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一瞬、その場が静まり返りました。
《続く》
それを破ったのは新須さんでした。
「……どういうつもりだ!?」
「わたくしの人生です。あなたに強制される覚えはありません」
「奴がどうなってもいいのか!?」
新須さんは叫びながら公さんを指さしました。
彼を無視して、わたくしは公さんに駆け寄りました。
「公さん!!」
もそっ
不意に、公さんの左肩についていたぬいぐるみが動きました。……あらぁ、ぬいぐるみでは、ありませんねぇ。
まぁ、かわいい。小さなお手々を振り回して……。
あら? 今、お手々がキラリと光りましたね。何か持っているのでしょうか。
あ、公さんの肩から離れました。ガードマンの方々に飛びかかっています。
「ぎゃぁ!」
「な、なんだ、こいつ!」
なんなんでしょうねぇ?
その生き物さんは……何だか解らなかったので、生き物さんとお呼びしますね……すごい早さでガードマンさん達の間を走り回っています。あらあらぁ。見る見るうちにガードマンさん達が倒れてゆきますねぇ。一体どうやっているんでしょうか?
コロコロッ
足下に、警棒が転がってきました。まぁ、斜めに切れていますね。まるでお父さまが日本刀の試し切りをなさったときのようですわ。
ああ、いけない。そんな場合じゃありませんでしたわね。
わたくしは公さんの所に駆け寄りました。
「公さん!」
「ゆかりちゃん!」
公さんもわたくしと同じようにその生き物さんを見ていましたが、わたくしが呼びかけますと、立ち上がって両腕を広げました。
わたくし、その腕の中に飛び込みました。
「公さん……ありがとうございます」
「よかった」
あ。
公さんの腕がわたくしの背中に回されています。そして、ぎゅっと抱きしめられているのが、わかります。
……わたくし、目を閉じて、頭をそっと公さんの肩にもたせかかりました。
「公さん……、わたくし……」
「き、貴様!」
不意に叫び声が聞こえて、わたくし達は現実に引き戻されてしまいました。
新須さんが形相を変えてわたくし達を睨み付けています。
公さんが囁きました。
「長居は無用だな。行こう!」
「そのようですね」
わたくしもうなずきました。
と。
カチャ
金属音がしました。音の方を振り返ると、新須さんが拳銃を構えています。
「逃がすか! 逃がしたら、すべてが終わるんだ……」
「ちっ。切れやがって!」
公さんはわたくしを後ろにかばって身構えます。
「ガキ……、殺してやる!」
新須さんは引き金を引こうとしました。
そのとき、さっきの生き物さんがとことことわたくし達と新須さんの間に割り込んできました。
わたくしが振り向きますと、ガードマンさん達は全員倒れています。
新須さんは慌てて拳銃を生き物さんに向けました。
「あ、あぶな……」
その瞬間、生き物さんは確かにわたくしの方をみて、にぃっと笑ったのです。
新須さんは引き金を引きました。
パァン
軽い音がしました。
わたくし、思わず目を閉じてしまいました。
「ゆかりちゃん、大丈夫だ」
公さんが言ったので、恐る恐る目を開けますと、新須さんが手首を押さえてうずくまっています。
公さんは、自分の足下に転がっている拳銃を拾い上げると、遠くに放り投げました。
「なにがあったのでしょうか?」
「コアラのやつさ」
「こあら?」
わたくしは公さんの視線をたどりました。そこにはさっきの生き物さんが右腕をぶんぶんと回しておりました。
そうですか、あの生き物さんはこあらさんというのですね。
「クックックック」
不意にうずくまったまま新須さんは笑い始めました。
「な、何がおかしい!」
「勝ったつもりか? だが、お前達はここから出られやしない」
「!?」
公さんの顔色が変わりました。
「高圧電流のスイッチを入れたのか!?」
「そうだ。警察が駆けつけてくるまで、この別荘の敷地からは出ることなどできん。貴様らが素手で塀をたたき壊さないかぎりな」
「出てやるさ。行こう、ゆかりちゃん」
公さんはわたくしの手を引いて走り出しました。
こあらさんがすたたたっと走ってきまして、公さんの左肩にしがみつきます。
後ろから新須さんの笑い声が追いかけてきます。
「逃げられるものなら、逃げるがいい。逃げられるものならな。ハハハハハ…」
わたくし達は塀の所まで走ってきました。
「さぁて……」
公さんは慎重にロープを塀に投げ上げました。
バチィッ
火花が散って、ロープは二つに切断されてしまいました。
「まいったなぁ……」
公さんはこんどは背負い袋から地図みたいなものを出して見ていましたが、やがてため息をつきました。
「脱出経路がないなぁ」
「公さん……」
「いっそ、この壁がどかぁんっと吹っ飛んでくれれば……」
ドカァン
すごい音がしまして、いきなり壁が崩れました。もうもうと土ほこりが舞い上がります。
と、公さんの肩にしがみついていたこあらさんが崩れた壁の向こうに走っていってしまいました。
「こほっ、こほっ」
「ゲホゲホ、な、なんだぁ?」
「主人くん! 迎えに来ったよぉ!」
ほこりの中から声がしました。
あらぁ?
崩れた塀から黄色と黒の棒みたいなものが突き出してますねぇ。
あ、わかりました。あれは工事用のパワーショベルとかいうものですわね。でも、どうしてそんなものが壁を崩して入ってきたのでしょうか?
と、そのパワーショベルの運転席から、女の子が飛び降りてきました。あ、たしか、学校でお顔を拝見したことがありますね。お名前まではちょっと思い出せないのですが。
その方はにこにこ笑いながら言いました。
「バッチタイミングだねっ!」
「バカ言うなよ。ちょっとずれてたら、俺達死んでたぞ!」
公さんが怒鳴りかえしますが、ちっともこたえない様子でその方は言いました。
「忘れよ、忘れよ。さ、早く出てらっしゃいよ!」
「わーった。ゆかりちゃん、先に行って!」
「はい」
こうして、わたくし達は壁の向こうに出ることができました。