「確かに馬鹿げていますが事実です。僕がロンギヌスの槍を持っている理由、使徒が人間化した理由、僕と同じ姿をした彼が現れた理由、全てがその馬鹿げた事実に集約されてしまうんですよ」
シンジは胸元のロザリオを、手に食い込むほど強く握り締めた。
「サードインパクト、それが全ての始まりでした」
シンジの言葉は、司令室にいる人間全てに少なからぬ衝撃を与えた。
第三話<時の分かれ道>
著作:狛犬
「ちょ、ちょっとまって。それじゃあサードインパクトは起こったってことなの?」
既にシンジが未来のことについて語っていることを信じているのか、ミサトが驚きを隠しもせずに尋ねた。
「今から約一年後の世界でサードインパクトは発生します。いえ、この場合は『発生しました』と言うべきなんでしょうか。その結果地球上の生命はある一人の人物を除いて全てその形を失いました」
「形を……失う」
シンジの言葉の意味が理解できたのか、リツコが呆然と呟く。
「ええ、全ての生命を個体たらしめる心の壁、ここではATフィールドと呼ばれているそれを失った結果、あらゆる生命体は原始以前の生命のスープになってしまいました。固体の消滅、それがサードインパクトで起こったことです」
真っ青な顔色になったリツコを訝しげに一瞥してから、ミサトはシンジに言葉をかけた。
「さっきある一人の人物を除いてって言ったわよね。それじゃあもしかしてその人物っていうのが――――」
「そうです。サードインパクトの依り代となった結果、一人だけ全てが終わった世界に取り残されたのは碇シンジ――――つまり未来の僕です。そしておそらく先ほど現れてルシフェルと名乗った彼のことでしょう」
シンジが胸元のロザリオを握り締めて、推論を告げた。
シンジの言葉に、ミサトは口元に手を当てて何かを考え込んでいるようだ。時折何かを喋ろうとするのだが、そのたびに言葉に詰まったように黙ってしまう。リツコは先ほどから青い顔をしたままで今にも倒れてしまいそうだった。
「とても……信じられん」
冬月が呻いた。
「別に信じなくても構いませんよ。他にいくらでも辻褄の合う説明はできるでしょうから」
シンジは肩を竦めて、あえて強気に語った。
「いや、悪かったね。頭から否定しようというわけではないんだが……なにせことがことだけにそう簡単に信じるわけにはいかないのだよ」
そもそも未来を知っているなどということがそんな簡単に信じられるほうがどうかしている。本来ならそのまま精神科病院に放りこまれるところだろう。
「ところであの少年が未来から来たシンジ君だというのなら、そのことを知っている君は何者なのだね?」
冬月の言葉は、司令室にいる人間全員の気持ちなのだろう。知るはずのない事柄を知り、あまつさえ神殺しの槍を持つ少年。
どうやら自分は監視されていたようだったから、監視者からは人の顔色を伺いながら生きる気弱な少年とでも報告がいっているだろう。そんな人物像とは似ても似つかない性格をした自分は怪しんでくれといっているようなものだ、とシンジは思った。
「あなたたちの疑問はもっともだと思います。確かに未来のことを知っているなんていうのは頭がおかしくなったとしか思えないだろうし、僕自身そんなことを言われても初めは信じられませんでしたから。」
シンジは一拍間をおいてから言葉を続けた。
「この槍はある人に託された物なんです」
「ある人?」
「ええ、僕を鍛えてくれたのも未来をある程度教えてくれたのもその人です。多分あなたたちの監視網には引っかからなかったと思いますが」
はっきりと監視のことを指摘されて、ミサトが顔を顰めた。勿論中学生を監視しているという罪悪感もあるのだろうが、監視対象に監視のことがばれているという情けなさもあるのかもしれない。
「で、その人物は一体何者なのかしら?」
リツコの質問にシンジは肩を竦めた。
「それは……まだ教えるつもりはありません」
「あら、それはどうしてなのかしら。何か知られたら困ることでもあると言うの?」
挑発するようなリツコの言葉に、シンジは冷笑を持って返した。
「どう判断するかはあなた達の自由ですよ。ただあなた方が信用できない内は全てを話すつもりはありません。当然でしょう?」
小首を傾げるシンジに、冬月が苦虫を噛み潰したような顔をした。
「だがね、シンジ君。我々としては少しでも情報が欲しいのだよ。何せ今回起こったことは我々にとっても随分イレギュラーな事態だったからね。ここはお互い協力して事態の解決を計ったほうが良いとは思わないかね?」
冬月が噛んで含めるように語った。
「協力?ここに来て初めて聞きましたね。頭ごなしに脅迫するのがここのやり方なのかと思っていましたよ」
「ちょ、ちょっと、私達がいつ脅迫したって言うのよ」
シンジの言葉に、ミサトが噛み付いた。
「自覚が無かったんですか?碌な情報も与えずに強要した挙句、怪我人の少女をだしにしたのは何処の誰ですか」
「そ、それは仕方ないじゃない。誰かが乗らなければ人類が滅びるところだったんだから」
ミサトが呻くように呟いた。自分で言っていて割り切れないものがあるのか、その表情は罪悪感にまみれている。
「仕方ない、ですか。まあ全人類と中学生一人じゃ比べようもないですからね、確かに仕方が無かったんでしょう。でもこれからは違いますよ」
「何が、違うと言うの?」
リツコが眉を顰めて尋ねた。
「彼が言っていたでしょう?言葉だけのこととはいえ、とりあえず狙われているのはあなたたちだけのようですからね。あなたたちの大義名分はもうなくなってしまったということです。これからは自分達の覚悟と責任で戦ってください」
使徒を殲滅しなければサードインパクトが起こってしまうから、人類が滅亡してしまうから、という大前提があればこそネルフはその強権を振るうことができたのだ。今や使徒は人類の敵ではなくネルフの敵になった。ネルフの人間は皆殺しにされるかもしれないが少なくとも人類は滅びないだろう。
「でもあなたも彼らに狙われている以上危険なのではなくて?」
何も言えなくなってしまったミサトに代わって、リツコが尋ねた。
「ええ、どうやら僕も狙われているようですね」
シンジはあっさりと返す。
「なら私たちとは協力したほうがあなたにとっても得なんじゃないかしら」
「そうでしょうか。これでも僕には彼らと戦うための力がある程度あります。でもあなたたちはどうですか?あのエヴァンゲリオンとか言うのも巨大な使徒相手ならともかく人間サイズの敵に有効とは思えませんが」
当然のように告げるシンジに、リツコは悔しげに黙った。技術者として自分の作ったものが役立たずと言われるのは悔しいのかもしれない。
「ならば君は独力で彼らと戦うつもりなのかね?」
「さあ、どうしましょうか」
だが、冬月の質問にシンジは首を傾げてそう答えた。
「どうしましょうかって……」
まるで他人事のようなシンジの言葉に、ミサトは呆れて呟く。
「僕としては別にあなた方に死んで欲しいわけではありませんよ。ただ僕の力を貸して欲しいならそれなりのものを見せて欲しいんです。少なくともケージで見せられたような態度では力を貸す気にもなれませんよ」
「ふ、下らん。子供のわがままに付き合っている場合ではない」
ゲンドウはシンジの提案を一笑に附した
ゲンドウの、あまりと言えばあまりの言葉にシンジが肩を竦めた。
「まったくだ、本当に下らないね。僕だって大人のわがままに付き合う理由はないよ」
シンジの言葉を無視して、ゲンドウは手元の内線を使って保安部を召集した。隣で冬月が呆れたような顔をしているが、それでもゲンドウを止めるつもりはないようだ。
連絡を受けた保安部の黒服達が五人、あっという間に司令室にやってきてシンジを取り囲んだ。
「そいつが持っている槍を取り上げて拘束しろ。抵抗するならある程度痛めつけても構わん」
どこまでも非情なゲンドウの命令を、黒服達は即座に実行に移した。
「ちょ、ちょっと子供相手に……」
ミサトが口を挟もうとしたが、その言葉を最後まで言い終える前にシンジが動いた。
まず目の前に居た男のつま先を槍で床に縫いとめる。それだけでその男は声を上げることも無くその場に崩れ落ちた。そして引き抜きざまに背後で懐に手を伸ばした黒服の顎を槍の根元で跳ね上げた。
慌てて槍を取り押さえようとした黒服には、鳩尾めがけて前蹴りを放った。槍に気をとられていた黒服の鳩尾にシンジのつま先が突き刺さった。
「ぐぅっ」
急所への打撃を受けて硬直した黒服を、槍の柄で地面に叩き伏せる。
多少怯んだものの、そこはやはりプロというべきなのか、残った二人は目配せをしあって一人がシンジの背後から覆いかぶさるようにして飛び掛った。
だが後ろから迫る黒服に、シンジは逆に体を預けるようにしてもたれかかった。予想外の動きだったのか、力が抜けたように黒服は地面に転がった。男に起き上がる隙を与えずに、シンジが槍で鳩尾を打つ。
「そこまでだ」
最後に残った黒服が、シンジに拳銃の照準を合わせて告げた。
「おとなしく槍を渡して――――」
続けて告げようとした瞬間、黒服の構えた銃が手の中から消えた。槍で跳ね上げられたことに黒服が気付くよりも早く、シンジは刃の腹で後ろ足を刈り払い、とどめとばかりに鳩尾を踏みつけた。
全てが終わるまでにせいぜい数十秒。
気が付けば保安部の黒服たちは全員床の上で呻き声を上げていた。
「さて、これが答えなの?父さん」
シンジは穂先をゲンドウに向けると無表情に尋ねた。
「くっ」
ゲンドウは再び手元の内線に手を伸ばそうとする。そんなゲンドウを一瞥してから、シンジはゆっくりとゲンドウの座る机に歩み寄った。
「司令!」
慌ててリツコが叫ぶが、リツコにシンジを止める力があるわけもない。シンジの一睨みで沈黙してしまう。ゲンドウの横に居る冬月も静観する構えのようだ。
ゲンドウの目の前に立ったシンジは、無造作に机ごとゲンドウの持つ内線を叩き切った。
「うをっ」
手に持つ受話器を真っ二つにされたゲンドウは、机からのけぞった。それでも怯えた顔一つ見せないのはさすがと言うべきなのか。
あるいはサングラスに隠れて表情が見えないだけなのかもしれない。
シンジはゆっくりと槍をゲンドウへと突き付けた。
「言ったよね。僕は敵対するつもりは無いって。それに対する答えがこれなの?」
シンジは眉を寄せた。
「ねえ父さん。どうして父さんが未来の僕から憎まれているのか考えてみてよ。別の時空の僕を敵に据えて、その上更に僕まで敵に回す気なの?」
シンジは槍の先端でゲンドウのサングラスだけを跳ね飛ばした。目を覆うものを失ったゲンドウがシンジから顔を背ける。
ミサトが慌てて動こうとするのを、シンジは目線で制した。
「さあ答えてよ、父さん。父さんは何を望むの?僕にどうして欲しいのさ?」
感情を高ぶらせたシンジは、一度大きく呼吸をして少しだけ気持ちを落ち着けた。
「言葉で伝えない限り気持ちなんて伝わらないよ。父さんは僕を敵に回したいの?それとも僕に協力して欲しいの?」
まっすぐにゲンドウを見つめて尋ねる。
「わ、私は――――」
だが、ゲンドウの言葉を聞く前にシンジは槍を引いて忌々しげに天井を仰ぎ見た。
「シンジ君?」
ミサトの言葉に答えるように、司令室に警報が鳴り響いた。続いて叫び声のような放送がスピーカーから流れた。
「本部内、ターミナルドグマにATフィールドの発生を確認。パターン青、使徒ですっ!」
その放送を聞いた途端、シンジは弾かれたように駆けだした。後ろでミサト達があっけにとられているのを感じながら、司令室を跳び出す。
突然の使徒発生の放送に戸惑うネルフ職員の間をすり抜けるように駆ける。
「ま、待ってシンジ君」
シンジは、後ろから聞こえるミサトの声に急停止して振り向いた。
ミサトはその間に少しだけ息を切らせながらシンジに追いついた。
「私も行くわ」
真剣な表情でそう告げたミサトは、いつの間に持ってきたのかその体格に見合わない程無骨なショットガンを手にしていた。
シンジはミサトの目をじっと見る。
「そんなものじゃ奴等のATフィールドは破れませんよ」
「ええ、それはわかってるつもりよ。でもあのときサキエルとかいう使徒が光線を出すときATフィールドがいったん消えたわ。もしかしたら奴ら攻撃と防御は一緒にできないのかもしれない」
ミサトの言葉を聞いて、よくあれだけの混乱の中でそこまで観察できたものだとシンジは少し感心した。伊達にネルフに所属しているわけではないようだ。
シンジは少しミサトに対する評価を改めた。
「確かに攻撃中はATフィールドの出力が弱まるようですが、なくなるわけじゃないんです。例え相手の攻撃に合わせて打ち込んでもその程度の火力じゃせいぜいよろめかせるのが精一杯ですよ」
シンジが言うと、ミサトは少しだけ落胆したようだったが直ぐに厳しい表情に戻って呟いた。
「それでも、何もできずに見ているだけなんて嫌なのよ」
ミサトの瞳に確かな決意を読み取って、シンジは踵を返すと再び駆けだした。
「ちょ、ちょっとシンジ君!?」
ミサトが慌ててを追ってきた。
「ここから先は自分の命は自分で面倒見てください。僕にも誰かを守りながら戦えるほど余裕はないんです」
シンジはミサトには視線を向けずに、正面を向いたまま言った。
「望む、ところよ」
ミサトがどんな表情でそういったのかは見ることができなかったが、少なくともその言葉に怯えた様子はなかった。
「ずいぶん使徒にこだわりがあるみたいですね」
音も立てずに地中深くへと降りていくエレベーターの中、シンジは階数の表示を見上げながら一人ごとのように呟いた。
「ええ、色々事情があってね」
「事情、ですか?」
「仇なのよ、父の」
シンジは振り返ってミサトを見た。
ミサトはそれ以上語るつもりはないようで、厳しい表情のまま胸元の十字のペンダントをきつく握っていた。
シンジの視線に気が付いたのか、ミサトはふっと表情を緩めた。
「それにしてもシンちゃんって強いのね、お姉さん驚いちゃった」
ミサトは先程までうって変わって軽い口調でシンジに笑いかけた。
「嫌って言うほど鍛えられましたからね」
シンジも同じように表情を緩めて答えた。
エレベーターが少しだけ揺れて止まった。
ゆっくりと、辺りに気を配りながらエレベーターから出た。シンジとミサトは会話を交わすことなく、長い通路を歩く。ゲンドウ達が何か手を打ったのか、既に警報は聞こえなくなっていた。
やがて沈黙に耐えられなくなったのか、ミサトが不意に呟いた。
「あいつらの場所はわかるの?」
ミサトの言葉に、シンジは前方を向いたまま答えた。
「ええ、槍が教えてくれます」
「槍が?」
「ATフィールドに引き寄せられるんですよ、この槍は」
やがてシンジは『LCL PLANT』と書かれた扉の前で立ち止まった。
「ここか」
厳しい表情で扉を見つめるシンジに、ミサトも傍らで息を呑んだ。
「でもどうするの?私のパスじゃここの扉は開かないわ」
ミサトが尋ねると、シンジは黙ったまま扉に向けて槍を振るった。
扉が音もなく幾つかのピースに分かれて崩れ落ちた。
「は、はは。シンちゃんったら過激」
有無を言わさないシンジの行動に、ミサトは引きつった笑いを浮かべた。