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試合場から出ると、俺はあかりに訊ねた。
《続く》
「それじゃ、どうする?」
「うーん。松原さんのお祝いしようと思ってたのにね」
「主賓の葵ちゃんに先に帰られちゃ、しょうがないさ」
俺は肩をすくめる。あかりも頷いた。
「そうだね。それじゃ私たちも帰ろうか?」
「しょうがねぇか」
もう一度肩をすくめたところで、俺はある可能性に気付いた。
「……まさか」
「えっ?」
先に歩き出しかけていたあかりが振り返る。
「どうしたの、浩之ちゃん?」
「いや、葵ちゃんならあり得るな」
呟いて、俺は歩き出した。慌ててあかりが追いかけてくる。
「浩之ちゃん、どこに行くの?」
「学校裏の神社だ」
「えっ?」
石段を駆け上がっていると、上の方から耳慣れた音が聞こえてきた。
バシッ、バシッ、バシッ
小気味よい打撃音。
やっぱりな。
俺は一気に残りの石段を駆け上がり、境内を見回した。
思った通り、いつものように木に吊したサンドバッグに蹴りを叩き込んでいる葵ちゃんの姿があった。
「葵ちゃん!」
俺の声に、葵ちゃんは蹴りを止めて、揺れるサンドバッグを手で押さえた。それからぺこりと頭を下げる。
「こんにちわ、先輩! あれ? でも、どうして、ここに?」
「葵ちゃんがここにいるんじゃないかと思ってさ」
俺は葵ちゃんに歩み寄った。
葵ちゃんは俯いた。
「先輩達に挨拶しないで帰ってしまって、すみませんでした。それに、試合にも負けてしまって……」
「悔いの残る試合だったのか?」
「いいえっ」
葵ちゃんはぶんぶんと首を振った。それから俺を見上げる。
「私、全力を出しきりました。負けたけど、でも全てを出しての負けですから……」
その頭にぽんと手を乗せる。
「……それじゃ、どうしてここに来たんだよ?」
「えっ?」
「負けたけど、全てを出し切って納得してる、か? 違うだろ?」
「……はい」
葵ちゃんは、こくりと頷くと、サンドバッグに向き直った。
「後悔……ばかりです。あのとき、ああすれば良かったんじゃないか、こうすれば良かったんじゃないか、そんなことばかりで……」
とん、とサンドバッグに手を付いて呟く葵ちゃん。
「せっかく綾香さんと闘えたのに、こんなんじゃ……。すみません……」
「……安心した」
「えっ?」
きょとんとして振り返る葵ちゃんに、俺は腕組みして笑って見せた。
「これでもし、葵ちゃんが『全力を出しきったから満足です』なんて言いながらへらーっとしてたら、逆に俺はがっかりしただろうな」
「先輩……」
葵ちゃんの表情が不意に歪んだ。ぐっと拳を握りしめて、そのままえぐっとしゃくり上げる。
「私、悔しいですっ! 綾香さんに負けてっ」
葵ちゃんに歩み寄ると、その肩をぽんと叩く。
「葵ちゃん……」
葵ちゃんは顔を上げた。その頬を、涙が一筋流れ落ちる。
俺は頷いて見せた。
「せっ、先輩っ……、わ、私……、うわぁーーーん」
そのまま、葵ちゃんは俺の胸に顔を押しつけて泣きじゃくった。
そうだ、今日は泣きたいだけ泣くがいい。その涙を、明日からの闘志に変えるのだっ。
……うーん、葵ちゃんと一緒だとどうも思考がスポ根になってしまうなぁ。
しばらくして、ようやく落ち着いた葵ちゃんと俺は、社の縁側に並んで腰掛けていた。
「……す、すみませんでした……」
真っ赤になって頭をぺこぺこ下げる葵ちゃん。
「私ったら、先輩になんてことを……。ううっ、これじゃ綾香さんを倒すなんてまだまだです……」
「それは違うと思うぞ……」
と、
「あっ、ここにいたんだ」
ひょこっとあかりが顔を出す。
慌てて縁側から飛び降りて、頭を下げる葵ちゃん。
「あっ、神岸先輩っ! す、すいませんっ! えっと、その、私っ」
「あのね、私と浩之ちゃんで、葵ちゃんのご苦労様会やろうと思ったんだけど、来てくれるかな?」
笑顔で話し掛けるあかり。葵ちゃんは慌てて手を振る。
「そ、そんなの悪いですっ! それに、私、その……、負けちゃったし……」
最後は俯いて小さな声になる葵ちゃん。
あかりは笑顔で言った。
「ううん。松原さんすごく頑張ったと思うよ。ね、浩之ちゃん」
「おう。それに、試合してすぐに激しいトレーニングをするのは疲労がたまってかえって良くないぞ、葵ちゃん」
「そうでしょうか……?」
葵ちゃんは少し考えていたが、こくりと頷いた。
「わかりました。それじゃ、参加させていただきます」
「ああ。たまには、楽しんだって罰は当たらないぞ」
「はいっ。それじゃ、道具を片付けて、着替えてきます」
ぺこりと頭を下げて、葵ちゃんはたたっと走っていった。
俺は、さてと、とあかりを手招きした。
「うん、どうしたの、浩之ちゃん?」
近寄ってきたあかりの頭をうりゃと腕で抱える。
「あいたたたっ、痛いよ浩之ちゃんっ」
「なにが、あ、ここにいたんだ、だ。ずっと隠れて見てたんだろ?」
「えっ? な、なんのことかなっ?」
そらっとぼけるあかり。俺はため息混じりに言った。
「ここに来たばかりなら、石段上がってきて息を切らしてるはずだろ? そんな様子がなかったってことは、ずっと隠れてみてたってことだ。違うか?」
「うっ。……ご、ごめん」
あっさり謝るあかり。こんなとき志保なら「息を切らさないようにこそっと上がってきたのよっ」とあくまでもしらを切るところだけどな。ま、そんなところもあかりらしいか。
俺は苦笑して、あかりの頭を解放してやった。それから、枝から吊してあるサンドバッグを外しにかかる。
「あっ、あたしも手伝うよ」
「やめとけって。お前には重すぎるからな。よっと」
ドスン
枝から外して地面に下ろす。その音を聞いて、あかりは頷いた。
「そうみたいだね……」
「それより、髪。ぐしゃぐしゃだぞ」
「ええっ!?」
慌てて自分の髪を整えるあかり。その間に、俺は外したサンドバッグを縁の下に入れた。
「はぁ〜。浩之ちゃん、ひどいよ〜」
髪を手櫛で整え、ついでにずれていたヘアバンドの位置を直してから、あかりは膨れて俺を見上げた。
と、そこにトレーナーにホットパンツという格好に着替えた葵ちゃんが駆け戻ってきた。
「お待たせしました。あっ、サンドバッグ片付けてくださったんですか? すみません」
「いいって。よし、行くぞあかり」
「あっ、うん」
頷いて立ち上がるあかり。
俺達は石段を並んで降りていった。
「……で、俺達はヤックに来たわけだ」
俺は説明を終わると、俺の前で並んで座っている2人に視線を向けた。
「それじゃ、そっちの説明をしてもらおうか、雅史」
「説明って言われても……。とりあえず昨日退院したから、入院中色々とお世話になったお礼を込めて、今日一日商店街をぶらぶらしてただけだよ。ね、姫川さん」
「はい」
雅史の隣りに座っている琴音ちゃんは、笑顔で頷いた。
「それで、ヤックに入ろうとしていたら、藤田先輩達とばったりと出逢ったんです」
「なるほど」
「でも、せっかく二人きりだったのに、ちょっと残念です」
済ました顔でそう言って、ジュースのストローに口をつける琴音ちゃん。
「ご、ごめんね……」
「ふふっ、冗談ですよ」
「そ、そうなんだ。あはは……」
おお、あかりがあっさりとあしらわれているじゃないか。琴音ちゃん、しばらく見ないうちに小悪魔レベルが上がってるぞ。
俺はこっそり雅史の耳に囁いた。
「どうやら琴音ちゃんとはうまくいってるみたいだな」
「浩之の想像に任せるよ」
涼しい顔をして答える雅史。俺はその頭を軽く小突いた。
「言うようになったな、雅史も」
「まぁ、浩之に鍛えられてるからね」
……琴音ちゃんにも、ってことかもな。
俺が、弟分の成長に目を細めていると、下級生二人が会話を交わしていた。
「でも、ごめんなさい、松原さん。知ってたら応援に行ったのに……」
「あっ、別にいいんですっ」
琴音ちゃんに言われて、慌ててあたふたと手を振る葵ちゃん。そして俯いて呟く。
「今はまだ、見に来てください、なんて言えませんから」
「葵ちゃん……」
「でも、きっと、自信を持って見に来てくださいって言えるときが来ますから。その時は……」
「ええ。きっと、見に行きます」
琴音ちゃんは微笑んで頷いた。
下級生二人とヤックの前で別れると、俺達は3人で帰り道を歩いていた。
すっかり日も暮れ、空には星が見えていた。
「こうして3人で歩くのも、久しぶりだね」
「ああ、そうだな……」
「うん」
幼なじみの3人、か。
「……浩之、あかりちゃん」
不意に雅史が言った。
「僕達、いつまでも友達だよね」
「……なに当たり前のこと言ってる? まぁ、俺とあかりは友達を越えたけど」
「ひっ、浩之ちゃんっ」
かぁっと赤くなるあかり。
「わ、私はその、ええっと、でも浩之ちゃんがそう言ってくれるのは嬉しい……って何言ってるんだろ私っ」
「……いいから、ちょっと落ち着け、あかり」
「うっ、うん」
こくこくと頷くと、深呼吸するあかり。それから、きっと顔を引き締めて俺を見る。
「よし、落ち着いたよ」
「……悪いな、雅史。話の腰を折って」
「ううん」
雅史は笑顔で俺達を見ていた。
「浩之とあかりちゃんに、聞いて欲しいんだ」
「何をだ?」
聞き返すと、雅史は夜空を見上げた。
「僕は……多分、姫川さんが好きなんだと思う」
「……」
俺とあかりは顔を見合わせた。それから、俺は訊ねた。
「琴音ちゃんにそのことは言ったのか?」
「ううん」
首を振ると、雅史は俺達に視線を向けた。
「その前に、浩之達に聞いてもらいたかったんだ」
「そりゃいいけど……」
「うん、私はお似合いだと思うよ」
あかりがにこにこしながら言う。俺は雅史の背中をバンと叩いた。
「思い切って告白して砕け散ってしまえっ」
「いたた……。うん、そうだね。砕け散るのは嫌だけど」
背中を押さえて顔を顰める雅史。あ、そういえば昨日退院したばかりだったな、こいつ。
「悪い。痛かったか?」
「ちょっと」
「もう、浩之ちゃん乱暴なんだから。雅史ちゃん、大丈夫?」
「あ、うん。ちょっと痛かっただけだから」
あかりに答えると、雅史は俺に顔を向けた。
「それじゃ、僕はここで。お休み、二人とも」
「ああ」
「お休み、雅史ちゃん」
雅史は背中を向けてたたっと走っていった。
それを見送ってから、あかりはほっとため息をついた。そして俺に視線を向ける。
「雅史ちゃんと琴音ちゃん、うまくいけばいいね」
「あかり、実はちょっとほっとしてるだろ?」
「ええっ? そ、そんなことないよっ」
あたふたと手を振るあかり。相変わらず嘘の下手な奴だ。
俺はその手を掴んでぐいっと引っ張り寄せた。不意を突かれて、俺の胸の中にすっぽりと収まるあかり。
「きゃっ。浩之ちゃん? ……あっ……」
俺達は、しばらくその場でそうしていた……。
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あとがき
それはそよ風のごとく 第29話 00/11/24 Up