何気なく、レコードショップの前を歩いていると、由綺の歌声が聞こえてきた。
《終わり》
まだ、その歌声を聞くと、胸が痛む。
どうして、俺と由綺は、別れることになってしまったんだろう。
頭では、俺達のことに納得はしていても、まだ心はどこかで彼女を求めている……?
そんなことは考えたくなかった。でも……。
ガツゥゥン
「痛てぇぇぇっ!」
思わず、すねを押さえてぴょんぴょん飛び跳ねる俺。
「なにぼーっとしてんのよっ!」
俺のすねを蹴り上げた犯人は、俺の前で腰に手を当てて俺を睨み上げた。ちなみに身長差は未だに20センチ近くあったりする。
「なにすんだよ、マナちゃん」
「マナちゃんじゃないっ! 外じゃ観月先生って呼びなさいって言ってるでしょっ!」
えらい剣幕で拳を振り上げているのは、言うまでもなくマナちゃんである。
「まったく、もう」
「はいはい」
「はい、は1度よっ! もう、行くわよっ!」
そう言って、ずかずかっと歩いていくマナちゃんを、俺は苦笑して追いかけた。
後ろからは、由綺の歌声がずっと聞こえていた……。
バン
最後の書類に判を押すと、マナちゃんはほーっと大きく息をついた。
「これで、今日の仕事は終わり?」
「ああ」
俺はもう一度確認してから頷いた。
「全部終わり。ご苦労さん」
「はぅ〜、肩凝ったわ」
これ見よがしに首を振ってみせるマナちゃん。俺は苦笑して、その後ろに回り込んだ。
「はいはい。揉んであげましょうね〜」
「その口調は止めなさいよね」
そう言いながらも、肩を揉んであげると気持ちよさそうな顔になるマナちゃん。
「……ん〜」
と。
トントン
ノックの音がした。
ボグッ
「はい、どうぞ」
マナちゃんはきりっとした顔(と言っても、元々童顔なのであまり効果はないのだが)になって返事をする。
ちなみにその前の「ボグッ」という効果音は、後ろで肩を揉んでいた俺の鳩尾に肘打ちを当てた音だ。
俺が、声も出せずにマナちゃんの机の脇でしゃがみ込んでいると、今度はマナちゃんがいきなり立ち上がった。
「お姉ちゃん!?」
ごあっ
その弾みに後ろに飛んだ椅子が、屈み込んでいた俺を直撃した。
「……ん」
俺は呻いて目を開けた。
「大丈夫? 冬弥くん」
由綺が心配そうな顔で俺をのぞき込んでいる。
「あ、あれ? 由綺? なんで?」
俺は体を起こした。
「だから言ったじゃない。藤井さんは丈夫に出来てるから心配ないって」
マナちゃんが腕組みしながらこっちを見降ろしている。
えっと……。
辺りを見回す。
俺は、どうやら事務所の来客用ソファに寝かされていたようだ。そして俺のすぐ脇にいるのは……由綺?
「マナちゃん。冬弥くんに謝りなさい」
由綺にしては珍しく、ぴしっと言う。
「でも……」
どうやら、鳩尾への一撃に続いて椅子攻撃をくらって、俺は意識を失ってたらしい。
「マナちゃん」
「……ごめんなさい」
いかにも渋々という感じで、マナちゃんが頭を下げた。由綺はにこっと微笑む。
「ん、よろし」
俺は訊ねた。
「由綺、だよな?」
すると、由綺より先に、マナちゃんが俺にくってかかった。
「なに訳のわかんないこと言ってんのよ、藤井さんはっ! もしかして頭まで打って健忘症にかかったんじゃないのっ!?」
「いや、そうじゃないけど……」
「それじゃ改めまして。お久しぶり、冬弥くん、マナちゃん」
由綺は、あの頃と変わらない笑顔でぺこりと頭を下げた。
「それじゃ、今年もクリスマスにはコンサートなの?」
「ええ、そうよ」
俺がお茶を淹れたカップを持って事務室に戻ると、由綺とマナちゃんは並んでソファに腰掛けて話をしていた。
「で、今日はどうしたの?」
俺はテーブルにカップを置いて訊ねた。
「あ、うん。そのクリスマスのコンサートなんだけど。今年は、理奈ちゃんと一緒にすることになったの。それでね……」
由綺は、脇に置いておいたハンドバックをあけると、中から封筒を取り出した。
「よかったら、2人で見に来てくれないかな?」
「ええっ? いいのっ!?」
理奈ちゃんの名前を聞いた瞬間から目をキラキラさせていたマナちゃんが、嬉しそうに声をあげた。マナちゃんは理奈ちゃんの大ファンでもあるのだ。
俺としては少々複雑だが。
俺は封筒からチケットを取り出してみた。
森川由綺&緒方理奈 クリスマスライブ
洒落たデザインでそう書いてある下に、席の番号が印刷されている。
……うわ。最前列のど真ん中じゃないか。
「いいのか、由綺? これ、プラチナペーパーじゃないのかよ」
マナちゃんのもとで働くようになって、前ほど芸能界に詳しいわけじゃなくなった俺でも、このチケットがどれほどのものかはよく判る。
でも、由綺はにこっと笑った。
「見に来て欲しいんだ。冬弥くんとマナちゃんに」
「うんうん。行く行く。絶対行くねっ。ね、藤井さん!」
「あ、ああ……」
俺は、マナちゃんの言葉に頷いた。
由綺はちらっと腕時計を見た。
「あ、いけない。もうこんな時間だ。もう行くね」
「えーっ? もうちょっとゆっくりしていっても……」
マナちゃんが言いかけたとき、不意にノックの音がして、そしてドアが開いた。
「由綺さん、そろそろ時間です」
顔を出したのは弥生さんだった。マナちゃんには一礼して見せたが、俺ははっきり言って無視。相変わらずだな。
「ごめんなさい。それじゃ冬弥くん、マナちゃん。またね」
由綺は出ていった。
俺は窓に歩み寄った。
事務所の入っているビルから、前で停まっているベンツに乗り込みかけた由綺が、不意にこっちを見て、軽く手を振った。
……そうだな。
俺は頷いた。
もうそろそろ、行ってみようか。
「どうしたのよ、藤井さん。妙にシリアスな顔して」
「……いや」
首を振って、俺は笑った。
「なんでもないよ」
そう言いながら、ぽんぽんとマナちゃんの頭を叩く。
「あん、もう! すぐに子供扱いするんだからっ!」
そう、今の俺にはマナちゃんがいるんだしな。
ざわざわ
コンサート会場前は、熱気に溢れていた。
由綺のコンサートに来るのは、あのクリスマス以来だ。
あれから何年たったのか。
俺は……。
「なにぼーっとしてるのよ!」
いきなり足を踏まれて、俺は我に返った。
「あ、ごめん」
「もう。ちゃんとエスコートしてちょうだいよねっ」
ぷんとむくれるマナちゃん。
俺は苦笑して、腕を差し出した。
「どうぞ、お姫様」
「よろしい」
腕につかまって、にこっと笑うマナちゃん。
「それじゃ、行こうか」
「うんっ」
ブザーが鳴り終わると、静かなイントロが鳴り始める。
「あ、この曲お姉ちゃんの……」
言いかけて、口を押さえるマナちゃん。俺は微笑んで、視線を舞台の上に移した。
ゆっくりと幕が上がり、そしてスポットライトが彼女を照らし出す。
……由綺……。
「わぁ、綺麗」
マナちゃんが隣で感嘆の声を漏らす。
そう。由綺は綺麗だった。
そんな陳腐な言葉でしか表現できない自分がもどかしいくらい、輝いていた。
……もう、俺の隣りにいた由綺は、そこにはいなかった。
♪すれ違う毎日が 増えてゆくけれど
お互いの気持ちはいつも そばにいるよ
ふたり逢えなくても 平気だなんて
強がり言うけど ためいき混じりね
と。
俺の手が、きゅっと握られた。
隣を見ると、マナちゃんが俺の手を握ってた。
まるで、誰にも渡さないと言わんばかりに、きつく。
いや、そうじゃない。
由綺には、渡さない。そう言ってるんだ。
俺の方を見ようともせず、ステージの上で舞い踊る由綺を見つめて、ただ俺の手を固く握りしめて。
……俺は、マナちゃんの想いに、ちゃんと答えてきたんだろうか?
いや。
迷っちゃダメなんだ。立ち止まっちゃダメなんだ。
前に進まないと。
いろんなものを振り捨てなくちゃならなくても、前に進まなくちゃダメなんだ。俺達は。
俺は、マナちゃんの手を握り返した。
その手から、俺の思いが伝わることを願って。
由綺が歌い終わって、舞台袖に引っ込むと、代わって反対側から理奈ちゃんが登場する。
「はぁい、みんな! メリー・クリスマス!!」
『メリー・クリスマス!!』
観客が一斉に叫び、理奈ちゃんに手を振る。
マナちゃんも一転、手を振り上げようとして、俺がまだ握ってるのに気付くと、そのまま強引に振り解く。
「わっ、たったっ」
危うくよろけかけて、椅子に手をついて身体を支える。
マナちゃんは素知らぬふりで理奈ちゃんに歓声を送っていた。
俺は苦笑して、ステージの上に視線を向けた。
さすが理奈ちゃん。こういう客あしらいっていうのかな、その辺りのテクニックは由綺の比じゃない。
「今日はあたしと由綺のコンサートに来てくれてありがと〜っ! それじゃ由綺がしっとり聞かせてくれたから、あたしはこっちから攻めちゃうねっ! Sound of Distiny!」
ポップなサウンドが流れ始める。そのサウンドに乗って華麗に舞う理奈ちゃん。
さすがだなぁ。
俺は素直に感嘆し、そのサウンドに酔いながら腕を振り上げていた。
コンサートは順調に進み、そしてフィナーレ。
2人でしっとりと歌い上げた曲、“Powder Snow”。
拍手の中、2人はステージの奧に消えてゆき、幕が降りた。
会場を出て、大勢の客に混じって、駅まで2人で並んで歩く。
「いいコンサートだったよね」
パンフレットを胸に抱えて、マナちゃんは満足そうに言った。
「ああ」
俺は頷いた。そして夜空を見上げた。
「由綺、綺麗だったよな」
「うん……」
「あ、そうだ。これから一緒にパーティーでもやらないか?」
「パーティー?」
「いや、それほど大したものじゃないけどさ。でもクリスマスなんだから、俺の家に飯食いに来ないか、っていうのはちょっと悲しいだろ?」
「……バカ」
ため息を付くマナちゃん。
「もうちょっとロマンチックな誘い方ってあるでしょ?」
「ごめん」
「……ふぅ。ま、いいわ。あたしも暇だし」
そう言ってから、俺を見上げる。
「いい? 暇だから付き合ってあげるんだからねっ!」
「はいはい。よし、それじゃ帰りにコンビニに寄っていこう」
「はぁ? もしかして何も用意してないの?」
「うん、そうだけど……」
ガヅゥゥゥン
「はうっ!」
思いっきり臑を蹴っ飛ばされて、その場にうずくまる俺だった。
ガチャガチャン
ドアの鍵を開けると、とりあえずマナちゃんを中に通して、暖房を全開にする。
「今から準備するから、その辺に座ってて」
「早くね」
そう言いながら、ちょこんとクッションの上に座るマナちゃん。
俺は、テーブルの上に、コンビニで買ってきた食べ物を並べ、シャンパンの瓶を置く。それから、最後に、赤と白のクリスマス仕様にパッケージングされたフライドチキンを出す。
「マナちゃん……覚えてる?」
「ええ」
マナちゃんはこくりと頷いた。
「あのとき、とっても寒かったんだから……」
「だから、今年はちゃんと暖かいうちに、食べような」
「……うん」
俺達は、シャンパンをコップ(シャンパングラスなんて洒落たものはなかったので)についで、乾杯した。
そして、フライドチキンを頬張った。
「……あったかいね」
「そうだね……」
クリスマスイブの夜に、ワンルームのアパートの一室で、向かい合ってシャンパンを飲みながらフライドチキンを頬張る、例えようもなく滑稽な、でも初めての、幸せな、恋人同士のクリスマスイブだった。
「メリー・クリスマス」
あとがき
WAもかなり久しぶりですね〜。
いや、すっかりキャラを忘れていて、公式ガイドを読み直したのはボクとキミだけの秘密だ(笑)
シーズン的にはちょうどいいくらいなんですけど。
個人的には好きな作品なんですけど、再プレイするかって聞かれると、うーん。第一まだオールクリアしてないし。
いかんせん、あのランダムシステムをなんとかしてくれないと困りますねぇ〜。
もう雪はふらない 99/12/20 Up