異譚 「幸せの定義」
 

第一話 「王子様の御登場」




















 人口の増加に伴い、生活圏を月から外宇宙・・・即ち火星にまで拡大した地球人類。科学技術の進歩に伴い、テラフォーミングにより赤い大地であった火星は、その色を青へと変え、まだまだ未開発の地域は多くとも十分に人が住める環境となった。
 環境が完全に整った訳ではないが、それでも人は移民を始め、火星で暮らし始めた。
 
 

 その日、穏やかな平穏に満ちていた日常は、唐突に終わりを告げた。
 
 

 西暦2195年火星宙域・・・第一次火星会戦勃発。

 此処百年ばかり、小競り合いは散発的に起きてはいたが、大規模な戦争と呼べる程の戦闘を経験していなかった地球人類にとって、久方ぶりの戦争が唐突に幕を開けた。

 木星の向こう側からやって来た謎の兵団によって、地球から遠く離れた火星は戦乱を迎えていた。
 火星衛星軌道上で繰り広げられる激しい戦闘。
 数多の爆光が咲き乱れ、綺麗とさえ映る。

 だが、その戦闘は一方的であった。

 侵略者である『木星蜥蜴』と呼ばれる無人兵器兵団は、防衛側である地球連合宇宙軍艦隊を思うがままに蹂躙していた。
 地球側が放つ何百本ものレーザー砲の洗礼も、彼等にとっては涼風にさえなり得ずに、時空歪曲場と呼ばれる障壁に阻まれ、傷一つ与えられない有様であった。彼等の母艦と思しき建造物から、その総数を際限なく増していく。この時点で勝敗は完全に決していたのである。

 火星の地表を目指して侵攻する木星蜥蜴。時間の経過と共に加速度的に数を減らしていく地球艦隊。実戦を殆ど経験していない者が大半を占める現在の軍において、訓練通りの戦果を上げることなど望むべくもない。

 そして、木星蜥蜴の母艦、後に『チューリップ』と呼ばれる巨大な建造物が火星大気圏に突入しようとした矢先に地球側の艦隊を指揮している老提督は一つの決断を下した。
 

「・・・本艦をヤツにぶつける!」
 

 コレである。

 レーザーが曲げられても、大質量の直撃なら如何であろうか?
 答えは、戦艦の特攻により確かに大気圏突入角度は変わり、チューリップに致命的なダメージを与える事は出来た。
 けれども、落下地点にあったコロニーは壊滅する。軍の挙げた確たる戦果はこの一つだけであり、木星蜥蜴に地球連合艦隊は全く歯がたたず、火星は事実上壊滅した。

 第一次火星会戦は地球側の惨敗であった。

 その後地球連邦政府は、この敗北から大衆の意識を逸らす為に、チューリップ撃破という唯一の戦果を挙げたフクベ・ジン提督を英雄として大々的にマスメディアを使って報道した。

 そして彼は、偽りの英雄となった。

 無論、チューリップが落ちたコロニーの事など詳しく報じられてなどいない。世間一般でわかっていた事は、そのコロニーの名が『ユートピアコロニー』と呼ばれていた事ぐらいであり、落下による犠牲者の数など全く報じられておらず、ただ後の木星蜥蜴による侵略で全滅した・・・そう報じられていたのである。

 百年前からこういった政府の体質は変わってはいない。いや、それ以前から為政者と呼ばれる者達は多かれ少なかれ大概はこのようなものであった。

 スケープゴートを使って都合の悪い物を覆い隠す。
 その結果がこの大戦を招いたのである。

 政治家達の事なかれ主義や、軍上層部の過去の汚点を覆い隠す為の行為が招いた戦争であり、事実を公表し謝罪していればこうはならなかった筈であった。

 時の因果に逆らい、零れ落ちたる黒き呪いの徒花が、大輪の花を咲かせる事は無かった筈なのであった。
 
 
 
 

 チューリップがユートピアコロニーに落下した翌日。廃墟と化した街は、まだ所々で黒煙を上げており、街の空を我が物顔で飛び交っている黄色の虫型無人兵器は攻撃する目標をあらかた落としたようで、制空権を確立した後は地上制圧行動に移るべくセンサーアイを使って、生命反応を探していた。地上では、僅かながら戦闘が繰り広げられており、少年達がいるシェルターも地上から来る爆発の余波による振動で揺れたりもしていた。

 避難してきている人々は、極度の不安から互いに身を寄せあう者、自棄になって酒に逃避する者、既に存在していない軍司令部に救援を求める者、様々であった。そんな人々の中の蜜柑の入ったダンボールを持った少年は、彼の目の前に居る可愛らしい幼女となにやら話し込み、蜜柑を手渡し苦笑していた。現在、戦時下における火星では食料は貴重な物資であり、少年は此処に避難して来た時が仕入れの最中だった事も幸いして、ダンボールの中にぎっしり詰まった蜜柑を所持していたのだった。
 

「うわぁ♪ ありがとう♪♪ ねえ、お兄ちゃん、デートしよう!」
 

 突然、戦時中という状況下に置かれてしまった為にほぼ着の身着のままで避難して来た者が大半を占めていたのであり、何とか配給される食糧は具が殆ど入っていない塩スープであったのだ。そうでなくとも果物関連は大概の場合、子供達には好評である。幼女が喜ぶのも無理は無いと言えた。
 更には少年が蜜柑を手渡す時に浮かべた優しい笑顔に何故かヤラレ、頬を僅かに赤らめながら幼女がお礼とばかりにその言葉の意味もわからずにデートに誘う。
 

「へっ?」
 

 幼女にデートに誘われ、戸惑う少年。幾ら彼女の未来が美人になる事が確定しているからと言って、此処で喜んで承諾したら真性のぺドフィリアである。
 幼女の背後にいる彼女の母親らしき女性が二人の遣り取りを見てクスクスと綺麗な笑みをこぼしていた。幼女の可愛い反応と少年の慌てぶりが可笑しかったのであろう。
 其処には戦時中などという嫌な雰囲気を忘れさせるに十分の穏やかさがあった。
 

「私ね、アイって言うの」
 

 零れるような笑みと言うのはこの様な事を言うのであろうか、それとも無垢な笑顔であろうか。
 つられて微笑んでしまう少年が居た。
 

「俺は・・・!? 危ないっ!!!」
 

 轟音と共に壁が吹き飛び巨大な穴が開き、中からバッタと呼ばれる黄色の虫型機動兵器が一体姿を現した。シェルターに避難して来ていた人々は、バッタの姿を見ると悲鳴を上げ恐慌状態に陥り、我先にと逃げ出した。

 しかし、一人だけ例外が存在していた。
 

「奥さん! 此処は俺が抑えます!!」
 

 熱血モードに入った少年、その人である。しかも、きちんと女性に対してアピールを忘れていないあたり、将来のジゴロを連想させる。何よりこれを意識しないで行っている辺りが、なお性質が悪い。
 少年は付近のリフトに乗り込むと、それを虫型機動兵器に向けて急発進させた。虚をついた格好になった少年は、無人兵器を壁際に押し付ける。押し付けてなおアクセルを吹かす少年。

 それにより、無人兵器の赤いカメラアイは、そのうち一つが火花を発して割れ、その動きを力なく停止させた。

 その様に、はしゃぐ幼女と歓声を上げる人々。そして、新たな敵が来ない内に避難場所を変更しようと奥の扉を数人掛りで手動で開く。その先に行けば未だ生きていられる、人々はそう思ったであろう。その思いに答えるように扉はゆっくりと開き始めた。

 だが、待っていたのは生への歓迎ではなく、それは死という名の閃光で迎えられた。
 
 

 爆音。

 煙に包まれるシェルター。

 急速に立ち込める肉の焦げた匂い。

 煙が晴れた先に広がる屍の海。

 目の当たりにした死に対し、少年の瞳孔が拡大する。

 再び動き出した、少年が倒した筈の無人兵器。

 扉からも新たな無人兵器が屍を踏み砕きながら現れる。

 恐怖に歪む少年の顔。

 ・・・そして、絶叫。

 少年の胸元から現れ消える虹色の光。

 光が収まったシェルター、そこには生きている者は存在していなかった。
 
 
 
 

 草原に突如として光が集まり、それが人の形を造りだす。一度、空間に波紋のように広がった光は、やがて二メートルくらいの光の塊へと変貌する。もうじき冬になろうとしている秋の夜空を染める幻想的な光景である。

 いや、もう一つ光が集まりだした。

 次に集まった光は十メートル程度の異形の巨人を象る。光が収まった後に現れた物は、全身は闇のような漆黒であり、肩と胸部、それに頭部に赤いマーキングが施されている鋼の体躯を持った巨人であった。それは人間を模している巨人であり、ネルガル重工が先頃発表した最新鋭機動兵器『エステバリス』に何処となく似ているようである。だが、エステバリスはフレームの変更によってそのシルエットは多少異なるものの、平均全高は六メートル位である。その機体は八メートルを優に超える大きさを持っており、異様なまでに重苦しい雰囲気からして従来の機体とは明らかに違う異質さを持っていた。 

 真紅のカメラアイは禍々しさを周囲に放ち、見る者に恐怖すら感じさせる禍々しい異質なる存在。

 先に人型に集まった光の中から現れた少年は、絶叫と共に目を覚ますと荒い息をつきながら天を見つめる。漸く人心地ついたのだろうか、心臓を破らんばかりに早鐘を打っていた鼓動が多少は収まったのであろう、頭を振りながら周囲を見回す少年。
 

「・・・!!?」
 

 その視線が背後を見た瞬間凍りつく。
 それは異質なる物への恐怖であろう。
 視線の先にある漆黒の巨人を捕らえた瞬間、少年の時間は凍り付いてしまった。

 だが、その凍りついた時間を解き解そうとでもするように、巨人の胸部が開いてゆく。

 少年の瞳に映る、漆黒の甲冑のような物に包まれた男の姿。何故か目が離せないその姿。少年はその男が微動だにしないのを訝しく思ったのか、おそるおそる巨人に近寄り胸の中で鎮座している男を覗き込もうと取り付き始めた。
 危なっかしい手つきで、漸く男の場所まで辿り着いた少年が、男の様子を見ようとするが此処までの少年の行動中に男は指先一つどころか眉一つ動かしてはいなかった。

 恐る恐る男に手を伸ばす少年。
 少年の手が男に触れた瞬間、二人は光に包まれ、男の身体がぼやけ、消え始めた。消え行く男の身体から、キラキラと光る物が少年に纏わりつき、そのまま吸収されたかのように体内に吸い込まれてゆく。
 その最後の一滴まで吸い込まれると、其処には男の姿は存在していなかった。
 男の姿が完全に消え去ると、甲冑が崩れ音を立てた。

 しかし、その音に目の前で人が消えるなどという非現実的な出来事を見た少年は驚き悲鳴を上げるわけでもなく、何故か頭を抑え悶え苦しんでいた。

 その様はただの頭痛とはとても思えないくらいの苦しみ様であった。
 

「ぐあぁぁぁっぁぁぁぁあああ!!! な、なんだっていうんだよ!?」
 

(・・・君の知っている、・・・・・・は死んだ・・・)
 

 脳裏に浮かぶは、無数の墓碑。
 未だ見た事のない風景の筈である。自分自身の声のようだが、今まで発した事がない全く感情の篭もっていない声であった。

 そう、君の知っている俺は家族を利用するような奴じゃない。
 今此処にいるのは過去の亡霊に過ぎないんだ。
 

「ぐがぁっ! だ、誰だ!?」
 

(・・・・・・・・・遅かりし復讐人・・・)
 

 編み笠を被った爬虫類のような雰囲気を持つ男が同様の格好をした六人の男たちを従え、モニター越しに口の端に厭らしい笑みを浮かべ呟く。少年の心に湧き上がる圧倒的な憎悪。

 殺す!
 貴様だけは何としてでも殺す!!!
 

「やめろぉぉぉぉ!!!」
 

(いやぁぁぁぁぁ!・・・・・・、助けて・・・・・・!!!)
 

 長くて美しい青い髪を持つ美女が泣き叫びながら助けを求める。
 少年の胸に広がる、無力に対する絶望。

 ちくしょう!
 動けよ!!
 何でこんな時に俺の身体は動かないんだ!!!
 アイツを護るんだ・・・だから動けよ!!!!
 

「ッあっ!? 何なんだよ、コレは!!!」
 

(私は・・・・・・の目、・・・・・・の耳、・・・・・・の手、・・・・・・の足、・・・・・・の、・・・・・・の・・・・・・・・・・・・・・・)
 

 薄桃色の髪を持つ美しい少女の声が、頭の中に直接響く。
 愛しさとやるせなさが去来する。

 俺は、お前の手までも紅く染め抜いてしまったんだな。
 ・・・すまん・・・。
 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
 

(・・・・・・アキトさん・・・・・・)
 

 万感の想いを込めて、潤んだ瞳で見上げる少女。
 瑠璃色の髪と琥珀色の瞳、それを見つめる少年の想いは還らぬ時間への訣別。

 君と俺では、住んでいる世界が違う。
 俺と一緒にいる者は皆不幸になる。
 だから・・・さよならだ・・・。
 

 少年の脳裏に浮かぶ様々な光景、観たことのない景色、出会った事のない人、そして・・・・・・。
 愛憎ないまぜとなった激しい感情。
 拒絶したい、でも、何故か惹かれてしまう。

 どれ一つとも全く未体験の物であった。

 しかし、それは両手の間から零れ落ちる水のように、徐々に消えてゆく。
 少年は激しく悶え、そこから地面へと転がり落ちる。
 少年は地面に落ちてなお悶え、転がり続ける。
 苦悶の表情に彩られたその顔には、緑色をした光の軌跡が走っていた。
 光は少年の肌の露出している部分全てを覆い始め、それはどうやら全身に広がっているようであった。
 それに伴い、苦痛は全身に廻っているようであり、より一層苦しみ方を増す少年。
 何かが入り込んでくる。身体の中へ、意識の中へ・・・そして、心の中へ・・・。
 彼の神経を犯し、心を犯す何か・・・。
 耐えがたい苦痛は、その存在の根幹である魂から湧き上がってきている。
 光の軌跡が明滅し、それが消えた頃には少年の苦悶も終わりを告げたようで、胸を激しく上下させ身体を痙攣させながらも落ち着いたようであった。
 けれど余りに激しく消耗したのか、意識を失ってしまっている少年。そして、少年の苦しみが終わるのを見届けたからではないのであろうが、漆黒の巨人は再び光に包まれ消えてしまった。
 そして草原は静寂に包まれ、暫くして少年が意識を取り戻した頃には周囲に残されていた物は漆黒の外套と漆黒のバイザー、それに漆黒のボディスーツと大型のブラスターという、どっから見ても一般市民が真っ当な生活を送っている限りでは一生目にする事が無いであろうと言う物騒なシロモノ。
 否、巨人が消え去る前にその眼前に一瞬だけウィンドウが開いていた。
 

【・・・マスター・・・復讐を終え限界が訪れたアナタの刻は終わり、今また異なる世界でアナタとは異なる筈のアナタが私の前に現れた。
そのアナタは、突如として出現したアナタから、遺産とも呼べるモノを受け継いだ・・・。
・・・マスター、コレもアナタの御意志なのでしょうか? 死した筈のアナタが望み、この世界に生きるアナタがそれを受け継いだ事は運命なのでしょうか?
・・・ならば、私は待ち続けます。アナタの力が受け継がれたのなら、アナタの所有物である私もまた受け継がれるべき存在。
・・・今は待ちます・・・ですが、呼んでください。
ダッシュの名ではなく、私の銘を・・・。アナタが私のただ一人の主であるのなら・・・・・・】
 

 そして、時は流れる。

 一年余り・・・。
 
 
 
 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 

 天井に向かって盛大な叫びを上げている少年。
 此処は雪谷食堂という大衆食堂の厨房であった。この食堂はこの地域では味も良く、値段も安い、だが店主の愛想はいまひとつという、如何にもな大衆食堂であった。そして、暫く前から厨房で叫びを上げている少年をアルバイトとして雇っていたのだ。

 少年はこの一年の間に何度この叫びを放ったであろう。
 戦闘が始まる度に、激しく動揺し恐怖の絶叫を上げてしまう。
 爆音によって震える空気、振動する壁、それは少年に故郷で見た最後の光景を思い出させてしまう。

 その様を見つめる店主の目には何かを決心した光があった。そして、食堂が閉店した後店主から渡されたマネーカードと解雇の言葉。
 曰く、遠くで行われている戦闘を怖がって叫びを上げてばかりの元パイロットは雇って置けない。しかし、少年の経歴にはパイロットを経験していたなどとは記載されていない。だが、世間はそうは見てくれないというのが店主の言い分であり、言外に逃避を続ける少年には此処の厨房を任せる訳にはいかないという含みを漂わせていた。
 自分自身から逃げ続けている以上、これ以上の成長は望めないし、ここにおいていても少年のトラウマが癒される保証はない。
 心の傷を癒せるのは自分自身だけなのだから。
 この店の主人『雪谷才蔵』のわかりにくい心遣いであった。
 そして、たった今この時を持って、少年の無職は決定した。

 それから一時間が経過したであろうか、少年はぶちぶちと文句をこぼしながらキツイ坂を自転車で登っていた。その背に背負う、大量の荷物から突き出たお玉がチャームポイントである。
 だが、そんな少年の真横を黒塗りの高級車が凄い勢いで追い抜いて行った。
 かなり近くを抜いていったのであろう、驚いた拍子に姿勢を崩しよろけてしまう。けれど、運なのか根性なのか、少年は危なっかしげによろけたが何とか持ち直し、キッと車を睨みつけると解雇された事の憤りも相まって、大声で罵声を上げた。
 

「ばっかやろぉぉぉ! 何処見て運転し・・・て? うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
 

 文句を言った瞬間、車のトランクからスーツケースがパージし、少年に爆撃を加えた。
 スーツケースは地面を転がり、中に入っている衣類等をぶちまけながら、狙いを外さず見事少年に命中し、転倒する自転車。
 メゴッ! と嫌な音と共に顔面に直撃を喰らい、ルルルーと涙を流す少年。
 

「もうやだ・・・何で俺だけ・・・」
 

 彼の雪達磨式の不幸は、車から降りたハードラックウーマンを迎えた事で本格的に加速を開始する。
 

「・・・あのぉ、大丈夫ですか?」
 

 どう見ても大丈夫ではなさそうなのに、こう尋ねてくる女性。
 車から降りて来たのは年の頃二十歳位の青い長い髪を持つ抜群な肢体を持つ美女であった。
 少年は頭を振りつつ文句を言ってやろうと深く息を吸い込むが、彼女の容姿を見た瞬間に顔を僅かに赤らめるとそのまま口を噤んでしまう。やはり少年はノーマルだったのだ。
 哀しい男の性なのか、そのままなし崩し的に衣類のパッキングを始めてしまう少年。多分下心だけではないのであろうが・・・。
 顔をそらせブツブツと文句をいいながらも手は止まっていない、その頬が僅かに紅潮しているのはご愛嬌か。
 そして、なにやらもごもごと呟きながらももう直ぐ完成というところまでこぎつけた少年は、ふと手元の感触に違和感を感じひっぱたりしてみた・・・シルクの滑らかな手触り、所々にフリルがあしらわれた高級感を醸し出す表面積の割には驚くほど高価で小さな布切れ、世間一般では『ショーツ』と呼ぶ。
 見る見る顔色が変わり、口をパクパクさせながら滝のような汗を流す少年、その様を見つめる美女。
 

「わぁぁぁぁぁぁ!? ごめんなさい! ごめんなさい!!」
 

 視線に気付き、顔を真っ赤に染め、大慌てで平謝りする少年。
 女性の下着を引っ張ったりしていれば、変態扱いされてもおかしくはない。例え、相手が付き合っている女性だろうと疑わしい目で見られるだけならば御の字である。
 

「・・・あの、何処かでお会いした事、在りませんか?」
 

 性犯罪者呼ばわりされるのを免れた少年は、突然の出来事に鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして女性にまじまじと視線を走らせるが、彼女が屈んでいる為にタイトスカートの隙間から覗く下着に目が行き、またもや顔を紅くさせ深く考えずに否定の言葉で答えてしまう。
 

「いや・・・俺はそうは思わないけど・・・」
 

 少年は頬を掻いたまま、ぶっきらぼうな口調で答えた。
 

「・・・ん〜〜、そうですか・・・・・・ご協力を感謝します。・・・・・・では♪」
 

 その答えを聞き、また車の方から彼女の名前『ユリカ』と呼ぶ声が聞こえると、彼女は笑顔で敬礼すると車へと戻っていった。
 去ってゆく車。
 暫しそれを見つめていた少年は、何時までも呆けては居れずに倒れていた自転車を起こして再び坂を上がろうとしたが、その時、ふと地面に落ちていたフォトスタンドに気付く。
 

「・・・はぁ、また落としていったよ・・・」
 

 呆れ半分で少年がスタンドを拾い、裏返しになっていて見えなかった写真が目に入るとその顔が驚愕に彩られる。
 目を見開きまじまじと見つめる少年に、どこか記憶の片隅に訴えかけるその一枚。

 そこに写っていたのは二人の少年少女。

 少年は頭に花輪を載せ仏頂面で、少女は少年に抱きついて満面の笑顔で。
 そこに写っていた物は幼い時の少年自身だった。 抱きついている少女の胸にある名札の名前と先程車に乗っていた美女の名前が重なる。

 『ミスマル・ユリカ』

 少年の脳裏に過去の記憶が蘇る。そして少年は決意を秘めた顔で自転車を起こし、車の去っていった方向へ自転車を走らせる。

 何故、俺の両親が殺されたのか?
 何故、お前はその日に火星を去っていったのか?
 お前達はあの日、テロが起きるのを知っていたんじゃないのか?

 少年の心を負の感情が占め始める。
 懐かしさよりも先立つのは、幸せを奪い去った者への憎悪であった。
 

「逢っている・・・逢っているぞ!
ミスマル・ユリカ。
俺はお前を・・・。

待ってろ、ユリカ・・・」
 

 必死の形相で自転車を漕ぎ続ける少年。
 その行き先に在るのは地球連合軍佐世保ドック。
 其処は現在、地球圏で三本の指に数えられる大企業であるネルガル重工が、とある目的の為に使用していた。
 彼の身体に宿る漆黒の憎悪は、胎動の時を迎えようとしていた。
 
 
 
 

 此処は最新鋭機動戦艦『ナデシコ』のブリッジ。

 表向きはネルガル重工が最新鋭技術の粋を集めて建造した最新鋭の機動戦艦であるが、実際のところはオーバーテクノロジーの粋を集めた物である。
 基本設計と心臓部である相転移エンジンは、ネルガル火星研究所にて作成され、弟一次火星会戦の少し前に地球に在るネルガル中央研究所に運び込まれ、会戦後旗色の悪くなった連合軍との密約により此処、佐世保ドックで完成を迎えたのだ。
 現在、木星蜥蜴とネルガル以外では開発に成功していない時空歪曲場(スペース・タイム・ディストーション・フィールド)と重力波砲(グラビティ・ブラスト)を装備し、全くの新技術である相転移エンジンを搭載した従来の戦艦とは根本的にスペックが異なるシロモノであった。
 更には“SVC-2027 オモイカネ”と呼ばれる此方もオーバーテクノロジーを用いたスーパーAIが搭載されていた。
 しかも、驚く事にそのクルーの大半が民間人で構成されており、『能力が一流で人間でさえあれば、人格その他は考慮しない』という素晴らしい選考基準で集められた(能力だけは)一流のスタッフで構成されていた。
 さらに羨ましい事にブリッジクルーの半数以上は女性であり、男なら涙を流す状況でもあった。
 ローティーンになる前の美少女から二十歳を少し過ぎたばかりのナイスバディの美女まで選り取りみどりの状態・・・まさにハーレム。

 その中の二人、制服の胸元を大きく開いた美女と雀斑が多少目立つ貧乳気味のおさげ髪の美少女が会話をしていた。
 曰く、艦長はどんな人なんだろうとか、格好良い人だったらいいなとかである。
 戦艦とはいえ、この船は民間船でもある。故に緊迫感が皆無なのも仕方がないし、この船で緊迫感を求めるのはかなりの要求だと後に知る事となるであろう。
 会話をする二人の背後でむさ苦しいスーツ姿の男に、喧しくヒステリックに詰め寄るオカマ言葉を話す中年男がいる。
 この男、名をムネタケ・サダアキと言い、地球連合軍の少将の地位にあるのだが、親の七光りで此処まで上り詰めたどうしようもない無能な男で、呼んでもいないのに退役軍人であるフクベ・ジン提督の副官を自称してナデシコに乗り込んできたのである。
 ゴートとムネタケの会話は、『なんで戦艦なのに民間人のクルーで構成されているのよ!』 とか、『その道のエキスパートを集めた一流の人材で構成されている』 とかである。
 ナデシコのブリッジはこのような様相を呈していた。

 場所は移って、ナデシコが在るドック内の詰め所。
 そこには先程の少年と、ちょび髭のメガネの男がいた。
 少年は両側を屈強なガードマンに囲まれており、いかにも何かやらかしましたとばかりに、その手には手錠をかけられ椅子に座らされていた。
 

「・・・と言う訳で、ゲート前で暴れる不審人物を拘束した次第です」
 

 少年の背後に立つ警備員姿の男がちょび髭の男に報告する。
 

「・・・ほう、パイロットですか?」
 

 少年の右手の甲に在るIFSを目にし、尋ねるちょび髭。
 

「ち、違うよ! 俺はコックだ!!」
 

 左手で右手の甲に浮かぶタトゥーを隠し、頑なに否定する少年。そのタトゥーは、地球ではパイロットと呼ばれる人間以外全く縁のないものである。
 頑なに否定する様は何かから逃避しているように、そして何かを自分自身に言い聞かせているようでもあった。
 

「・・・と、先程から訳の判らない事を口走っておりまして・・・」
 

「・・・そうですか、ここは私にお任せください。さて、貴方のお名前探しましょっと」
 

 そう言って少年の舌にペンのような物を押し当てるちょび髭。
 そこに示された物は、『テンカワ・アキト』という少年のパーソナルデータであった。
 

「・・・テンカワ・アキト・・・。
なっ!? 全滅した火星からどうやって地球に・・・」
 

 少年、アキトのデータには地球へやって来たなど記載されてはおらず、それは火星全滅後にやって来た事となる。
 火星は完全に木星蜥蜴の制圧下にあり、軍ですら全く手出しが出来ない状況であったのだ。ちょび髭の驚きも当然の物と言えよう。
 

「・・・わからないんだ。気が付いたら地球にいた・・・」
 

 擦れるような小声で答えるアキト。
 

「・・・で、どうして此処に?」
 

「アイツは・・・ユリカは俺の両親がどうして殺されたのか知っている筈なんだ・・・」
 

「・・・そうですか、貴方も大変ですね」
 

 優しげな視線を浮かべメガネを光らせると、少年の荷物に視線を走らせ、調理器具に目を留め頷く。
 

「宜しい、貴方はこのナデシコのコックさんです」
 

「・・・えっ!?」
 

「機動戦艦ナデシコ、我々ネルガルが開発した最新鋭の機動戦艦です」
 

 何故かバックにこれでもかと言う、ちょうど良いタイミングでナデシコの三面図が表示される。
 しかも、プロスは両手を広げて誇らしげであり、これまた何故か彼の様はスポットライトによってライトアップされていた。
 

 以上のような遣り取りがあり、コックとしてナデシコに乗艦する事を承諾したアキトをプロスペクターと名のるちょび髭がナデシコ艦内を案内していた。
 先ずは格納庫を紹介しようとした矢先、喧しい騒音と奇妙な大声が響き渡る。
 

「レェッッゴォォォォ! ゲキィガンガァァァァァ!!
飛べぇぇぇぇ!!! ゲキィガンガァァァァァ!!!!
止めは必殺ぅぅぅぅぅ!!!!! ゲキガン・ブレェェェェェドォォォォォ!!!!!!」
 

 アキトの視界に映る、珍妙な踊りを披露するピンク色をしたロボット。
 これこそがネルガルが地球連合軍に売り込んだ最新鋭機動兵器、エステバリスであった。

 このエステバリス、アサルトピットと呼ばれるコックピット兼脱出装置を中心に、各種フレームを戦況に応じて換装する事によって様々な局地戦に対応できるようにした機体である。しかし、本来ならワンフレームのみの汎用型機動兵器のほうが多様性は高いのであろうが、これはエステバリスが従来の機動兵器と比較して大幅な小型軽量化を達成できた代償と言えよう。今までの機動兵器の概念を覆す、エネルギー供給を内燃機関によって行うのではなく、外部からの重力波エネルギーを受信する事によって賄っているのである。
 木星蜥蜴の主力兵器である虫型機動兵器は、今までの連合軍の主力戦闘機であるスクラムジェット戦闘機と比べると、機動性の面で大きく水を開けていたのだ。幾ら推進力が素晴らしくても、兎と亀ほどに機動性能に開きがあれば空中戦を制する事など出来はしない。
 しかも、彼らは虫型機動兵器の名の示す通りに、その数は羽虫のように多いのである。対して、連合軍のパイロットには限りがあるのである。かくしてネルガルは小型軽量の機動兵器、エステバリスの製造に着手したのであった。
 人型をしている分、耐久性能に難はあるが、戦艦クラスには及ばないにしても木星蜥蜴と同様のディストーションフィールドを展開できる事から、光学兵装に対する高い防御性能を持っているし、空間を歪めているだけあって物理防御能力も比較的高くなっている。
 以上の述べた点から、改善点もあろうが、エステバリスは木星蜥蜴以上に高性能な機動兵器であると言える。

 そして、メガネをかけ作業用のツナギを着こなす男とロボットに乗り込んでいるパイロットと思しき男の、これまた珍妙な会話が交わされていく。それは一方通行の、会話とは呼べないシロモノ。
 この有様を見てアキトは何も答えられずに唖然としていた。
 

「・・・宜しい、諸君だけに御見せしよう!
このガイ様の超ウルトラグレート必殺技!!
人呼んでぇ! ガァイ!! スゥパァァァァ・アッパァァァァァ!!!」
 

 どうやらこの男、ナデシコに乗艦予定のパイロットであるが乗艦予定は一週間後にもかかわらず押しかけてきたのであった。
 ちなみに、このロボットはこのような無謀な動きに対応している筈もなく、またパイロットが脳裏に描いた稚拙なイメージも相まって、轟音を上げながら・・・こけていた。

 青い顔をしながら計算機を叩き、蒼白の表情を浮かべるプロス。

 ちなみに、この有様をエステバリスを開発したスタッフが見たら、声を揃えてこう言うだろう。
『そんな踊りを踊らせる為に人型にしたんじゃない』と・・・。
 

(・・・戦艦、確かにそう言ってたよな?
・・・アレも俺の同僚になるって事か?
・・・この船、大丈夫なのか?
・・・って言うか、俺、やっていけるのか?)
 

 アキトの脳裏を不安が過ぎる。
 彼は職場に対する不安を心の底から感じていた。

 ロボットで珍妙な行動を披露していたと思しきパイロットが、颯爽とコックピットから飛び降りてきた。
 ダイゴウジ・ガイ、彼はそう名乗り、濃ゆい顔にニヒルな笑みを浮かべた・・・右足が変な方向に曲がったままで。
 

「・・・オタク、足折れてるよ」
 

 ツナギ姿の男が呆れ半分といった感じで、間抜けな男にこれまた間抜けな事実を指摘する。
 

「うぎゃぁぁぁぁぁぁ! アイタタタ・・・。
お〜い、そこの少年!
すまん、あのロボットの中に俺の大切な物があるんだ。取ってきてくれ〜〜〜」
 

 そのまま担架で運ばれながら、アキトに向かって頼み込む男。
 アキトは苦笑しながらも、エステバリスのコックピットの中に乗り込むとシートに放置されている一昔前のおもちゃを手に取った。
 

「・・・大切な物ってゲキガンガーかよ。いったい幾つだ、アイツは・・・」
 

 コックピットハッチから身を乗り出し、またもや苦笑するアキト。
 だが、格納庫全体に激震が走り、何事か警報らしき物が鳴り響く。
 

「!? なんだ? まさか・・・敵襲!?」
 

 顔を強張らせたアキトが上に視線を向けながら呟く。
 この一年の間、彼の心を逃避させ続けた要因が、今度は直接彼の元へと襲い掛かろうとしていた。
 そして彼は選択する。

 再び逃げる事を・・・。
 
 
 
 

 そして、舞台はブリッジに移る。

 警報を耳にしても何処か危機感が希薄な女性陣。
 騒ぎ立てるオカマ。
 だが、そこでどのような会話がなされようと、ナデシコはセキュリティシステムの関係上、艦長若しくはネルガル会長がマスターキーを差し込まない限り、その心臓部ともいえる相転移エンジンに灯が入らないのだ。
 大昔の有名な艦長も言っていた、「エンジンが動かなければ、いかな発掘戦艦であろうと、瀕死の狸だ!!!」と・・・。

 件の艦長は、見事に遅刻していた。
 その事実に思い至り、恐慌状態に陥るオカマ。
 けれど、その問題はブリッジの扉が開く事で解決された。
 大きく手を振りながら、満面の笑みを浮かべた仕官服姿の美女が現れた事によって。
 

「みなさ〜ん♪ 私が艦長のミスマル・ユリカで〜〜す♪♪ ブイッ♪♪♪」
 

 凍りつくブリッジ。
 オペレーターの美少女だけは冷めた視線で「・・・バカ?」と呟いていたが。
 確かに、大学では戦術シミュレーションでトップの成績を誇っていたらしいが、ブリッジクルーをフリーズさせる程の能天気振りであった。
 人格は兎も角、能力は一流・・・その言葉を体現しているかのような存在である。
 その彼女の後ろで、アオイ・ジュンが溜め息を吐きながら額を抑えていた。今まで何度もこのような場面に出くわし、色々な苦労をしてきたのであろう。

 その後、オカマが自分勝手な提案をしてクルー一同に冷めた視線を浴びるなどするが、ユリカの示した作戦、囮を出して敵を一箇所に引きつけてナデシコの主砲であるグラビティブラストで殲滅する事に落ち着いたのである。

 けれど、ここで再び問題が発生する。

 現在ナデシコに乗り込んでいる唯一のパイロットであるヤマダ・ジロウが足を骨折してしまっていて、とても囮を任せられる状態ではなかったのだ。
 しかし、其処は御都合主義。
 

「・・・いいえ、パイロットなら出ているわ。現在エステバリス一機が、エレベーターで上昇中」
 

 オペレーターの少女、ホシノ・ルリはナデシコのメインコンピューターでもあるSVC-2027オモイカネからのアラートを受け、エステバリス一機が稼動状態にあることを知りブリッジクルーへと報告した。
 

「何! 誰が乗っているのかわかるかね?」
 

 今まで沈黙を護っていた為に存在感が全く無かった軍から派遣された退役軍人でもあるフクベ・ジン提督が口を開く。
 

「はい、ウィンドウ開きます」
 

 ルリが答え、エステバリスの搭乗者とのウィンドウを開く。
 そこに映っていたのは、年の頃十七、八の割と可愛い顔をした美少年と言って良い少年だった。
 少年はいきなり開いたウィンドウに戸惑い、引き攣った表情をしていた。まるで万引きが見つかった時のように・・・。
 

「パイロット、所属と氏名を述べたまえ!」
 

 提督と呼ばれているのは伊達ではなく、威厳に満ちた声でアキトに問う。普段からこれが出来ていれば、あそこまで影が薄くはならなかったのであろうが。
 

『テ、テンカワ・アキト、コックです!』
 

 この自己紹介に混乱を始めるブリッジ。
 曰く、何でコックが、とか、ユリカあの人、とかである。
 しかし、何時までも騒いでいる訳にはいかず、ゴートがアキトに囮になるように命令しようとする。
 

「あぁ〜〜〜♪♪♪ アキト! アキトだぁ!!
うっわぁ〜〜〜♪ 懐かしい、久しぶりだねぇ♪♪」
 

 その場の雰囲気をぶち壊す、ユリカの突き抜けた声が炸裂する。
 

『って、お前こそ何でそんなトコに居るんだよ!』
 

 いきなりな再会に、心の準備が出来ていなかったアキトは大声で怒鳴る。
 
 

「ユリカはこの船の艦長さんなんだぞ♪ えっへん♪♪」
 

 満面の笑顔で胸を誇らしげに逸らし、えっへん♪♪
 

『はぁ? 艦長? お前が・・・?』
 

「ちょ、ちょっと、ユリカ、誰なのアイツ?」
 

「私の王子様♪ ユリカがピンチの時にはいつも駆けつけてくれるの♪♪」
 

『ちょっと待て、コラァ!!!』
 

 悲壮感さえ漂わせてナデシコに乗艦したのに、同僚と思しき男はバカなダンスを披露してくれるわ、本命と思しき女は何故か艦長で性格はあのまんま、しかも何故かトリップ中。アキトが怒鳴りたくなる気持ちも良くわかる。
 

「・・・でもダメ。アキトを囮になんか出来ない・・・」
 

『・・・オイ、何だよ囮って・・・』
 

 そう、先程からアキトは逃げようとしていたのだ。
 しかし、彼女『ミスマル・ユリカ』は非常に手強く、何故かアキトの囮が決定しているかのように振舞う・・・と言うか、トリップしていた。
 

「わかっているわ、アキトの決意の固さ・・・。女の勝手でどうこう出来ないわよね」
 

 ユリカは俯き、目を伏せながら完全の自分に酔っている。
 

『・・・オイ、ちょっと・・・』
 

 ユリカの手により、どんどん進行を続けている『アキト囮作戦』、逆にどんどん状況について行けなくなってゆくアキト。
 

「わかった、ナデシコと私達の命は貴方に預けます。・・・必ず生きて、還って来てね」
 

 両手を胸の前で組み、瞳を潤ませながらアキトに向かって止めを刺す。
 

『ちょっと待てぇ!!!』
 

 事態の進行について行けず、額に血管を浮かび上がらせたアキトが怒鳴り返すが、既にユリカのウィンドウは閉じられている。
 

「エレベーター、地上に出ます」
 

 ルリの感情の篭もっていない声での状況確認がなされる。
 

「頑張って下さいね♪」
 

 首の後ろで髪を三つ編みに編んでいる雀斑のある少女、メグミ・レイナードがその場の雰囲気にそぐわぬような明るい声で声援を送る。
 だが、喜劇の幕は此処で下ろされ、惨劇の幕が開ける。
 
 
 
 
 

 アキトの乗るエステバリス陸戦フレームは、一般的にジョロと呼ばれる虫型無人兵器に周囲を余す事無く囲まれていた。

 その光景を目にした彼の心に広がる物、恐怖と憎悪。

 彼の中で、何かが蠢き始める。

 彼の瞳孔が開き、脈拍が急速に増加する。

 フラッシュバックする深遠の闇。

 怨嗟の声が聞こえてくる。

 宇宙空間に咲く、無数の爆光。

 崩壊していくコロニー。

 逃げ惑う人々は光の渦に飲み込まれ、消えてゆく。

 血に塗れている自身の両手。

 ソレに絡みついていた縛鎖が砕け、封印が解かれてゆく。

 此処ではない別の世界で、幾万もの命を奪った力の封印が・・・。

 ・・・ドクン・・・ドクン・・・ドクン・・・。

 彼の全身が内部から疼き始め、うっすらと肌の露出部分が光を放ち始める。
 右手に浮かび上がっているパイロット用のIFSインターフェイスが、白色の光から真紅の光へと発光色を変化させる。
 

(・・・何故、襲う・・・。
・・・何故、奪う・・・。
・・・何故、殺す・・・。
・・・・・・・・・赦さない・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・消して・・・やるよ・・・・・・・・・)
 

 アキトの顔が憎悪に歪み、その顔に現れる緑の光。

 それに反して静まっていく脈拍。
 

『・・・・・・・・・・・・』
 

 そして、現れ出るもう一人のアキト。
 畏れは恐怖という名の鍵となり、力という名の門を開かせる。
 一つ目の枷を外されたアキトの体内に身を潜めていたナノマシンは、その存在意義である力への渇望を発露させる。
 そして、それは力を求めて蠢き始め、それはアキトの全てを侵食し始める。
 優しさ、理性、そして人格を・・・。

 それはアキトではないアキト・・・。“彼”の発現であった。

 彼は厭らしく口の端を歪め、エステバリスを包囲網の外に向けてジャンプさせる。

 包囲網の外に着地すると、その場で一気に反転し敵集団に格闘戦を挑み始めるアキト機。
 両足のローラーダッシュを用いて一気に間合いを詰めると、正面の敵機に右正拳を打ち込み、機体制御中枢の頭部を完全に砕く。そのまま動きを止める事無く、左右それぞれのローラーの速度を不規則に変化させて、縦横無尽な軌道を取りつつ、その合間にも敵機を破壊し続ける。
 すれ違い様に放たれる、低い姿勢からの掬い上げるような掌打。掌を包み込むようにディストーションフィールドが展開されており、この一撃で胴体を粉砕されるジョロ。

 IFSコネクタに置かれた右手も緑色の発光現象が広がり、緑と真紅の光が交じり合い、それが強くなる毎にアキト機の動きも激しくなる。
 初めはタトゥーのみが真紅に輝いていただけなのだが、その光は血管のように広がり始め、今では手首全体から二の腕にまで広がろうとしていた。

 両の手足は勿論の事、肘、膝、肩等、全身を使って修羅のような戦いを披露するアキト機。余りに急激な左右の旋回や後退、急加速等を交えた動きにジョロの攻撃は一発も掠らず、逆に一撃の下に落とされていく。
 このような動きは機体本体のリミッターが働いて、本来ならば不可能であるのだが、アキトの体内で動き始めたナノマシンは、IFSインターフェイスを介して強力な支配力を発揮し、エステバリスの制御を機体OSから奪っていたのだ。この間、機体各所のアクチュエーターは悲鳴を上げ続け、それがアラートとして発信されている筈なのであったが、彼の中での機体制御を奪い去った力は、それを無視し続けるばかりか更なる力を要求する。
 そして、エステバリスはアキトの肉体により近づく・・・。量産型機動兵器では決して出来ない動きどころか、カスタマイズされた物でもこうはいかない。
 その結果、ピンポイントでディストーションフィールドの多重個所同時展開等の離れ業が猛威を振るっているのである。

 強大すぎる桁違いな戦闘能力。強さの次元、そのものが違いすぎた。
 

「「「「「・・・・・・・・・」」」」」
 

 その様をモニター越しに見つめるブリッジクルー一同は、驚愕の表情を張り付かせて一様に沈黙しているが、一応手は動いている。ユリカ等、発進準備を急ピッチで進めつつ、アキトの無事を祈りながらブリッジで艦長としての役目を果たしている最中であった。
 

(アキト・・・貴方を死なせはしない)
 

 ここで、事の張本人の癖にとか突っ込む無かれ、彼女が真面目な顔をする事はかなりレアなのであるから・・・。
 

 地上で鬼神が猛威を振るっているその証、敵を示す赤いマーカーが見る見るうちに減少していく。
 その様は、まるで悪い夢でも見ているかのように・・・。
 

「・・・信じられん。
アレが素人に出来る動きなのか・・・」
 

 スクリーンに映し出されたアキトの駆るエステバリスの見事過ぎる戦闘に驚愕に満ちた声を震わせるスーツ姿のむさ苦しい男、ゴート・ホーリー。
 

「・・・いえ、熟練のパイロット、エースクラスでもあそこまでの戦闘は不可能でしょう・・・」
 

 居たらとっくにスカウトしている。
 

「・・・・・・連合軍にもあそこまでのパイロットはいない筈だ・・・」
 

「・・・本当ですか、提督?」
 

「あぁ、彼のようなパイロットが他に存在しているのなら、とっくの昔に軍によってマスメディアを通して大々的に報じられている筈だからな」
 

「・・・ミスター、アイツは一体何者だ?」
 

「・・・テンカワ・アキト、火星生まれ、従軍経験無し・・・。
大まかに言ってしまえばこの程度ですが、彼にはパイロット経験など無い筈ですし、先程も述べたようにコックとして雇いました。
火星から地球に来て一年余りと言っておられましたが、その間にコック見習として大衆食堂を転々としていた。
それ以上の事は聞けませんでした」
 

「・・・だが、あの動き、とても素人とは思えん。何処かのスパイである可能性も有る」
 

「ではゴート君、彼の経歴に偽りがある。
そういう事かね?」
 

「・・・はい。可能性としては否定できません」
 

「先程、私が彼に使ったDNA照会システムはウチのSS(シークレット・サービス)のデータを元に検索しています。
それに異常が見られなかった以上、彼が嘘をついているとは考えにくいのですが、もしシステムを誤魔化して乗り込んだのだとするのなら、只者とは思えませんな。
しかし・・・私見ですが、私には彼が嘘をついているとはとても思えないんです、ハイ」
 

 この時点で、彼等は彼の能力の一部にしか目がいっていなかった。プロス達が見ていた物は、彼の現実離れした戦闘能力、言うなれば操縦技術のみなのである。だが、ここで彼が見せていた異様な能力、それは機体制御プログラムを侵食して、より強力な形へとフォーマットを書き換えていく事、即ち周囲の力を喰らって自らの力へと変えている事。
 彼等は気付いていなかった。エステバリスが本来の能力を甚だしく逸脱した性能を彼によって発揮させられている事に。
 

「・・・もう一度洗い出してみよう」
 

「艦の安全の為にもやむを得ませんな。
・・・しかしミスター、テンカワさんは合流ポイントへ全く向かわれておりません。ここは、再度確認を取った方が宜しいのでは?」
 

「・・・そうだな。
良いか、テンカ・・・ワ?」
 

「「「ひっ!?」」」
 

 アキトに向けてウィンドウを開くと、そこに映っている光景に絶句する一同。
 常にクールが身上のルリでさえ、目を大きく見開いている。

 いや、ルリだからと言うべきか。

 ウィンドウに映るアキトの顔は、緑色に発光する光の軌跡が幾筋も走り、それはルリにある言葉を思い起こさせる。

 ナノマシンの発光現象。

 理論上ではルリ達、IFS強化体質のみに可能とされた凄まじくハイレベルなIFSリンクを行う時に現れる現象である。
 最高傑作と呼ばれているルリでさえ、瞳の中に光を走らせるまでしか出来てはいない。
 しかし、ウィンドウに映ったアキトにはそうとしか思えないものが浮かび上がっていた。
 

「・・・・・・バカな・・・。彼は、IFS強化体質だとでもいうのですか・・・」
 

 プロスペクターの驚きぶりが示すように、それは有りえる筈の無い事なのである。
 受精卵の段階で遺伝子に改良を加え、初めてIFS強化体質はこの世に生を受ける。IFS強化体質どうしでの受精は行った試しがない為、断言できる訳ではないが、後天的にIFS強化体質を作る実験は成功例が皆無の筈である。
 遺伝子研究では合法非合法を問わず地球最高を自負しているネルガルにしても、アキトのような存在は確認されてはいないのである。
 このあたりの事情を立場上良く知っているプロスと、自身について一通りネルガルのホストコンピューター等にハッキングして調べた事があるルリにしても寝耳に水の出来事であったのだ。

 彼の顔に浮かぶナノマシンの発光現象は、どこか禍々しさを感じさせ、その表情に浮かんでいる酷薄な笑みと相まって、ブリッジクルーに恐怖を与えていた。

 地上を占めていた赤いジョロと呼ばれる無人兵器を壊滅させたアキト機は、上空から迫るバッタと呼ばれる黄色い無人兵器に攻撃目標を移行させる。
 背中のスラスターの推力を全開にして上空に上がると、ワイヤードフィストと呼ばれる両腕部に装備されている内蔵武器を使い、両手首を飛ばしてバッタ達の頭部を潰し、その身体を掴むとワイヤーを巻き戻して進行方向を敵陣中央へと修正する。後は敵の展開している歪曲場を足場として利用しながら連続して跳躍を繰り返し、その手足で屠ってゆく。スラスターの出力を加え、全身を独楽のように回転させ装甲ごと両断する縦蹴り、集中させたフィールドを纏いつかせ指先を揃えて装甲を穿つ貫き手、幾らエステバリスが搭乗者のイメージ通りの動きをトレースするIFSを搭載していようとも、現実の様とは思えない光景が其処にはあった。
 敵機を破壊した時の衝撃の反作用すら姿勢制御に利用して、攻撃態勢を維持し続けているのだから・・・。

 瞬く間に撃墜されてゆくバッタ達。

 空に咲き乱れる光の華、確かにその様だけを見れば華麗と呼べなくも無い。
 しかし、そこには負の狂気しか存在してはいなかった。バッタ達も反撃をしようと試みるも、味方の上を跳躍し続けるアキト機に迂闊に攻撃が出来ずに戸惑っている間に、その掃討は終了してしまう。
 対空戦能力が低い筈の陸戦フレームで、空戦フレーム以上の対空戦闘をこなしたのである。しかも、ライフル等の銃火器類は全く使わず、両の手足による格闘戦のみでの結果である。
 彼は二百機を超す無人兵器を、僅か五分にも満たない間に全て壊滅させてしまったのだ。
 そのまま着陸すると、残骸の海で佇み、活動を停止するエステバリス。
 両の手足は激しい戦闘により半壊状態であり、立っているのもやっとの有様であった。
 余りの動きの激しさに機体が耐えられなかったのか、関節各部からオイルが滴っている。
 廃墟に立ち、残骸に囲まれ、満身創痍のその様は悪鬼を彷彿させる。
 なによりウィンドウに映る彼の目は、バッタ達であった物を睥睨し、その瞳は闇を宿しているかのような無機質な輝きを放っていた。
 それは、先程ウィンドウ通信で会話していた少年の面影を残してはいるが、全くの別人と言っても良いほどに放たれる雰囲気が正反対と言ってもいいくらいに異質な存在であった。
 

「・・・・・・あれが、アキト?
・・・嘘だよ、アキトはあんな顔しないよ・・・。ねぇ・・・ジュン君、嘘だよね・・・」
 

 普段の彼女であったのならば、自らの出番を取られて『ユリカ、プンプン!』等と頬を膨らませるであろう。
 しかし、幼馴染であり彼女自身が何時でも護ってくれると想っていた王子様は、彼女にとって今は恐怖の対象でしかなかった。
 そこには彼女の知らない彼が居た。優しい雰囲気は影を潜め、直向さは変わらないのであろうがそれは負の方向を向いている。故に、だからこそ同一人物だとは映らない。

 アキトの放つ闇の気配に晒され、ユリカを含め震え続けるブリッジクルー。
 

(・・・テンカワ・アキト・・・。
私の居たネルガル遺伝子研究所にも、その存在の形跡すらなかったヒト?
私より強力なマシンチャイルド?
それもオペレーターとしてではなく、戦闘能力に特化されたマシンチャイルド?
・・・漸く出会えた、私と同じヒト・・・)
 

 恐怖に染まったブリッジクルーの中で唯一人、ルリはアキトに対する疑問を募らせる。
 全身をナノマシンの軌跡で発光させ、機体限界以上の力を発揮させた異常なまでの戦闘能力。
 上下左右に不規則な機動を描いていた機体、そのコックピットの中で耐え難いGに襲われていた筈なのに、苦痛の表情一つ浮かべずに全てを破壊してのけた所業。月並みな表現だが、尋常ではないその力。

 ルリは、自分と全く違うタイプのマシンチャイルドと思しきアキトに対する興味が湧いてきている。

 そしてスクリーンに広がっている、常軌を逸した戦闘と呼べない、あまりにも一方的な破壊の嵐が吹き荒れた光景。
 それこそがアキトの生み出した世界であった。
 立ち昇る朝陽によって、その身体を鮮血のような真紅に染めるエステバリス。

 それは、呪いの断片がこの世界に漏れ出した証でもあった。
 

「・・・バ、バケモノ・・・」
 

 今まで何かと喚いていたキノコカットのオカマ、『ムネタケ・サダアキ』が声を震わせて呟く。
 アキトの力は人外のソレを感じさせ、ムネタケの言葉に誰一人として言い返そうとはせずに、ただただその光景を見つめるだけ。
 夜が明け朝陽が射そうとも、ナデシコに最後に乗艦してきた王子様の初舞台は、クルー達に重苦しい現実としてのしかかってきていた。
 

 
 
 
 

一応、続く