誰がなんと言おうと、正月なのだ。
《終わり》
だから、俺は家でぼうっとしているのだ。
両親は商店街の福引きの特等とやらで、俺を置いて海外とやらに行ってしまった。
というわけで、俺は一人寂しく正月なのだ。
えーいこんちくしょ。寂しいなぁ。
よし、電話を掛けよう。
トルルル、トルルル、トル……プッ
「はい、藤崎でございます」
「あ、おばさまですか? 隣の主人です。明けましておめでとうございます」
「あら、公くん。明けましておめでとう。詩織ね? ちょっと待っててね」
保留の音楽の鳴る中、俺はふと嫌な予感が背筋を走るのを感じていた。
それが何か判明したのは、保留の音楽が切れたときだった。
チャンチャララ……ピッ
「公くぅーん、あけまして、おめでとーっ!!」
「な、なんだぁ!?」
俺は咄嗟に受話器から耳を遠ざけていた。
恐る恐る聞き返す。
「……もしもし、詩織……さん?」
「もっちろんよぉ」
妙にテンション高いぞ、詩織。なにがあった?
日頃の大人しい美少女優等生がかけらも残ってないじゃないか。
俺がそんな感慨を抱いていると、詩織は受話器の向こうで声を上げた。
「なによぉ、公ってば」
「は?」
「はぁじゃないわよ! もういいわ。そっちに行くから、覚悟しなさいっ!!」
ブチッ、ツーツーツー
俺は受話器を持ったまま、唖然としていた。
おもむろに、受話器を置いたとき、いきなりチャイムが鳴らされた。それも……。
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン
「な、なんだぁ!?」
と、それがいきなりやんだかと思うと、今度は玄関のドアが乱打される。
ドンドンドンドンドン
「公っ! いるのはわかってんだぞぉー! 開けなさぁーい! 君は完全に包囲されてるんだぞぉー!」
俺は頭を抱えたくなったが、そうもしてられない。仕方なくドアを開けに行った。
パタン
「詩織、正月早々恥ずかしいことは……わぁーっ!!」
「えへへ、こーうくん。明けまして、おめでとー!」
詩織は晴れ着を着ていた。いや、かつて着ていたと言うべきだろう。すでに半分脱げかかっている状態で、おまけに徳利を持っている。顔はというと、デートの時にも見せたことがないくらい真っ赤である。
ちょいと右手の徳利をあげて、詩織は言った。
「ねぇ、公くん。飲も」
「と、とにかく、入って!」
俺は慌てて詩織を家に入れて、ドアを閉めた。こんな格好で詩織を外に出して置くわけにいかないじゃないか。
そういえば、昨日詩織が言ってたっけ。
俺は昨日の事を思い出した。
俺が一人寂しく台所の掃除をして、ゴミなど裏口から出していると、これまた裏口から出てきた詩織にばったり逢ったのだった。
「せいが出るのね、公くん」
「親父もお袋も、今頃極楽トンボしてるからなぁ、俺がやらないとな」
俺は苦笑してゴミ袋を裏口の脇に出した。それから詩織に視線を向ける。
うむ。相変わらず可愛いな。
そんな風に思いながら見ていると、詩織は小首を傾げた。
「え? どうかしたの?」
「あ、いや。それより、詩織の方はみんなで年越し?」
「うん、今年は親戚の叔父さん達が家に来るんですって。もう今からその準備で大変みたい」
彼女は首をすくめた。
「詩織の叔父さん達って、こないだ言ってた鹿児島の人?」
「そうなの。お父さん達、いまからお酒いっぱい用意してるのよ」
そう言って、詩織はくすくす笑った。
俺も笑いながら言った。
「詩織は未成年なんだから、飲んじゃダメだぞ」
「ふーんだ。私は誰かさんと違って未成年飲酒なんかしませんよぉーだ」
詩織はべーっと舌を出した。それから笑って家の中に戻っていった。ドアから顔だけ出して、言う。
「それじゃ、また来年ね」
「そうだね」
俺はそう返事して、自分の家に戻った。
そうか。あんな事言ってたのに、詩織は結局飲まされたんだなぁ。
そんなことを思いながら、俺はドアを閉めた。よし、これで詩織は世間から隔離したぞ。
さて、これからどうしようかなぁ。
「おい、詩織。一体……」
振り向くと、詩織の姿がない。
「あ、あれ? ……まさか!」
俺ははっとして台所に走った。
「やぁー、公くん。元気でやってるぅ?」
「……やぱしか」
詩織は、台所の床にぺたんと座り込んで、片手のお猪口を掲げて見せた。その脇には、親父の秘蔵していた清酒“美少女”がある。
「かんぱーい」
「乾杯じゃなくって!」
俺は詩織の手からお猪口を取り上げた。
「あぁん。公くんのいじわゆぅ」
詩織はプンと膨れた。
「し、詩織ぃ」
「いーわよぉ。こうなったら、詩織、一気にいきまぁす!」
詩織は一升瓶をがっと掴んだ。
「ま、待てぇい!!」
俺は慌てて“美少女”をもぎ取った。とにかく、これ以上呑ませるわけにもいかない。
よーし。ここは気をそらせるしかないな。
「詩織ちゃん。あなたのお名前は?」
「ふじさきしおりん」
「歳は?」
「じゅうななさい」
「学校は?」
「きらめきこーこー」
「東京都特許許可局と言ってみそ」
「とーきょーととっかかきゃくぅ」
うむ。呂律が回らなくなってるけど、一応大丈夫みたいだな。
「こたえたぞぉー。返してよぉ」
詩織は手を伸ばしてきた。
いかん。今詩織にこれを渡しては、収拾がつかなくなる!
「ダメだっ!」
「返してよぉぉ。んもう、いいわよぉ。ここで泣いてやるぅ。うぇぇーん」
……詩織ぃ、泣きまねは優美ちゃんより下手だぞ。
しかし……。
俺はふと気がついた。
家にはいま、誰もいない。目の前の詩織は前後不覚に酔っぱらっている。
これは、もしかしてすごく美味しい……もとい、危ないシチュエーションではないだろうか?
ドッドッドッドッドッ
なにかすごい音がしてる。いや、俺の鼓動の音ではないか。
「しっ、詩織?」
「なぁーになのぉ?」
詩織は泣きまねをやめて、俺を見た。
う、はだけかけた胸元が、ほんのり赤く染まったうなじがぁぁ!
うわぁーい、俺の理性が羽根をはやして飛んでいくのが目に見えるようだ!
と。
ピンポーン いきなり玄関のチャイムが鳴った。
「わわ、だ、だれでい!?」
俺は飛んで行きかけた理性が急降下して戻ってきたのを確認して、玄関に走った。
ガチャ
ドアを開けると、赤いコートに身を包んだ沙希ちゃんがぺこりと頭を下げた。
「公くん、新年明けましておめでとう」
「さ、沙希ちゃんだったの。あけましておめでとう」
俺は一礼した。
沙希ちゃんはにこにこ笑いながら言った。
「あのね、もしよかったらでいいんだけど、一緒に初詣に行かない?」
「らめよぉぉ。こーくんはあらしとはつもーでんだからぁ」
いきなり詩織が後ろからもたれ掛かってきた。
「し、詩織!?」
「ふ、藤崎さん、その格好……」
や、やばひ!
俺は慌てて沙希ちゃんの方に向き直った。
「あ、あのね、これは、その……」
沙希ちゃんはちょっと俯いていたが、顔を上げてにこっと笑った。
「ごめんね。邪魔しちゃって。それじゃ、またね」
「わぁーっ!! 待ちたまえっ!!」
俺は慌てて沙希ちゃんの腕を掴んだ。
「これはワケ有りなんだよ!」
「こらぁ、こう! あたしの酒が飲めないってかぁ!!」
「詩織も、やめい!!」
「ぷーんだ。こうくんきらいだもん。もう一人で飲んでやるぅ!!」
詩織はパタパタと台所に走り出した。
よし、いまのうち。
俺は目を丸くして詩織の乱行を見ていた沙希ちゃんにことのあらましを説明した。
「……で、酔っぱらったらしい」
「そうなんだ。でも、大丈夫なのかな?」
「うん。俺もちょっと心配だけど、詩織の家は家中あんな感じらしいし、今帰しても……。かといって、このままだとね」
「そうよねぇ。よし、あたしが面倒見るわ」
沙希ちゃんはそう言うと、にこっと笑った。
俺達が台所に行くと、詩織はまた“美少女”をあけていた。
「ああーっ!」
俺は一升瓶に飛びついて詩織から取り上げた。
「ダメだって言ってるだろ!!」
「やだぁん、もう」
「虹野さん、後は任せた!」
「う、うん」
「なぁに、にじのひゃんなの?」
詩織はじろりと沙希ちゃんをみた。う、目がすわってるぞ。
「こ、こんにちわ、藤崎さん」
沙希ちゃんはおそるおそる台所に入った。
その沙希ちゃんの前に、詩織はいきなりお猪口を突きつけた。
「え?」
「にじのひゃんも飲めぇ」
「あ、うん」
沙希ちゃんは思わずお猪口を受け取ったものの、どうしたものかと俺に視線を向けた。
その顔を詩織が両手で挟むと、自分に向けなおす。
「あたしの顔を見ながら飲むのです」
「あ、はい」
沙希ちゃんはお猪口の酒をぐっと干した。
「ぷはぁ」
「はい、よくできましたぁ。いいこいいこ。それじゃ、もう一杯いってみよう」
徳利からお酒をつぐ詩織。
「お、おい、詩織?」
「こーくんはだまらっしゃい!」
ぎろりん
詩織に睨み付けられて、俺は仕方なく黙った。そうせざるを得ない妙な迫力があった。
数時間が過ぎた。
スースースー
騒ぎ疲れたらしく、詩織はようやく眠っていた。
俺は、沙希ちゃんに訊ねた。
「沙希ちゃん、大丈夫?」
「うん。あたしは平気だけど」
平気って……。
俺は辺りにごろごろ散らばる一升瓶を見て、沙希ちゃんに視線を移した。
ちょっと頬が赤いのを除けば、いつもと同じ様子の沙希ちゃんである。
「それじゃ、あたしはそろそろ帰るね」
そう言うと、沙希ちゃんは立ち上がった。
「あ、送ろうか?」
「あたしは大丈夫だから、藤崎さんについててあげて」
沙希ちゃんはそう言うと、ウィンクした。
「それじゃ、また逢いましょ」
「う、うん」
「じゃね」
そう言うと、沙希ちゃんは台所を出ていった。
と。
ずべしぃん
「な、なんだ?」
俺は廊下に顔を出し、壁にぺこぺこと頭を下げている沙希ちゃんを見て、涙するのだった。
「ごめんなさい。こんな所にいるなんて気がつかなかったんですぅ」
(沙希ちゃんも酔っぱらってるよ、おい)
とりあえず、詩織を応接間のソファに寝かせてから、俺は沙希ちゃんを探した。
沙希ちゃんは居間で猫に向かってお料理について熱っぽく語っていた。
「だから、あたしはお料理は根性だと思うのよ」
ミャア?
「うん、そうなの。やっぱり愛情と努力よね」
はうう。
まぁ、詩織よりはマシかも知れない。
俺はこそっと後ずさりして居間を出た。
洗面所で顔を洗ってから、人心地ついたとき、不意にチャイムが鳴った。
ぴぃぃぃんぽぉぉぉぉぉぉん
この間の抜けたような押し方は……。
俺は玄関に走って行くと、ドアを開けた。
思った通り、そこにはゆかりちゃんがいた。
「公さん。明けまして、おめでとうございます」
おおう、着物だ! あ、そうだ!
俺は挨拶もそこそこにゆかりちゃんに訊ねた。
「古式さん、着物の着方ってわかる?」
「はい。わたくし、女のたしなみとしてお母さまに教わりましたから」
ゆかりちゃんはにっこりと笑って答えた。俺は胸をなで下ろすと、事態を説明した。
「というわけで、詩織の着物を何とかして欲しいんだけど」
「お酒に酔われたときには、あまりきつく締めないほうがよろしいのではないですか?」
「うん、そうなんだけどさ。でもどっちにしてもいずれは帰さないといけないんだし」
「そうですねぇ。よろしいですよ」
「よかった」
俺はホッとすると、ゆかりちゃんを応接間に案内した。
ドアに手を掛ける。
「この中に詩織が寝てるんだけど……」
カチャ 俺は固まった。その後ろから、ゆかりちゃんが丁寧に挨拶した。
「あけまして、おめでとうございます。藤崎さん」
「あらぁ〜〜、こひきひゃん」
勝手に居間のサイドボードを開けて、これまた親父秘蔵のナポレオンを勝手にワイングラスに注いでいた詩織は、ゆかりちゃんをみてにかーっと笑った。
「来い来い」
「はいはい」
「飲め飲め」
「はいはい」
俺はドアを閉めた。こうなったらなるようにしかならないだろう。
しばらくすると、中から調子外れのきらめき高校の校歌が聴こえてきたが、俺は何も聞いていないことにした。
夢だ、きっと夢に違いない。
「大体の話はわかったわ」
紐緒さんは電話の向こうで言った。
「わかってくれた?」
「ええ。私の作った新型酔いざまし“スッキリβ”を貸してあげるわ」
何とも頼もしいお言葉。
「ありがとう。スグに取りに行くよ」
「いまからそっちに送るわ」
「は?」
その瞬間、いきなり俺の部屋の壁がパクッと開き、そこからアタッシュケースが飛び出したかと思うと、元のように閉じた。
ゴトン
アタッシュケースが床に倒れる音に、俺は我に返った。
「ひ、紐緒さん!」
「とどいたかしら?」
「とどいたかしらって、ちょっと、今のはいったい……」
「知りたい?」
その声に俺はぞくっとした。即答する。
「ごめんなさい。結構です」
「そう? まぁ、いいわ。投与結果はレポートにして提出するように」
そう言うと、紐緒さんは電話を切った。
俺はアタッシュケースをじっと見つめ、首を振った。
世の中には、知ってはいけないことが色々と存在しているものなのだ。
ふむふむ。
俺はアタッシュケースの中の薬の説明書を読んでいた。
なるほど。この瓶の中身を飲ませればいいんだな?
簡単じゃん。よぉーし。
俺は瓶を持って部屋を出た。
おや?
俺は応接間を覗き込んで首を傾げた。
ソファにもたれて、ゆかりちゃんがくぅくぅと可愛らしい寝息をたてているだけで、詩織の姿はない。
どこに行ったんだろうか?
居間を覗いてみたが、沙希ちゃんが猫をしごいているだけだった。
「だめよ、そんなフォームじゃ。もっとがんばって!」
ミャアミャアミャア!
ここにもいないか。
台所かな?
俺は台所に走った。
「あ、こーくんだぁ」
やっぱりここかぁ。
俺は一升瓶を後生大事に抱きしめて座り込んでいる詩織を見てため息をついた。
さて、どうやって飲ませたものかなぁ。
素直に飲んでくれるとは思えないし、まさか酒に混ぜて飲ませるわけにもいかないよなぁ。
そんなこと考えてると、いきなり俺の前にコップが突き出された。
「こうくんものめ」
「し、詩織ぃ……」
「あによぉ、あたひのしゃけがのめないってかぁ?」
うわ。目がすわってる。ここは大人しく従っておくのが得策か。
俺は仕方なくコップを受け取った。
「さ、飲め飲め」
「う……」
こうなったら、仕方ない。俺はぐっとコップの日本酒を一気に煽った。
「ぷはぁ」
「わぁい、こうくん、いー飲みっぷりぃ!」
詩織が喜んで手をパチパチと叩く。
あれ、なんだかぽぉーっとしてきたぞ。どうしたかなぁ?
いかん、俺まで酔ってしまってはだめなんだ。
俺は思ったものの、只でさえ空きっ腹に日本酒の一気は思いの外の効果をあげており、既に思考が正常に回る状態ではなくなっていた。
そんな状態の中、俺の頭に雷鳴のごとく名案が閃いた。
俺は詩織を手招きした。
「詩織、来い来い」
「なになに、こうくぅん」
うわ。詩織の奴、しなだれ掛かってきたぞぉ。
俺は、詩織の顎をくいとあげた。そして、低い声で囁く。
「詩織。目を閉じて」
「うん……」
詩織は素直に目を閉じた。
俺は素早く薬瓶の栓をひねると、薬を口に含んだ。そして、詩織の唇にそのまま唇を重ねた……。
ふわぁ。
正月2日の朝。
俺は頭をばりばりとかき回しながらベッドから起き上がった。
あれから、沙希ちゃんとゆかりちゃんにも薬を飲ませたら、すぐに酔いも醒めたらしく、そのまま帰っていったんだけど、詩織はそのまますやすや眠りこんじゃって、仕方ないからお袋のベッドに寝かせておいたんだよなぁ。
一応詩織の家には知らせておいたけど……。
そんなことを考えながら、俺は台所に向かった。確か、冷凍のピラフがあったよなぁ。アレを朝飯にして……。
ジュージュー
あれ?
台所からいい匂いがしてくる。俺は台所を覗き込んだ。
「あ、詩織?」
「公くん、おはよう。もうちょっとで出来るから、待っててね」
詩織はフライパンの中身を菜箸でかき混ぜながら言った。エプロン姿がよく似合ってるなぁ。
「あ、ああ。でも、どうして、詩織が?」
「お礼に、ね」
詩織は俺に背を向けたまま、言った。
「お礼って……」
「お薬、飲ませてくれたでしょう?」
後ろから見える詩織のうなじが真っ赤になってる。
「あ、うん」
「ごめんね、迷惑かけちゃって」
詩織はそう言うと、フライパンに視線を落として呟いた。
「でも……。また、酔っぱらってみようかなぁ」
「え?」
「ううん、なんでもないの。さぁ、出来たわよ」
俺は詩織と楽しく朝食を取った。
後日談
「レポートはまだかしら?」
「ひえー、ごめんなさい。明日まで待って下さい!」
「私に明日という日はないの。実験のやり直しをするわ。付き合いなさい」
「ひょぇぇぇぇ〜〜〜」