「浩之ちゃん、待ってよ〜」
お・し・ま・い
放課後になり、そのまま真っ直ぐ帰ろうとしていた俺は、校庭を横切っていたところで呼び止められた。
振り返ると、あかりが駆け寄ってきた。俺の前まで来て、膝に手を当てて深呼吸する。
「ふぅ……」
「ったく、何やってんだ?」
「うん」
息を整えてから、あかりは顔を上げて微笑んだ。
「一緒に帰ろうと思って」
「そりゃかまわねぇけどさ」
「よかった」
ほっと一息ついて、それからあかりは俺の腕を取った。
「それじゃ、商店街に寄っていこ」
「お、おい……」
「なーんちゃって」
ぱっと離れると、あかりはぺろっと舌を出した。
「冗談だよ、浩之ちゃん」
「……今のは、もしかしてあかりギャグってやつか?」
「そうだよ」
俺は無言であかりの頭を叩いた。
「あいたっ」
「しょうもないことするからだ」
「ほんの冗談なのに……。あ」
あかりが、校舎の方を見て、俺に笑いかけた。
「残念。ここまでだね」
「は?」
振り返ると、琴音ちゃんが昇降口から出てきたところだった。辺りを見回してから、俺達に気付いた様子で、こっちに小走りにやってくる。
あかりが、俺の耳元で囁いた。
「浩之ちゃん、琴音ちゃんには優しくしてあげなくちゃだめだよ」
「あのな……」
言い返そうとしたときには、もう琴音ちゃんが来ていた。
「はぁはぁはぁ……、お、お待たせしました……」
それだけ言うと、呼吸を整えてから、あかりにもぺこりと頭を下げる。
「こんにちわ、神岸先輩」
「こんにちわ、姫川さん。それじゃ、浩之ちゃんはお返しします」
あかりは俺の背中をぽんと押して言った。
「えっ?」
「それじゃ、またね、浩之ちゃん」
俺達からすっと離れて、あかりは軽く手を振ると、身を翻した。
俺は肩をすくめて、琴音ちゃんに言った。
「それじゃ、行こうか」
「……あ、はい」
ワンテンポ遅れて、琴音ちゃんは頷いた。
並んでゆっくりと、通学路の坂道を下っていく。
不意に、琴音ちゃんが口を開いた。
「やっぱり、神岸先輩は藤田先輩のこと……」
「さぁな。一つだけはっきりしてるのは……」
俺は鞄を肩に担ぎ上げて、そこで言葉を切った。
「何ですか?」
琴音ちゃんが俺の顔をのぞき込む。
「……内緒」
「あ、ずるいです」
そう言って、琴音ちゃんはくすっと笑った。それから、俺に視線を向けた。
「もうすぐ、クリスマスですね」
「ああ、そうだな。今年は期待してるから」
「やだ、プレッシャー与えないでくださいよ」
恥ずかしそうな顔になる琴音ちゃん。うん、可愛いよなぁ。
とはいえ、ずっと恥ずかしがらせておくのもあれなので、俺は話題を変えた。
「最近はどう?」
「大丈夫です。ちょっとずつ使ってますから」
琴音ちゃんは答えた。
言うまでもないが、琴音ちゃんの超能力のことだ。
琴音ちゃんの超能力は、念動力だ。ものに手を触れないで動かしてしまうっていうあれのことだ。
この力、どうやら使わないでいるとどんどん溜まっていって、突然、制御不能な発動をするらしい。例えるなら、風船にどんどん息を吹き込んでいくと、しまいには破裂してしまうのと同じ。で、それを防ぐには、毎日少しずつでも力を使うことが必要なんだそうだ。
……って、どっかの本の受け売りなんだけどね。
「なら安心だな」
「はい。今のところ大丈夫ですよ」
「そっか」
俺はぽんと琴音ちゃんの頭に手を乗せた。
「きゃ」
「あ、悪い」
慌てて手を引っ込めようとしたが、琴音ちゃんが俺の手を押さえた。
「あ、いえ、急だったからびっくりしただけです。大丈夫ですから」
「そうなの?」
「はい。それに暖かいし……」
「あ、俺の手をカイロ代りに使おうとしてるのか?」
「あは、ばれました?」
ぺろっと舌を出すと、琴音ちゃんはくすっと笑った。
「この。天誅だ!」
くしゃっと髪の毛をかき回す。
「きゃぁ、やめてください〜。セットが乱れちゃう〜」
笑いながら逃げ出す琴音ちゃん。と、不意に何かにつまづいた。
「きゃっ」
「危ない!」
とっさに俺はその手を掴んだ。
「あ、ありがとうございます……」
「琴音ちゃんが軽くて助かったぜ」
俺は琴音ちゃんを引き戻した。それから、頭をこつんと叩く。
「足下には気を付けること」
「はぁい」
琴音ちゃんはばつの悪そうな顔をして、それから笑った。
その数日後。
「……え?」
「ごめんなさい、藤田先輩」
電話の向こうで、琴音ちゃんが辛そうな声で言った。
俺は苦笑した。
「しょうがないよ。検査なんだろ?」
「……はい」
琴音ちゃんの電話は、検査のためアメリカに行かなければならない、というものだった。
「クリスマス、一緒にいられなくて……」
「でも、年明けには戻ってこられるんだろ?」
「はい。でも……」
「大丈夫。浮気しないで待ってるから」
冗談ぽく言うと、やっと受話器の向こうで琴音ちゃんがくすっと笑った。
「それ、信じてもいいですよね?」
「ああ」
俺は大きく頷いた。
「神に誓って」
「神様は……ダメですよ」
琴音ちゃんは、囁くような声で言った。
「私のお願い、聞いてくれなかったんですから」
「お願いって?」
「クリスマスは、藤田先輩と二人っきりで過ごしたいって、お願いしてたのに……」
ううっ、いい娘だなぁ。
思わず感動してしまう。
「よし。それじゃこうしよう……」
そして、クリスマスイブの宵口。
俺は家の玄関先で、それなりにカジュアルな格好に着飾ったあかりと話していた。
「浩之ちゃん、本当に行かないの? 来栖川先輩も是非いらっしゃって下さいって言ってくれたのに……」
俺は頷いた。
「ああ。だからお前だけで行ってこいって」
「でも……。私も行かないでおこうかな……」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。志保でも誘って一緒にいけって」
「浩之ちゃん……」
あかりは、俺の顔を見てから頷いた。
「うん、それじゃそうする」
「悪りぃな。芹香先輩にもよろしく伝えといてくれ」
「うん。後でおみやげ持ってくるね」
そう言うと、あかりは振り返って歩いていった。
それを見送ってから、ドアを開けて、家の中に戻ろうとした。
「あっ、藤田くんっ!」
「え?」
後ろから呼ばれて振り返ると、ぴょんと跳ねた黒髪が駆け寄ってきた。
「あれ? 理緒ちゃん? その格好、今日もバイトか」
「うんっ」
宅配便屋の制服姿で、小さな段ボール箱を抱えた理緒ちゃんは、元気良く頷いた。
「こんな日までバイトとは、大変だな」
「ううん、私慣れてるから大丈夫」
笑うと、理緒ちゃんは俺にその段ボール箱を差し出した。
「ちょうどよかった。はい、宅急便だよ」
「え? 俺にか?」
俺はその段ボールを受け取った。
「サンキュ」
「いえいえ、お仕事だもん。あ、ここにサインくれるかな?」
伝票を取り出す理緒ちゃん。
俺はとりあえずその段ボール箱を置くと、理緒ちゃんにボールペンを借りてサインした。
「藤田……と。これでいいかな?」
「うん、ありがと」
「それじゃ、バイト、ガンバレよ」
「うんっ! じゃ、またねっ!」
理緒ちゃんは元気良く走っていった。俺は段ボール箱を小脇に抱えて、ドアを開けた。
パタン
ドアを閉めて、俺はふぅとため息をついた。
芹香先輩直々のお誘いを断っちまったのは悪いと思うが、でもクリスマスパーティーなんて出てる気分じゃなかったんだ。
……それにしても、なんだ、これは?
俺は段ボール箱に張り付けてある送り状を見た。
そこには見慣れた漢字ではなく、ミミズがのたくったような文字が続いている。……なんだ? これ、もしかして外国から……?
外国……。
俺はその文字の上に指を滑らせた。目的のものは、すぐに見つかった。
Kotone Himekawaの文字。
琴音ちゃんから?
靴を脱ぐのももどかしく、俺はリビングに駆け込んだ。カッターナイフで、段ボール箱を開ける。
すると、その中にもう一つ、段ボール箱があった。そしてその上に便せんが一枚。
畳んである便せんを開く。
「浩之さんへ
この箱は、まだ開けちゃダメですよ」
間違いない。琴音ちゃんの筆跡だ。……でもどういうことだ?
と。
トルルルル、トルルルル、トルルルル
電話が鳴りだした。俺は受話器を取った。
「はい、藤田です」
「浩之さん?」
やや遠いが、間違いない。俺は受話器を握りしめた。
「琴音ちゃんか!? もしかして、国際電話?」
「はい、そうです。そちらはイブの夜、ですよね?」
「ああ」
「こっちは、イブの日になったところなんですよ」
あ、そうか。時差があるもんな。
「って、そっちは真夜中じゃないのか? いいのか、電話なんてして……」
「はい、大丈夫ですよ。それより、荷物届きました?」
「ああ、たった今な。なんだ、この開けないでっていうのは」
「よかった。あの……お願いがあるんですけど」
遙か彼方の琴音ちゃんが、ちょっと緊張した声で言った。
「な、なに?」
「まずその箱を、床に置いて下さい」
何をするつもりだろ?
とりあえず、言われるとおり床に置く。
「置いたよ」
「それじゃ、ですね。その箱につま先を当てて、立ってくれますか?」
これまた、言われるとおりに立つ。
「立ったよ」
「それじゃ、最後です。あの、目を閉じてください」
「目を?」
「ちょっとびっくりするかもしれないですけど、いいって言うまで、絶対、開けちゃだめですよ」
言われて、目を閉じる。
「閉じたよ」
「はい。それじゃ……」
すぅっと息を吸うような音が聞こえて、そのまま受話器の向こうも静かになった。
どうしたんだろうと思ったとき、足下の箱のある辺りで、バリバリバリッと音がした。
思わず目を開けそうになるのを、こらえる。
と。
ふわりと首の回りに何かがかかった。そして、受話器の向こうで大きく息をするような音。
「も、もういいです。目を開けてみて、ください」
俺は目を開けた。
足下にあったはずの段ボールの箱が無くなっていて、その代わりに、リビングじゅうに細かい段ボールの破片が飛び散っていた。
そして、俺の首には、青いマフラーが掛かっていた。
「琴音ちゃん、もしかしてこのマフラー……」
「うまく、かけられました?」
息を整えて、琴音ちゃんが訊ねた。
そうか。アメリカから念動力で、俺にマフラーをかけてくれたのか。
「ああ。ありがとう、琴音ちゃん」
俺は、マフラーを手に取ってみた。
手編みのマフラー。ちゃんと俺のイニシャルまで入ってる。
「あの、もし良かったら、そのマフラー、受け取ってもらえますか?」
恥ずかしそうな声で訊ねる琴音ちゃん。
俺はなんだかじーんとして、答えた。
「ああ。琴音ちゃん」
「はい?」
「早く帰って来なよ。俺も琴音ちゃんにお返ししないといけないからさ」
「はいっ。楽しみにしてますね。あ……」
向こうで英語の会話が聞こえて、それから琴音ちゃんの声が聞こえた。
「ごめんなさい。看護婦さんに見つかっちゃいました。もう切らないとダメみたいです」
「ああ。こっちこそ。琴音ちゃん……」
俺は深呼吸して、言った。
「メリー・クリスマス」
「はい。メリー・クリスマス」
ピッ
電話が切れた。
俺は、青いマフラーを、もう一度首に巻いてみた。
不思議と、とても暖かいような気がした。
あとがき
シンシアメイデン購入記念作品(笑)
Long Distance Call 99/12/16 Up