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ゆかりちゃんSS ゆかりちゃんのささやき

 パッコォーン
 わたくしの打ったスマッシュが、相手のコートに当たって跳ねました。
 先輩がわたくしに言いました。
「古式さん、なんていうのかな、もう少し強めのスマッシュは打てないの?」
「はぁ。申し訳、ありません。これでも、一生懸命に打っているつもりなのでございますけれども」
「わかったわかった。あなたはそれでいいのよ」
 先輩はそう言って、後ろの人に言いました。
「じゃ、次!」
「お願いします!」
 あらあら、早く退かなくては。
 それにしても、先輩の方々、最近はわたくしのプレーに何も言わなくなってしまいましたね。どうしたのでしょうか?
 わたくしが入部した当初は、先輩とサーブの打ち方について、6時間ほど議論しておりましたのに……。
 わたくしは、コートの傍らのベンチに歩み寄ると、座りました。スポーツバッグからタオルを出して顔を拭きます。
「やぁ」
 後ろから声が聞こえましたので、わたくしは振り向きます。
 金網の向こうに、公さんが立っていました。
「あや、公さん。最近毎日ですのねぇ。ご苦労様です」
 わたくし、立ち上がって一礼します。
「別に苦労はしてないけどね。それより、がんばってる?」
「はい。残念ながら、次の練習試合では、補欠になってしまいましたけれども」
「本当に? 残念だなぁ」
「でも、仕方がないことですから」
 本当は、すこし残念ですけれど。
「それよりさ、もう今日は終わりじゃないの?」
 わたくしは、テニスコートの脇にある時計を見上げました。もうそろそろ6時を回ろうとしています。
「そうですねぇ。そろそろ、終わると思いますが」
「そう? じゃさ、一緒に帰らない?」
「よろしいですよ」
 わたくし、反射的にお返事をしてしまいました。
 公さんは一つうなずくと、言いました。
「じゃ、校門で待ってるからさ」
「はい」
 わたくしはもう一度、お辞儀をしました。

 おかしいですわね。
 最近、公さんにお誘いいただきますと、なぜか嬉しいのです。
 どうしてなのでしょうか?
 公さん以外の方にお誘いいただいても、こんなに胸がドキドキしたりはしませんのに。
 もしかして、何かの病でしょうか?
 でも、お勉強していたり、テニスを一生懸命にしております間は、何ともないのですよ。
 本当に、妙ですねぇ。

「すみません、遅くなりまして」
 わたくしが校門を出ますと、公さんが門柱に寄り掛かって待っていらっしゃいました。ちょっと考え事をしていて遅くなりましたので、わたくしは謝りました。
 公さんはにっこり笑って言いました。
「いや、いいよ。でも、すっかり暗くなっちゃったね」
「そうですわねぇ」
 わたくしも空を見上げます。
 空にはいくつもの星が瞬いておりました。
「さ、早く帰ろう」
「はい」
 わたくしたちは、並んで歩き始めました。

 ゴォッ
 時折、車が走り抜けます。その度に、わたくしたちは光に照らされ、そしてまた闇の中に戻ります。
 そんな中を歩くうちに、公さんが口を開きました。
「古式さん」
「はい、なんでしょう?」
「俺さ、今日テニス部に入部届けを出してきたんだ」
「え?」
 わたくしは公さんの顔を見上げました。
 その瞬間、車のヘッドライトが公さんの顔を照らし、また暗闇に戻ります。
 わたくしの瞼に、公さんの顔が残像のように残りました。
「公さんが、テニスを?」
「うん」
 公さんはうなずきました。
「やってみたくなったんだ」
「そうですか。テニスって、面白いですからねぇ」
 わたくしはにっこりと笑って、そう言いました。
「……そうだよね」
 あらぁ? 公さんの声音が、今までと、ちょっと違いますような気がしましたけれど、気のせいでしょうか?
 公さんの表情は、暗やみに紛れていてよく見えません。
 そうしているうちに、わたくしたちは交差点にさしかかりました。
「……あ、俺こっちだから。じゃ、また明日ね」
「はい。それでは失礼いたします」
 わたくしは、角を右に曲がってゆく公さんを見送りました。

 それから一人で5分も歩いたでしょうか?
 わたくし、ふと気がついて立ち止まりました。
 公さんはテニス部にお入りになったそうですね。そして、わたくしの部もテニス部。
 ということは、わたくしと公さんは同じ部と言うことではありませんか?
 しかも、テニス部は部員が少ないので、男子と女子は一緒に練習をしております。
 ということは、これからは公さんとわたくしは一緒に練習をできるということですね。
 まぁ、なんということでしょう?
 わたくし、その場で頬を両手で押さえました。
 頬が燃えるように熱くなっています。
 まぁ。また、わたくし、ちょっとおかしいみたいです。

「ただいま、帰りました」
 玄関のドアを開けて、わたくしが挨拶をしますと、廊下を走る音がします。
 ドタドタドタ
「ゆかり、今帰ったのか!?」
「まぁ、お父さま」
「遅かったじゃないか。うちの社員を捜索に出そうかと思ったぞ」
「まぁ。そんな大げさな」
「そうですよ、あなた。まだ8時じゃありませんか」
 お母さまが割烹着の裾で手を拭きながら、出ていらっしゃいます。わたくしはお母さまにもご挨拶しました。
「お母さま、ただいま帰りました。遅くなりまして、申し訳ありません」
「おかえり、ゆかり。夕食の用意ができていますよ。着替えて降りてらっしゃい。あなた、熱燗が冷めてしまいますよ」
「そ、そうか。うむ」
 お父さまはお母さまの後について食堂に戻って行かれました。わたくしも2階の自分の部屋に行きます。

 わたくしが夕御飯を食べ終わりますと、それまで熱燗をちびちびと飲んでいらっしゃったお父さまが、わたくしに尋ねました。
「で、今日も主人とかいう若造と一緒だったのか?」
「はい。送っていただきました」
 あら、また頬が熱いですわ。
「ぬぅ……」
 お父さまは、お猪口をぐいっとあおりました。そしてわたくしに尋ねます。
「なにかされなかっただろうな?」
「なにか、とは?」
「え? いや、その、……まぁ、いい。儂はもう寝るぞ」
「はいはい」
 お母さまがにっこり笑いながら、うなずかれます。
 「では、わたくしは宿題がありますので、これで失礼いたします」
 わたくしは立ち上がって、食器を流しに運ぶと、お二人に一礼して自分の部屋に戻りました。
 2階の自分の部屋のドアを開けようとした時、食堂の方で、お父さまのうなり声が聞こえました。最初は驚きましたけれども、お母さまは心配ないとおっしゃいます
し、ほとんど毎晩ですので、もう慣れてしまいました。

 シューッ、トン
 ふすまを閉めまして、わたくしは机の前に座りました。
 宿題をしなければならないので、鞄から教科書とノートを出して広げます。
 明日は、何の教科がありましたでしょうか?
 明日の帰りも、主人さんが送って下さるのでしょうか?

「ゆかり、お風呂はどうしますか?」
 不意に、廊下の方からお母さまの声が聞こえまして、わたくしははっと気づきました。
 どうやら、ぼーっとしてしまっていたみたいですねぇ。
「ゆかり?」
「あ、はい。入らせていただきます」
「そうですか? では、湯揉みしておきますね」
「はい。お願いします」
 スタスタスタ
 お母さまの足音が遠ざかってゆきました。
 やっぱりおかしいですわ。わたくし、やっぱりなにかの病気になってしまったのでしょうか?

《続く》

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