氷村の一件が片付き、俺とさくらがらぶらぶに戻ってからしばらくして、俺達は進級した。
俺は3年、さくらは2年。
そして、新しい1年生が入学してくる。
季節は、春。さくらの季節。
「先輩」
帰ろうと靴箱で靴を脱いでいると、後ろから柔らかな声が聞こえた。
振り返ると、さくらが両手で鞄を提げて立っていた。
「や。今帰り?」
「はい。その……、先輩、もしよろしければ、一緒に……」
ちょっと上目遣いに俺を見る。
はやーん、やっぱ可愛い。
「さくらのお誘いとあらば、断るわけないじゃん」
俺は笑って頷いた。ちょっとほっとしたように微笑むさくら。
「はい」
と、靴箱の向こう側から声がする。
「それじゃ、あたし達は独り者同士寂しくかえろー、小鳥」
「うん、そうだね、唯子」
あやや。こいつらのこと忘れてた。
「あ……」
さくらも困った顔をする。
靴箱の向こうから声だけが聞こえてくる。
「しんいちろー、最近付き合い悪くて唯子は悲しいよ〜」
「ダメだよ唯子、邪魔しちゃ……」
「嘘々。お幸せに〜」
バタバタッ
「あっ、唯子待って! そ、それじゃ真くん、さくらちゃん、またねっ!」
ぴょこんと下駄箱の陰から顔だけ出して俺達にぺこっと頭を下げると、小鳥は先に走っていった唯子を追いかけていく。
それにしても唯子め。後でシメよう。
「ま、気にすることないって」
「でも……」
まだ気にしている様子のさくらの頭にぽんと手を乗せて、ふわふわの髪を指で梳く。
「あっ……」
ふふふ〜。さくらの弱いところはお見通しなのさ〜。
「せっ、先輩……」
そのまま、髪の中に隠してある耳をチョイチョイとくすぐると、さくらは真っ赤になって俺の腕をぎゅっと掴む。いてて。
「それ以上したら、ダメです」
「はい」
普段はこんななのに、あの時期になるとああなるんだよなぁ。ホントに不思議だ。
「それじゃ、帰ろうか」
俺の言葉に、さくらはこくりと頷いた。
「……明日、ですか?」
「そ。明日、デートしない?」
俺の言葉に、さくらは微笑んでこくりと頷いた。
「明日の予定は、ずっと前から一杯ですから」
「あ、そうなの?」
「はい」
ううっ、そんな笑顔で言うことないじゃないか。
俺が心の中で涙していると、さくらは笑顔で言葉を続けた。
「先輩と一緒にいるって予定で、ずっと前から一杯です」
「……さくらぁ」
思わず反射的に、頭をこつんと叩いてしまう。
「いたっ」
「あ、ごめん」
唯子や小鳥ならともかく、さくらに手を挙げるのはまずかったと思って、俺は頭を下げた。
「いえ、こっちこそ」
道の真ん中でお互いに頭を下げあって、それから思わず顔を見合わせて噴き出してしまう。
「……ぷっ、あはははっ」
「くすくすっ」
笑いが納まってから、俺は改めて訊ねる。
「それじゃ明日は?」
「大丈夫です」
「朝5時集合でも?」
さくらが朝に弱いのは周知の事実である。
「えっと……」
思わず口ごもるさくら。
ちょっといじめすぎたかな? と思って、訂正しようとする俺よりも早く、さくらは顔を上げた。
「私、努力して早起きしますから」
ううっ、建気でいい娘だなぁ。
俺は感動してさくらをきゅっと抱きしめた。
「あっ、やだ先輩、こんなところで……」
そう呟きながらも、さくらは俺の身体にそっと自分の身体を預けてくる。
やっぱり可愛い。
「……さくら、家に来る?」
「えっ? うーん」
少し迷ってから、さくらは首を振った。
「今日は、やめときます。だって……」
そう言ってから、にこっと笑う。
「明日デートだから。今日は先輩のこと考えてドキドキしてたいから……」
「そういうものなの?」
「はい」
笑顔でそう言われてしまうと、俺としては。
「あ、でも先輩がどうしてもって言うなら、私は……」
「いやいや、俺も別に我慢できないってわけじゃないし……」
だいぶ無理して、俺はさくらを抱いていた腕を解いた。
「それに、さくらのことは大事にしたいから。ほら、ああいうのって、お互いの気持ちがなくちゃね」
「えっ? あ……」
さくらは、ぽっと頬を染めて俯いた。
ちょっと意地悪に聞いてみる。
「おや、さくらはどういう想像したのかな?」
「もう……、先輩の意地悪」
きゅーっ
「あいててて、ごめんごめん」
手をつねられて、俺は謝った。
さくらは顔を上げた。
「明日は、思いっきり甘えちゃいますからね。覚悟してください」
「おう、どんと来なさい」
胸を叩いて答えると、さくらはにこっと微笑んだ。
ゆっくり歩いても、あっという間に駅前まで来てしまう。
どうして楽しい時間っていうのは、こうも早く過ぎてしまうのだろうか? ……なんちゃって。
「先輩、それじゃ私はここで」
さくらはそう言って、素早く左右を見回してから、俺のほっぺたにちゅっとキスをした。それから、恥ずかしそうに視線を伏せて、そのまま改札の向こうに駆け込んでいってしまった。
うーん、相変わらず恥ずかしがり屋っていうか奥ゆかしいっていうか……。
俺がほっぺたに手を当てて感慨に浸っていると、いきなりそれをぶち壊しにする声が飛び込んできた。
「よう、相川。相変わらずラブラブじゃないか」
「御剣いづみ、お前かっ!」
「やぁ相川、奇遇だな」
まるで罪のないような笑顔を満面に浮かべた忍者がそこにいた。
俺は仏頂面で呟く。
「うるせぇ。ずっとつけてたくせに」
「あれ? 気付かれたか? おかしいなぁ、相川に気付かれるはず無いんだが……」
首を傾げると、いづみはぽんと手を叩いた。
「ああ、綺堂さんの方か」
「いや。カマをかけてみただけなんだけどな」
俺が肩をすくめると、いづみはむっとする。
「卑怯だぞ相川」
「どっちがだ!」
「……っといけね。バイトの時間に遅れる。それじゃなっ!」
いづみはダダッと走っていった。俺はその後ろ姿に向かって拳を振り上げる。
「とっととバイトでも何でも行けっ! ……ったく」
拳を下ろしてから、周りの人の注目を浴びていたのに気付いて、俺はそそくさとその場を離れるのだった。
日曜日。
久しぶりに黒系のカジュアルでびしっと決めて、俺は駅前にやってきた。
腕時計を見ると、約束の時間まではあと5分ある。
だけど……。
「あっ、先輩……」
もう、さくらはそこにいた。
俺は駆け寄ると訊ねた。
「ごめん、待った?」
「いえ」
首を振ると、さくらはくすっと笑った。
「待つのって、嫌いじゃないし」
「そうなの?」
「はい」
こくりと頷くさくら。今日の出で立ちは、紫のスカーフに、薄く紫がかったワンピース……って、あれ?
「さくら、もしかしてこの服……」
「あ、気がつきました?」
さくらは、スカートの裾を持って、ぺこりと頭を下げて見せる。
俺は笑顔で頷いた。
「忘れないって。初めてデートしたときの服だろ?」
「よかった。憶えててくれてなかったら、どうしようかと思いました」
本当にほっとしたような顔のさくら。
その前に腕を差し出した。
「それじゃ、行こうか?」
「はいっ」
俺の腕に掴まって、さくらは微笑んだ。
映画を見て、喫茶店でお茶をしながら、さっき見た映画の話をして、それからウィンドウショッピングしてから食事をして……。
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
食事が終わって外に出ると、もう辺りは暗くなり始めていた。
「……美味しかったね」
「そうですね」
意味もなく笑い合ってから、俺達はふと、視線を合わせた。
「……えっと……。家、来る?」
「はい」
さくらはこくりと頷いた。
「でも、さくらのご両親は何か言ってないの?」
紅茶をいれながら、さくらに訊ねた。
「何がですか?」
「いや、年頃の娘が外泊したりするのにさ」
「うちは放任主義ですから」
そう言って、さくらはヘアバンドを外した。ぴょこんと耳が跳ね起きる。
「それに、普通じゃないですから、私……」
「ま、それもそうか」
「あ、それってひどいです」
「それにしても、いつも不思議なんだけど、どうやって耳をしまってるの?」
ヘアバンドで押さえてるのかとも思ったけど、こないだはヘアバンド外してたし……。
「秘密です」
ぴっと唇に指を当てるさくら。
「えーっ? 教えてよ〜」
「だめですよ〜」
「このぉ〜。えいっ」
不意をついて、ベッドに押し倒す。
「やん。もう、先輩ったら……」
そう言いながらも、さくらは抵抗しなかった。
コトが終わってから、俺がシャワーを浴びて戻ってくると、さくらはシーツにくるまってすーすーと寝息をたてていた。
時計を見ると、そろそろ終電の時間だ。
「さくら〜、起きろ〜」
「ん……」
何かもごもご呟いて、そのままシーツを巻き込むようにころんと寝返りを打つさくら。
か、可愛いっ。
とと、いかんいかん。
このまま泊まってもらっても俺は構わないけど、明日は学校があるのだ。
「起きないとやばいって、さくらさくらっ」
耳をこちょこちょとくすぐると、さくらは薄目を開けた。
「ん〜、やぁん……」
寝惚けてるな、こりゃ。
こういうときに下手に手を出すと、噛みつかれて血を吸われたりしてしまうので、普通は放っておくのだが、今日はそうもいかず、俺は決死の覚悟でさくらを揺り起こした
「こらぁ、起きろ〜」
ぺしぺしとほっぺたを軽く叩くと、ようやく頭を振りながら起き上がる。
「せん……ぱい?」
うぉ、胸が見えてる!
理性を総動員させてなんとか押さえ込むと、さくらにとりあえず下着を渡す。
「ほら、着て!」
「ん〜、着せて〜」
とろんとした目つきで甘えた声を出すさくら。まだ寝惚けてるらしい。
普段はどっちかって言うとクールな感じだけに、余計にこういうときのさくらが可愛かったりするんだが、今はそれどころじゃない。
「しょうがないな。ほら、立って」
「ん〜〜」
悪戦苦闘して服を着せて、まだ眠そうなさくらの手を引っ張って駅まで走る。
「やぁん……、そんなにひっぱんないでぇ〜」
まだ寝惚けているらしいさくら。可愛いんだけど、今はちょっと困る。
「よーし。よいしょっと!」
抱き上げて、歩き出す。さくらが小鳥なみに軽いので出来る技だ。
おっ?
さくらが、俺の肩に腕を回して、ぎゅーっとしがみつく。
「……先輩、大好き!」
「こら、目が覚めてるんなら、歩きなさい」
「昨日言いましたよね?」
「え?」
「明日は、思いっきり甘えちゃうって」
そう言って、さくらは俺の胸に顔を埋めた。
「だから……、駅までは……このまま」
はやや〜ん
俺は幸せに浸りながら、駅に向かって歩いていった。
バイト帰りの御剣にこの様子を見られて、翌日散々からかわれることになるのだが、それは別の話である。
あとがき
とらハ1のSSです。さくらって言ってもはにゃーんでも大戦でもないです(爆笑)
友人に見せると、出だしが変だと言われたので、本店に移すときは改稿する予定。
春が来た 00/4/24 Up