澄み渡った青空の上に、銀色に輝く戦闘機が一筋の白線を描いた。
「はあ」
幾筋も描き出されては消えていく白線を見つめて、少年は一人ため息を吐いた。
重苦しい気持ちを抱えながら手元の写真に目を落とす。写真には青い車の前で胸を強調するようにポーズをとった女性が写っている。年の頃は二十の半ば位だろうか。本気か冗談か判別がつかないが、胸のところに『ここに注目!』などとマジックで書き殴ってあるあたり、中々の確信犯といえるだろう。
本来ならば、写真に写るこの女性が迎えに来てくれる手はずになっていたのだが、今いる所が待ち合わせの場所より二駅も前だということを考えると、迎えを期待するのは少し無理なように少年には思えた。
「連絡しようにも電話が通じないんだよなあ」
待ち合わせ場所へと向かう電車が止まってしまった時点で相手に連絡を入れようと思ったのだが、電話からは緊急警報が繰り返し流されるだけで目的を果たすことはできなかった。
どうやら今は非常事態のようだ。
先ほど突然出された緊急警報に従って、少年の周りにいた人々はあっという間にシェルターへと避難してしまっていた。本来なら少年もそれに倣って避難するべきだったのだが、止まってしまった電車に代わる交通手段を探しているうちに気が付けば辺りには誰もいなくなってしまった。
少年は目線を再び空に踊る戦闘機へと向ける。
戦闘機が向かう先には三流特撮映画にでも登場しそうな、巨大な怪物が暴れまわっていた。肩をいからせた人間のような姿をしたその怪物は、群がる戦闘機を次々と叩き落としていく。
そんな現実離れした光景を目にしながら、少年は己の脇に立てかけてある布を巻きつけた棒のようなものを右手で手繰り寄せ、逆の手で首からぶら下げた十字のロザリオを握り締めた。
「あれが、使徒――――」
少年の呟きは、戦闘機の爆音に紛れて消えた。
第一話<重なり合う始まりの時>The Third Children 〜三人目の子供達〜
著作:狛犬
しばらく巨大生物に攻撃を加えては撃墜されていく戦闘機をぼんやりと眺めていた少年だったが、さすがにこのままのんきに見学しているわけにもいかないと、その場を離れようとしてからはたと気がついた。
(何処に行けば良いんだろう)
この地に初めて訪れた少年には避難するべきシェルターの位置がわからなかった。辺りに人影も見えないため、誰かに聞くこともできない。探してみたが、不親切なことに案内板のような物も無かった。このまま自力で待ち合わせの場所に向かうという選択肢も考えられたが、とても歩いて行ける距離ではなかったのであっさりと諦めた。
「困ったな」
少年は眉間に皺を寄せて考え込んだ。
と、次の瞬間少年は弾かれたようにその場を飛び退いて背後を振り向いた。振り向いた先には、おそらく中学生位だろうか?学校指定と思われる制服に身を包んだ少女が少年を見つめ佇んでいた。
色素の抜けた蒼銀髪とでもいうような髪の色と、真紅の瞳が少女を神秘的に演出している。
「君は?」
少年は腰を落とし、油断無く目配せをしながら問いかける。だが、少女は少年の言葉など聞こえてはいないように、少年を見つめているだけだった。
少年はこのままでは埒が明かないと、少女に向かって一歩踏み出そうとしたが、その試みは背後からの突然の爆音とそれに続く爆風によって阻まれた。
「うわっ」
少年が爆風に煽られ突っ伏す。
顔を上げたときには既に少女の姿は影も形も無かった。辺りには今の一瞬で身を隠せるような場所も無い。
「幻?それにしては……」
少年の思考は、今度は低いうなり声のようなエンジン音と甲高いスキール音によってかき消された。
顔を上げると、青い車が車体ごと目の前に滑り込んで来るところだった。
「碇シンジ君ね、乗って」
運転席から身を乗り出して叫んだのは、紛うこと無き写真に写っていた女性だった。
(なるほど、あの写真は一発で顔を覚えてもらうための工夫だったのかも)
助手席に身を滑り込ませながら、碇シンジはそんな場違いなことを考えていた。
「怪我は無い?シンジ君」
危険な区域からある程度の距離をとれたことで少し余裕が出てきたのだろうか。先ほどまで運転に専念していた女性が、軽い口調でシンジに話しかけた。
「ええ、おかげさまで。ありがとうございました、ええと……」
「あ、お互い自己紹介もまだだったわね。私は葛城ミサト、ミサトでいいわ。あなたは碇シンジ君よね」
ミサトは右手をひらひらとさせながら、相変わらず気軽な口調を崩さない。
一歩間違えれば場をわきまえない軽薄な人間だが、こんな状況で緊張しているはずの自分を気遣っているのかもしれない、とシンジは好意的に捉えることにした。
「はい、わかりましたミサトさん。碇シンジです、よろしくお願いします」
「それでさあ、ちょっちさっきから気になってるんだけどそれ何なの?」
ミサトの視線の先には、シンジが抱えている布に包まれた棒があった。シンジの身長を超える長さのそれは、もう少し長ければ危うく車に乗り切らない程だ。
ミサトの質問に、シンジは一瞬だけ笑みを浮かべてそっと棒の上に手を置いた。
「形見みたいなものです」
穏やかな口調と表情とは裏腹の重い内容の台詞にミサトは一瞬言葉に詰まったようだったが、シンジの言葉に思うところがあったのか、胸元にある銀細工のロザリオを握り締めた。
「そう、一緒ね私と」
一転して真面目な表情となったミサトを一瞥して、シンジも同じように胸元に輝くロザリオを握り締める。
「そうですね。同じなのかもしれません」
「あれ?シンジ君。その首飾り……」
尋ねようとしたミサトの言葉は、シンジの言葉にさえぎられた。
「ミサトさん。戦闘機が怪物から離れてきます。何かあるんじゃないですか?」
ミサトは慌てて車外に身を乗り出し空を仰ぐ。
「ちょっと〜、こんなところでN2爆弾を使う気なの〜!?」
ミサトは叫びながら、ギアをシフトダウンしてアクセルペダルを目一杯踏み込んだ。
だが時既に遅く、
次の瞬間車の後方で閃光が炸裂した。
「シンジ君、伏せて!」
ミサトはそれでもシンジを庇うようにして助手席に覆いかぶさる。
数瞬遅れて、シンジ達の乗った車は、車体ごと大きく宙へと投げ出された。
「痛〜、大丈夫だった?シンジ君」
「ええ、何とか」
ひっくり返ってしまった車から、やっとのことで這いずり出したシンジは、頭についた砂埃を払い落としながら答えた。
「それじゃあ悪いんだけど起こすの手伝ってくれない?」
「あ、はい」
頷いて、シンジは車体に手をかけた。もう少し大型の車だったらとても起こすことは出来なかっただろうが、幸いにしてミサトの車は小型だったので、二人だけの力で何とか起こすことができた。
「それにしても、見事にベコベコですね」
危うく自分の棺桶になるところだった車を見れば、塗装があちこちはげている上そこら中へこんでいるというなんとも哀れみをさそう有様だった。
「うう、レストアしたばっかりの車が。まだローンが三十三回も残ってるのに〜」
自分の愛車の余りの惨状に、ミサトはやりきれない思いのようだ。確かに自腹で修理しなければならないのなら大きな痛手だろう。
「それにしても何なんですか?あれ」
シンジは年甲斐も無くわめき散らすミサトをあっさり見なかったことにして、先ほどN2爆弾の直撃を受けた巨大な怪物に目をやった。ある程度は爆弾の効果があったようで、あちこち傷がついてはいるが到底致命傷には見えなかった。
「あれは使徒よ、人類の敵」
いつの間にかわめくのを止めていたミサトが、真面目な表情に戻り呟いた。
その後、違法行為(バッテリーの窃盗等)によってようやく動くようになったミサトの車に乗り込み、シンジ達はやっとのことで目的地に辿り着こうとしていた。
もっともシンジは窃盗云々よりも、走行中にばらばらになってもおかしくないほどの損傷を受けたミサトの車がいつか爆発しないかと内心ひやひやしていたのだが、幸いにしてガソリンが漏れていたりはしなかったようだ。
「ええ、彼は最優先で保護してるわよ。だからカートレインを用意しておいて。そう、本部直通のやつ、お願いね」
ミサトが先ほどから携帯電話に向かって話しているので、シンジはぼんやりと窓の外を眺めていた。
「シンジ君、お父さんからIDカード貰ってる?」
いつの間にか電話を終えたミサトの質問に、シンジはバッグの中から一通の手紙とIDカードを取り出して答えた。
「あ、これお父さんからの手紙ね。読んでもいいの?」
「ええ、なかなか笑えますよ」
シンジの言葉に手紙を開いて、ミサトは固まった。
それも仕方のない反応だろう。ミサトが手にした手紙には、中央に一言『来い ゲンドウ』と書かれているだけなのだから。
「たぶん日本一短い父からの手紙ですね」
固まったミサトに、シンジは肩をすくめて苦笑いを浮かべた。
「そ、そうね」
どういう態度をとるべきなのか計りかねたのか、ミサトは曖昧な笑みを浮かべて後部座席に手を伸ばした。
「そうそう、これ読んどいてくれる?」
シンジがミサトから手渡されたパンフレットに目を落とすと、そこには『ようこそNERV江』という相変わらず冗談なのか本気なのか理解しかねる表紙の冊子があった。
「なんて読むんですか、これ」
「ネルフ、よ。一応国連直属の非公開組織。私もそこの職員なの、お父さんから何か聞いてない?」
「先生からは人類を守る立派な仕事だと聞いたんですが、本当なんですか?」
シンジはパンフレットをめくりながら答える。
「苦手なの?お父さんのこと」
ミサトの質問に、シンジはパンフレットから目を離して少しだけ考えた。
「う〜ん。昔は苦手だったのかもしれませんけど今は別にそうでもないですね。もっともこれからどうなるかまではわかりませんが」
「ふうん。結構大人なのね、シンジ君」
シンジの答えを聞いて、ミサトは感心したようだった。
「そうですか?まあ色々とありましたからね」
感慨深く呟くシンジが握り締めているロザリオを見て、ミサトが尋ねた。
「そういえばさっきも聞こうと思ったんだけど、シンジ君が持ってるそのペンダントって私のやつと同じなのね」
シンジは一瞬ミサトから目線をはずしたが、すぐに視線を戻して正面からミサトを見つめた。
「ええ、これも形見みたいなものなんですよ。ミサトさんのも大切なものなんですか?」
まっすぐに見つめるシンジの視線に、ミサトは悲しげに視線を落として頷いた。
「そうね、大切なものよ。私のこれも形見なのよ、お父さんの」
「そうですか」
車内が不自然な沈黙に包まれる。
ミサトはいささか居心地が悪そうにしていたが、シンジはそんな雰囲気を気にすることも無く、先程と同様に窓の外を眺めていた。
「あれ〜?おかしいなあ」
首をかしげながら歩くミサトの後姿を眺めながら、シンジは今日何度目になるかわからないため息を吐いた。
つい数刻ほど前まで二人の間に漂っていた重苦しい雰囲気は既に霧散してしまっている。もしも目の前の彼女がそれを狙って道化を演じているのだとすれば、彼女の目論みは大成功だと言えるだろう。
もっとも、目の前の醜態が演技だというのなら彼女は天才的な演技力の持ち主と言っても過言ではないかもしれない。
「迷ったんですか?ミサトさん」
「ははは、や〜ね〜そんなわけ無いじゃない」
言葉では否定するものの、額に浮かぶ冷や汗と引きつった笑いが何よりも真実を表していた。
「まったく、自分の職場で迷わないでくださいよ」
忌憚のない意見に、ミサトは言葉に詰まった。
「うっ、だ、だってしょうがないじゃない。ここ複雑なんだもん。私だって配属されたばっかりだし……」
「まあそれならしょうがないかもしれませんけどね」
「そ、そうよね。やっぱしょうがないわよね〜、ははは」
ごまかすように大笑いするミサトに、シンジはもう一度深くため息を吐いた。
「ちなみにここ通るの三度目ですよ」
「うそっ」
などというやり取りを続けながら、かれこれ三十分は二人で迷子を続けているのではさすがに嫌気もさしてくる。
「何処に行くの?葛城一尉」
シンジがいい加減独力で目的地を探そうかと考え始めた頃、背後から声が掛けられた。
振り向くと、そこには水着の上に白衣を羽織っているという、ミサトの送ってきた写真にひけをとらないほど奇抜な格好をした金髪の女性が立っていた。眉毛が黒いところを見ると、どうやら髪の色は染めているようだ。
(みんなで僕を誘惑しようとしてるわけじゃないよね)
もっとも、負けず劣らずシンジもどこか外れたことを考えていたのだが。
「リ、リツコ〜。助かったわ。ちょっち道に迷っちゃってさ〜」
今にも縋り付かんばかりのミサトに冷たい一瞥をくれてから、リツコと呼ばれた女性はため息を一つ吐いて、シンジを見た。
「その子が例の男の子ね」
「そ、マルドゥック機関の報告世によるサードチルドレン。碇シンジ君よ」
自分の聞きなれない単語にシンジはわずかに眉を顰めたが、口は挟まずに二人の会話に耳を傾けた。
「よろしく、シンジ君。私は技術部一課の赤木リツコよ」
「はあ、よろしくお願いします赤木さん」
「リツコで結構よ」
「そうですか、それでは改めてお願いします。リツコさん」
シンジはペコリと頭を下げた。
「そう言えばそれは何なのかしら」
やはり目立つのだろう。ミサトと同様に、リツコもシンジの抱えたその『棒』を指差して尋ねた。
「ええと、特に危険なものではないと思うんですけど持ち込んじゃまずいですかね」
「まあ危険物なら入り口のゲートで反応しているでしょうからかまわないわ。でも中身は教えてもらえないのかしら?」
「う〜ん、別にかまわないといえばかまわないんですけど今見せなきゃ駄目ですか?」
シンジは困ったように首を傾げた。
「まあいいわ。時間も無いことだし行きましょう。お父さんに会う前にあなたに見せたいものがあるの」
そう言って踵を返すリツコに、シンジはおとなしく付き従った。
「で、零号機は凍結中なんでしょう?どうするの」
「初号機を使うわ」
「初号機を!」
「ええ、初号機は現在B型装備のまま冷却中」
「それって動くの?今まで一度も起動したこと無いんでしょう?」
「起動確率は0.000000001%。オーナインシステムとはよく言ったものね」
「それって動かないってことじゃないの?」
「失礼ね、零では無いわよ」
自分の前を行く二人の会話を聞きながら、シンジは先ほど貰ったパンフレットに目を通していた。
二人で会話をする暇があるなら自分に現状の説明をして欲しいものだとも思ったが、意図的に自分を会話の外に追いやっているように感じたので、あえて口を挟まずに黙っていることにした。
(自分の目で見て、見極める)
シンジは胸元のロザリオを握り締めて、そっと心の中で呟いた。
二人の後に続き『Cage』と書かれた扉をくぐると、何も見えない真っ暗な空間だった。
「真っ暗ですよ」
シンジの呟きに、リツコが答えた。
「今照明を点けるわ」
リツコの声に反応したかのように、急激に辺りに光が満ちる。
眩しさに目を細めたシンジの前には、オレンジ色をした水面から顔だけを覗かせる紫色の巨人の上半身が照らし出されていた。額から生えた角のせいで、その顔はまるで鬼のようにも見える。
「見せたい物ってコレですか?」
少し意表を突かれたものの、シンジはあくまで冷静にリツコに質問した。
尋ねられたリツコはシンジの反応が期待していたものと違っていたのか、少しだけひるんだようだったがそれでもすぐに説明を始めた。
「そう、これが人類の作り出した究極の汎用人型決戦兵器。人造人間エヴァンゲリオン、その初号機よ」
どこか誇らしげな響きを含んだリツコの言葉を聞きながら、シンジは胸元のロザリオを握る手に力を篭めた。
「これが父さんの仕事なんですね」
「そうだ」
突然の声にシンジが頭上を仰ぎ見ると、エヴァンゲリオン背後の壁にはめ込まれている分厚いガラスに隔てられた部屋にサングラスをかけた男性が立っていた。シンジはしばらくその男性を見ていたが、ようやくその男が自分の父親である碇ゲンドウだと言うことを思い出して声をかけた。
「ああ、父さんか。久しぶりだね、元気だった?」
先ほどのリツコと同様にシンジの言葉が予想していたものと違ったのか、ゲンドウは一瞬だけ眉を動かしたが、すぐに威圧的な声で命令を下した。
「出撃」
ゲンドウの言葉にいち早く反応したのは、ミサトだった。
「出撃?零号機は凍結中でしょ、初号機を使うつもりなの?」
「他に方法はないわ」
リツコが冷たくミサトに言い放つ。
「だってレイはまだ動かせないでしょう?パイロットがいないわ」
「たった今届いたわ」
「マジなの?」
そこまでミサトとの会話を続けてから、ようやくリツコは当事者であるシンジに視線を向けた。
「シンジ君。あなたが乗るのよ」
余りにも唐突なリツコの言葉に、シンジは片眉を上げて顔を顰めた。
「レイでさえEVAとシンクロするのに7ヶ月以上かかったんでしょ?今来たばかりのこの子には無理よ」
「座っていればいい。それ以上は望まん」
ミサトの必死の弁護は、ゲンドウの冷たい言葉によってあっさりとつぶされた。
「しかし!」
「葛城一尉、今は使徒撃退が優先よ。そのためにはEVAとわずかでもシンクロ可能と思われる人間を乗せるしかないわ。それはあなたにもわかっているはずよ?それとも他になにか有効な手段でもあるの?」
なおも食い下がろうとするミサトに、今度はリツコが厳しい言葉を投げかける。
「……そうね」
苦渋の表情を浮かべながら、それでもミサトはシンジを乗せることを肯定した。
一方話題の中心人物であるはずのシンジは、自分の目の前で繰り広げられる光景をどこか他人事のような気分で見つめていた。
しばらく目の前のやり取りを静観していたシンジだったが、どうやら場の結論が自分をエヴァンゲリオンとやらに乗せることで一致したと判断して、頭上にいる父親に声をかけた
「で、父さんはこれに乗せるために僕を呼んだの?外にいる怪物と戦わせるために」
「そうだ」
ゲンドウはシンジの疑問を即座に肯定する。
「他にパイロットは?」
「居ないわ。一人は負傷中、もう一人はドイツにいるの」
今度はリツコが答える。
「はあ、そうですか。でもいきなりこんなものに乗ったって戦えるとは思えないよ?」
「説明を受けろ」
「いや、説明を受けろったってさ。そんな簡単に操縦できるの、これ」
あきれ返ってシンジが尋ねると同時に、ケージ全体を激しい揺れが襲った。
「やつめ、ここに気が付いたか」
断続的に振動する天井を見上げながら、ゲンドウが呟く。
「シンジ君、時間が無いわ」
「乗りなさい」
リツコ急かし、ミサトが命令した。
「いや、乗らないとは……」
「乗るならば早くしろ、でなければ帰れ!」
『言ってませんよ』と言おうとしたシンジの台詞は、怒鳴りつけるゲンドウの台詞でさえぎられた。
「だから乗らないとは……」
再びゲンドウに言おうとするが、既にゲンドウは身を翻してどこかに連絡を入れていた。完全に自分の言葉を無視され続けたシンジは、少し憮然とした表情で父の後姿を見つめた。
その態度を見て何か勘違いしたのか、ミサトがシンジの肩を掴んで振り向かせた。
「シンジ君、逃げちゃ駄目よ。お父さんから、何よりも自分から」
「はあ」
実に真剣なミサトの言葉だったが、もとより逃げているつもりもないシンジは生返事を返すのが精一杯だった。
「だからさっきから言おうとしてるんですけど乗らないとは……」
三度目の正直、とばかりにミサトに説明しようとしたシンジの言葉は、突然ケージの入り口に雪崩れ込んできた集団によって阻まれた。
入ってきたのは、白衣を着た医師らしき人間と、キャスター付きのベッドに乗せられた少女。
(ん?)
どこか見覚えのある少女に、シンジは首を傾げた。
少女は体中いたるところに包帯を巻かれていて、一目で重体だということがわかる。
苦痛に身じろぎするたびに揺れる蒼色の髪を見て、その少女が先ほど駅前で見かけた少女だったことに気が付くと同時に、シンジは再び肩を掴まれて無理やりミサトの方を向かされていた。
「シンジ君、あなたが乗らなければあの女の子が乗ることになるのよ。怪我した女の子にそんなことさせて恥ずかしいとは思わないの?」
「いや、ですから誰も乗らないとは……」
「葛城一尉、臆病者に用は無い」
いい加減辟易するほど同じ展開でシンジがもっとも伝えたかった部分はかき消されてしまった。
どうも、この場に居る誰もが間抜けな方向で自分の意思を勘違いしているようだとシンジは心の中で溜息を吐いた。周囲の人間は既に重症を負った少女をロボットに乗せるために動き始めている。
忙しく動き回る人間の全てがシンジに軽蔑の視線を向けている。
余りにもやるせない事態にこのまま癇癪を起こして暴れ出してやろうか、と少しばかり危険な方向に思考が傾き始めたシンジだったが、状況は意外なところから崩された。
「そんなことはさせられないね」
突如ケージの中に響き渡った声に、一斉にシンジへと視線が集まった。何故ならその声は、視線の集まる先に居るその少年のものに他ならなかったのだから。
だが明らかに声はシンジの居る場所からはかけ離れたところから発せられていた。
「これ以上彼女を傷付けるのは許さないよ」
今度こそ、声の発せられた方向に目を向けて誰もが絶句した。
そこには、碇シンジと瓜二つの少年が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。ただし、床から四メートルほど上空に浮かんでいることを『立っている』と表現出来るならば、だが。
その少年は、あまりにもシンジとそっくりだった。外見上の違いは、髪が銀髪であることと、赤色の眼光を瞳に宿していることだけ。そのおかげでシンジとの見分けは付くが、もしもそれらの違いが無かったら二人を区別するのは大変だっただろう。
「あ、あ、あなた、何者?」
いち早く立ち直ったミサトは、それでも声を上擦らせながら突然現れた闖入者に言葉をかけた。
「く、は、ははははははははははははは」
ミサトの言葉に、闖入者は突然大声で笑い声を上げた。その痙攣するような笑いに合わせて、銀色の髪が揺れる。
「僕は帰ってきた。貴様らに復讐するために、貴様らの罪を裁くために!」
ケージ全体に響き渡るほどの声で宣言した闖入者は、ゆっくりと怪我を負った少女の横たわるベッドの脇に降り立った。周りに居た医師達が蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げ出す。
「保安部を呼べ、侵入者だ。殺しても構わん」
慌てた様子のゲンドウが、保安部に召集をかける。
すぐさま命令を受けた保安部の屈強な男たちが、あっという間に少年を取り囲んだ。
「無駄なことを」
少年は、嘲笑を隠しもせずに自分を取り囲む黒服たちを見回した。
黒服達は躊躇せず懐から拳銃を抜き放ち、引き金を引く。
乾いた炸裂音がケージ内に鳴り響いた。
しかし、放たれた銃弾がその目的を果たすことは無かった。
「ケージ内にATフィールドの発生を確認!パターン青、使徒です!」
少年の前に現れたオレンジ色の障壁と、スピーカーから伝えられる報告が、起こったことの全てを物語っていた。