「唐突だけど、明日はオフ」
to be continued
本当に唐突ですけど、緒方プロの社長の英二さんはそう言いました。
「本当ですか!」
ポンと手を打って、由綺ちゃんは飛び上がりました。その瞬間、もう由綺ちゃんの頭の中は、明日の予定でいっぱいです。
(冬弥くんとでーとゥ、冬弥くんとでーとゥ、冬弥くんとでーとゥ……)
「明日はレコーディングだったのではありませんか?」
マネージャーの弥生さんが、既に頭の中がピンク色になってしまっている由綺ちゃんに代わって訊ねました。英二さんは手をヒラヒラと振って答えました。
「オガタインスピレーションが、そう命令しているんだよ」
「……」
そう言われると、引き下がるしかない弥生さんです。
(事務所、移ろうかしら……)
一方、それを脇で見ていた理奈ちゃんは、英二さんに食ってかかります。
「私はオフじゃないわけ、兄さん?」
「オフにしても、一緒に居てくれる相手もいないんだろ? なら、仕事しなさい」
おやおや、理奈ちゃん。ガラスのハートにクリティカルですね。
「……ばかぁ!」
パチン
理奈ちゃんは、英二さんのほっぺたを痛くはたくと、泣きながら飛びだして行ってしまいました。
「うえーん。お兄ちゃんなんか嫌いだよぉ〜」
「わぁー、待ってくれよ、理奈ぁ! お兄さんが悪かったよぉ。わかった、明日は一緒に大井競馬場に行こう!」
……どうしてそうなる?
英二さんが理奈ちゃんを追いかけていってしまったので、弥生さんは由綺ちゃんに向き直りました。
「由綺さん、明日のことですけど……」
(冬弥くんとでーとゥ、冬弥くんとでーとゥ、冬弥くんとでーとゥ……)
ダメですねぇ。由綺ちゃん、もう他のことは目にも耳にも入らないようです。
弥生さんは大きく肩を落としました。
(……愛って耐えることですね……)
……おーい。
そんなわけで、我に返るとすぐに冬弥くんのお部屋に電話する由綺ちゃんでした。
ぷるるるる、ぷるるるる、ぷるるるる、かちゃ
「はい、藤井です」
「あ、冬弥くん? あのあのあのね、私由綺ゥ」
「あ、うん……」
「明日私オフになったの。だから、一緒にどこかに行かないかなって思ったりなんかしちゃったりして」
……由綺ちゃん、広川太一郎なんてよく知ってますねぇ。
「どうかな?」
聞いてみて、ハートドキドキの由綺ちゃん。
電話の向こうの冬弥くんは、すぐに答えてくれました。
「明日は予定が……」
「ないのね!」
由綺ちゃんは、小さな胸をきゅんと高鳴らせました。
「よかったぁゥ」
「え? あ、あのさ……」
「それじゃ、9時に駅前でね!」
「ちょ、ちょっと、由綺?」
「あ、聞こえなかった? 9時に駅前だよ。忘れちゃだめだからね!」
「忘れはしないけど、その……」
「それじゃ!」
電話を切ると、由綺ちゃんはぽーっと幸せに浸るのでした。
(ああっ、この一時の幸せっ! この幸せを世界中に分けてあげたいっ! ……でもやっぱり私一人のものだもんゥ うふふふふ)
「あのっ、もしもし、もしもしっ!?」
呼べど叫べど、返事無し。
冬弥くんは、ため息を付いて受話器を置きました。
「明日は彰と遊びに行く約束があったんだけどなぁ。……まぁ、いいか。彰だし」
あっさりと友達より恋人を取る冬弥くん。まぁ、男として当然の義務ですね。
そんなわけでデート当日。
由綺ちゃんは、ぼへーっとした顔で鏡に向かっていました。目なんて真っ赤に充血しています。どうしたんでしょう?
(ううっ、久しぶりのデートだから、興奮しすぎてよく眠れなかった……)
あらあら。
(と、とにかく着替えなくちゃ。着替え……)
立ち上がると、ドアを開ける由綺ちゃん。
(あれ? 着替えがない……)
由綺ちゃん、そこはバスルームのドアですよ。
そんなわけで、なんとか9時に駅前にやって来た由綺ちゃん。
冬弥君はまだのようですね。
今までのぼへーっとした雰囲気はどこへやら。もう由綺ちゃんすっかり臨戦モードですね。
(冬弥くん、早く来ないかなっ? うふうふうふふゥ)
と、向こうから冬弥くんが走ってきます。
(やべぇ、すっかり遅れちまったぞ)
腕時計を見ながら走る冬弥くん。
「あ、こっちこっちこっちこっち〜!」
大声で呼ぶ由綺ちゃんに気が付いて、冬弥くんは駆け寄ってきました。
「ご、ごめん。遅れて……」
「ううん、私も今来たところだから」
由綺ちゃんはにこっと笑いました。……と自分では思ってますけど、端から見ると、にへらぁっと笑ってるようにしか見えません。
その顔のまま、由綺ちゃんは冬弥くんの腕を引っ張りました。
「行こう!」
「お、おう」
そのまま、二人は仲良く歩きだすのでありました。
というわけで、二人は遊園地にやって来ました。
「よぉっし〜! 今日は遊ぶのよぉ〜っ!!」
「あのぉ〜、由綺さん? ゲートの前で仁王立ちになるのはやめようよ」
冬弥くんは、まわりをきょろきょろしながら由綺ちゃんの服の裾を引っ張ります。
「え? どうして?」
「どうしてって……、みんなに見られてるよ」
言われて、由綺ちゃんは顔を上げて辺りを見回します。
こっちを見ていた人たちが、慌てて視線を逸らしました。ぼそぼそと声が聞こえてきます。
「まさか、本物じゃないよなぁ?」
「そっくりさんじゃないのか? だって、考えてみろよ。本物がこんな所ではしゃいでると思うか?」
「でも似てるよなぁ」
由綺ちゃんは、冬弥くんの袖を引っ張って訊ねました。
「ねぇ冬弥くん。私って誰かに似てるのかな?」
「きっとよく似てる人がいるんだろうよ」
思わず投げやりになってしまう冬弥くんでした。
「ねぇ、これ乗ろうこれ!」
一日フリーパスを買って中に入った二人。由綺ちゃんは早速観覧車を指さしました。
冬弥くんは黙って首を振ります。
「駄目だ」
「ええーーっ!? どうしてよぉ?」
ぷっと膨れる由綺ちゃん。
冬弥くんは肩をすくめて答えました。
「観覧車は最後に乗らないといけないんだ。そう法律で決まってる」
「そっかぁ、法律で決まってるんじゃ仕方ないねっ」
一瞬で機嫌を直した由綺ちゃん、冬弥くんの腕を掴みました。
「それじゃ、あっち行ってみよ! あっち!!」
「お、おいおい引っ張るなよ」
そういいながらも、まんざらではない顔の冬弥くんです。
(うーん。肘に由綺の小さいけど感度のよい胸の感触が。うっしっし)
冬弥くん、おじさんモード入ってます。
「……これ、乗るの?」
「うん、乗るの」
さっきまでのにやけ顔はどこへやら、冬弥くん蒼白になっています。
一方の由綺ちゃんは、これまた満面の笑みを浮かべています。
「冬弥くん、いつもこれに乗るときは逃げちゃうんだから。今日は逃がさないもん」
そう言って、胸に抱いている冬弥くんの腕を、さらにぎゅっと抱え込む由綺ちゃん。
「えっと……、うぉっ、疳の虫がっ!!」
「……なにしてるの、冬弥?」
「何って見て判るうわわぁぁっ!!」
振り返って思わず大声を上げる冬弥くん。由綺ちゃんも振り返りました。
「あら、彰くん。こんにちわ」
「こんにちわ、由綺ちゃん。それに、風邪で熱が40度出て一日寝てるはずだった冬弥くん」
彰くんは、ふっと暗い笑みを漏らしました。
「判ってるよ、冬弥。僕との間に育まれた友情なんて、由綺ちゃんとの前には所詮人生紙吹雪なんだってことくらいさ」
「そ、それは……」
「いいんだ。君は君の青春をエンジョイするがいいさ。……冬の日本海を知っているかい?」
ひゅーーーーっ
(く、暗い……)
なんとかフォローを入れようと口を開きかけた冬弥くん。でも、それよりも早く口を開いたのは由綺ちゃんでした。
「彰くんも、美咲先輩誘えばよかったのに」
……とどめでした。
「……青い、青い空なんて、大っ嫌いだぁ〜〜〜っ!!」
彰くんは、泣きながら走っていきました。と、不意に駆け戻ってくると、冬弥くんの耳元で囁きました。
「『エコーズ』のバイト24回だよ」
「なにぃ?」
「うわあぁぁぁぁぁぁーーーーっ」
再び、泣きながら走っていく彰くん。
その背中を見送りながら、由綺ちゃんはぽつっと言いました。
「冬弥くん。お友だちは選んだ方がいいと思うよ」
「俺もつくづくそう思う」
うなずく冬弥くん。
と、不意に由綺ちゃんはにまっと笑うと、冬弥くんを引っ張りました。
「というわけで、レッツゴー!!」
「わあっ、待ってくれぇぇぇぇ!!」
「ぜいぜいぜいぜいぜい」
「あ〜〜、面白かったぁ」
二人は『絶叫23回転半ぐるりんコースター爆走編』から降りてきました。
真っ青になった冬弥くんは、るんるんと歩いている由綺ちゃんを見ながら、心の中で呟きました。
(ど、どうして乗ってるときはあれだけきゃぁきゃぁいってるのに、降りたらあんなに楽しそうなんだ? ……う、うっぷ)
「冬弥くん、大丈夫?」
流石に心配そうに、冬弥くんの顔を覗き込む由綺ちゃん。
「い、いや、大したことは……」
「……冬弥くん、気分悪くなっちゃったの?」
「それは……」
答えかけて、由綺ちゃんの顔を見た冬弥くん、思わずぎょっとします。
由綺ちゃんは、大きなおめめに涙を一杯に浮かべて、じっと冬弥くんを見つめていたのです。
「ゆ、由綺?」
「ごめんねっ、冬弥くんっ!!」
がばぁっ、と由綺ちゃんは冬弥くんを抱きしめました。そのまましゃくりあげます。
「私、久しぶりのデートだから、すっかりはしゃいじゃって、冬弥くんのことも考えないでっ……」
「由綺……」
(そうだよな。由綺には、こんな普通にデートするなんて機会もないんだよな)
「だけどやっぱり冬弥くんとは楽しくしたいし、だからお休みだからってはしゃぐのはいいことなんだし、もう何言ってるのか自分でもよくわかんないけど、でもでもでも」
「ごめん、俺が悪かった」
冬弥くんは振り返って、由綺ちゃんの頭を撫でました。
由綺ちゃんはうるうるしながら冬弥くんの顔を見ます。
「冬弥くん、好き?」
「えっ? あっ、も、もちろんさっ」
「よかったゥ」
由綺ちゃんはにっこりと笑うと、駆け出しました。
「それじゃ、冬弥くんの分まで買って来るねぇ〜」
「……はい?」
「はい、ポップコーン」
「あ、はぁ……」
冬弥くんは、にこにこしている由綺ちゃんからポップコーンを受け取りました。
「でも、冬弥くんがポップコーン好きだって、初めて知ったなぁ」
「あ、ポップコーンのことだったのね」
かっくりと首を垂れる冬弥くん。その冬弥くんと腕を組んでポップコーンを頬ばる由綺ちゃんは、とっても幸せそうですね。
(ああっ、これよこれっ、世間一般的な恋人同士っていうかなんていうか、にゃははははは)
……由綺ちゃん、かなり壊れてきてます。
そんなこんなで楽しいときが流れ、いつしか遊園地に夕暮れが迫ってきました。
「さってと、そろそろ乗ろうか」
「え?」
聞き返す由綺ちゃんに、冬弥くんは観覧車をさしました。
「あ……」
「観覧車は最後に乗らないといけないんだ。そう法律で決まってる」
「そっかぁ、法律で決まってるんじゃ仕方ないねっ」
「観覧車……」
「あれ? どうしたの?」
立ち止まってしまった由綺ちゃんに、冬弥くんは振り返って訊ねました。由綺ちゃんは首を振って、微笑みました。
「なんでもないよ。乗ろ、冬弥くん」
「わぁっ、高い高いよっ。見て冬弥くんっ!!」
「そうだね」
ゆっくりと回る観覧車のゴンドラ。そこからは、町が一望できました。
由綺ちゃん、窓にぺったりと張りついて、その町を眺めています。
冬弥くんは、そんな由綺ちゃんを見つめていました。
「……ね、冬弥くん」
「うん?」
由綺ちゃんは、窓の外を見つめたまま、ぽつりと言いました。
「このまま、時が止まっちゃえばいいのにね……」
ガタン
いきなり、ゴンドラが揺れ、そして止まってしまいました。
「……私……じゃないよね?」
おそるおそる訊ねる由綺ちゃん。
じとーっと由綺ちゃんを見る冬弥くん。
「だ、だって、止まればいいなとは思ったけど、だからって止めちゃおうって思ったんじゃなくて、そうじゃなくて、やっぱり明日は仕事だし、レッスンだってあるんだし、弥生さんは毎朝7時に迎えにくるし、えっと、私もう何言ってるんだろ。そうじゃなくて、あのっ……」
不意に、冬弥くんはくすくす笑いだしました。
「あのっ、えっと……」
「ごめんごめん」
謝ると、冬弥くんは由綺ちゃんを抱き寄せました。
「きゃぁ」
小さな悲鳴を上げる由綺ちゃんに、冬弥くんはささやきかけました。
「どうせ、しばらくは動かないんだ。ここでHしようぜ」
「えっ? あ、ああっ」
そのまま、ゴンドラのベンチに押し倒される由綺ちゃん。
「や、やだっ、そんなぁ……」
「やん、もう、そんな、冬弥くんったらぁゥ」
「あのー、もしもし?」
自分で自分の身体を抱いてクネクネし始めた由綺ちゃんに、冬弥くんはおそるおそる声を掛けました。それから、ゴンドラの外を見おろします。
「……やれやれ、まいったなぁ……」
「冬弥くぅんゥ」
「はいはい」
生返事をしながら向き直った冬弥くん、目の前に由綺ちゃんの顔があったので、思わず仰け反ります。
「わぁっ!!」
「冬弥くん、私っ、私ねっ!」
「わぁーっ、待て待て落ち着け落ちつくんだ由綺っ! このSSはR指定でもX指定でもないんだぞっ!」
「大丈夫よ。「WHITE ALBUM」はもともとXゲームなんだからっゥ」
「そうじゃなくて……、わっ、待て脱ぐなっ! 由綺ちゃん目が怖いっ!」
ようやく修理の終わった観覧車から、冬弥くんと由綺ちゃんが降りることが出来たのは、それから1時間後でした。
キーッ
タクシーが止まったのは、由綺ちゃんのマンションの前でした。
「あー、今日は楽しかった」
先に降りたのは、ルンルン気分の由綺ちゃん。お顔もつやつや輝いてます。
「それはよかったねぇ」
続いて、由綺ちゃんとは対照的に、こっちはげっそりした顔の冬弥くんが降りてきます。
「うん。これで、また明日から頑張れると思う」
「由綺……」
「じゃぁねっ! おやすみなさいっ!」
最後に、冬弥くんをぎゅっと抱きしめると、由綺ちゃんはスキップしながら、マンションに入っていきました。
それを見送ると、冬弥くんはポケットに手を突っ込んで、歩き出しました。そして、一度だけ振り返りました。
ちょうど、由綺ちゃんのお部屋に灯りがともったところでした。
「……おやすみ、由綺」
小さく呟いて、冬弥くんは歩いていくのでした。