「……う、うん……」
ころん、と寝返りを打って、シーツに顔を押しつける。
うーん。し・あ・わ・せゥ
「くぉらぁっ!!」
「きゃぁっ!」
耳元で叫ばれて、私は思わず飛び起きた。とりあえず枕を抱き寄せて、きょろきょろと辺りを見回す。
見慣れた自分の部屋。ただ一つ違ってるのは、ベッドの脇に仁王立ちになってる正樹。
「……えっ?」
「ったく、いつまで待っても来ねぇと思ったら、やっぱりぐーすか寝てやがる。いい加減にしろよっ!」
……ああっ!!
私は、枕元の目覚ましを掴んで、文字盤を見てみる。
えっと……11時!?
「あは、あははっ」
「笑って誤魔化すなっ!」
ゴツン、と頭をげんこつで叩かれてしまった。
「あ痛ぁ〜」
「いいから、さっさと着替えて来いっ!」
そう言って、出ていく正樹。
……着替える?
改めて自分の格好を見てみる。
いつも寝間着代わりに使ってるタンクトップがまくれあがっていた。
ああっ! 見られたぁっ!!
ダァン
ドアを開けると、前で待っていた正樹が言った。
ううん、言おうとした。でも言えなかった。なぜかというと、私の拳骨が正樹の顔面にめり込んでたからなのだ。
「痛てぇっ! 何するんだ菜織っ!」
「それはこっちのセリフよっ! なんであんたが私の部屋に入り込んで私の寝姿を眺めてるのよっ!!」
確かに寝過ごしたのは私が悪い。それは認めよう。でも、だからってあいつが私の部屋に忍び込んで、可愛い私の寝姿を鑑賞していいって法はないのよっ。
そりゃぁ、たしかにもっと恥ずかしい姿までこいつには見られちゃってるけどさぁ。でも、やっぱりけじめってものがあるじゃない。ねぇ?
「しょうがないだろっ! ここに来たら、おばさんに「まだ寝てるから起こしてあげて」って言われたんだから」
頭を抱えたまま、正樹が言う。って、お母さんも何考えてるのよっ!!
「だからって、そのまま上がり込むことないでしょっ!」
「ああそうかいわかったよっ! もう二度と迎えに来てやらねぇからなっ!!」
「おいおい、二人とも何を喧嘩してるんだ?」
通りかかった兄さんが顔を出した。
「あ、お久しぶりです」
「よぉ、正樹じゃないか。菜織とは仲良くしてるか?」
「ちょ、ちょっと兄さんっ!!」
私が慌ててくってかかろうとしたら、ぐいっと頭を押さえられちゃった。
「まぁ、この通りの跳ねっ返りだけど、よろしく頼むわ。あっはっはっは」
「は、はぁ……」
「兄さんっ! 私はねぇっ!」
「菜織も、もうすこしおしとやかにしないと、正樹にも愛想尽かされちゃうぞ」
そういって、ちょっと乱暴に私の頭をなでると、兄さんはそのまま社務所の方に行っちゃった。
「もう、兄さんったら……」
私は、ぐしゃぐしゃにされた髪の毛をなでつけた。……やだ、寝癖付いてるみたい。
「とにかく、顔洗ってくるから、居間で待ってなさい」
「へいへい。さっさと洗ってこい」
正樹も毒気を抜かれたみたいで、おとなしく居間の方に歩いていった。
バシャッ
冷たい水で顔を洗ってから、鏡を見てみると、私が写っていた。
……当たり前なんだけど……。
正樹……、私、ちゃんと恋人出来てるのかな?
「菜織も、もうすこしおしとやかにしないと、正樹にも愛想尽かされちゃうぞ」
しばらく、鏡をじーっと見てて、不意にはっと我に返った。慌ててもう一度顔を洗う。
でも、顔はさっぱりしても、頭の中のもやもやは消えなかった……。
顔を洗って歯を磨いてから居間に降りてくると、そこでは正樹と姉さんが、何やらしゃべっていた。
「まぁ、そうなの?」
「ええ。それで僕もびっくりしまして」
……なんかむかつく。
私は、ずかずかと居間にはいると、正樹の耳をぎゅっとつねった。
「いたたたっ! な、菜織っ!」
「こら、菜織ちゃん。正樹くん痛がってるじゃない」
姉さんがやんわりとたしなめた。私はしぶしぶ耳を離すと、言った。
「行くわよ、正樹。それとも姉さんとここでしゃべってる?」
「あ、わかったよ。それじゃ僕はこれで」
「はぁい。二人とも、車には気を付けるのよ〜」
……姉さん。私達、もう高校二年生なんですけど……。
「うん、わかったよ」
「こらっ! 行くわよっ!」
まだなんだか未練在りそうな正樹を引っ張って、私は居間を出た。姉さんは小さく手を振って私達を見送っていた。
「こ、こらっ、いつまで耳を引っ張るんだっ! いい加減に離せっ!」
玄関まで来て、正樹がわめくので、耳から手を離した。正樹は、耳を押さえて、恨めしそうに私に言う。
「あのなぁ! 耳がちぎれるだろうがっ」
「ったく。なにが『それじゃ、僕はこれで』よ。あいかわらず姉さんの前じゃ猫被ってるんだから」
「うるさいな。いいだろ、別に。それより、行くぞ」
そう言って、スニーカーを履く正樹。
「ちょっと、待ちなさいよっ」
私も慌ててスニーカーを履いた。
……。
「ねぇ、正樹……」
「なんだよ、おいて行くぞ」
「判ってるわよっ! ……やっぱり……」
「え?」
振り返る正樹。
やっぱり、お淑やかな方が好きなの……?
「なんでもないっ!」
私は質問を胸の中に飲み込んで、正樹の後を追いかけて駆け出した。
「横浜〜、横浜〜」
電車のドアが開き、一斉に人が流れだす。私と正樹も、その流れに乗ってホームに吐き出された。
冷房が効いてる電車の中とは違って、むわっとした空気が私達を包む。
「あっちぃ〜」
「そりゃ夏だもん。これで寒かったら大変よ」
「なぁ、菜織。俺、どうしてこんなところにいるんだ?」
「さぁ、行くわよっ! 大丈夫だって。デパートに入れば冷房効いてるわよぉ」
私はささっと歩き出した。そしてホームから階段を降りかける。
ドンッ
前から階段を駆け上がってきた人が、私にぶつかった。
「きゃっ!」
私はバランスを崩してよろけた。とっさに何かを掴もうと手を伸ばすけど、階段の真ん中。どっちの手すりも絶望的に遠い。
だめ、落ちる!
思わず目を閉じた私の手が、ぐいっと引っ張られた。
「菜織っ!」
あいつの声。
「正樹!?」
目を開けると、正樹が私の手を掴んでいた。
「あ……、ありがと」
「ったく。ぼーっとしてるんじゃねぇよ」
ちょっと怒ったみたいに言うと、正樹は私を引っ張り起こした。それから手を離すと、ぶっきらぼうに言った。
「で、どこのデパートに行くんだ?」
「えっと、あのね……」
と。
「わぁ〜。見たぞ見たぞぉ。ふんふん、なぁるほどぉ」
突然私達の後ろから、聞き慣れた声が聞こえてきた。私と正樹はそのまま硬直した。
「いやぁ、怪しいとは思ってたけど、やっぱりかぁ。菜織ちゃんと正樹くんがねぇ〜」
「ミャーコっ!?」
私は振り返った。そこにいたのは、やっぱりここで一番逢いたくない相手、ミャーコこと信楽美亜子だった。腕組みをして、最もらしくうなずいている。
「6月の大会以来、赤丸付き人気急上昇の伊藤正樹と、十徳神社の看板娘氷川菜織はやはり出来ていたっ! これで週明けのエルシアウィークリーは売れそうだぞぉ」
「あ、あのなミャーコちゃん! 俺はだなぁ……」
……えっ? 出来てるって、それって……。
「ねぇ、ミャーコ。そう見える?」
「くぉら、菜織っ! お前はそんなに噂になりたいのかっ!?」
正樹に小声で言われて、私ははっと我に返った。
「そ、そうよっ! 何を誤解してるのよミャーコは。やだなぁ、もう。ねぇ、正樹」
「そうだよな。あっはっはっは」
私は黙って正樹の足を踏みつけた。
「つっ! な、なんだよっ?」
「その笑い、わざとらしすぎるのっ! もっと自然にやんなさい、自然にっ!」
思わず小声で言い合う私たち。
そこに救いの神が現れた。
「こらぁっ!」
ゴツン
「あいたぁっ! サエちゃんひどいっ、いきなりぶつなんてぇ〜!」
後ろからミャーコに拳骨をくらわしたのは、サエ……田中冴子。ミャーコとは仲がいいのか悪いのか、実際、私もよくわからない。いつもミャーコに引っかき回されて怒ってるくせに、一緒に行動してることも多い。ま、本人曰く、腐れ縁ってやつなのかな。
「サエじゃない。どうしたの、今日は」
私は、これ幸いとサエに話を振った。
「いや、こいつがハマの新スポットに行きたいとか言ってさぁ、あたしはやだって言ったんだけどよぉ」
「あ〜、サエちゃんひどぉい。田中屋の店番させられそうになってたところを助けてあげたのにぃ〜」
「わっ、それは言うんじゃねぇっ!」
よしっ、どうやら話題が逸れたみたいね。
「さて、と。それじゃ私達は買い物があるから、そろそろ行くわ。ほら正樹っ、あんたは荷物持ちなんだからさっさと来なさいっ!」
「お、おう。それじゃ冴子、ミャーコちゃん、またなっ」
「ああ、頑張れよっ」
「じゃあねぇ〜」
私たちは、そそくさと階段を駆け下りたのでした。
駅ビルを飛び出して、私は大きく息をついた。
「ふぅ。買い物に行く前に疲れちゃったわ」
「そっか。それじゃ帰ろうか」
「ば〜か。そうは問屋が降ろさないわよ。さ、まずは元町のブティックへGO!」
私は、さっさと歩き出した。
「あっ! こら待てっ!」
「……水着か?」
「そうよ。今年の水着、まだ買ってないんだもん。……って、何よ、そのげんなりした顔は?」
「そう見えるか?」
「見えるわよ。じゃ、ちょっと待っててね」
そう言って、私は良さそうな水着を2、3着掴んで更衣室に入る。
上着を脱いでハンガーにかけて、スパッツも脱いで、それから……。
……あ、あれっ?
おかしいな。なんで……、ええっ?
も、もしかして、私……、ふ……。
シャ〜〜ッ
私は、更衣室のカーテンを開けた。
「おっ、やっと終わって……。ど、どうした菜織!?」
正樹が私の方を見て、顔色を変えた。
「え〜? な〜に?」
「なーに、じゃないだろ? 顔色悪いぞ。立ちくらみでもしたのか?」
「……まぁ、そんなところ……」
私は、水着を元の場所にもどして、がっくりと肩を落とした。
「なんだ? 買わないのか?」
「……いい。今日は帰ろう」
「はぁ? あんだけ買う買うって騒いどいて……」
言いかけて、不意に正樹は、ポンと手を打った。
ま、まさか、気づかれたっ!?
「わかった。お前、水着が入らなかった……」
「きゃぁきゃぁっ! それ以上言わないでぇっ!!」
私は慌てて正樹の口を押さえた。もう、どうしてこういうことだけは判るのよっ!
「ぐすん。ショックだわぁ……」
「泣くな泣くな。まだ俺達高2だから、成長してるだけだろ?」
「……やっぱり、運動やめちゃったのがまずったのかなぁ……」
私は、お腹を掴んでみた。あ、たっぷりつかめる……。
「で、水着はどうす……」
「決めたわ!」
私はぐっと拳を握った。
「何をだ?」
「決まってるじゃない! ダイエットよダイエット! 絶対去年と同じサイズに戻してやるんだからっ!!」
「やめとけやめとけ」
正樹が呆れたように言うから、私はかっとした。
「なによっ! あんたに何が判るってのよ!」
「俺は、今の菜織が好きだぜ」
「……えっ?」
思わず聞き返すと、正樹はそっぽを向いちゃった。
「こんなこと、二度も言えるか」
「……あはっ」
思わず、笑っちゃった。だって、今まで悩んでたことが、馬鹿らしくなっちゃったんだもの。
そうよね。ちょっとくらいお肉がついてたって、お淑やかじゃなくったって、あいつがいいって言ってくれるんならそれでいいのよね。
「ありがと、正樹」
「へいへい」
照れてるもんだから、いい加減な返事して。
さぁて。
「それじゃ、次のやつ試着してくるね!」
「あ、こらっ! 帰るんじゃなかったのかっ!?」
「水着買ったらね〜」
「で、結局見せてくれねぇんだもんなぁ」
ぶつぶつ言いながら、私の後から十徳神社の石段を登ってくる正樹。
私は、買ったばかりの水着の入った紙袋を抱えて、振り返った。
「いいじゃない。楽しみが増えて」
「そういうことにしとけばいいんだろ? ったく。で、いつにする? 海に行くのは」
「そうねぇ……。来週の日曜は? あ、そうだ。なんだったら、乃絵美も誘ってあげようよ」
私が言うと、正樹は意外そうに聞き返した。
「いいのか?」
「いいじゃない。別に海に行くのは今回だけじゃないんだし。ね?」
「ああ、乃絵美も喜ぶよ」
そう言って笑う正樹。
私は、階段を一つずつ踏んで登っていく。
こうやって……。ゆっくりでも、ちゃんと登っていければ、いいよね?
ね、……正樹。
「なんだよ、にやにやして。気持ち悪い奴だな」
「ふん。べぇーだ。あははっ」