少年は、嘲笑を隠しもせずに自分を取り囲む黒服の男たちを見回した。
 黒服達は躊躇せず懐から拳銃を抜き放ち、引き金を引く。
 乾いた炸裂音がケージ内に鳴り響いた。
 しかし、放たれた銃弾がその目的を果たすことは無かった。

「ケージ内にATフィールドの発生を確認!パターン青、使徒です!」

 少年の前に現れたオレンジ色の障壁と、スピーカーから伝えられる報告が、起こったことの全てを物語っていた。


The Third Children 〜三人目の供達〜

第二話<書き換えられたシナリオ>

著作:狛犬


「ま、まさか、使徒なの?」
 ミサトの呟きに反応するように、再び黒服たちが自分の目の前に居る銀髪の少年めがけて引き金を引き絞った。
 放たれた銃弾は全て少年の眼前に発生したオレンジ色の壁によって遮られて、少年を傷つけるどころか少年に届くことさえ無かったが、それでも恐慌状態に陥ったのか黒服達は銃撃をやめようとはしない。
「無駄だって言ってるのに」
 シンジの顔をした銀髪の少年は、満面の笑みを浮かべたまま無造作に己の右腕を振るった。黒服たちの首筋に一筋の赤い線が走ったかと思うと、次の瞬間には滑り落ちるようにして幾多の首が床に落ちた。
 一拍遅れて、あるべきものが失われた首から噴水のように血があふれ出る。その血液さえもオレンジ色の壁に阻まれて少年に届くことは無かった。
「き、貴様は何者だ」
 頭上から投げかけられるゲンドウの言葉に、銀髪の少年は肩をすくめて答えた。
「僕?僕はシンジだよ。でもまあ――――」
 一瞬本来のシンジに視線を向けたシンジの姿をした銀髪の少年は、相変わらず笑いを顔に貼り付けたまま言葉を続けた。
「あそこにもう一人臆病者のシンジが居ることだし、呼びにくければ……そうだね『ルシフェル』とでも呼んでくれればいいよ。そう、これから僕は神への反逆を選んだ第十九使徒ルシフェルだ」
 そう告げて、自ら堕天使を名乗った少年はベッドに横たわる少女に手を伸ばした。
 全身に包帯が巻かれた少女は触れられた途端微かに体を震わせたが、ルシフェルは構わずに壊れ物でも扱うような仕草でそっと少女を抱き起こした。
「あなた、誰?」
 苦しげに呟く少女を愛しげに見つめながら、ルシフェルはやさしく少女の耳元で囁いた。
「また会えたね、綾波。今はゆっくりお休み」
 ルシフェルがそう言って額に手を当てた途端、少女は再びまぶたを閉じて意識を失った。

 目の前で展開される予想を遥かに超えた事態に誰しもが言葉を失う中、思い出したかのように再びケージを激震が襲った。
「ああ、そう言えばサキエルのことを忘れていたね」
 ルシフェルは穏やかな笑みのまま天井を見つめて呟いた。
「そ、そうよ。今はあなたに構ってる暇は無いわ。使徒を倒さなければ人類が滅びるのよ。それとも……やっぱりあなたも使徒なの?」
 ミサトが懐に手を伸ばしながら恐る恐るルシフェルに尋ねる。いくら報告を聞いたとしても、例え本人が宣言したとしても、目の前の少年が使徒だとはとても信じられないのだろう。
「ふふふ、そんなもの僕には効きませんよ。それに、上のやつのことならもうあなたたちが心配する必要はありません」
 ルシフェルが手をかざすと、眼前に闇色の球体が発生した。
「何、今度は何なの?」
 己の頭脳の許容量を超えた現象に狂乱状態に陥ったのか、リツコが叫び声をあげる。
 ルシフェルの眼前に現れた球状の闇の中からは、徐々に輪郭が描き出されていくように一人の女性が浮かび上がった。
 腰まで伸ばされた黒髪が艶やかな見目麗しいその女性は、自分の現れた黒い影が消え去ると同時にルシフェルの前に優雅な仕草で跪いた。

「こちら発令所。た、大変です。第三使徒の反応消えました。い、いえ、反応出ました。第三使徒の反応……ケージ内ですっ!」
 悲鳴のような放送を、ケージに居る人間はどこか遠い世界のことを聞いているかのように、ただ呆然と聞いていた。あるいはそれも唯の現実逃避なのかもしれない。
「さあ皆さんにご挨拶をするといい、サキエル」
 ルシフェルの言葉に恭しく頭を下げた女性は、くるりとシンジたちの方に向き直り口を開いた。
「私が、サキエルだ。貴様らには第三使徒の方が通りがいいか?」
 その発言からのミサトの反応は、まさに舌を巻くほどの素早さだった。
 己のジャケットの内側からグロックを抜き放ち、使徒を名乗った女性に照準を合わせ引き金を引く。
 その全ての作業を、一片の迷いも見せずにやり遂げたミサトだったが、彼女は先ほど展開された光景を忘れていた。もしくはそれさえも考えられないほど興奮していたのかもしれない。
 ミサトの手から放たれた銃弾は、サキエルの前に現れたオレンジ色の壁によってあっさりと弾かれた。
「ふん、人間風情がそんなもので私を傷つけられるとでも思ったか」
 侮蔑の表情を浮かべたサキエルがミサトに向かって右腕を突き出した。彼女の前に展開されていたオレンジ色の壁が消えさり、代わりに手の平に光が集まりだす。
「死ね」
 次の瞬間収束した光は矢となって解き放たれた。 
 だが一瞬だけ早く、シンジの蹴りが横からミサトに突き刺さった。
「ぐうっ」
 腰骨に強烈な一撃を受けたミサトはうめき声を上げながら吹き飛ぶ。だが、光の矢の直撃を受けるよりは遥かにましだっただろう。なにせ数瞬前までミサトが立っていた空間を貫いた光の矢は、背後の壁に見事な穴を穿ったのだから。
 シンジはゆったりとした動きでミサトに近づき、右手を差し出した。
「怪我はありませんか?ミサトさん」
「え、ええ」
 ミサトは腰をさすりながら、差し出された右手を掴んだ。その手を差し伸べているのが蹴飛ばした張本人なのだが、頭が混乱していてそこまで考えが至らないようだ。
 ミサトの無事を確認したシンジは『それは良かった』と呟いてから、先ほどからずっと笑みをたたえたままのルシフェルに視線を向けた。
「いい加減にしたらどう?ルシフェル……だっけ?それとも未来の僕、とでも言ったほうがいいのかな?」
「……なに?」
 シンジの言葉は、今まで余裕を崩さなかったルシフェルの態度をわずかに崩した。
「どうしてこの時代の僕にそんな芸当が出来る。それにどうして僕のことを……」
 『知っているのか』とでも続けようとしたのだろうが、先ほどまでの意趣返しとばかりにシンジはルシフェルの言葉を遮った。
「全て自分の思い通りに事が運ぶとでも思ったの?大体さっきから聞いてれば、復讐だの罪を裁くだの何を分けのわからないことを言ってるのさ」
「君は何も知らないからそんなことが言えるんだ。僕がこいつらにどんな目にあわされたと思う」
 ルシフェルはほとばしる殺気を隠そうともせずに、ネルフの人間を睨みつける。その視線に晒されたネルフの人間は竦み上がったようだったが、ただ一人シンジだけは飄然とした態度を崩さずに返した。
「君が思うよりは知っているさ。その上で言うんだよ」
「……どうやら命が惜しくないようだね」
 ルシフェルが口元を歪めて、一歩前に踏み出した。
 だが、そんなルシフェルを遮り傍らに控えていたサキエルが進み出た。
「ルシフェル様が出る必要もありません。同じ存在とは言え我が主を侮辱した罪、その命をもって償ってもらいましょう」
 サキエルの言葉を、シンジは肩を竦めて受け流した。
「侮辱?本当のことを言っただけだよ」
「貴様、まだ言うか」
 激昂したサキエルが、地面を蹴ってシンジへと躍りかかった。
「危ない、シンジ君!」
 ミサトの叫びを聞きながら、シンジは右足一歩後ろに引きサキエルの突進を捌く。
「なにっ?」
 シンジの脇をすり抜けたサキエルは、勢いあまって数メートル先まで通り過ぎてから地面を掻き毟り停止した。
「そんなに驚くことでも無いよ。あなたの動きは単純すぎるんだ」
 シンジは手に持った棒を両手で握りなおし、腰の辺りに構え直してその先端をサキエルに向けた。
「ふん、そんな棒切れで私と戦うつもりか」
 シンジの言葉に一瞬激昂しかかったサキエルだったが、己の優位を確認し直したのか再び嘲りの表情を浮かべた。
「死ね」
 叫んで、サキエルが右手を突き出した。だが、その右腕が伸び切るよりも早く、シンジは地面を蹴ってサキエルとの間合いを詰めた。
 サキエルの手から閃光が放たれようとしたその瞬間、シンジは突き出されたその腕を棒の先端で弾き上げた。そのまま棒の先端で円を描くように跳ね上げた右手を絡めとる。
 サキエルは驚きの声を上げる暇も与えられずに、右腕を支点に大きく宙に投げ出され床に叩きつけられた。
 狙いを外された光線は、むなしくケージの壁を破壊した。
「言ったでしょう?あなたの動きは単純すぎる」
 地面に這いつくばるサキエルから少し距離をとりながら、シンジは無表情に言葉を投げた。
「サキエル!」
 その光景を見たルシフェルが駆け寄ろうとするのを、立ち上がったサキエルが右腕で制した。
「申し訳ございません、油断してしまいました。ですがこの屈辱、百倍にして返してくれましょう」
 言うが早いか、サキエルは地面を蹴って再びシンジに飛び掛った。
「進歩が無い」
 呟いて、シンジが棒を中段に構えて腰を落とす。
「どちらがだ!」
 サキエルの叫びに合わせて、彼女の前にオレンジ色をした八角形の壁が現れた。

 ――――それは全てを遮る絶対の障壁。

「そっちが、だよ」
 だがシンジは躊躇せずに、床を踏み壊さんばかりの踏み込みと共に両手に構えた棒を迫る障壁めがけて振るった。
 シンジの手から伸びた一撃がオレンジ色の壁に触れる。壁は正しくその役割を果たし、触れた端から棒を包む白布を吹き飛ばした。
 そう、布だけを。
「馬鹿なっ!」
 叫んだのは誰の声だったのか。
 白布の下から現れた紅の双刃は、燈色の障壁を紙の如く切り裂いた。
 続く一瞬の交錯は吸い込まれるようにサキエルの右肩に突き刺さる。
「がああああああああああ」
 サキエルの苦悶の叫びを聞きながら、シンジは躊躇せず刃を跳ね上げサキエルの右腕を肩口から切り飛ばした。次いで刃の腹を使い、返す刀で後ろ足を刈り払う。
 サキエルは肩口から青い血を撒き散らし、もんどりうって背中から地面に叩きつけられた。
 シンジは振り回した勢いそのままに頭上で棒を一回転させて、纏わりつくように残っていた布切れを吹き飛ばした。
 覆いとなる白布の下から現れたのは、禍々しささえ感じさせる異形の槍。

 鮮血のような紅。
 絡み合う二重螺旋の如き形状。
 半ばから分かれ、並び合う双刃。

「――――ロ、ロンギヌスの槍!?」 
 ルシフェルの叫び声には一瞥もせずに、シンジは神殺しの名を持つ魔槍を立ち上がろうとするサキエルに突きつけた。
「次は、命を奪うよ」
 淡々と告げるシンジの宣告に、立ち上がりかけたサキエルは端正な顔を恐怖に染めて見上げるような姿勢のまま小刻みに震え出した。恐らく彼女にとっては生まれて初めて感じる恐怖なのだろう。
「どうして君がその槍を持っている」
 憎悪に顔を歪めてルシフェルが問う。

「シンジ君、今はいったん退こう」

 ケージの入り口から、第三者の声が響いた。
 一瞬自分のことを言っているのかと思ったシンジだったが、どうやら入り口から現れたもう一人の銀髪の少年は、ルシフェルに向かって話しかけているようだ。
「でもカヲル君。このまま放っておくわけには――――」
「サキエルとリリスの傷のこともある。今は一度ひこう」
 カヲルと呼ばれた少年の言葉にルシフェルは抱きかかえた少女にいったん目を落とすと、唇を噛んでシンジを睨み付けた。
「とりあえず今日のところは引き上げるよ。でも、ネルフの愚かな人間たちには必ず相応しい裁きを与えてやる。君も含めてね」
 あふれ出る殺気に、言葉を聞いた人間は怯えたように体を震わせたが、当のシンジは平然と影の中に沈み込んでいくルシフェルとサキエルを見送った。
 やがて完全にルシフェルとサキエルの姿が消え去るのを見届けてから、シンジは槍の穂先を残った銀髪の少年へと向けた。
「さて、君が事情を説明してくれるとありがたいんだけど」
 シンジの言葉を受けたカヲルは、どこか作り物のような微笑みを浮かべて首を横に振った。
「魅力的なお誘いだけど残念ながら断らせて貰うよ。それにしても君はシンジ君と同じ存在だと言うのに、随分彼とは違うようだね。僕の兄弟を傷つけるなんて好意に値しないよ」
 カヲルの微笑みにぞっとするような冷たさが混ざる。
「君が随分評価するその『シンジ君』が殺した保安部の人たちにだって家族はいたと思うんだけどね」
 シンジは悪びれずに肩を竦めて答える。
「本当に、君は好意に値しない人間だよ」
 言いながら、カヲルの体も足元の影にずぶずぶと沈んでいた。
「あなたたちとはまたいずれ戦うことになると思います。それでは……」
 言い残し、カヲルの体は完全に影に飲み込まれた。
「さてと」
 シンジはようやく構えを解いた。
 辺りを見回して見れば、未だに固まったままのネルフの人間たちと、血の海に沈む物言わぬ死体だけ。

「やっぱり僕が説明しなきゃならないのかな」

 本日何度目になるかわからないため息を吐きながら、シンジはぼやいた。

 


「それで、説明してくれるのかしら」
 薄暗く広い部屋の中で、厳しい表情を隠しもせずにリツコが尋ねた。
 無理も無いだろう。ここ数刻の間におきたことが異常すぎるのだ。もともと巨大怪獣が攻めて来た時点で十分現実離れしているとも言えるが、このネルフと言う組織はそのために作られたのだから、それだけではさほど驚くには値しない。
 しかし、その後起きた一連の出来事は、非常識な組織と言えども余りの理不尽さに頭を抱えたくなるほど非常識だろう。
 シンジ自身、まさかこんな事態が発生するとは露ほども思っていなかったのだから。
「う〜ん。はっきり言って僕にもわかることとわからないことがあるんですよね」
 シンジは、既に布に包んで隠すことを止めたロンギヌスの槍を小脇に抱えて頭を捻った。
 実際にシンジにも正確に何がおきているのかわかっているわけではなかった。ただ、ネルフの面々よりも少しだけ違った情報を持っているだけなのだ。後は自身の推測に過ぎない。
「シンジ、お前は何を知っている」
 威圧のこもった口調で、ゲンドウが重ねて尋ねる。
 そんな重圧も、柳に風と言ったふうにさらりと受け流し、シンジは部屋にいる人間を見回した。
 天井にセフィロト、あるいは生命の樹と呼ばれる宗教的な意味合いを含んだ図形が描かれた、どこか薄暗い雰囲気の漂う司令室には、先ほどの一連のできごとに遭遇した人間の中でも地位が高い者がそろっているらしい。
 今にもシンジに掴みかかって来そうなミサトと、どこか呆然としたままのリツコ、机に肘を付き、顔の前で手を組んだままシンジを睨んでいるゲンドウ、その横で姿勢正しく立っている白髪の老人は冬月コウゾウと先ほど名乗った。
 他の人間は、緘口令を厳重に引いて持ち場に戻したようだ。もっとも人の口に戸は立てられないだろうから、噂が広まるのは時間の問題だろうが。
「悪いんだけどさ、そっちから質問してくれない?僕も何から話していいのかわからないんだよね」
 頬を掻いて答えるシンジの言葉に、真っ先に飛びついたのはリツコだった。やはり科学者として気になることは多いのだろう。
「それじゃあまずあなたの持っているその槍について聞いていいかしら」
 リツコはシンジの持っているロンギヌスの槍を指差して尋ねた。少し腰が引けているのはご愛嬌だろう。
「これはロンギヌスの槍ですよ。多分原理や能力については僕よりもあなたたちの方が詳しいんじゃ無いですか?」
 シンジは困ったように首を傾げた。
「なんていうんですかね、この槍の在り方と言うか概念というか、とにかくそういったものでしたらある程度説明はできるんですが」
 小首を傾げながらシンジは呟いた。
「だが我々の知っているロンギヌスの槍ならば今南極にあるはずだが」
 リツコが更に何かを尋ねようとしたのか口を開きかけたが、それを遮り冬月が尋ねた。
 リツコは科学者としての質問をしたいようだが、冬月は組織を運営する者としての質問をしたいようだ。
「そうですね、確かに南極にあったはずですよ」
「あったはず?」
「ええ、これは槍の存在様式にも関わるんですがね、この槍は世界に一つだけしか存在できないんです。一つしか存在しないと言うのがこの槍を司るルールの一つなんですよ。ですからこの槍がこの世界に現れた時点でもともとこの世界にあった槍は消えてしまったと思います」
 シンジの答えに、ネルフの面々はより疑問を深めただけのようだった。
「この世界って言うのはどういう意味かしら」
 納得のいかない顔のままリツコが尋ねる。
「さっきケージでミサトさんを助けた時に僕が言った台詞を覚えていますか?」
 ミサトが少しだけ顔を顰めて腰をさすった。あのときシンジに蹴り飛ばされたことを思い出したのだろう。確かに結果的に助かったとは言えどこか釈然としないところがあるのかもしれない。
「まさか『未来から来た僕』ってやつ?」 
 ミサトは腰をさすりながら、半信半疑といった様子で尋ねた。
「ええ、その言葉が全てです」
 シンジは大真面目に返した。
「そんな馬鹿げたこと――――」
「確かに馬鹿げていますが事実です。僕がロンギヌスの槍を持っている理由、使徒が人間化した理由、僕と同じ姿をした彼が現れた理由、全てがその馬鹿げた事実に集約されてしまうんですよ」
 シンジは胸元のロザリオを、手に食い込むほど強く握り締めた。
「サードインパクト、それが全ての始まりでした」
 シンジの言葉は、司令室にいる人間全てに少なからぬ衝撃を与えた。