あの、とんでもない事件がようやく終わったかと思うと、あっという間に季節が過ぎていった。
そして、この街にも冬がやってきた……。
「遠野くんっ!」
「はい、どうしたんですか先輩?」
昼休みを告げるチャイムと共に教師が退場し、一気に騒がしくなった教室。
いつものように有彦と一緒に食堂に繰り出そうとしていた俺のところに、シエルがやって来た。
いや、やって来た、と言うよりは、突入してきた、という方が正しい、そんな勢いだ。
「ごめんなさいっ」
続いて、深々と頭を下げるシエル。
「今日はお昼、ご一緒出来なくなりました!」
「あ、はい……」
そりゃシエルにも都合があるんだし、そもそも今日は一緒に食べようなんて約束はしてない。
まぁ、ここのところ何となく食堂で3人で飯を食うことが多かったのは事実だけど。
「それでは、急ぎますので。この埋め合わせはいずれしますからっ」
もう一度ぺこりと頭を下げて、シエルはそのままだだっと教室を後にした。
半ばあっけにとられてその後ろ姿を見送っていると、有彦に脇を小突かれた。
「よう遠野。シエル先輩に何かあったのか?」
「俺が知るわけないだろ」
言い返すと、有彦は大げさに両手を広げる。
「これは異な事を。校内一のシエル先輩ウォッチャーであるところの遠野志貴くんが」
「うるさいな」
「あのな、遠野」
ぐい、と首に腕を回される。
「俺が何のために涙を飲んでシエル先輩を遠野に譲ってやったと思ってるわけよ?」
「お前が秋葉にターゲットロックオンしたからだろうが。言っておくが、兄として秋葉はやらんぞ」
「うう〜ん、いけず〜」
腕を解いてくねくねと身体を揺らす有彦。
俺はそれを無視して、さっきの先輩の様子を思い出していた。
妙に慌ててたよなぁ、シエル。
はっ、まさかどこぞに死徒でも出て、シエルに緊急出動命令でも出たとか?
うーん、あり得る。
ロアが消滅して、不死でこそなくなったものの、シエルの技量はまだ埋葬機関の中でもトップレベルのものらしく、時たまお呼びが掛かることがあるらしいからなぁ。こないだ一緒に飲んだときも、人遣いが荒いのなんのとぶつぶつこぼしてたし。
ちなみにシエルはちゃんとお酒が飲める歳である。……というとえらく怒るんだけど。
「遠野、どうした? ぼーっとして、先輩のことでも考えてるのか?」
有彦に声を掛けられて、俺は我に返った。
むぅ、有彦の方が先に復帰しているとは。不覚。
「とりあえず、飯にしようぜ」
「……そうだな」
俺は頷いて立ち上がった。
食堂で有彦と飯を食いながら、テレビで流しているニュースをそれとなく注意して見ていたが、謎の連続猟奇殺人とかは起こっていなかった。
とりあえず一安心して午後の授業をやり過ごし、放課後になってから茶道部室に行ってみた。
……鍵がかかったままだった。ということは、シエルは学校には戻ってない、ということになるわけで。
仕方ない。今日のところは帰るとするか。
学校を出たものの、真っ直ぐ屋敷に戻る気にもなれずに、俺は繁華街に足を向けた。
そして、そこで思わぬ人とばったり出くわす。
「あれ? アキラちゃん?」
「わ、志貴さんじゃないですか」
以前、ちょっとした事件で出逢った中学生の瀬尾アキラちゃん。実は秋葉の学校の後輩で、同じ生徒会のメンバーだとか。世の中は結構狭いものだ。
「どうしたんですか、志貴さん?」
「俺はちょっとぶらぶらと。アキラちゃんは?」
「はい、わたしもです。あ、このことは、遠野先輩には……」
ぽん、と可愛い手を合わせて俺を拝むようにするアキラちゃん。
確か、アキラちゃんや秋葉が通ってる浅上女学院は全寮制だから、アキラちゃんがここにいるってことは、寮を抜け出して来たってことなんだな。
納得して俺は頷く。
「ああ、了解。秋葉には黙っておくよ」
「はぁぁ〜、ありがとうございます〜」
大きく息をついてから、にっこりと笑うアキラちゃん。
俺は聞いてみた。
「でも、そんなに秋葉って学校じゃ怖いの?」
「わわっ、そ、そんなことありませんっ!」
アキラちゃんは、ぶんぶんと大きく両手を振る。
「遠野先輩には、わたし一杯お世話になってますからっ! ええと、確かにちょっと厳しいかなって思う事もありますけど、でもとってもいい先輩で、わたし尊敬してますからっ!」
いや、そこまで強調しなくても。
というか、大騒ぎしているアキラちゃん、周りの注目の的だったり。
「アキラちゃん、まぁ落ち着いて」
「あっ、は、はいぃっ、すすすみませんっ!」
周囲の注目を浴びてることに気付いて、アキラちゃんはしゅんと俯いてしまった。
なんか、喜怒哀楽がはっきりしてるところが、うちの妹とは違っていて新鮮だったりする。
「……くしゅん!」
「秋葉さま、風邪ですか?」
「そんなことないと思うんだけど。変ねぇ……」
とりあえず、初冬のこの時期、道ばたで話し込むのもなんなので、アキラちゃんを伴ってアーネンエルベに入ることにした。
「……おごってあげられたらもっとよかったんだけどね。あは、あはは」
うつろに笑う俺に、ぱたぱたと手を振るアキラちゃん。
「そんな、そこまでしてもらったらホントに悪いですよっ。志貴さんのおかげでここにも入れたんですからっ」
そう、秋葉にお小遣いをもらえない俺は、アキラちゃんにラズベリータルトをおごってあげる事すら出来ないのであった。というか、逆におごってもらっている辺りが悲しい。
くそお、秋葉め……。
「……くしゅん、くしゅん」
「……秋葉さま、お薬出しましょうか? こないだ作ったとっても効くお薬があるんですよ」
「琥珀、もしかして、何か狙ってる?」
「いえいえ、滅相もないですよ〜」
ラズベリータルトを頬張っていたアキラちゃんが、不意にびくりと動きを止めた。
「……アキラちゃん?」
「……」
声を掛けてみたが、黙ったままぼーっと宙をみつめている。ほっぺたが膨れたままなところを見ると、口の中に詰め込んだラズベリータルトはそのままになっているようだ。
俺は、はっと気付いて訊ねた。
「アキラちゃん、まさか、何か見えたのかい?」
「……」
アキラちゃんは、こくんと頷いた。
彼女には未来が視えるという特殊な能力がある。視えると言っても、ほとんど映像が一瞬見えるというレベルのものだそうだけど。
俺と彼女が知り合ったのも、それが縁だったりするわけなのだが、とりあえず昔話は置いておいて。
「あっ、あのっ……」
口の中にあったタルトをブレンドコーヒーで流し込んでから、アキラちゃんは俺に視線を向けた。
「志貴さん、あの、えっと……」
そこで、言いにくそうに口ごもった。
「わたし、見えちゃったんですけど……」
「うん?」
「……志貴さんの先輩の、えっと……名前なんていいましたっけ?」
「シエル先輩のこと?」
「あっ、はい。その人が、……その……」
アキラちゃんは、一度言葉を切り、深呼吸してから、思い切ったように言った。
「血まみれになってたんです」
「……っ!!」
ガタン
テーブルに載っていた皿やカップが一斉に踊った。
深夜の街は、深い闇に沈んでいた。
その中を走る俺。
「はぁ、はぁ、はぁ」
息を付くたびに、その息は白くあがり、そして消えていく。
「どこにいるんだ、シエル!」
ポケットの中にあるナイフの位置を確かめ、俺は再び走り出した。
アキラちゃんの話では、場所まではよく判らなかったという。ただ、辺りが暗かったところから見て、夜だったのでは、と。
それと、もう一つ。シエルは黒い服を着ていたと。
シエルの黒い服といえば、あの法衣に違いない。つまり、シエルは“仕事中”にそういう目に遭う、ということだ。
それは絶対に実現させてはならない。俺はその思いだけで、アキラちゃんと挨拶もそこそこに、街をかけずり回っているというわけだ。
だけど、俺は、アキラちゃんの未来視について、重要なことを、その時は忘れていた。
公園に出たところで、俺は気付いた。
ぴりぴりするような、肌を刺す緊張感。
間違いない。ここだ。
一つ息を付いて、もう一度駆け出そうとした俺に。
「……こんな夜中に何をしてるんですか、貴方は」
聞きたかった声が聞こえてきた。
「シエルっ!?」
振り返ると、教会の黒衣に身を包んだシエルが、そこに立っていた。
大きく息を付く俺。
「よかった。間に合った……」
「間に合った? どういうことですか、それは? ああ、それは後でゆっくり聞かせてもらいますから、今は早く帰ってください」
そう言うと、そのまま俺の脇をすり抜けて走っていこうとするシエル。
とっさに、その腕を掴む。
「待ってくれ、シエル」
「遠野くん。いまわたしはお仕事中なんです。お話しならその後にしてください」
シエルは、俺の腕を振り払った。
いや、振り払おうとして、動きを止めた。
同時に俺も気付いた。
緩慢な動きで、数人の男達が俺達の周りを取り囲もうとしている。
「遠野くんは、動かないで」
「シエル!」
声を上げた俺に、シエルはにっこりと笑った。
「これは、わたしのお仕事ですから。大丈夫、この程度の敵にやられるはずは、ありませんよ」
確かに、俺にも判る。こいつらは雑魚だ。
だけど……。
それ以上俺が考えるよりも早く、シエルは飛び出していた。そのまま、手にした黒鍵を放つ。
声すら上げることも出来ずに吹き飛ばされていく雑魚。倒れると同時に燃え上がり、灰となっていく。
文字通り、瞬きする間に全てを地に伏せさせてから、シエルは凛とした声を上げる。
「さぁ、いつまで隠れているつもりですか、シザーズ」
「……火葬式典か。埋葬機関の『弓』のお出ましとはな。俺も偉くなったもんだ」
声だけが聞こえた。
シエルは肩をすくめた。
「勝手にうぬぼれないでください。たまたま、わたしが一番近くにいたから、こうしてお相手してあげてるんです」
もっとも、ここに来てくれたのはある意味ラッキーでしたけれど、とちらっと俺を見て言うシエル。
……なにがどうラッキーだったんだろう。なんかシエルは顔赤らめてるし。
「とっ、とにかく、さっさと片づけてあげます!」
そう言うと、シエルは駆け出した。公園の中央に向かって。
反射的に、その後を追いかけようとした俺。
ヴン
「ダメだって言ってるじゃないですか」
振り向きざまに、シエルが黒鍵を投げつける。それは俺の足下にざくりと突き刺さった。
なんのつもりだ? 俺を止める気だったのなら、それこそ足を刺すくらいでないと……。
そう思いながら踏み出そうとして気付く。
足が動かない。
「シエル!?」
「これで、遠野くんは動けません。影が遠野くんをこの場につなぎ止めてますから。それから、その黒鍵を抜けるのもわたしだけです。ですから、大人しくしててください」
そう言うと、シエルは疾風のように走り去っていった。
編み上げブーツの足音が小さくなり、そして聞こえなくなる。
くそ、こんなところで……。
もう一度足を動かそうとするが、びくともしない。
だけど、こんなものに構ってる暇はないんだ。
俺は、かろうじて動く手で、眼鏡を外した。
死徒がまだ残ってるのに、こんなところで酷使したくはないが……。
ポケットからナイフを出して握りしめ、襲ってくる頭痛をこらえながら、足下に突き刺さる黒鍵を凝視する。
魔術を魔術たらしめている、その理そのものを、
破壊した。
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ
荒い息を付きながら、眼鏡を掛け直す。
まだ、いける。
頭痛は酷いけど、耐えられないほどじゃない。
なにより、シエルを失うかもしれないという焦燥に比べれば、この程度はどうってことはない。
俺はナイフを片手に握ったまま、シエルを追って公園の中へと駆け出した。
そして、俺が見たものは。
噴水のそばで、俯せに倒れているシエルと、
勝ち誇ったようにその背中を踏みにじっている死徒の姿だった。
「シエルっ!」
俺は、飛び出していた。
死徒が、俺のその姿を見てにやりと笑う。
「くっくっくっ、獲物が増えたな」
「……遠野……くん」
地に伏していたシエル先輩が、弱々しい声で呻いた。そして、立ち上がろうと腕を立てる。
「うるさいんだよ、死に損ないが」
死徒はその背をどんっと踏みつけた。それだけで、もう起きあがれなくなる先輩。
「……それくらいに、しておけ」
もう一度、眼鏡を外す。
ドクン、ドクン
途端に、心臓が妙なリズムを刻みだし、こめかみに錐が差し込まれるような痛みが走る。
「どっちにしても……」
ナイフを片手に、一歩踏み出す。
「お前は、消えるんだから」
「ぬっ!?」
何かを感じたのか、身構える死徒。
だが、遅い。
俺は、その死徒の伸ばしてくる右腕の線を、ナイフでなぞる。
ごとり、と音を立てて、腕が落ちる。
驚愕する死徒。そこに、絶対的な隙ができる。
戦いの最中に、いちいち驚いていたら、いくつ生命があっても、足りない。
ああ、こいつらには、生命なんてなかったっけ。
胸にある点を速やかに突きながら、そんなことを思っていた。
とんっ
それで、終わり。
「シエ……」
ズガッ
鈍い音がした。
……なんて、うかつな。
俺は、背後から伸びてきた、長い爪に、ざっくりと、肩をえぐられていた。
とっさに身をよじろうとあがいたのが幸いして、心臓を貫かれこそしなかったけれど、十分に深手を負ってしまった。
力が抜けた手から、ナイフが、地面に、落ちる。
もう、一匹、いたの……か。
いや、むしろ……。
こちらが、……本命……か。
肩を押さえながら、振り返る俺。
それを上回る速度で、今度こそ俺の心臓を貫くべく、突き出される爪。
間に、合わない。
ごめん……。
その最後の瞬間、脳裏に浮かんだ笑顔に謝った。
ドンッ
そして、一つだけ、炸烈音が響いた。
「……へっ」
その、間抜けな声は誰が出したのか。
俺の目の前にあった“死”は、現れたのと同様の唐突さでかき消えていた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
荒い息遣い。
そちらに視線を向けると、片膝を付いたままで黒鍵を構えているシエル。
「遠野くん……、大丈夫、ですか?」
「ああ、ありがとう、シエル」
礼を言いながら、左手でナイフを拾い上げ、そして先輩とは反対側に視線を移す。
そこに、シエルの放った黒鍵で吹き飛ばされた死徒の姿があった。
まだ突き刺さったままの黒鍵から炎を上げながらも、起きあがり、そして人外じみた勢いで跳ねる。
だが。
ドンドンドンッ
再び放たれた黒鍵が、今度は連続して、宙にいるそいつを貫く。
「これ以上、遠野くんには手を出させません」
シエルは、すっと立ち上がった。それに対応するように、どさっと地面に落ちる死徒。
「きっききききさま」
流石に、20本以上の、それも炎を上げる黒鍵に貫かれては、もう動くことも出来ないらしい。
その死徒に向けて、シエルはどこから取り出したのか、それを構えた。
第七聖典と呼ばれる、門外不出の外典のひとつ。
「これで、終わりです」
ドン
銃剣が打ち出され、死徒を貫いた。
それで、おしまい。
死徒を貫いた銃剣が、バラバラとほぐれるように本のページに変わり、落ちていく。
それと共に、死徒が灰となって、崩れていった……。
風が、灰を巻き上げ、吹き散らしていく。
シエルは、それをじっと見つめていた。
俺に背を向けているので、どんな表情を浮かべているのかは判らない。
「……シエル」
その背に声をかける。
びくっとして、シエルは振り返った。そして、血まみれになって倒れている俺を視界に入れると、慌てた様子で第七聖典を放り投げて、俺に駆け寄ってきた。
「あう〜っ、痛いです〜っ」
「遠野くん!」
シエルは俺を抱き起こした。
「しっかりしてくださいっ、遠野くんっ!」
「だ、大丈夫、だって……」
「黙って!」
そう言いながら、俺の傷を調べるシエル。
黒衣が、まだ流れ出している俺の血で、赤く染まっていく。
……なんだ、そういうことか。
シエルが血まみれになったのは、俺のせい、だったんだ……。
俺は苦笑いした。と、激痛が頭を襲った。
そういえば、眼鏡を外したままだったんだよな……。
視界がゆっくりと暗くなっていく。
「セブン、志貴くんの眼鏡を探して! 大至急っ!」
「あう〜っ、マスター、人遣い荒いです〜」
シエルではない声も聞こえたけれど、それが誰なのか、詮索することはついに出来なかった……。
「なるほど、そういう訳だったんですね」
数日後、俺とシエル、そしてアキラちゃんの3人は、アーネンエルベでお茶をしていた。
「でも、わたしの未来視のせいで志貴さんが怪我しちゃったなんて……。ごめんなさい」
しゅんとするアキラちゃん。
「いや、いいんだよ」
「そうですよ。それに、元々悪いのは遠野くんですから」
あっさりと言うシエル。
「俺? いや、確かにシエルが血まみれになったのは俺のせいだけど……」
俺が言うと、シエルは呆れたように肩をすくめた。
「遠野くん、忘れているようですから説明しますけれど、アキラさんの未来視は、あくまでも彼女の見えている範囲の人にだけ有効なんです」
「うん、それはそうだけど……」
と、アキラちゃんがあっと小さく声を上げた。
「シエルさん、もしかして……、それじゃ……」
「はい、アキラさんはもう判ったみたいですね」
にっこり笑うシエル。
俺は両手を上げた。
「降参。判るように説明してくれませんか、シエル先生」
シエルはなぜか、ばっと左右を見回した。
「ど、どうしたんだ?」
「あ、いえ。何故かアーパー人外猫がその辺りにいるような気がしたもので。こほん、それじゃ判りやすく説明しちゃいます」
「アキラさんの未来視は、対象となる人の過去全てを計算した結果としてのビジョンです。ですから、アキラさんに見える未来は、基本的にはアキラさんの目に見える範囲の人の未来ということになります」
「ああ、それは知ってるけど……」
俺が頷くと、シエルはもう一度肩をすくめた。
「つまりですね。アキラさんが見た血まみれのわたしの未来視っていうのは、他でもない遠野くんの未来だったっていうことですよ」
「……俺の、未来?」
きょとんとする俺に、シエルのみならず、アキラちゃんまで深々と頷く。
「そうなんです。わたしもシエルさんに言われて気付いたんですけど……。シエルさんはあの場にはいなかったんですから、そのシエルさんの未来を私が見ることなんて出来ないんです」
シエルが言葉を継ぐ。
「ですから、あの場合遠野くんの取る正しい方法はですね、出来るだけわたしに逢わないようにする、というのが正解なんです。わたしに逢わなければ、わたしが血まみれになる姿を遠野くんが見ることも無かったわけですから」
……つまり、アキラちゃんが見た血まみれのシエルっていうのは、そういうシエルの姿を俺が見るっていう未来視だったのか。
「……はは」
俺は脱力して、椅子の背もたれに身体を預けた。
「それじゃ、俺ってまるっきり莫迦じゃないか」
「はい、そうです。ほんとに、莫迦です」
シエルはきっぱりと言った。
「……ですけど」
そこで一転して、嬉しそうな顔になるシエル。
「遠野くんは、わたしのためにそんなに必死になってくれたんですから、全て赦しちゃいます」
その笑顔こそ、俺が必死になって守ろうとしたものに他ならなかった。
「……シエル」
「遠野くん……」
見つめ合う俺達が、脇で小さくなっていたアキラちゃんのことを思い出したのは、たっぷり5分ほどたった後だった。
「それじゃ、またですっ」
「うん、またね」
「さようなら」
ぴょこっと頭を下げると、アキラちゃんは駅のほうに駆けていった。
それを見送ってから、俺はシエルに尋ねた。
「さて、これからどうする?」
「そうですね……。あ」
不意に声を上げると、シエルは手のひらを空に差し出した。
その上にひらりと落ちる白い結晶。
「……遠野くん、雪ですよ」
「ホントだ。道理で冷えると思った」
俺はコートの襟をかき合わせて、シエルに声をかけた。
「それじゃ、行こうか」
「はいっ」
笑顔で頷いて、シエルは俺の腕に自分の腕を絡ませた。
「……シエル?」
「ほら、こうすれば寒く無いですよ」
そう言って、シエルは笑顔を俺に向けた。
「ああ、そうだね」
雪は、本降りになりそうだった。
あとがき
というわけで、私の一押しであるところのシエル先輩でした。
なお、この作品はかづいつつさんに勝手に捧げます(返品可)
この「タルトと〜」が月姫SSの#2になってるわけですが、当然ながら#1もあります。
そちらは、知り合いの同人誌用に書き下ろした作品で、今回は出てこなかったアルク&遠野家の話です。というかこっちがその補完なんですが(笑)
まぁ、見かけたら喜んでください(笑)<「こたつと鍋と酒と雪」
しかし、私がシエル先輩一押しと言うと、みんな意外そうな顔をするんだもんなぁ(笑)
【注】上記のあとがきは、このSSを書いた直後のものです。後にこのSSは、オフセット版の同人誌「Croissant」に掲載されました。
タルトと法衣と黒鍵と雪 01/9/28 Up 01/12/24 Update