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とりあえず、パンにティーパックの紅茶、サニーサイドアップという標準的な朝飯を平らげると、あさひは皿やティーカップを重ねてシンクに運んだ。
To be continued...
「それじゃ、こっちはあたしが洗っちゃいますから、和樹さんはがんばってくださいね」
「そうだな。それじゃとりあえずコンテでも切るかな」
そう返事をした途端だった。
スパーーーン
いきなり後ろからどつかれて、おれはそのまま机に突っ伏した。
「痛てぇっ! な、なんだ?」
「とりあえずコンテでも切るかな、とはなんやっ! あんた、漫画をなめとるんとちゃうんかっ!」
慌てて振り返ると、肩に大きなハリセンを担いで、由宇がこっちを睨んでいた。
「わぁっ、お前いつの間にっ!」
「いつの間もモアイもあらへんっ! 1年のブランクの間に腕がなまったんやないかと心配して来てみれば案の定や。こりゃ一から性根を叩き直す必要がありそうやな」
由宇はにやりと笑うと、ハリセンをぽんぽんと叩いた。
「そんなことは……」
「無いって言い切れるんか?」
「……」
俺は沈黙した。確かに1年の間、俺はペンを握ることはなかった。腕も確実に落ちてるだろう。だけど、もっと大切なものまで、無くしてたんじゃないだろうか?
それは、漫画にかける熱い思い、とでもいうもの……。
「俺は……」
「その顔は、どうやら思い出したようやな」
由宇はそう言うと、おろおろと俺と由宇とのやりとりを見守っていたあさひに笑い掛けた。
「あさひはん、そんなわけで、こっちの旦那、ちと借りていくで」
「えっ?」
「ああ、心配せんでもええって。ちとばかり鍛え直すだけや」
「ちょっと待てっ。俺は何も……」
「あんたの都合なんて聞いとりゃせん。最後のこみパに駄作を出すなんて、他の誰が許しても、この辛味亭の猪名川由宇が絶対に許さへんでぇっ!」
ドッパァァン
拳を握って言い切った由宇の後ろで、白波が砕けるのが見えたような気がする。
「わかった、わかったからちょっと待て」
俺は苦笑して、電話に手を伸ばした。
トルルルル、トルルルル、トルッ
『はい、高瀬です』
「あ、瑞希か?」
『なんだ、和樹かぁ。電話なんか掛けてきて、どうしたのよ?』
俺は事情を説明した。
「……というわけで、俺はちょっと由宇の所に行くんで、その間あさひとみらいを頼みたいんだ」
『あんたね、あたしにもあたしの事情ってもんがあるんだけどねっ』
あ、怒ってる。
「そこを曲げて頼むよ。頼れるのはお前しかいないんだってば」
「あの、あたしは大丈夫ですけど……」
後ろからあさひが言うが、俺は首を振った。
「そうはいかないだろ?」
「でも……」
何か言いたげなあさひをまぁまぁと手で押さえ、俺は受話器に向き直った。
「頼む。あさひに家事全般を仕込んでやって欲しいんだよ」
『なるほど、それが本音ね』
ため息混じりに、瑞希が言った。
『わかったわよ。そっちに行けばいい?』
「ああ、すまんな」
『じゃ、15分くらいで行くからね』
ピッ
電話を切ると、俺はあさひに向き直った。
「そんなわけで、瑞希が来てくれるから」
「すみません、和樹さん……」
「いいのいいの。んじゃ、ちと留守にするよ」
俺は立ち上がって由宇に声を掛けた。
「それじゃ、行こうぜ」
……既に、由宇はそこにはいなかった。
「あ、あれ?」
「猪名川さんなら、和樹さんが電話してる間に、「うちは先に行くさかい、そう言っといてや」って言って、出て行ってしまいましたけど……」
あさひがドアの方を指す。俺は苦笑した。
「相変わらずせっかちな奴だな。それじゃ、行って来るよ」
「はい」
あさひがたたっと駆け寄ってくると、上を向いて目を閉じる。俺はその唇にキスをすると、その頭に手を乗せた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
あさひは微笑んで、俺を見送ってくれた。
マンションを出ると、由宇が腕組みしてマンションの壁にもたれかかっていた。
「なんだよ、由宇? 待っててくれたっていいだろ?」
「阿呆抜かしぃな。うちかて必要以上に新婚夫婦に干渉するほど野暮やあらへんわ」
由宇は苦笑いした。……既に必要以上に干渉されているような気もするが。
「で、鍛え直すって、何をするんだ?」
「ああ、あれは口実や」
「口実?」
俺は思わず聞き返した。
「和樹、あんたまさか、あそこで漫画描こうなんて思っとったんやないやろうな?」
「何かまずかったか?」
聞き返す俺に、由宇は肩をすくめた。
「当たり前や。あんな環境で漫画描くのに集中できる思うてんのか? 愛するあさひはんは手の届くところにおるわ、すぐ泣くけど可愛い赤ん坊が同じ部屋におるわで漫画に集中できるわけあらへんやん」
「そんなことは……」
「ない、って言い切れるんか?」
それもそうかもしれないけど……。
俺が考え込んでいる間に、由宇はさっさと歩き出していた。それに気付いて、俺は慌てて由宇を追いかけた。
「おい、待てよっ!」
「それに、や」
追いついた俺に、由宇は言葉を続けた。
「あんた一人で原稿完成させられるんか? フルカラー96ページやろ? 大将に聞いたで」
大将っていうのは、大志のことだな、きっと。
「それは、多分出来るんじゃないかと……」
「阿呆抜かすのはこの口かぁ〜」
由宇は俺の口をぐいっと引っ張った。
「いひゃいいひゃいっ!」
「そりゃ、あんたの腕はうちも認めるで。でも、はっきり言って一人やと無理や。でも、アシがおったら、出来へんことはない」
「アシって、アシスタントか?」
「そや。というわけで、ついてきぃや」
由宇はそのまま早足で歩いていった。
「ここは?」
画材道具一式を入れた鞄を提げて、由宇に引っ張って行かれた場所は、家から歩いて15分ほどの住宅街の一角にある、ごく普通の家だった。
「ほれ」
由宇はにやっと笑いながら表札を指す。
えーっと、“大庭”……。ええっ、まさか!?
「由宇っ! ここって、まさか?」
「そや。ここがあの大場詠美の家やで」
そう言って、由宇はチャイムを鳴らした。
ピンポーン
しばらくして、ドアが開いた。タンクトップ姿の詠美が顔を出す。
「ふぁい……。ああーーーっっ! パパパパパパンダっ!!」
「よぉ、朝から元気がええなぁ」
由宇は笑顔で手を上げて挨拶する。
「なによぉっ、六甲パンダが何の用よぉっ! さては帝都進出に先駆けて、邪魔になるあたしの家に襲撃を掛けてきたのねっ!」
「なに言うとんねん。脳味噌にウジ虫でもわいとるんか? ま、立ち話もなんやさかい、上がらしてもらうで」
そう言って、由宇は手を伸ばして門の鍵を外から開け、玄関にずかずかっと近づいた。
慌ててドアを閉める詠美。
だが、一瞬早く、由宇が履いていたスニーカーを脱いで、ドアの隙間に突っ込んでいた。
「くーっっ、し、閉まらないぃぃーーーっ」
「ええから、話を聞けっちゅうに、このオオバカ詠美」
「だっ、だれがオオバカよっ! あたしは大庭よっ!」
「おっと、あかんあかん、詠美をからかいに来たんとはちゃうんやった。ええから、さっさと開けぇ」
ドアの隙間に指を突っ込んで、開けようとする由宇。
「開けないわよぉっ!」
ドアノブを掴んで閉めようとする詠美。
なんか壮絶な引っ張り合いが続いていた。俺はそれを門の外から呆れて見ていた。
と、由宇が俺に視線を向ける。
「和樹も何しとんねん! ぼーっと突っ立っとらんで手伝わんかい!」
「和樹っ!?」
いきなり、中で詠美がドアノブを放した。ドアがばたんと開き、由宇は弾みでその場に尻餅をつく。
「いったぁ〜。このっ、放すときは放すって言わんかいっ!!」
尻餅をついたまま、由宇が拳を振り上げたが、詠美はそんな由宇も無視して、俺をじーっと睨んでいる。……俺、何かしたっけ?
「な……」
「な?」
「何しに来たのようっ! この変態っ!」
……いきなり変態呼ばわりされるとは思わなかったぞ。
「うーーーっ」
詠美は、唸りながら俺を睨んでいる。と、すっとその脇を通り抜けて、由宇が詠美の家に入り込んだ。
「おじゃまするで〜」
「あっ、こらっ、神戸パンダは人間の家に入っちゃいけないのよっ!」
「さよか。詠美の部屋は、確かこっちやったなぁ〜」
あっさりと受け流しながら、ずかずかと奧に入っていく由宇。
詠美はその由宇と俺を交互に見ながら、一瞬迷っていたようだったが、ふぅとため息を付いた。
「わかったわよ。とりあえず、話だけは聞いてあげるわよ」
「あ、俺も上がっていいのか?」
「しょうがないでしょう! そうしないとこのままあの関西パンダに家の中をじゅうりんされちゃうじゃない」
そう言って、詠美は身を翻して、由宇の後を追いかけていった。
「というわけで、や。詠美、こいつ手伝ってやってや」
由宇はぽんと俺の肩を叩いた。
「ちょっと待ちなさいよ温泉パンダっ! なんでこの同人界のクイーン、大庭詠美さまがパンダの連れの面倒見ないといけないのよっ!」
案の定、詠美は怒鳴りだした。
ひらひらと手を振る由宇。
「ええやんええやん。どうせあんたの原稿は終わっとるんやろ? それに、予定も何も入ってないんとちゃうんか?」
俺は苦笑して口を挟んだ。
「予定も何もって、詠美にだって勉強とかあるだろう? あ、そういえば詠美って大学はどうなったんだ?」
「あうっ……。だ、大学なんて行かなくてもいいんだもんっ!」
涙目になる詠美。やっぱり落ちたのか。
まぁ、あんまり触れないでおいてやった方が良さそうだ。
俺は由宇に言った。
「やっぱり、詠美に悪いって」
「あんたは黙っとき」
びしっと俺に言うと、由宇は詠美に向き直った。
「あんたやって、随分和樹のこと気にしとったやんか」
「ばばばばばかなこと言わないでよっ!!」
なんだ? いきなり詠美の奴、うろたえまくってるぞ。
「あんたが何かと和樹に一緒に組もうって誘っとったの、うちはしっかり覚えとるで。それに和樹がおらへんようになって、あんたしばらく落ち込みまくっとったやないか。赤点とっても原稿は落としたこと無い詠美ちゃんが、去年の夏こみに、新刊落としちゃったんだもんね〜」
由宇が標準語を話すときっていうのは、基本的には相手を馬鹿にしているときだ。まぁ、それはともかく、詠美が新刊落とした(業界用語かもしれないので説明しておくと、原稿が締め切りに間に合わなくて本が出せなくなったことを、“落とした”というのだ)とは、初耳だな。
「うるさいうるさいうるさいっ、温泉パンダのくせに。ふみ〜ん」
泣きながら走って行きかけて、戻ってくる詠美。そりゃ、ここが自分の部屋なんだから、どこに逃げていくわけにもいかないだろうな。
「とっ、とにかくあたしは絶対嫌だからねっ!!」
「なあ、由宇。本人もこんなに嫌がってるんだし……」
「だから、あんたは黙っときって言うてるやろ!」
そう言うと、由宇は詠美に向き直った。
「あんたかて知ってるやろ? 次でこみパがお終いや、っちゅうんは」
「それくらい知ってるわよ。でも別にこみパだけが即売会じゃないもん」
「そやけどな。他の即売会にゃ、牧やんはおらへんで」
由宇はため息混じりに言った。
「うちらがある程度好き勝手にやれたんは、牧やんがおったからや。それは詠美やってわかっとるやろ? その牧やんにとって、最後のスタッフや。ここで恩返しせぇへんで、いつするっちゅうんや?」
「それは……」
「そのためにも、夏こみは成功させなあかんのや。そしてそのためにも、このぼんくらに変な本を作らせるわけにもいかんのや」
ぴっと俺を指す由宇。……ぼんくらってなんだよ、おい。
文句を言おうとした俺は、その場で固まった。
由宇は、詠美に土下座したのだ。
「うちとのことを水に流せとまでは言わへん。そやけど、こいつのことは頼まれて欲しいんや」
「ちょ、ちょっとパンダっ! なにとち狂ってんのよっ!」
詠美の方が逆にうろたえている。
「うちがアシ出来るんやったらやっとる。そやけど、うちも今回は性根据えてやっとるんや。とてもやないけど、こいつのアシまで手が回らへんのや。詠美、あんたやったら……」
由宇は顔を上げた。
「あんたやったら、出来るはずや。うちは、そう信じてるんや」
「……わ、わかったわよ。こいつを手伝ってやればいいんでしょ? 手伝ってやれば」
詠美は俺に視線を移した。
「しょうがないわねっ。このちょぉ天才の詠美さまが面倒見てあげるわよ」
「そか。あんじょうよろしく頼むわ」
土下座して必死に頼み込んでいたとは思えないほどのあっさりさで由宇は言うと、立ち上がった。
「ほな、うちは自分の原稿があるさかい、帰らせてもらうで」
「ちょ、ちょっとパンダっ! なによ、それだけなのっ!? この詠美ちゃん様が快く面倒を引き受けてあげたっていうのに、感謝してひれ伏すくらいのことしなさいよねっ!」
「なんでそないなことせなあかんのや。あほらし」
由宇は肩をすくめて、俺の背中を叩いた。
「和樹、しっかりやりや」
「なにをだっ!」
「詠美ちゃん様の面倒、しっかり見たってや」
なんだ、それは? 面倒見てもらうのはこっちだろ?
「ほな、さいならぁ〜」
そのまま、由宇はばたばたと出て行ってしまった。
俺は肩をすくめた。
「どうする、詠美? 由宇はあんなこと言ってたけど、迷惑なら別に……」
「いいわよ」
詠美はぼそっと言った。
「え?」
「ちょぉむかつくぅっ! この詠美様が、成り行きとはいえ、一度約束しちゃった以上、ちゃんと面倒みてあげるわよっ! で、どこまで出来てるのっ?」
「は?」
「は、って、あんた何しに来たのよっ! 原稿よ、原稿っ!」
「あ、えっと、コンテ切ってるところ……」
「見せて」
詠美はどかっとソファに座ると、手を差し出した。
「え?」
「もうっ、むかつくぅっ! コンテ、出来てるとこまででいいから見せなさいって言ってんのっ!」
「出来てるも何も、今朝から始めたところだぞ……」
「はぁ……。ページ割りくらいは出来てるんでしょうね?」
「ああ、それなら……」
俺は鞄からノートを出した。
こうして、俺は詠美に手伝ってもらうことになったわけだ。
「なによ、これぇ? もっとこうして、こうして、こうしたほうがいいのよっ!」
「あっ、こらっ、勝手に話を変えるなっ!!」
「なんでよっ! こうした方が売れるわよっ!!」
「コマ割りとか構図ならともかく、話を変えることは許さんっ!」
「おーぼーよっ! じゃろに訴えてやるぅっ!」
……はなはだ、先行き不安であるが、とりあえずこうして、夏こみに向けた俺の同人誌制作はスタートした。
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あとがき
ちょっと間があきましたが、第5話です。
今回は由宇と詠美ちゃん様(笑)が活躍してます。
こみパですが、一応玲子を残してクリアしたという状況です。
SSリクエストの状況をみると、瑞希SSの希望がやたら多いんですけど、何故なんでしょう?
やっぱりナイスバディだからでしょうか?(爆)
理由を教えて欲しいものです。理由のいかんによっては書くかもしれません(笑)
とはいえ、今週末はとらハ2と雛鳥Win版が出るからなぁ……。それに、マネージャー物語も始めないといけないし……。
しばらくSS書いてる暇ないだろうなぁ(苦笑)
ではでは。
あさひのようにさわやかに その5 99/7/29 Up