《終わり》
卒業を数日後に控えたある日。
昼休みになったので、飯を食いに行こうと思って、俺は席を立とうとした。
「あ、公!」
後ろから呼ばれたので、俺は振り向いた。
「なんだよ、好雄?」
「ちょっと、話があるんだ。伝説の樹のところまで来てくれるか?」
好雄が、まれにみるような真面目な顔で、俺に言った。
俺の頭に、ピーンと何かが閃いた。
「おまえ、まさか……」
「来てくれよ!」
そう言うと、好雄は走り去った。
その後ろ姿を見ながら、俺は思わず呟いた。
「は、早い。好雄ってあんなに速く走れるんだ……」
伝説の樹の前に来ると、好雄が照れくさそうな笑みを浮かべて立っていた。
「なんだよ、こんな所に呼び出したりして……」
「実はな……。おい、出て来いよ」
好雄は樹の後ろに呼びかけた。
なんだ。俺はてっきり好雄が俺に告白する気になったのかと思って、焦りまくったぜ。
しかし、好雄にもやっと彼女が出来たのか。今まで散々色々世話になったからな。これは祝福してやらねばなるまい。
だが、樹の後ろから出て来た少女を見て、俺のそんな想いは粉々に砕け散った。
その娘は、俺にぺこりとお辞儀した。
「こんにちわ、主人先輩!」
「……!?」
好雄は、その娘の肩を抱き寄せると、言った。
「俺、これから優美と付き合うことにしたんだ」
「行こうよぉ、お兄ちゃん」
「そうだな。それじゃな、公」
二人は、手に手を取って駆け出していった。俺は真っ白になって伝説の樹の下で佇んでいた。
(好雄の奴……鬼畜になり果てたか……)
その日の午後、何があったのか俺の脳には記録が残っていなかった。
放課後になると、俺は立ち上がり、機械的に足を動かして、歩き出した。
とりあえず帰ろう。帰って寝てしまおう。明日になれば、きっと新しい日が昇ってるさ。
校門の所にさしかかったとき、俺は不意に声をかけられた。
「あ、公くん。今帰りなの?」
「詩織か。どうした?」
「うん。よかったら、一緒に帰ろうと思って……」
そう言いかけて、詩織は眉をひそめて俺を見た。
「どうしたの、公くん。ぼうっとしちゃって……」
「……うん」
そうだな。詩織なら、頭もいいから、きっと……何かいい方法を思いついてくれるんじゃないかな?
俺は一縷の望みをかけて、詩織に相談してみることにした。
「……ってわけなんだ」
「そう。好雄君と優美ちゃんが……」
近所の公園。詩織はブランコに座って俯いた。
「ねぇ、公くん。それってそんなに異常なことかな?」
「へ?」
俺は思わず耳を疑った。
「本当に愛し合っているのなら、兄妹だって関係ないとは思わない?」
「お、おい、詩織!!」
詩織は不意に顔を上げた。
その頬を、一筋の涙が流れ落ちる。
「し、詩織?」
「言わないで置こうと……私の胸だけにしまっておこうと思ってた……」
詩織は、静かに言った。
「お、おい、何を言い出すんだよ」
「公くんと私、同じ誕生日よね」
「あ、ああ」
「小さいときは、ずっと一緒に誕生日のお祝いしてた……」
「そうだな……」
10年も前の話だ。
「……公くんは、不思議に思わなかった?」
「な、何を?」
俺は、口の中が妙に乾いているのを感じていた。
「お隣同士で、まったく同じ日の同じ時間に、子供が産まれるなんて、あり得ると思う?」
「何が、言いたいんだ? 詩織」
「こう考えた方が、自然だと思わない? ある家に双子が産まれ、何かの理由で、
その双子は別々の家で育てられた……って」
「……そ、それじゃ……」
「……」
詩織は、微かに頷いた。
「そう。公くんは、私のお兄ちゃんなのよ……」
「う……嘘だ……」
俺は、我知らず、後ずさりしていた。その背中がとん、と何かに当たる。滑り台だ。
「私も嘘だって思いたい! だって、私の好きな人が実は私のお兄ちゃんだなんて信じたくない!!」
詩織はブランコの鎖をぎゅっと握って、激しく頭を振った。
「でも、そうなのよ!」
「……嘘だ!!!」
俺は叫ぶと、走り出した。あてどもなく。
はぁはぁはぁ 俺は荒い息をつきながら、顔を上げた。
いつしか、俺はきらめき高校に来ていた。
「あれ? 公くん?」
「え?」
声に振り返ると、夕子がいた。
「どーしたの? そんな悲壮な顔しちゃって……」
「なんでもない」
「違うよ」
夕子は、俺の顔を覗き込んだ。
「ね、あたしじゃ大した力になれないかもしんないけどさぁ、でも話せば楽になるかもしんないよ」
「……」
俺が彼女の顔を見ると、彼女は一つ頷いた。
「あたし、いつもふざけてばっかみたいに見られてるけどさぁ……、真面目なことだってできるんだぞ」
「夕子……」
俺は頷いた。
「聞いてくれるか?」
「……そっかぁ。それはまたスペシャルびっくりだね〜」
俺の話を聞き終わると、夕子は頭の後ろで手を組んだ。
「でもさぁ、あたしも、実は公に打ち明けないといけないことがあるんだぁ」
「へ?」
「あたし、あたし……実はね……」
夕子は俯いた。
「な、なんだよ」
「卒業したら、もう公くんとはお別れしなきゃならないんだ」
「は? いや、だって……」
「だって、あたしは……地球人じゃないんだもん」
「……は?」
俺の思考は停止した。
「あたし、実は他の星から地球を調査しにきたの。だから、いろんな所に行く必要があって……でも、もうすぐ調査期間が終わっちゃうの」
「あ、朝日奈さん……」
「でも、あたし……公と離れたくない。公、一緒にあたしの星に来て!」
朝日奈さんは、ぎゅっと俺の手を握った。
俺の頭は真っ白になっていた。
「よ、好雄は優美ちゃんと付き合って、詩織が俺の妹で、朝日奈さんは宇宙人……へへへへへ、あははははは、わーっはっはっは」
俺は笑いだした。そうすることしかできなかった。
俺はひたすら、笑い続けた。
笑い続けた。
「公くん、公くん!」
「……ん?」
俺は目を開けた。
目の前で、制服を着た詩織が腰に手を当てて膨れている。
「んもう、なかなか起きないんだから」
「し、詩織!?」
ずざぁぁっ 俺は椅子ごと、後ろにさがった。
「公くん?」
「あのさ、やっぱり兄妹はまずいんじゃ……」
「え? 何のこと?」
詩織は首を傾げた。
「だ、だって、俺は詩織の兄で……」
「うふふっ、面白いこと言うのね」
詩織は吹き出した。
「うふふふ、ご、ごめんなさい。おかしくって……」
「え? え?」
と、不意に教室のドアが開いた。
「主人せんぱーい! 一緒に帰りましょう!!」
「ゆ、優美ちゃん!? でも、優美ちゃんは好雄と……」
「はぁ? どーして優美がお兄ちゃんと帰るんですか?」
「そーだぞ、公。気持ち悪いこと言うなよ。誰がこんな前と後ろの区別も付かないようなやつと……。ま、待て、優美!」
「優美ちゃんファイヤースープレックスッ!!」
ドゴォォン 悶絶する好雄を見て、詩織が微笑んだ。
「仲良いのね。ねぇ、公くん。覚えてる? 10年前にねぇ……」
夢、だったのか?
でも……。
結局、俺と詩織、優美ちゃん、好雄の4人で帰ることになった。
「そんな夢を見てたんだ……」
俺が夢の話をすると、詩織は小首を傾げてにこっと笑った。
「でも、……ちょっと嬉しいな。だって……それだけ身近に感じてくれてるってことだもんね」
「あ、藤崎先輩ずるーい。優美も主人先輩の妹になりたいよぉ」
「ばーか。にしても公、よりによって俺と優美をくっつけること無いじゃないかよ。どうして他の女の子にしてくれなかったんだ?」
「俺に言ったって知るか」
笑いながら答えた俺の足がぴたりと止まった。
俺達の前に、一人の少女が佇んでいた。
好雄が声をかける。
「あ、どうしたんだ、朝日奈?」
夕子は、顔を上げると、微笑んだ。
「あたし、言わないといけないことが……あるんだ」
「え?」
「あたし、実は……」
朝日奈は、そう言うと、俺達−俺つまり主人公、詩織、好雄、優美ちゃん−をぐるりと見回した。
俺は思わず呟いた。
「宇宙人なのか?」
「え?」
朝日奈は、驚いたように2、3歩さがって、俺を見つめた。
「ど、どうして知ってんの!?」
……。
俺は、冗談のつもりだったのにのにのにぃ。
詩織達も驚いたように俺と朝日奈を見比べている。
朝日奈は、ひょんと俺の前までジャンプしてきた。
「どうしてわかったの? カモフラージュも完璧だったのに!」
「そ、それよりも、朝日奈、おまえ……」
好雄がかすれた声で言った。
朝日奈は好雄の方に向き直った。
「ゴメン、好雄くん。それに優美ちゃん。あたしは朝日奈夕子じゃないの」
「うそ!」
優美ちゃんが叫んだ。
朝日奈は静かに首を振った。
「嘘じゃないの。好雄くん達が知ってる朝日奈夕子はね、中学3年の時に死んじゃったの」
好雄が不意に目を見開いた。
「まさか、あの交通事故!?」
「……うん」
朝日奈はこくんと頷いた。
好雄はがくりと膝を突いた。そして、地面に視線を落としたまま、うわごとのように呟く。
「嘘だろ、そんなの……。それじゃ、俺は、俺はいったい……今まで……」
「好雄くん……」
「言ってくれよ、夕子。いつもの調子で「ジョークジョーク」って、笑ってくれよ……。でないと、俺……俺……」
「朝日奈さん……本当なの?」
詩織も蒼白になっていた。
朝日奈は頷いた。そして俺に視線を向けた。
「主人くん。キミもそうなんでしょ?」
「え?」
俺は思わず自分を指さした。
朝日奈は頷いた。
「だって、私が宇宙人だって普通の人間に判るわけないもの。それが判るとしたら、あなたも私と同じ……」
「違うぞ、俺は……」
「公くんも……、そんな……」
詩織が口に手を当てて、後ずさる。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、おい、詩織。俺と詩織は幼なじみじゃないか」
「でも、だって……」
「先輩も宇宙人だったなんて優美、ショックです。どうして打ち明けてくれなかったんれすか?」
「優美ちゃんまで! おい、止めてくれよ」
「もういいのよ、公くん。一緒に星に帰ろうよ。ね?」
「朝日奈! 俺は生粋の地球人だ!」
そう言いながら、俺は詩織に近づいた。
「なぁ、詩織」
「いやっ!」
詩織の悲鳴に、俺は足を止めた。
「詩織……」
「公くん……私を騙していたの? ずっと、私を……」
「ち、違う……」
「こ、来ないで!」
「……くっ!!」
俺は走り出した。総てを振り切るように。
やっとの事でたちどまり、俺は辺りを見回した。
ここは……伝説の樹?
サワサワッ 風が木の枝を揺らす。
俺は樹にもたれ掛かった。
一体何がどうなってるんだろう。
と。
「主人さん……」
「え?」
静かな声がした。俺はその声の方に視線を向けた。
「……如月さん」
「どうしたんですか、こんな時間まで」
確かに、卒業も近いのに、こんな時間まで学校にいるなんて変かもしれないなぁ。
「俺はちょっと……。如月さんは?」
「私は、図書館に用があって……。あの、そちらに行ってもいいですか?」
「え? ああ、いいけど……」
俺と如月さんは、伝説の樹の下で並んで腰を下ろしていた。
俺はさっきの出来事を如月さんに話していた。
「……というわけなんだよ」
「……」
如月さんは黙って俺を見つめている。俺は肩をすくめた。
「気が狂ったって思うだろうなぁ。俺自身もそう思ってるくらいだから」
「いえ、そんなことは……」
如月さんは立ち上がり、伝説の樹の幹に手をついて、静かに言った。
「ずっと長い間、色々なものを見てきましたから。世界には一見信じられないことが色々と現実に起こっているのだって、知っています」
「さすが如月さん」
俺は頷いた。そして、ふと気付いた。
いつもなら、気にもとめなかっただろうけど……。
「如月さん。今『ずっと長い間』って言わなかった?」
「ええ」
ザワッ
不意に伝説の樹が騒いだ。
「き、如月さん?」
「私はずっと、みんなを見守ってるだけだった。でも、あなたを見たとき、初めて私は思ったんです。あなたと一緒にいたいって。そして、私はこの身体を持つことが出来たんです」
如月さんは自分の身体を抱きしめるようにして、言った。
「キミは、もしかして……」
俺は前に如月さんから聞いた昔話を思い出していた。唇から、呟きが漏れる。
「……木霊(こだま)……?」
何百年、何千年と生きてきた古い樹には意志が宿る。それを木霊という。
他ならぬ目の前の如月さんが、前に俺に教えてくれた昔話の一節だ。
如月さんは切なそうな視線で俺を見つめた。
「卒業式の日まで言わないでおこうと思っていました。少しでも長く、あなたといたかったから……。でも、これでお別れですね」
その姿が薄れていく。
「きさ……」
「さようなら。私、あなたのことは忘れません……」
その声が、樹のよそぎの中に溶け込むように消えていき、そしてその場に残されたのは俺一人だった……。
「……どうかなぁ?」
俺は訊ねた。
如月さんは、難しい顔をしながら、紙をめくる。
俺は恐る恐る言った。
「今回は、結構自信あるんだけどさぁ……」
「うーん、何が言いたいのか良くわかりませんね。ボツ」
如月さんは冷たく言うと、俺に原稿用紙の束を返した。
「がぁーん。しくしく」
泣きながら席に戻る俺に、如月さんの容赦ない声が掛かる。
「がんばってくださいね! 文化祭用の文集作品、仕上げてないのは主人さんだけなんですから」
俺は机の前に座ると、はちまきを締めなおし、シャープペンシルを走らせるのだった。
「それにしても……」
俺がカリカリとシャープペンシルを走らせていると、不意に如月さんが呟いた。
「どうして木霊なんて……」
「ああ、それね。ほら、前に如月さんが教えてくれたじゃない。その話が、妙に印象に残ってたからさ」
「……」
不意に、俺の前髪を風が巻き上げた。原稿用紙が数枚、机から落ちて床に散らばる。
ちょっと待て。どうして冷暖房完備で閉めきってある図書室で、風が起こるんだ?
俺は顔をあげた。
如月さんは俯いていた。
また、風が俺の前髪を揺らす。
「如月さん……?」
「主人さん……。お話ししなければならないことが、あります」
静かに言うと、如月さんは顔をあげた。
緑色の瞳が、じっと俺を見つめる。
俺は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「ま、まさか……」
そのとき、ハッキリ判った。風は如月さんから吹き出してきているんだ。
彼女は、言った。
「私、実は……」