるのだ」
 俺は瑞希の腕を掴んで引っ張り寄せると、耳元に囁いた。
「今日の夕食の準備は?」
「諦めて店屋物にしようかと思ってたところ」
 瑞希も囁き返す。俺は頷き、あさひの肩を叩いた。
「せっかくだから、ご招待は受けようじゃないか」
「えっ? あ、はい。和樹さんがそうおっしゃるなら」
 そう言って、嬉しそうに微笑むあさひ。大志はその微笑みを複雑な表情で見ていた。
「ううむ、この素晴らしき微笑みが、まいふれんどとは言え、一人の男に独占されようとは、この世紀末最大の損失と言わざるを得まい」
「何をぶつぶつ言ってるんだ? で、内輪って誰だ?」
 肝心な事を聞くのを忘れていた俺は、慌てて訊ねた。こいつの言う内輪ってのが、元桜井あさひFCのメンバーとかなら、食事どころではなくなるのが目に見えてる。
 大志は、俺の表情を見て肩をすくめた。
「安心しろマイフレンド。かつて吾輩も青春のメモリーとの再会に、野暮な連中を連れ込むのはエレガントではない」
「……お前の言うことはいまいち信用できんからな……」
「おまけに意味不明だし」
 横から瑞希がうんうんと頷く。
 大志はため息をついた。
「そうか、同志和樹と同志瑞希は来ないのか。それではあさひ殿、支度をお願いします。吾輩は下でお待ちしております故」
 そう言って、大志はそのまますたすたと降りていった。俺は肩をすくめた。
「とりあえず、あさひ。顔洗った方がいいぞ」
「あ……」
 ずっとすすだらけだったことに気付いて、あさひはかぁっと真っ赤になって、家の中に駆け込んだ。

「諸君、ここが今宵の宴の場所だ」
 タクシーから降り立った大志が、ばっと手を広げて指したのは……。
「……ファミレスかよ、大志」
「何だ。わざわざ家に帰って着替えてきたのに」
 俺と瑞希が口を揃えて言うと、大志は呆れたように眉をつり上げた。
「同志瑞希はともかく、同志和樹、お前は知らぬのか?」
「知らぬのかって、なんだよ?」
 俺はもう一度看板を見上げた。
 Pia☆Carrot
 って、ここはぁっ!!
 俺の反応に満足したように、大志はばっと手を広げた。
「そうとも、同志和樹。こここそ、かの制服マニア垂涎の、アンミラブロパロ馬車道を押さえ、堂々人気投票トップの座を勝ち取った、Piaキャロット、しかもその中でもウェイトレスのレベルはトップクラスという中杉通り店なのだっ!」
「同志大志、俺はお前が親友であってこれほど良かったと思ったことはないぞっ!」
「判ってくれたか、同志和樹」
「おうっ!」
 俺と大志は、がっちりと堅い握手を交わした。
「……和樹さん、こういう趣味があったんですか?」
「最低ね」
 うぉっ、あさひと瑞希が冷たい視線で俺を見ているっ。
 だがっ、だがしかしっ、ここで熱く血をたぎらせない者が、漢と言えようか、いや言えまい。
「同志瑞希、そしてあさひ殿。ウェイトレスに目を誤らせる者が多いが、ここは料理も一級品なのだぞ」
「そりゃ知ってるわよ。なんどあんた達に連れて行かれたと思ってるのよ」
 ……俺は連れて行った覚えはないぞ。
「とっ、とにかく、入りませんか?」
 赤くなってあさひが言う。言われてみると、俺達は道行く人の注目を浴びていた。
 俺達がそそくさと店内に入ったのは言うまでもない。

「いらっしゃいませぇ〜。Piaキャロットへようこそ。何名様ですかぁ?」
 俺達を出迎えたのは、ちょっと小柄なボブカットの少女だった。彼女は大志を見て、笑顔で話しかけてきた。
「あれ、九品仏さん? お久だね〜」
「おお、同志つかさではないか。その後も変わりないようだな」
「うん、ボクはいつだって元気だよ。あれっ?」
 つかさと呼ばれた娘は、後ろにいる俺達……いや、みらいを抱いたあさひに視線を止めた。それから大きく口を開けて叫びかける。
「あ……もが」
 とっさに彼女の口を塞いだのは大志だった。
「同志つかさ、事情の説明は後でしてやろう。今日はお忍びだ。それを忘れずに職務に励むがよい」
「ちょっと、九品仏さ〜ん、うちのつかさちゃんに手を出したらダメよ〜」
 後ろから、別のウェイトレスが声をかける。大志は肩をすくめた。
「すまんな、同志葵」
「あとでエビスおごってくれたら見逃してあ・げ・る」
 ぱちっとウィンクすると、そのウェイトレスは、俺達の後から来た客に「いらっしゃいませ」と声をかけた。
 俺と瑞希、あさひは顔を見合わせて、苦笑した。

 それから数日が過ぎた。俺は連日、詠美の家でコンテを切り、あさひはその間瑞希に家事を教わる、という日々が続いた。
 コンテは順調に出来ていったが、あさひの家事修得の方は……。
 ま、気長にやってもらうとしよう。

 シュッシュッ
「……よし、これでコンテ完了っと。ふぅ〜〜〜」
 俺は、その場にひっくり返った。
「あ、終わったんだ。どれどれ〜」
 自分の原稿の仕上げをやっていた詠美が、立ち上がると俺の所にやってきた。コンテを切ったノートを広げてぱらぱらとめくる。
「……」
 どうなんだろう?
 一応、同人界のクイーンと自他共に認めるだけあって、詠美の見る目は確かだ。ただ、なんて言うか……。
 技術はすごい。センスもいい。流行を見抜く目もある。だけど、そこには、由宇の言う“魂”が感じられない。だから、上手く言い表せないけど、詠美の同人誌って、読んでも心には残らない。上滑りしているような感じを受けるんだよな。
「……」
 黙ってぱらぱらめくり続ける詠美。確かに96ページ。フリートークや前書き、後書き、奥付というページを除いても、実質80ページ以上はあるんだから、全部通してチェックするとしたら、しばらく時間がかかるだろうな。
 手持ちぶさたに待っていた俺の目に、詠美が机の上に置いてある一冊のコピー誌がとまった。
 何気なくそれを手にして、めくってみる。
「……!」
 な、なんだ、これは?
 頭を思いっきり殴られたような衝撃を受けた。
 たかが10ページくらいしかないこのコピー誌。だが、中に描かれているものは、まさに珠玉といってもいい漫画だった。
 話の筋自体は、何の変哲もない恋愛ものだった。だけど、その絵から、その作者の思いが鮮やかに浮かび上がってくる、そんな漫画だった。
「……詠美」
「なによ」
 顔を上げた詠美が、俺の手にしたコピー誌を見て、はっとする。
「あっ!」
「え?」
「ちょ、ちょっと、何見てるのよっ!」
「あ、ああ。これ……」
「返してっ!」
 ひったくるように、そのコピー誌を俺の手から奪い取る詠美。っていうか、素早く俺が手を離したんだけど。そうしないと、コピー誌なんて簡単に破れるからなあ。
「……見たの?」
「見た」
 正直に答える俺。詠美は真っ赤になって、そのコピー誌を抱きしめるようにその場にうずくまっている。
「ふ……」
「ふ?」
「ふぇーーん」
 な、なんなんだ?
 唖然とする俺を残して、詠美は部屋から飛び出していった。そのコピー誌を抱きしめたまま。

 仕方なく、俺は自分のコンテを修正していたが、夕方になっても詠美は戻ってこなかった。
「……ふぅ」
 一通り修正が終わったところで、俺は一息ついて、壁にかかっている時計を見上げた。
 午後6時か。
 ついでに、部屋にある電話を無断拝借して、家に電話をかける。
 トルルル、トルルル、トルッ
『はい、高瀬……じゃなかった、千堂ですっ』
「あ、瑞希か?」
『なんだ、和樹かぁ。あさひちゃんに代わる? 今、みらいちゃんをあやしてるところだけど』
「いや、もうすぐ帰るから。そう伝えておいて」
『了解。あ、ついでに買い物頼まれてくれる?』
「ああ、ちょっと待ってろ」
 俺はメモを出して、瑞希の言うものをメモった。
「トマト……と。これだけでいいのか?」
『それ以上は持てないでしょ? じゃあ、よろしくね〜』
 電話を切ると、俺は道具を鞄に入れた。

To be continued...

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あとがき

 あさひのようにさわやかに その6 99/8/2 Up