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ゆかりちゃんSS ゆかりちゃんのささやき

 俺は気分を引き締め、歩き始めた……はずだった。
 突然、俺の後ろから女の子の声が聞こえなければ。
「あ〜! もしかして、主人くんじゃないの?」
「へ?」
 その声に振り向くと、駅の出口から一人の赤毛の女の子が駆けてくるところだった。
 その娘は唖然としている俺の前に立つと、にこにこしながら俺の肩をぽんぽんと叩く。
「いやぁ、奇遇ねぇ」
 そこで、やっと俺は声を出せた。
「あ、あ……」
「朝日奈夕子。まさか、忘れたなんて言わないっしょ?」
 彼女は口をとがらせた。
 いや、俺は「当たり屋」と言おうと思ったんだけど……とは言い出せず、俺は頭を抱えた。
「なんで、こんな所に朝日奈さんが?」
「あれ? 言わなかったっけ? ほらぁ、あたし運がいいからさぁ、きらめき商店街の福引きに当たったのよ」
 彼女は得意そうに言った。
 そういえば、そんな話を聞いたような気もするけど……、よりによって、今日、それも軽井沢にくることないじゃないか。
 と、彼女は不意に振り向いて手を振る。
「あ! こっちこっち! 早くぅ」
「もう、夕子ったらなに走って行っちゃったのよぉ」
 そう言いながら、もう一人の女の子が歩いてくる。
 俺はその髪型を見た瞬間、思わず呟いた。
「……当たり屋2号?」
「なによ、それ。見晴、遅いぞ」
「そんなこと言ったって……」
 その女の子はそこまで言ったところで俺に気づいた。
「あ、こんにちわ。……あれ? どうして主人さんがこんな所に? 夕子が呼んだの?」
「なぁにバカなこと言ってるのよぉ」
 俺は腕時計を見た。やばい、予定より遅れてる。
「あ、あのさ、俺急ぐからさ、ゴメン!」
 そう言って手を合わせると、俺は猛然とダッシュした。
「あ、ねぇ、ちょっとお茶していかない?」
「また、今度な、今度!」
 そう叫ぶと、俺は二人をその場に残して、道を走っていった。

 ぜいぜいぜい
 俺は荒い息をつきながら、坂を見上げた。
 この坂を上りきったところにある家が、新須の別荘だ。
 とはいえ、バカ正直に道を行くと、途中に仕掛けてある監視カメラに見つかってしまう。
 俺はデイバッグから紐緒さんにもらったマップを出し、コンパスと合わせて位置を照合した。
「現在位置が、この辺りだな。ここから林にはいるか」
「ねぇねぇ、なにしてんの?」
「いや、位置を確かめてる……だわぁ!!」
 俺は思わずのけぞった。慌てて後ろを振り向く。
「あ、あ、朝日奈さん!? それから変な髪型!?」
「あの、私、館林見晴っていいます。この髪型、そんなに変ですか?」
 その女の子は、悲しそうな顔をして髪に手を当てた。俺は慌てて言った。
「い、いや、そんなことはないんだけど……」
「そうよぉ。その髪型って、今年のフリスコで流行ってるんだから」
 朝日奈さんも口を挟んだ。そこで俺は本来の問題を思い出した。
「それどころじゃない。どうして二人ともこんな所にいるんだ?」
「どうしてって、主人くんがいきなり走って行っちゃうからさぁ、なにかアミューズメントにでも行くのかなっと思ってさ、タクシーで追いかけたのよ」
「ちなみに、タクシー代は私が出しました」
 ぽそっと館林さん。朝日奈さんは言い返す。
「それは、どうでもいいっしょ? それよりさぁ、何でこんな所に来たわけ?」
「そ、それはぁ……」
「ちゃんと説明してくれないと、大声で泣き出すわよ!」
 まずい。学校ならともかく、こんな所でそれをされたら……。
 そう考えてから、俺ははっと気づいた。道の真ん中でこんなことしてるって、ひょっとしてすごく目立ってんじゃないだろうか?
「わ、わかった。わかったから、ちょっとこっちへ来て」
 俺はとりあえず二人を道路脇の木陰まで引っ張ってくると、改めて考えた。
 この二人……、館林さんはよく知らないけど、朝日奈さんは自分の好奇心を満足させるためには労を厭わない人だから、とことん俺につきまとってくるだろう。
 そうなったら……すべておじゃんだ。
 それくらいなら……。
 俺は溜息混じりに言った。
「わかった。すべて話すよ」
「そうこなくっちゃ。見晴、お菓子出して」
「うん。こっちのバッグに入ってるから。ジュースも飲む?」
「……おまえら、なんか勘違いしてない?」

「というわけで、俺は今から古式さんを奪回すべく、あの別荘に進入しようってわけ。わかった?」
 俺が説明を終わると、館林さんがタイミング良く缶ジュースを差し出した。
「ど、どうぞ」
「ありがとう」
 俺は、それを一口飲んでから彼女に返した。それから朝日奈さんの方に向き直る。
「わかった? わかったら、お願いだから帰って……」
「おもしろそうじゃん。あたしもやりたいなぁ」
 朝日奈さんはにこーっと笑った。好雄が「悪魔のほほえみ」と称したあれだ。
 聞いたときには、なんだそれと思ったが、今なら俺も好雄の気持ちが良く解る。
「いや、だからさぁ……」
「夕子、主人さんの邪魔しちゃいけないよ」
 館林さんが俺の援護をしてくれた。
「でもさぁ……」
「それに、そろそろペンションにチェックインしないといけないでしょ?」
 そうだ、がんばって朝日奈さんを説得してくれ、館林さん!
「でもぉ、こんな面白そうなことほっとくってのも……」
「夕子ちゃん」
 館林さんは朝日奈さんをじろっと睨んだ。朝日奈さんは渋々といった感じでうなずいた。
「わかったわよ」
 俺は内心でほっと安堵の溜息を漏らしながら、笑顔で二人に言った。
「じゃ、そういう訳で送れないけど気をつけて」
「それは、主人くんの方でしょ。頑張ってね」
 朝日奈さんは俺の肩をぽんぽんと叩きながら言った。
 俺はうなずいた。
「ああ。それじゃ、館林さんも……、何をしてるんですか?」
 館林さんは後ろを向いて、バッグの中から何か取り出そうとしていた。
「あ、あの、この子連れていってください。きっと役に立ちますから」
「この子?」
 俺は館林さんがバッグから出したものを見て目をむいた。
「何ですか、この生き物」
「コアラです。あたしの親友で、とっても賢いんですよぉ」
「こ、こあら……」
 俺は絶句した。そういえば、好雄の奴が、コアラをペットにしている女の子がいるらしいって言っていたが、この娘のことだったのか。
 それにしても……どうするんだ、コアラで?
「ほら、主人さんを守ってね」
 館林さんがそう囁くと、コアラはもそもそと動き出した。そのまま俺の左肩にはいあがるとしがみついて動かなくなる。
「あ、あの……、これ……」
「じゃ、頑張ってください。行こっ、夕子」
「そうね。じゃね、主人くん!」
 二人は走って戻っていった。
 俺は思わず左肩を見た。コアラは目を閉じて眠っているようだ。
 ……勘弁してくれよぉ。

 それから1時間後、俺は新須の別荘の近くにまで来ていた。
 コアラは何度も振り落とそうとしたのだが、しがみついてしまって離れない。仕方がないからそのままにしてある。
 そろそろ、日が暮れようとしている。
 いよいよだ!

 スタッ
 俺は塀から飛び降りた。
 紐緒さんのマップ通りに来たおかげで、今の所はまだ、警報もなってないし、誰にも見つかってもいない。
 俺は明かりがこうこうとついている屋敷を見上げた。
 あの明かりのどれかの下に、古式さんがいるはずだ。
 とりあえず、予定では、このまま庭に潜んで真夜中を待つ……と。
 おれは、その辺りの茂みの中に潜り込もうとした。その瞬間。
 キィッ
 かすかな音を立てて、2階の窓が開いた。
 その瞬間、俺の心臓が64ビートのリズムを奏でた。
 窓から溢れる光の中に、ゆかりちゃんがいた。
 俺は、その瞬間、何もかも忘れ、立ち上がると叫んでいた。
「ゆかりちゃん!」

《続く》

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