「こんにちわ、虹野先輩!!」
お昼休み、廊下を歩いてたら、元気のいい声が後ろから聞こえたの。
振り返ったら、ポニーテイルの可愛い娘がぺこんとお辞儀した。
「おひさしぶりです」
「あら、早乙女くんの妹さん?」
「はい、優美です」
彼女はもう一度、ぺこりとお辞儀したの。
そうそう。彼女は早乙女優美ちゃん。好雄君の妹で、今年きらめき高校に入学してきたんだよね。好雄君がよく「うちの妹が……」って言ってるから、あたしも知ってるんだけど、いままであんまり話をしたことはなかったなぁ。
どうしたのかな?
「早乙女さん、なにか用かしら?」
そう聞いてみたら、俯いて、もじもじしてる。わぁ、顔赤くしちゃって……。なんだか可愛いの。
「あっ、あのね、優美、お兄ちゃんに聞いたんだけど……。虹野先輩ってお料理が上手なんでしょう?」
「え? や、やだぁ。上手だなんて、そんなこと無いわよ。ちょっとお料理することが好きで、よくお母さんのお手伝いしてるだけよ」
「えー? でも、お兄ちゃん、『料理なら、きらめき高校で虹野さんに勝る娘はいないぜ』って言ってましたよぉ」
優美ちゃんが不服そうな顔であたしを見るの。
えへへ、なんだかそう言われると、照れちゃうなぁ。
「あ、でも、もう一人いるけど、その娘は教えてはくれないだろうなっていってたなぁ、お兄ちゃん」
「え? なに?」
「あ、ううん。なんでもないれす」
優美ちゃん、慌ててふるふると首を振ったんだけど……何だか気になるな。
莫迦。何考えてるの、沙希? 料理に優劣なんて無いのよ。
あたしはこつんと自分の頭を叩くと、優美ちゃんに訊ねた。
「で、察するところ、優美ちゃんはあたしにお料理を教えて欲しいってわけなのね?」
「うん、そうれす!」
優美ちゃんはとたんに瞳をキラキラさせて、あたしに迫った。あたし、思わず後ずさりしちゃう。
「優美ね、一生懸命がんばります! だから、先輩、優美にお料理教えて下さい!!」
「あ、あの、ちょっと……」
「なんでもやります! 虹野先輩が脱げって言えば脱ぎますし、子猫になれっていうなら子猫になりますからっ!」
「わぁーっ、だめだめぇ!」
あたし、慌てて優美ちゃんの口を塞いで周りを見た。
やだぁ、みんながびっくりしたみたいな目でこっちを見てるぅ。
「ゆ、優美ちゃん、ちょっと来て」
「ふぁひ」
ずりずりずり あたし、優美ちゃんを引きずるようにして、その場を離れたの。
中庭まで引っ張ってきてから、あたし、優美ちゃんの口を塞いでた手をどけたの。
「ぷはぁー。苦しかったぁ」
「ご、ごめんね。大丈夫?」
優美ちゃん、はぁはぁいってる。悪い事しちゃったなぁ。
でも、あんなみんなの前であんな事言うんだもの。こっちのほうが焦っちゃった。
「は、はい。大丈夫れす。……で、虹野先輩、どうれすか?」
優美ちゃん、今度はすがりつくようにあたしの制服の袖を掴んだの。
うーん、こんな顔されちゃ、断れないなぁ。
「うん、いいわ。あたしに出来ることなら、教えてあげるね」
「うわぁーい! 先輩、ありがとう!!」
「きゃ」
あたし、優美ちゃんに抱きしめられちゃった。
「じゃあ、学校が終わったら、校門の所で待っててね」
「はい。ずっと待ってます!」
そう言って、優美ちゃんはもう一度、ぺこんとお辞儀して、戻っていった。あらあら、スキップしてる。よっぽど嬉しいんだなぁ。
あんなに嬉しそうにしてくれると、こっちも張り切っちゃうな。
さぁて、どういう風に教えればいいかなぁ。
あ。
そこまで考えて、あたし、はたと思い当たったの。
優美ちゃんってどれくらいお料理できるのかな? それによって、教え方が全然違って来ちゃうんだけど……。
好雄君に聞いてみようっと。
あ、好雄君に聞きに行くだけなんだから。同じクラスのあの人に逢えるといいな、なんて全然思ってないんだからぁ。
……って、あたしって誰に言い訳してるんだろ?
行っちゃおうっと。くふふふ。
公くんのクラスの……じゃなかった。早乙女くんのクラスのドアを開けると、あたしは教室の中を見回した。
あれぇ? いないなぁ。食堂にでも行ったのかなぁ。
そんなこと思ってたら、パック牛乳を飲んでた好雄君があたしに気がついた。
「よ、虹野さんじゃないか。公のやつならスグに戻ってくるぜ」
「やだ、早乙女くんったらぁ、そんなんじゃないってば」
もう、すぐ好雄君、あたしをからかうんだもん。最近じゃひなちゃんと一緒になってからかうんだからぁ。
あ、そういえば、好雄君とひなちゃんってどんな関係なんだろ。結構仲いいみたいなんだけど、恋人って感じでもないし……。
「ねぇ、早乙女くん」
「え、何だい? 今週のあいつの予定か?」
メモを出そうとした好雄君に、あたしは慌てて手を振ったの。
「ううん、違うの。あのね、好雄君とひなちゃんってどんな関係なのかなって……。だって、いつも仲いいし……」
「俺と朝日奈? ああ、あいつとは腐れ縁ってやつだよ」
好雄君、肩をすくめたの。
「でも、どうしてそんなことを? あ、もしかして虹野さん、俺に興味持ってる?」
「まっさかぁ」
「えー? 好雄君寂しい。しくしく」
もう、好雄君ってば泣き真似なんかしちゃってぇ。おもしろいんだからぁ。
あれ? あたし、何しに来たんだろう?
あ。そうそう!
あたし、好雄君に訊ねた。
「そうじゃなくってぇ、あのね、優美ちゃんのことなんだけど……」
「優美がどうかしたのか?」
あらら、好雄君、急に真面目な顔になっちゃってる。
いつもこれくらいびしっとしてたら、かっこいいんだけどなぁ。あ、違うのよ、
公くん。
あれ? どうして公くんなんだろ。
ああーっ、違う違う、違うのぉ!
あたしは頭を振って余計な考えを追い出すと、好雄君に答えたの。
「ううん、そんな大したことじゃないんだけど、さっき優美ちゃんにお料理教えて欲しいって頼まれちゃって……。で、優美ちゃん、どれくらいお料理できるのか……な……って」
「ぷっ」
いきなり、好雄君吹き出しちゃった。それからお腹を抱えて笑ってる。
「ゆ、優美が、料理ぃ? あははは、またあいつ、無謀なことを」
「そ、そうかな?」
「ああ。あー、おかしい。くっくっく。」
むー。なんだかムッとしちゃうな。
「好雄君、そんなこと、言うべきじゃないと思うな。優美ちゃんががんばろうって決めたんだから、最初から無理なんて言わない方がいいと思うよ」
「え?」
「それじゃ」
あたし、踵を返した。このまま戻っていったら、ちょっとかっこよかったんだけど……。
「あ、虹野さん?」
「こ、こ、じゃない、主人くん、こんにちわ」
びっくりしたぁ。振り返ったら、いきなり公くんがいるんだもん。
「どうかしたの?」
「え? あの、えっと、何にも……」
「いやぁ、虹野さんが怒ると怖いなって」
ああーっ。好雄君、さっきの仕返しだからって、そんなこと言わなくたっていいじゃないのぉ!
「ち、違うのよ、公くん。あのね、これはね、そのぉ……」
あたしが真っ赤になってたら、公くん、あたしの頭をぽふって叩いて笑った。
「好雄、それは沙希ちゃんを怒らせたお前の方が悪い」
公くんってば!
「公、それじゃ俺、莫迦みたいじゃんか」
好雄君がそんなこと後ろで言ってたけど、あたしの耳には入ってなかった。だって、あたしの目の中には……。
放課後、校門の前で待ってたら、優美ちゃんが跳ねるみたいに走ってきた。
「ごめんなさい、虹野先輩! ちょっと遅れちゃったぁ」
あたしの前まで来て、ぺろっと舌を出して笑う優美ちゃん、なんだかとっても可愛らしいの。
「ううん、あたしもそんなに待っていないし。それよりも、どこで練習するの?」
「優美の家は……お兄ちゃんがいるから……」
優美ちゃん、ちょっと困った顔してる。そうよねぇ、好雄君があんなのじゃ、練習も出来ないわよね。
「ん。それじゃ、あたしの家に来ない?」
「いいんですか?」
「もちろんよ」
あたしはにこっと笑ってOKサイン。
優美ちゃんが早速はしゃぐ。
「やったね!」
「それじゃ、まずは材料を買って帰りましょ」
あたしは、先にたって歩き出したの。
「いたぁい!!」
「だ、大丈夫?」
「は、はい。だいじょうぶれすぅ」
好雄君の口振りじゃ、優美ちゃんお料理の経験ってほとんどないみたいだったから、まずはジャガイモの皮むきから始めてみたんだけど……。
優美ちゃん、もう左手にバンドエイド張ってない指が無くなっちゃった。
あたし、箱からバンドエイドを出そうとしたんだけど……、あ、最後の一枚。
薬箱の中に確かまだあったよね。
優美ちゃんの指にくるっと巻いて上げて、あたしは言ったの。
「ちょっと待っててね。バンドエイドが無くなっちゃったから、取ってくるね」
「はぁ」
優美ちゃんため息をついて、悲しそうにボールの中のジャガイモを見たの。
「優美、やっぱり不器用だから……」
「そんなこと、ないよ。誰だって最初は……」
「でもぉ……」
優美ちゃん、あたしが剥いたジャガイモと、自分のとを見比べて、また溜息ついてる。
んもう。そんなの優美ちゃんじゃないよ。
あたしは、優美ちゃんの右手の上から包丁を握った。
「虹野先輩?」
「あのね、こうやるのよ」
あたしは、ジャガイモを一つ取ると、包丁を当てた。
「包丁を動かすんじゃなくってね、ジャガイモの方を動かせばいいのよ。それに、
あとは切れないときは無理に切ろうとしないことね」
「へぇー」
優美ちゃん、感心したみたいに頷いてる。
あたしは一つのジャガイモを剥き終わると、優美ちゃんの肩をポンと叩いたの。
「じゃ、後はやってみてね」
「はい!」
優美ちゃん、元気よく頷くと、またジャガイモとにらめっこを始めたの。
「虹野先輩! 全部剥けました!!」
それから30分後。優美ちゃんとうとう全部のジャガイモを剥き終わったの。
「御苦労様。良くできたわね」
「えへへぇ」
優美ちゃん、鼻の頭をこすりながら笑った。うん、いい笑顔ね。
「じゃ、後は見ててね」
「何をするんれすか?」
「うん。ちょっと、好雄君に優美ちゃんを見直してもらおうと思ってね」
あたしはウィンクしながら、お鍋を出したの。
翌日のお昼休み。あたしは公くんのクラスに顔を出したの。
いるかなぁ……。あ、いたっ!!
ドアの所から教室の中を見ているあたしに気づいて、好雄君が公くんをつついた。
「おい、公。お昼休みのお姫さまが来たぜ」
なによぉ、その呼び方は。ちょっと……嬉しいかも。
あたしは二人の所に近づいた。
「そのようすじゃ、二人とも、お昼ご飯はまだでしょ?」
「二人ともってことは、まさか俺にも?」
好雄君が自分を指してあたしに聞く。あたしは頷いた。
「そうなの。きょうはちょっと分量が多すぎて……」
ごめんね、公くん。これも優美ちゃんの為なの。許してね。今度、公くんだけのために、ちゃんとお弁当用意してくるから。
「行く行く。お裾分けでも何でもオッケイだぜ。なぁ、公」
好雄君、公くんの肩を叩いてる。あ、公くん顔しかめてる。
「わかった、判ったからどつくな!!」
ホントにホントにごめんなさい、公くん。
中庭では、打ち合わせ通り優美ちゃんが待っていた。
「あ、主人先輩、お兄ちゃん、こっちこっち!!」
……あれ? どうして優美ちゃんが公くんを知ってるのかな?
好雄君と親しいから、よね?
「あれ? 優美、どうしてお前がいるんだ?」
「ちょっとあたしが用事があって……。それよりも、ここに座らない?」
あたしは、大きな樹の袂を指したの。ちょうど木陰になってて、涼しい風が吹いてるし。
「今日は、サンドイッチにしたの。どう?」
「美味しいよ、沙希ちゃん。なぁ、好雄」
「無論」
好雄君ったら、それだけ言ってどんどん口の中に詰め込んでる。
あたしはポットから紅茶をついで公くんに渡したの。
「はい、お茶」
「あ、サンキュー。……おい、好雄、そんなにがっつくな。俺のが無くなる!」
「ひゃままひい。おまへはいふもふっへんからはまひはおへにはわへ」
「お兄ちゃん、頬張ったまま喋っても、何言ってるのかわかんないよぉ」
「んもう、好雄君ったらぁ。そんなに急いで食べなくても無くならないわよ」
あたしはもう一つのコップを出して、紅茶をつぎながら笑っちゃった。
と、好雄君の手が、三角形のサンドイッチに伸びたの。あたしと優美ちゃんは同時に息を呑んだの。公くんはそれに気づいて、あたし達を見比べたけど、好雄君は気づかずにそのまま食べたの。
「ん。これもうまいねぇ。沙希ちゃん、いいお仕事するよ」
「美味しかった? そのサンドイッチ」
「え? ああ、中の具は、ポテト……にしては妙な味だけど、うまい。これいけるぜ。おい公、お前が食わないなら俺が全部食うぜ」
「だめぇ!」
優美ちゃんが突然叫んだの。あたしの耳元だったから、思わず耳を押さえちゃった。
「ゆ。優美ちゃん?」
「これは、主人先輩に食べてもらうの! だって、優美が先輩のために作ったんだもん」
え? え? ええーっ!?
あたし、その瞬間、目を丸くしちゃってた。
どうして、優美ちゃん? 公くんと? え? どういうことなの?
好雄君は、あたしとは別の意味で目を丸くしてた。
「優美が作ったって、これ、お前が作ったのか?」
「うん。作り方は虹野先輩に教えてもらったけど、全部優美がやったんだもん」
「……マジ?」
「もちろんだよ。はい、主人先輩」
優美ちゃんは一つを公くんに差し出した。
「あ、ありがとう」
受け取る公くん。それをぱくっと食べる。
すがるように見つめる優美ちゃん。
「お、おいしいれすか?」
「うん、うまいよ」
公くんの答えに、途端に笑み崩れる優美ちゃん。
「やったあ! ありがとうございます、虹野先輩!」
「あ、う、うん……」
美味しいのは、わかってる。あたしだって味見したもの。
だけど、それが公くんのためのものだったなんて……。
優美ちゃん……知らないんだ。あたしが公くんのことを……。知っててあたしに頼むような娘じゃないものね。
だけど……。
だけど、あたし……。
「あれ? 虹野さん?」
午後、あたしずっと落ち込んでた。
なんだか、あたしって厭な娘だなぁって。だって……。
そんなことを考えながら、校門の所にさしかかったとき、不意に声をかけられたの。
「え?」
振り返ったら、公くんがいたの。
その笑顔を見たとき、胸がズキンと痛んだの。
そして、目に涙が溢れてきて……。
どうして?
わかんない。なんにも……。
「に、虹野さん?」
「ごめんねっ!」
あたし、公くんの前から駆け出した。
《終わり》