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カタン、コトン
《続く》
列車は単調な音を響かせながら走り続けていた。
俺の目的地、軽井沢に向かって。
車窓から流れる景色を見ながら、俺は昨日のことを思い出していた。
昨日の夜、俺は紐緒さんや好雄にも黙って古式邸に赴いた。
1週間くらいぶりに会ったゆかりちゃんの親父さんは、この前よりもさらにやつれていた。
おばさんの話では、仕事も手に付かず、夜もあまり眠っていないらしい。
通された和室に入ると、ぷーんと酒の臭いがして、思わずくらっとした。
その奥に、親父さんはうずくまっていた。俺の姿を見ると、弱々しい声で言う。
「よく来てくれたな」
「……大丈夫ですか?」
俺は思わず尋ねてしまった。彼は力無く言った。
「まぁ、儂はな。だが……、今頃ゆかりがどうしているのかと思うと……」
そう言いかけて、彼は寂しげに笑った。
「……無力なものだ。娘一人、助けてやれんとは」
そう呟いて、コップについだ冷や酒をあおる。
……俺には、何も言ってあげることができなかった。
今度の「作戦」のことは、紐緒さんに、
「絶対に誰にも漏らさないこと。たとえ、古式さんの両親であってもね」
と釘を刺されていたから。
結局、何にもしてあげられずに、俺は古式邸を辞した。
玄関先まで、古式さんのお母さんが見送りに出てくれた。
「それでは、失礼します。おじさんによろしく」
俺が頭を下げると、おばさんはすすっと俺に近寄った。
「あ、あの、何か?」
「主人さん……、これを」
おばさんは、たもとから細長い、白い袋を出した。
俺はそれを受け取った。長さは四〇センチくらいか、中に何か長細い、堅いものが入っている。
「棒みたいな……。もしかして、日本刀ですか?」
そう言うと、おばさんは口元に手を当ててころころと笑った。
「まさか。開けてみても、かまいませんよ」
そう言われて、俺は袋の口を縛ってある、これも白い紐を解いた。
袋の中に入っていたのは、これまた白い、横笛だった。
「……これは?」
「主人さん、もし、機会がありましたら、それをゆかりに渡してください」
……おばさん、もしかして知ってるのか?
俺は思わずそう尋ねそうになった。
その俺の顔がよほど間抜けだったのか、おばさんはまた笑った。
「いやですわ。そんなに見つめないでください」
「あ、す、すみません。でも、俺が預かっても、ゆか………お嬢さんに渡せるとは……」
そう言いかけたが、おばさんはかぶりを振った。
「それは、あなたからゆかりに渡してください。そうでなければ、意味のないものですから」
「……それは、どういう?」
「ゆかりに渡していただければわかりますわ」
どういうわけか、うっすらと頬を染めながらおばさんは俺に言った。
俺は、結局その袋を抱いて、家に帰ってきた。
その足が止まったのは、家の前にある電柱の街頭に、見覚えのある姿が照らし出されていたから……。
彼女は、壁に背中をもたれかけさせて、俯いて何事か考えているようだった。
「……詩織」
俺の声に、詩織は、はじかれたように顔を上げて俺を見た。
「公……くん」
詩織と言葉を交わすのは、公園の一件以来だった。なんとなく気まずさを感じる。
詩織も同様らしく、いつもの笑顔も何となく堅い。
ふと、その視線が俺の持っている袋に止まった。
「ねぇ、それは、何?」
「え? こ、これはぁ……」
「あ、言いたくないんなら、いいの……」
彼女はそう言うと、また黙ってしまった。
しばらく間をおいて、俺と詩織は同時に言った。
「ごめん」
「ごめんなさい」
そして、お互いに、えっというような顔で相手を見る。が、すぐに互いに視線をあらぬ方向に逸らしてしまった。
俺は、街灯を、見るともなく見ながら言った。
「……その、この間は、なんだか傷つけちゃったみたいで……」
そこまで言ったとき、詩織がはっとしたように俺を見た。
「公くん……」
「ごめんよ。俺、いつも、困ったことがあるとスグに詩織に頼っちまうから……。そうだよな。詩織だって迷惑だよな」
「……公くん、それは……」
詩織が何か言いかけたが、俺はそれを遮るように言葉を続けた。
「なんていうか、巧く言えないけど、俺、詩織は特別な友達だと思ってるから……」
「特別な……友達……」
詩織は、ぎこちなく笑みを浮かべた。
「そう、なの。……そうね。そうだよね……」
その語尾が震えているのが、俺にも解った。
「ど、どうした? 俺、また何か傷つけるようなこと言った?」
「……ううん。なんでもないの。……そうよね、特別な友達だよね」
詩織はそう言うと、俺に向かって言った。
「じゃ、おやすみなさい、公くん。引き留めちゃってごめんなさい」
「いや。誤解が解けてよかったよ。気になることはかたずけとかないとな」
「……なんだか、遠くへ行っちゃうような口振りね」
俺はどきりとした。さすが詩織。
「いやぁ、単なる一般論さ。じゃ、またな」
「おやすみなさい」
詩織はそう言うと、振り向いて、自分の家に駆けていった。
今、彼女が振り向いた瞬間、何か光るものが飛んだように見えたけど、気のせいだろう。
俺は、詩織が彼女の家のドアの中に入るのを見届け、そっと「おやすみ」と呟いてから、ドアのノブを回した。
車掌のアナウンスが、俺を我に返らせた。
「次は、軽井沢、軽井沢です。お降りになるかたは、荷物を忘れないようにしてください。降り口は進行方向右側です……」
おっと、いけねぇ。乗り過ごすところだったぜ。
俺は網棚から荷物を降ろした。
俺は軽井沢の駅に降り立った。
ここから、新須の別荘までは、歩いて三十分くらい。
俺は背負っていたディバッグからメモ帳を出してめくった。
いよいよ、作戦開始か。
俺は気分を引き締め、歩き始めた。