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ゆかりちゃんとでぇと


「ふわぁ」
 場内が明るくなって、俺は大きく伸びをした。それから、隣に向かって話しかけた。
「面白かったね?」
「そうですねぇ」
 隣の椅子に腰掛けて、おっとりと微笑んでるのは古式ゆかり。そう、俺はやっとこさ、彼女をデートに誘うことが出来たのだ。
 この日が来るまで長かったこと。なんど電話をかけてみても、出てくるのは彼女の親父さんで、「娘にちょっかいをかけるんじゃない!」がしゃん、で終わってたもんなぁ。
 業を煮やした俺は、とうとう学校で彼女に直接申し込むことにした。
 いやぁ、緊張したよなぁ。よく考えてみたら、面と向かってデートの申し込みしたのは初めてなんだ。隣の詩織でさえ、デートの申し込みをするのは電話だったから。

「あ、あの、古式さん」
「はい、なんでしょうか?」
 俺が後ろから声をかけると、ゆかりちゃんは、いつもの、あの糸目笑顔で振り返った。
 この笑顔がいいんだよなぁ。……なんて言ってる場合じゃない。俺には重大な使命があるのだ。
「あのさ、来週の日曜日、空いてるかな?」
 俺がそう聞くと、彼女は小首を傾げた。
「来週の日曜日ですか? はい。多分空いておりますよ」
「良かった。それじゃあさ、映画見に行かない? ほら、確か今は『ツインピークス』やってたでしょ?」
「そうですねぇ。それは、よろしいですねぇ」
 ゆかりちゃんはそう言うと、また少し考えて、頷いた。
「よろしいですよ」
「いやっほうっ!!!」
 その瞬間、俺は廊下の真ん中でガッツポーズをしていた。
 デートだぜ、デート!
 親父さんがあの調子ってことは、ゆかりちゃんは今まで男とデートしたことがないはず。としたら、俺がゆかりちゃんの初デートの相手って事になるんだぜぇ。
 これはまさしく、ときめき初体験っ!
 勇躍教室に戻った俺に、好雄が話しかけてきた。
「よう、機嫌いいじゃねぇか」
「まぁな。好雄、その後夕子ちゃんとはうまく行ってるか?」
「冗談。あいつはただの友達だって」
 好雄は肩をすくめた。ったく、素直じゃねぇ奴。あいつが朝日奈を見る目が、他の女の子達を見るときとは違ってることに、この俺が気づかないとでも思ったか?
 他の奴はだませても、この俺は騙されないぜ。
「あ、よっしー!」
 ほらほら、噂をすればなんとやら。朝日奈さんがやってきたぜ。
 俺は好雄を肘でつついた。
 好雄はそっちを見て、へへっと笑った。
「朝日奈のやつ、しょうがねぇなぁ」
「行って来いよ」
「おう」
 好雄は立ち上がると、朝日奈の方に走っていった。俺はその後ろ姿に祝福を贈った。なにせ、そん時の俺は、たとえ伊集院にでも祝福を贈るくらい寛容になってたんだ。

「さて、これからどうしようか?」
 映画館を出て、俺はゆかりちゃんに訊ねた。
 時間は午後になったばかり。十分に余裕がある。
「さぁ。主人さんにお任せしてもよろしいですよ」
「オッケイ。じゃあ、どこかで昼御飯にしよう」
「そうですねぇ。ちょうどお腹も空いてまいりましたねぇ。よろしいですよ」
 ゆかりちゃんがにっこりと笑って賛同してくれる。
 よし、こないだ好雄に教えてもらったイタ飯の店に行ってみるかな。
「ゆかりちゃん、イタリア料理は大丈夫?」
「イタリアのお料理ですか? あまり食べたことはありませんが、大丈夫だと思いますよ」
「よっしゃぁ! じゃあ、一丁行きましょっか!」
 俺はそっとゆかりちゃんの手を握った。
 わ、しっとりとしてて柔らかい。
 なんだか、いいなぁ。
「あの、主人さん。わたくしの手がどうかしましたでしょうか?」
 そう言われて、俺ははっと我に返った。
「あ、うん。なんでもないんだ。行こう、行こう。あなたと私の二人で!」
 さしもの俺も混乱してしまって何を言ってるのかよく判らない状況だったが、ゆかりちゃんはにっこりと微笑んで頷いた。
「はい」

「で、どうしてお前さんがここにいるわけ?」
「それは俺のセリフだ」
 休日の昼のイタ飯屋は混んでいて、俺達は待たされる羽目になった。そこまではまだいい。だが、どうして好雄と朝日奈までいるんだ?
 俺は何やら話しているゆかりちゃんと朝日奈の方を伺い、小声で言った。
「ちっとは気を利かせろよ」
「それはこっちのセリフだぜ」
「ねぇ、よっしー!」
 不意に朝日奈が声をかけてきた。俺達は同時に彼女を見た。
 彼女は笑顔で言った。
「席、空いたって」
 俺達は店がいっぱいだったせいもあって、4人掛けの席に案内された。
 俺とゆかりちゃんが並んで座り、向こう側に朝日奈と好雄。
「まぁ、美味しそうですねぇ」
「とーぜんじゃん。ここってさぁ、こないだメモスポにも紹介されてたんだよ」
 スパゲティを前にしてはしゃぐ二人をよそに、俺と好雄は顔を付き合わせて密談をしていた。
「とにかく、ここを出たら何とか別れようぜ」
「ああ。このメンツでダブルデートなんてなったら、洒落になんないからなぁ」
「そそ。夏休みの遊園地と違って、秋の夜長には……」
 俺達は、ここで顔を見合わせてうぷぷと笑った。
「なんか、二人でやな感じぃ」
「如何なさいましたか? お料理が冷めてしまいますよ」
 ゆかりちゃん達の声に、俺達は我に返った。そして頷きあうと、猛烈な勢いでスパゲティをかきこんだ。

「ありがとうございました」
 ウェイトレスの声に見送られながら、俺達は店から出た。
「ふぅー。満足って感じ。超美味しかったねぇ!」
「そうですねぇ」
 今だ!!
 俺はゆかりちゃんの手を掴むと、猛然とダッシュした。
 とにかく、離れてしまえばこっちのモンだ!
 ぜいぜいぜい こ、これくらい離れればいいかな?
 ふぅ、急にダッシュするときついなぁ。
 後ろからは、喘ぎ声が聞こえてくる。
 はぁ、はぁ、はぁ。
 なんとも色っぽいなぁ。うん。
 とにかく、一度謝って……。
「な、何するのよぉ。公ってば、超強引って感じぃ」
 そう。男は時には強引になるんだ……って、その声はぁ!?
 俺は振り返って、自分の手を見つめた。
 小さな白い手。金色のブレスレットをした細い腕、そして、その先は……、ショートカットの赤い髪。
「あ、朝日奈夕子?」
「もう、いきなりなんだからぁ」
 朝日奈は、髪をかき上げると、俺を見た。額に、一筋の髪が汗に濡れて張り付いてるのが、艶っぽい。
 あー、待て待て。俺はゆかりちゃんとデートしてるんだし、朝日奈には好雄がいるんだろうが。
「と、とにかく戻ろうぜ」
「ええーっ? じゃあ、あたしを連れて逃げようとしたわけじゃないんだ。超ムカァ〜」
 超ムカだろうが超ブリンガーだろうが、ゆかりちゃんには変えられない。俺は店の前に戻っていった。

 結局、そのあとゲーセンに行くという好雄達に着いていく羽目になってしまった。

 電子音がやかましい店内にはいると、ゆかりちゃんは不安になったのか、ピッタリと俺にくっついた。
「あのぉ、ここはどのようなお店なのでしょうか?」
「お店って、ここはゲーセンだけど……」
「げーせん? もしかして、ゲームセンターというものでしょうか?」
「そうだけど……」
「あのぉ、ゲームセンターには行ってはいけないと、お父さまがおっしゃっておりましたので、わたくしは……」
 身を引こうとするゆかりちゃん。
 ラッキー。
 俺は好雄の方を見た。
「ってワケだから、俺達はちょっと出て……って、おい、おまえら!」
「このこの、よぉし、投げコンボ成功っ!」
「ああーっ、あたしのヨシミツがぁっ!!」
「へっへー。修行がたりん、修行が」
「超むかぁ! よーし、次はバーチャで相手したげるね!」
「あ、それは俺慣れてないってのに!」
 ……こいつら、俺が悩んでるってのに、遊びほうけやがってぇ!!
 まぁ、よかろう。
「行こう、ゆかりちゃん」
「はい」
 ゆかりちゃんは頷いた。

 ゲーセンを出て、時計を見るとまだ2時前だった。
「さぁて、どうしようか?」
「そうですねぇ。天気も良いことですし、公さんがよろしければ、散歩などしませんか?」
「散歩、いいね」
 というわけで、俺とゆかりちゃんは並んで歩き出した。
「もう、すっかり秋ですねぇ」
「だねぇ」
 相づちを打ちながら、空を見上げる。
 秋の太陽が、俺達二人を優しく照らしている。
 と、
 俺の全神経が不意に右手に集中した。
 柔らかいものが、俺の右手に触れたのだ。
 俺はそっちを見た。
 ゆかりちゃんが、俺の手を握っている。
 てをにぎっている……。
 俺の頭は一瞬思考停止した。と、
 今度はゆかりちゃんは、俺の右腕に左腕を絡めてきたのだ。
「ゆ、ゆかりちゃん?」
「あ……」
 ゆかりちゃんは立ち止まって、身を引いた。
「もうしわけございません。わたくし、そのぉ……」
 真っ赤になっちゃってる。可愛い。可愛すぎるぞぉぉっ!!
 待て、落ち着け、主人公。ここは余裕のある大人の男を見せて、ゆかりちゃんに好印象を与えるんだ。
 えっと、こないだ見た映画では、たしかこうして……。
 俺は、ちょっと腕を身体から離して、ゆかりちゃんに言った。
「どうぞ、お嬢さん」
 くぅーっ、決まったぜぇ。
「ありがとうございます」
 ゆかりちゃんはにこっと笑って、腕を絡ませてきた。
「昔、お父さまとこうして歩いたことを、思い出しますねぇ」
 あら、お父さまの代わりなのねぇ……。ま、いっかぁ。第一歩はこんなもんだろ。

 俺達は、寄り添って、歩道を歩いて行った。
 やがて、俺達の前に中央公園が見えてきた。俺はゆかりちゃんに聞いた。
「入ってみる?」
「ええ。よろしいですよ」
 ゆかりちゃんは頷いた。
「よぉし、行こう!」
 俺達は元気よく、並んで歩き出した。
 並木道をこうして歩いていると、俺でもなんだかロマンチックな気分になってくる。気分はもう外国映画の人だ。
 もっとも、ゆかりちゃんはそうは思っていないんだろうけど……。
 俺は、ゆかりちゃんを見た。
 お、おおーっ!?
 ゆかりちゃんが、頬を赤く染めてるっ!!
 これはもしかして、脈有り有りのこんこんちきよ、へっ、こちとら江戸っ子でいってやつなのかぁ?
 と。
 へくちっ
 ゆかりちゃんは可愛いくしゃみをした。
「少々、寒いようですねぇ」
 あ、そーゆーことなのね。
 まぁ、10月だし、ブラウスに薄手のカーディガンじゃ寒いかもなぁ。
 俺は、着ていた紺のブルゾンを脱いで、ゆかりちゃんの肩に掛けてあげた。
「これでよしっと、暖かくなった?」
「はい。でも、よろしいのですか? 主人さんの方が寒くなってしまうのではありませんか?」
「大丈夫だって。俺は丈夫に出来てるから。ほら、何とかは風邪引かないって言うでしょ?」
「まぁ、それなら、大丈夫ですねぇ。安心いたしました」
 ……否定して欲しかった。うるるんうるるん。
 判ってるよ、俺がやっても不気味なだけだってんだろ。

「少々疲れましたねぇ。休みませんか?」
 ゆかりちゃんが言ったので、俺は立ち止まり辺りを見回した。
 お、あんなところにベンチがある。あそこがいいかな。
「じゃ、あそこに座って休もう」
 俺が言うと、ゆかりちゃんはこっくりと頷いた。うん。
 ゆかりちゃんがベンチに座ると、俺は訊ねた。
「ジュースでも買ってくるよ。何にする?」
「そうですねぇ。十○茶でお願いします」
 うーん。さすがゆかりちゃん。侮れない。
 俺は自動販売機を探して駆け出した。

 畜生、伊○園め、もっと自販機増やせよなぁ。公園の外まで探しにいっちまったぜ。
 俺がようやく伝説の宝物を手に入れて戻ってきたのは十分ほどたってからだった。
 ゆかりちゃん、待っててくれるよな? まさか、怒って帰っちゃっていないだろうな?
 そんな俺の不安は、一心に編み物をしてるゆかりちゃんの姿を見つけて、一瞬のうちにフォールドした。
 俺は駆け寄った。
「ごめん。なかなか見つからなくってさ。はい」
「あら、ありがとうございます」
 ゆかりちゃんは顔を上げると微笑んで缶を受け取った。
 俺は、その隣に腰を下ろしながら訊ねた。
「何を編んでるの?」
「はい、セーターを編んでいるのですのよ」
「ふぅーん。やっぱりお父さんに?」
「いいえ。これは、大切な方への贈り物なのです……。あ、そうですわ」
 ゆかりちゃんは、缶を傍らに置くと、立ち上がった。
「主人さん、少々お手間を取らせていただいても構いませんでしょうか?」
「え? いいけど、何?」
「申し訳ありません。お立ちになっていただけます?」
「あ、はい……」
 立ち上がった俺に、次の瞬間、信じられない出来事が襲った。
 いきなり、ゆかりちゃんがぎゅっと俺に抱きついたのだ。
「わわっ、ゆ、ゆかりちゃん?」
「動かないでくださいまし……」
 妙に真剣な表情のゆかりちゃんに言われて、俺は硬直した。
 こ、これっていったいどういうことなんだろうか? おれにはなんだかよくわかんないけどきもちいい……。
 ああ、しんぞうがばくばくいってる。このままおれはてんごくにいってしまうのかそれはそれでいいかもしれない。
 と、ゆかりちゃんが離れた。
「良かったですわ。主人さんのサイズは、早乙女さんが教えて下さったのと変わりないようです」
「さ、さいずぅ?」
「はい。セーターのサイズです。早乙女さんに教えていただいたのですが、やはり自分で調べないと、安心できなかったものですから、失礼とは存じましたが測らせていただきました」
 ゆかりちゃんは腰を下ろして、再び編み物を始めた。
「な、なんだ、今のはサイズを測るためかぁ」
 俺は苦笑して腰を下ろしかけて、もう一つのことに気がついた。
「ゆっ、ゆかりちゃん!!」
「はい、何でしょう?」
「そのセーター、誰に送るの?」
「それは……言えません。わたくしの大切な人への贈り物ですから」
 ゆかりちゃんは頬を赤く染めながら、言った。
 俺は、思わず心の中でガッツポーズを取っていた。
(うっしゃぁぁぁっ!! 秋だけど、人生の春っ!!)

「今日は、本当に楽しかったですねぇ」
「ああ。ホントに」
 中央公園の出口で、俺達は別れの挨拶をしていた。
「それでは、失礼いたします」
「ああ。明日、またね」
「はい。学校でお逢いしましょう」
 ゆかりちゃんは丁寧に一礼すると、そのまま駅の方に歩いて行った。
 さて、と。
 俺は時計を見て、ちょっと考えた。
 好雄のやつ、うまくやったかな?
 ま、今から押し掛けて邪魔するような野暮な事はするまい。今日はさっさと帰るかな。
 俺は、ズボンのポケットに手を突っ込んで、口笛を吹きながら帰った。
 今日は、まずまずいい日だったな。そう思いながら。

 翌日。
「あ、好雄。昨日はどう……」
「ほっといてくれ。俺は今、人生について考えてるんだ」
 窓際に頬杖を着いて、好雄は仏頂面をしていた。その頬には、くっきりと赤い紅葉形がついていた。
 ……何があったかは、詮索しないことにしよう。それが男の友情だな。
 俺は、自分の席に戻ると、昨日のことを思い出しては、にひひと笑っていた。
 他人が見たら気持ち悪いだろうが、これでいいのだ。

《とっぴんからりのぷう》

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