小さな喧嘩は日常茶飯事だが、おおむね平和に過ぎていくさざなみ寮の日々。
Merry Christmass
だが、やはり大きなイベントともなると、それなりに一致団結して盛り上がるのもまた、ここの特徴だったりする。
というわけで……。
「もうすぐクリスマスだね、お兄ちゃん」
夕食の席で、知佳が何気なく言った一言から、今年のクリスマスに向けて、さざなみ寮は一丸となって動き始めるのだった。
「クリスマス?」
今年の春からさざなみ寮の一員となったリスティが、箸を使って里芋の煮付けを頬張りながら、小首を傾げた。
「リスティは知らない?」
「キリストの生誕を祝う宗教的儀式と聞いているけど。でもここの皆はキリスト教徒ではないのだろう?」
知佳の質問に答えるリスティ。
ゆうひが苦笑して答えた。
「あ〜、ちゃうちゃう。日本人にとっちゃただの西洋風お祭りの日や」
「お祭り、なのか? 神社で夜店がでてぴーひゃららのあれか?」
「違うのだ。サンタクロースがそりにのってプレゼントをくれるのだ」
美緒が白身魚をつつきながら自信満々に言うと、リスティはますます混乱したようだった。
「さんたくろーす?」
「……ぷっ、くくくく」
ビールをあおりながらそのやりとりを聞いていた真雪さんがぷっと吹き出した。
「お姉ちゃん、笑っちゃ悪いよ」
「悪りぃ悪りぃ。でも、こりゃネタに使えるな」
言うまでもなく真雪さんは職業漫画家である。やっと今年の春、大学を卒業出来たわけだが、半分教授陣のお情けとも言われているし、別の噂じゃ大学を追い出されたとも……。
「……うるせぇよ」
俺は苦笑しながら、毒づく真雪さんの前につまみ代りのキムチ炒めを置いた。それから、時計を見上げた。
「今日は遅いな、薫は」
と、タイミングよく玄関の方で声がした。
「ただいま戻りました」
食堂から廊下に顔を出すと、薫が靴を脱いでいた。顔を上げて俺に気付くと、もう一度頭を下げる。
「すみません。部活が長引いて」
「ちょうどみんな食事してるところだから、着替えたら降りておいで」
「はい」
頷いて、階段を上がっていく薫を見送ってから、俺は食堂の中に戻った。
「あっ、耕介さん。お代わりいいですか?」
「あいよ」
みなみちゃんの差し出すどんぶりを受け取って、キッチンに入る。
背後の食堂から、真雪さんとゆうひの会話が聞こえていた。
「今年もあれ、やんのか?」
「ん〜。やっぱ、去年と同じんやってもしゃぁないしな〜」
「おう、それじゃ今年は新しい趣向か?」
「ま、ちょっと考えあるけどな〜。まだ内緒や」
「なぁ、ちょっと教えろよ」
「やぁ〜ん、堪忍やぁ〜」
どんぶりにご飯を盛りつけて、食堂に戻るとみなみちゃんに渡す。
「ほい」
「ありがとうございます〜。もぐもぎゅもぎゅ……。はぁ〜、幸せです〜」
これだけ美味しそうに食べてくれると、料理人としても嬉しい限りである。
「それじゃ、明日にでもツリーの準備しないとな。愛さん、去年のあれ、1階の物置に入れたんでしたっけ?」
「はいー、確かそうですよ」
にこにこしながら、リスティにクリスマスのことを教える知佳ちゃんを見ていた愛さんは、俺の質問に笑顔で答えた。
「了解。それじゃ明日にでも出しておくよ」
「あっ、飾り付けは私達にやらせてね」
振り返って言う知佳。
「ああ。そのあたりのコーディネートは任せた」
「仁村知佳、了解しました」
おどけて敬礼する知佳。
「よし、それじゃあたしも……」
「お姉ちゃんはヤングジョイの読み切り、仕上げてからだよ」
「……とほほ〜。くそぉ、耕介、酒もってこいっ!」
「にゃはははは」
「遅くなりました」
着替えて来た薫が食堂のドアを開けて、ため息を一つつく。
「いつも通りですね」
「まぁね」
俺も苦笑する。
そう。おおむね、いつも通りだった。
既に深夜。既にさざなみ寮は、これからエンジンがかかる真雪さん以外は全員寝静まるような時間。
明日の仕込みを終わらせて、キッチンの電気を切る。
「ふわぁ……。さて、寝るか……」
「あっ、耕介さん」
あくび混じりに独り言を呟いていると、不意に後ろから声がした。
振り返ると、パジャマの上にカーディガンを羽織った愛さんだった。
「あれ? まだ寝てなかったの?」
「耕介さんこそ……」
「俺は明日の仕込みしてたから。もう終わったけど。愛さんは?」
「私は、ちょっと喉が乾いたなって思って……」
「了解。なんか作ります」
「あっ、耕介さんがしなくても……」
「いいからいいから」
俺はリビングの電気を付けると、愛さんをソファに座らせた。それからキッチンにとって返す。
「ちょっと待ってて。すぐに作るから」
お湯に蜂蜜を溶いて、それに数滴レモンを搾る。
「はい、ホットレモン」
「ありがとーございます」
愛さんはにこっと笑って、コップに口を付ける。
「……美味しい」
俺も同じホットレモンを入れたコップを持って、愛さんの隣に座る。
「2度目のクリスマス、ですね」
「え?」
愛さんが俺に視線を向ける。
「耕介さんがここに来てから」
「……そうだね。愛さん」
「はい?」
「プレゼント、何が欲しい?」
愛さんは一瞬きょとんとして、それから微笑んで首を振る。
「なんにもいらないですよ〜」
「いいから、何でも言ってよ」
「いいですよ〜」
「だ〜め」
「いいですってば〜」
「だめだめ」
「あーん、意地悪ですよ〜」
「……あんたら、いちゃいちゃいちゃいちゃうっとおしいから、自分の部屋でやってくんねーかね」
後ろから声がして、俺達はぎくりと動きを止めて、おそるおそる振り返った。
リビングの入り口では、真雪さんが、片手にグラスを持って、にやにやしながらこっちを見ていた。
「あっ、えっと、これはそのぉ……」
見事にうろたえる愛さん。
俺は苦笑して立ち上がった。
「今日は水割りですか?」
「ん〜。ツーフィンガーで頼むわ」
そう言って俺にグラスを渡すと、耳元で囁く真雪さん。
「ま、ラブシーン描くときの参考になるけどさ」
「勘弁してくださいよ〜」
「わははーっ。覚悟しとけ。この寮内にいる限り、お前らにプライベートなんぞないからな〜」
笑う真雪さんと、困ったように苦笑する愛さん。
俺も苦笑して、キッチンにとって返す。
水割りを作っていると、リビングから真雪さんと愛さんの声が聞こえてくる。
「愛もスペシャルなプレゼント用意しとけよ。あ、なんだったらリボンを自分に巻き付けてだな」
「真雪さん〜、そんなぁ〜。……でも、それって効果ありますか?」
「おう。現役少女漫画家が言うんだから間違いないって」
「……あう〜、でも恥ずかしいですよ〜」
「わははは」
そんな会話を聞き流しながら、俺は愛さんへのクリスマスプレゼントを何にするか、考え込んでいた。
クリスマス前の日曜日。
今年は、事前に「サンタさんへのお願い」を回収してあったので、プレゼントをこの日にまとめて買い込むことにしていた。
……のだが。
「混んでますね〜」
「そうだねぇ」
「あっ、耕介さん。駐車場に入るまで30分だそうですよ」
ミニちゃんのハンドルを握る愛さんが、警備員の持っているプラカードを見て言った。
こうなった経緯は次の通りである。
まず、俺のバイクじゃ、買ったものを乗せて帰れない。
デパートから宅配で送ってもらう、という手もあるが、万一届かなかったときには俺が何を言われるかわからないので避けたい。
というわけで、車を出すことにした。
我がさざなみ寮には、愛さんのミニと、真雪さんのセダンがある。荷物の積載量はどう考えてもセダンが大きいのだが、あいにくセダンは真雪さんが知佳とリスティを病院に連れて行くので使えなかった。
そこで、消去法に従って愛さんのミニを借りることになったのだが、ちょうど今日は愛さんも暇していて、それじゃ2人で行きましょう、ということになったのだ。
ちなみに、もう1人の暇人は……。
「いーんやいーんや。うちは寂しくごろごろしとるさかい。なー、じろー。世間は薄情なんやで〜」
――拗ねていた(笑)
ま、ゆうひを連れて行くと、帰りにプレゼントが乗らない可能性が高いからな。
俺がバイクに乗って、ミニに愛さんとゆうひ、という手もあるが、……バイクは寒いのだ。根性無しと笑ってくれ。
「もしなんだったら、耕介さん先に買い物してても……」
愛さんの提案を、俺は丁重にお断りした。そんなことしたら、愛さんと合流するまで一苦労するのが目に見えてる。
「でも、まだまだかかりそうですよ」
俺達の前も後ろも車がつながっていた。
「歳末だし、クリスマス前だしねぇ……」
「でも、いいですね〜。なんとなく、街全体がうきうきしてる感じです〜」
外から聞こえてくるクリスマスソングに合わせて、ハンドルを指でとんとんと叩きながら、愛さんは笑った。
「クリスマスが終わったら、すぐに年越しだなぁ」
「そうですね」
不意に、愛さんはしんみりした顔になった。
「薫さん、来年は風芽丘、卒業しちゃいますから……。そうしたら、さざなみ寮も出ていってしまうんでしょうね……」
薫は神咲一灯流の後継者だ。いつまでも一緒に暮らせるわけがない。
それは判っていても、現実にそんな日が来るとは、まだ想像できなかった。
俺が来てから、さざなみ寮を去っていった人がいなかったから、余計にそう思うのかも知れないけれど、俺にとってのさざなみ寮は、あのメンバーそのものだったから。
プップー
後ろの車がクラクションを鳴らして、俺達は我に返った。
前の車が少し進んでいた。
「わっ、すみませーん」
慌ててミニを進ませる愛さん。
俺は愛さんの腕をぽんと叩いた。
「ま、その時はその時だよ」
薫も悩んでいるのを、俺は知ってるから。
ここに止まるか、それとも故郷に帰るか、あるいは別のところに行くのか。
こないだも、ベランダで風に吹かれながら、考え込んでいたっけ。
でも……。
ゆうひも、みなみちゃんも、いつかはさざなみ寮を出ていく。
それは仕方ないことだ。時は止まらないんだし。
「お別れは……嫌いです」
ハンドルを握ったまま、愛さんは呟いた。
「ずっと一緒にいられたらいいのに……」
また、後ろの車にクラクションを鳴らされるまで、俺は何も答えることが出来なかった。
そして……。
「おお、くりすますちきんなのだ」
「まだまだぁ! 見よ! 槙原耕介、料理人歴6年の総力を結集した、このディナーの数々をっ!!」
俺は、食堂のテーブルに並んだ料理を示す。
「はうー。しあわせです〜」
瞳をキラキラさせながら、うっとりとするみなみちゃん。
と、ひょいっと真雪さんがキッチンをのぞき込んできた。
「ワインは用意してあるのかい?」
「そりゃもう。赤白取りそろえて……」
「ロゼは?」
う……、しまった。
と、真雪さんはにやりと笑った。
「んなこったろうと思った。ほれ、これ使え」
真雪さんは、トンとロゼワインの瓶をテーブルに置いた。
「ありゃ。いいんですか?」
「ああ、うちの編集が置いていったやつだからさ」
にっと笑う真雪さん。どうやら年末進行も乗り切って、ほっと一息というところらしい。
「あ、お兄ちゃん! チーズケーキはもう切っちゃった?」
ぱたぱたと駆け込んできた知佳が、開口一番に訊ねる。
「いや。知佳の力作だから、やっぱりデコレーションまでちゃんとやってもらおうと思ってね」
「よかった。それじゃすぐにやっちゃうね」
知佳はそう言いながら、エプロンを締める。
愛さんがひょこっと顔をだす。
「あの〜、私も何か手伝うこと、ない?」
「ない」
全員が口を揃えて言うと、愛さんはがくっと肩を落とした。
「……いいもん。どうせ私はかなづちぺんぎんでおかまんぼーですよ〜だ。いじいじ」
真雪さんが俺の脇腹を肘でつつくと、小声で言った。
「おい、耕介。なんとかしろ」
「いや、そう言われても……」
「そうだよ、お兄ちゃん」
知佳も小声で言う。
俺は肩をすくめて、愛さんに声をかけた。
「あの、愛さん。よければちょっと手伝って欲しいことがあるんだけど」
「はいっ、私でよければなんでもっ!」
「えーと、それじゃとりあえずそこの皿をリビングに持っていってもらえます?」
「はーい」
うきうきと、重ねた取り皿を抱えて食堂を出ていく愛さん。
俺は肩を軽く回しながら、知佳に訊ねた。
「リビングの準備は出来てた?」
「うん。今薫さんと、美緒ちゃんと、それから望ちゃんとリスティが最後の飾り付けしてた……」
「きゃぁ!」
ガシャーーン
愛さんの悲鳴と、何かの割れる音に、俺は肩をすくめた。
「やれやれ。知佳、ここは頼む」
「お兄ちゃん、頑張ってね」
「お兄ちゃん、頑張ってね」
知佳と真雪さんの激励(真雪さんのはからかってるだけとも言うが)を受けて、俺はリビングに走っていった。
とりあえず、なんとか準備も完了し、いよいよパーティーを始めようということになった。
愛さんが、リビングを見回す。
「それじゃみんな揃ったところで……。あら?」
「陣内と……椎名さんがいませんね」
薫が言う。
「今年は何をしてくれるのかな? わくわく」
みなみちゃんが辺りを見回していると、やっぱり鈴の音が聞こえてくる。
シャンシャンシャンシャン
そして歌声も……。
「♪今日は素敵なクリスマース……わぁ、揺らしたらあかんっ!」
へ?
シャッ
知佳がカーテンを開けた。そして、口に手を当てる。
「わぁっ!!」
サンタの格好をしたゆうひと美緒が、猫に引かせたそりに乗っている……のは去年と同じだが、今年はそれが、……空を飛んでいる?
「やぁっ、さざなみ寮のみんな! 元気に……わーっ、リスティ、ストップや、ストップっ!!」
真っ直ぐに突っ込んできたそりが、ガラス窓の寸前でピタリと停まる。が、停まったのはそりだけ。
「うひゃぁっ!」
ベタン
慣性の法則に従って、そのままそりから落っこちるゆうひ。その隣りに、すとんと四本足で降り立つ美緒。さすが猫。
振り返ると、リスティが笑っていた。
なるほど。今年はそう来たか。
と、ゆうひが顔を上げた。
「あいたたた。リスティ、あんまりや〜。べっぴんさんが台無しやんか〜」
「……ぷっ」
薫が吹き出した。そして、あっという間にリビングは笑い声で満たされる。
こうして、クリスマスパーティーは始まった。
「しかし、さすがだな、ゆうひ。今年は体張って笑いを取りに来たか」
顔を洗って着替えてからリビングに入ってきたゆうひに、とりあえずグラスを渡しながら声をかけた。
「ううっ、予定とはちょっとちゃう展開やったけど、まぁ薫ちゃんを今年も笑わかしたからええわ」
まだお腹を抱えて、十六夜さんに背中をさすってもらっている薫を見て、ゆうひは満足そうにグラスをあけた。
「……ぷはー。この一杯がこたえられへんわ〜」
「お、強いなゆうひ。まるでジュースみたいに飲み干すとは」
「っちゅうかジュースやけどな〜。あはははは」
「てめ、酒飲め〜っ!」
「やーん。うちは飲めへんのや〜。かんにんしてぇ〜」
「相変わらず仲良いんですね、お二人とも」
望ちゃんが感心したように俺達を見ていた。知佳がうんうんと頷く。
「なにしろ、魂の兄妹だし」
しばらく、食べ物をつまみながらみんなと話をしていたが、ふと愛さんがいないことに気付く。
「あれ? 愛さんは?」
「愛お姉ちゃんなら、さっき出ていったよ」
知佳の言葉に、真雪さんが続けた。
「あー、結構飲んでたから、酔い覚ましじゃねーのか?」
「まゆお姉ちゃん、愛お姉ちゃんに飲ませてたのっ?」
「ちょっとだけだ、ちょっとだけ」
とりあえず、真雪さんの追求は知佳に任せて、俺はリビングを出た。
カラカラッ
ベランダのドアを開けると、愛さんが振り返った。
「耕介さん?」
「よ」
軽く手を上げて、俺は愛さんの隣りまで行く。
「耕介さんも、酔い覚ましですか?」
「そんなとこ」
「私、結構飲んじゃいましたから……」
ちょっと恥ずかしそうに、愛さんは笑う。ほっぺたが赤い。
下からは、歓声が聞こえてくるけれど、ここは静かだった。
ほっ、と愛さんが白い息をつくと、それはあっというまに消える。
俺は手すりにもたれ掛かって空を見上げた。
その姿勢のままで言う。
「こないだのことだけど」
「え?」
「俺は、ずっとそばにいるよ」
「……耕介さん」
「それじゃ、ダメかな?」
視線を落として、愛さんを見る。
愛さんはふるふると首を振った。そして微笑む。
「ありがとう……」
「それと……」
「えっ?」
俺は、手すりから体を起こすと、愛さんの肩に手を置いて、そっと抱き寄せた。
「メリー・クリスマス」
「あっ……ん」
すぐに力が抜けて、ふにゃっとなる愛さんの体を抱きしめて、もう一度囁く。
「ずっとそばにいるから……」
愛さんは、照れたように小さな声で答えてくれた。
「最高の、クリスマスプレゼントです……」
あとがき
クリスマス!? 正月!? そんなもん平日だっ!
……以上。Y2Kを抱えたコンピュータ技術者の心の叫びでした(笑)
forever with you 99/12/17 Up