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Multi's father

「ふわぁ〜」
 俺は大きく欠伸をして、強ばった肩をグルグル回す。
 徹夜なんて最近じゃやってなかったからなぁ。もう俺も歳かぁ。
「あ、長瀬主任。おはようございます」
 ちょうど研究室に入ってきた市之瀬が、俺が椅子を並べた即席ベッドから体を起こしているのを見て、声をかけてきた。
「よぉ。お前さんも泊まりかぁ?」
「ボクだけじゃないですよ。マルチ斑はみな泊まり込みですよ。あ、コーヒーでも入れましょうか?」
「おう、頼む。濃い奴をブラックでな」
「はい。それじゃ、ちょっと待っててくださいね」
 部屋を出ていく市之瀬の後ろで、ドアが閉まる。
 俺は、窓にかかったブラインドを指でずらしてみた。
 まだ、夜明け前か。
 マルチの奴、どうしてるかな。

 オレ達、来栖川電工中央研究所第7研究開発室HM開発2課(長いのでHM2課と呼ばれてる)は、ここ1年ばかりかけて、一体のメイドロボの開発をやっていた。それが、HMX−12、通称マルチだった。
 ライバルチームとも言うべきHM1課では、同時期にHMX−13、通称セリオを開発しており、当然2体はいろいろな意味で較べられる。
 そもそも開発コンセプトがまるで違う2体。
 サテライト・ナビゲーションシステムを搭載し、最初からプログラミングされたことをそつなくこなすセリオ。
 そして、学習型で感情を持ったマルチ。
 どちらかのプロジェクトを縮小し、安価な量産型メイドロボのラインとする、と。
 そして、その選抜のためのテストという意味が、この学校に通わせるという運用テストには込められていた。
 勿論、マルチはそんなことは知らない。部下達も知らない。うちで知ってるのは俺だけだった。……昨日までは。
 俺は煙草を吹かしながら、夕べのことを思い出していた。
『す、すみませぇぇん。ありがとうございますぅ〜』
「いいってことよ。それじゃ、しっかりお礼するんだぞ」
 カチャ
 そう言って、俺は電話を切った。そして、まわりにつめかけてる開発スタッフの皆の顔を見回して言った。
「あー、マルチは今日は外泊するそうだ」
 一瞬、どよめきが走った。
「大丈夫なのか? バッテリーは」
「計算上は持つ。問題ない」
「しかし、運動量によっては……」
「燃料電池を併用すれば、十分だろう」
「でも、長瀬主任、そんなことして大丈夫なんですか?」
 市之瀬が尋ねた。俺の部下で、マルチの感情プログラムを作った名人とも言うべきプログラマ。
「そんなことって?」
「俺、貝原に聞いたんですよ」
 貝原は、HM1課でセリオのナビゲートシステムの開発をした奴だ。市之瀬とは同期で、どうもこいつにライバル心を持ってるらしい。
「ほう? 何を?」
 市之瀬は、静かに言った。
「うちとHM1課のどっちかが、予算を削られる。そしてそれは、この運用テストで決まるって」
 まわりの皆がまたどよめいた。
「主任、本当なんですか!?」
「そんなバカな!」
 俺は煙草に火をつけながら、うなずいた。
「本当だ。もうひとつついでに言うと、今日中に最終報告書を提出しなけりゃならん」
「そんな! マルチは帰ってこないんでしょう? そんな状態で報告書なんて出せるわけないじゃ……。まさか、主任!?」
「ああ」
 灰皿に煙草を押しつけて消しながら、俺はうなずいた。
「最終報告書は、上には出さない」
「どうしてですか? それじゃマルチは……」
「俺は、この運用テストで決めるとなったときから、もうあきらめてるんだ。いいか? 俺達のマルチの真価が1週間かそこらのテストでわかるもんか。そうだろ?」
 マルチは学習型メイドロボだ。つまり、学習することで能力を向上させていくタイプだ。最初からすべてをプログラムされているセリオと、たかだか1週間の運用テストで較べられちゃ、そりゃ相手になるはずもない。
 だから、俺はそのことを皆には言わなかったんだ。
「それにな、報告書を書かなきゃならないから帰ってこいって、マルチに言えるか? 俺には言えないぜ」
「……!」
 市之瀬はハッとしたように顔をあげた。
「マルチに、心が宿ったんですね」
 その言葉に、今度はまわりの連中もハッとなる。
 俺はもう一本の煙草に火をつけた。紫煙が天井に向かってのび、そして空気清浄機に吸い込まれていくのを目で追いながら、うなずく。
「今までのマルチは、感情を持ったメイドロボだった。でもな、今のマルチは、心を持ったメイドロボなんだよ」
 カチャ
 ドアが開き、市之瀬が紙コップを持って入ってきた。
「どうぞ」
「ああ」
 俺は、窓から離れると、市之瀬から紙コップを受け取った。
「これから、マルチはどうなるんですか?」
「……予算を切られるからな。誰でも買える安価な量産型として、再設計ってことになるだろうな」
「それじゃ、今のマルチは……?」
「感情部分のデータは破棄だな。あくまでもシステムのデータのみを量産機にフィードバックするってことになるだろう」
「……ですよね。上の決定には逆らえませんものね」
 俺は、コーヒーをすすりながら、言った。
「マルチのことだ、始発のバスで帰ってくるだろうな。とすれば、そろそろここに着くはずだ。市之瀬、データのバックアップを取る準備は?」
「え? でもどうせ破棄されるんじゃ……」
「公式には、な。だけど、それじゃマルチもかわいそうだろ? 確かめたいこともあるしな」
 ちょうどそのとき、ノックの音がした。
 コンコン
「どぉぞぉ〜」
「あ、あの、おはようございますぅ」
 おずおずと顔を出したのは、思った通りマルチだった。
「ただいま、帰りましたぁ。あ、あの……」
「お帰り」
 市之瀬が笑顔で歩み寄った。
「どこもおかしくしてないか?」
「え? あ、はい、大丈夫……、あれ?」
 ポタッ
 マルチの足下に、水滴が落ちた。
「ど、どうしたんでしょう? うっ……、す、すみません、排水システムが……おかしくなってるみたいで……、ううっ……」
 ポタッポタッ
「マ、マルチ、おい、どうしたんだ?」
 おろおろする市之瀬。人生経験が薄いねぇ。
「どれ」
 俺は市之瀬に紙コップを渡すと、マルチに尋ねた。
「よくしてもらったかい?」
「え? あ、はい。とっても、とってもよくしてもらいました」
 ぐすんと鼻をすすって、マルチは顔をあげた。
「そうか」
 俺はマルチの頭をポンと叩いた。
「よかったな」
「長瀬さぁん……、びえぇ〜〜〜〜〜ん」
 マルチは俺に飛びついて泣きじゃくり始めた。俺はその背中をポンポンと叩いてやる。
「市之瀬。こういうときは、好きなだけ泣かせてやるってのが、いい父親ってもんだぞ」
「は、はぁ……」
 翌日の会議で、セリオの開発続行と、マルチの簡略化に向けた再設計が決まった。それまでのマルチチームの主任だった俺は、新しく別セクションに移動することになった。早い話が、マルチの開発は失敗。俺は責任を取らされて左遷、ってことだ。
 まぁ、そんな話はどうでもいい。俺には他にやることがあった。
 藤田裕之。
 マルチのメモリの中に、「ご主人様」として記録されていた少年。おまけにマルチの胎内からは……。まぁ、そんなことはどうでもいい。
 ともかく、彼がどんな少年なのか、俺は見てみたくなった。
 娘に男が出来て、その男を見に行く父親か。なんだか情けないシチュエーションではあるなぁ。
 そんなことを思いながら煙草をふかしてると、市之瀬が足早に俺に近寄ってきた。
「主任、こんなところにいらっしゃったんですか」
「おいおい、もう俺は主任じゃねぇよ」
「いえ、マルチがいる限り、あなたは私達にとっては主任です」
 俺は肩をすくめた。
「そういう態度は組織じゃ誉められないぞ」
「誰がこういう態度を教えてくれたんでしょうね?」
 笑って言う市之瀬。やれやれ。
「まぁ、いいか。とりあえず、俺の最後の仕事になるかな」
 俺は手近な灰皿で煙草をもみ消した。そして言った。
「んじゃ、ちょっと出かけて来るわ」
 それから数年がたったある日。
 休憩室でのんびりと煙草を吸っていた俺の所に、市之瀬がかけ込んできた。
「来ました、来ましたよ、主任!!」
「何が?」
「藤田くんから、マルチの購入依頼が来たんですよ」
「ほう」
 俺は煙草をもみ消した。
「それじゃ、打ち合わせ通りに」
「ええ、もう彼の所にはマルチを……HMX−12を送る手筈になってます」
「そうか。起動用DVDは……」
「同封してません。万一、別人に渡っちゃ大事ですしね。彼自身が使うと判明した時点で送付するつもりです」
「ユーザー登録するまで、待つか。まぁ、無理ないな」
 そう答えながら、俺は研究室の奧で眠るマルチの姿を思いだして、苦笑いした。
「娘を嫁がせる父親って、こんな気分なのかねぇ?」
「かも、しれませんね」
 市之瀬も笑顔を見せた。そして一礼する。
「それじゃ、その手続がありますので」
「おう、よろしくな」
 俺は市之瀬の背中を見送ってから、大きく深呼吸した。
 いよいよ、嫁入りか。
 そう考えて、苦笑すると、俺は窓ごしに空を見上げた。

To ENDING

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