改札口を抜けると、そこは雪国だった。
お・し・ま・い
「……マジ?」
誰にともなく、独り呟いてしまう俺。
まぁ、日本海側だから、雪は降ってるだろうな、とは予想してたけど、まさかこれほどまでとは。
見渡す限り、全てのものが雪に覆われた風景を眺めて、俺はしばし呆然としていた。
その間にも、ひっきりなしに白いものが空から舞い降りてくる。
と。
「……耕一さん」
俺を呼ぶ声が聞こえた。
そちらに視線を向けると、赤い傘にコート姿の楓ちゃんが立っていた。
「やぁ」
軽く手を上げて、そちらに近寄ろうとした足が、雪で滑った。
「おわっ!」
「危ない!」
ドサッ
慌てて俺を支えようとした楓ちゃんだが、体格が違いすぎる。結局俺は楓ちゃんを巻き込んで倒れる格好になってしまった。
赤い傘が飛ぶのが、視界の端に見える。
トクトクトク
ちょうど抱き合うような形になった楓ちゃんから、早い鼓動が伝わってくる。
「こ、耕一さん……」
「わわっ、ごめん」
俺は慌てて起き上がった。また足が滑りかけたが、今度は根性で持ちこたえ、楓ちゃんを引っ張り起こす。
「大丈夫?」
「あ、はい」
こくりと頷く楓ちゃん。
「えっと……、ごめん」
もう一度謝ると、楓ちゃんはくすっと笑った。
「もういいですよ。あ、それより姉さん達や初音も待ってますから」
「そうだね。それじゃ行こうか」
俺は傘を拾い上げて、楓ちゃんに渡した。
「はい」
「あ、すみません。……耕一さんは?」
肩をすくめる俺。
「傘は持ってこなかったんだ。まぁ、雨じゃないから……」
「だめですよ」
そう言ってから、楓ちゃんは俯いた。そして、傘を俺に差し出す。
「使ってください」
「でも、楓ちゃんが……」
「私は……いいですから」
「よし」
俺は傘をさすと、楓ちゃんにさしかけた。
「それじゃ、相合い傘で行こうか」
「えっ?」
楓ちゃんはかぁっと赤くなると、それからこくんと頷いた。
「……はい」
俺達は、並んで歩き出した。
大学も冬休みに入り、どうにも暇をもてあましていた俺は、千鶴さんの誘いを受けてこの隆山にやって来た。いや、俺の感覚からいえば、戻ってきた、という方が正しい。
そう。あの夏から、ここが俺のふるさとになった、と言ってもいいのだから。
「でも、悪いね。わざわざ駅まで迎えに来てもらって」
「いえ……。本当は他のみんなも来たがってたんですけど、千鶴姉さんは仕事だし、梓姉さんや初音は学校の方向が違いますから」
「あれ? でも楓ちゃんの学校も……」
「耕一さん」
楓ちゃんが、なんとなく恨めしそうな表情をして俺を見上げた。俺は笑って、その頭を撫でた。
「ありがとう」
「……はい」
楓ちゃんは、ぽっと赤くなると、マフラーに顔を埋めた。
俺は辺りを見回した。
「それにしても、すごい雪だな」
「この辺りは、毎年こうですよ」
「ああ。でも俺の住んでるところは、雪なんて年に1回積もるか積もらないかだもんなぁ」
「そうですか……」
「やっぱり、雪下ろしとかするの?」
ニュースなんかで見る雪国の風習を思い出しながら訊ねると、楓ちゃんはこくりと頷いた。
「はい。そうしないと屋根が潰れちゃいますから。……去年までは、叔父様がやってました」
「……そっか」
俺は、屋根の上で雪下ろしをしている親父の姿を思い描こうとした。でも、親父の顔は浮かんでこなかった。
「……」
楓ちゃんは、視線を雪に埋もれた足下に落とした。
そう。俺にとっては、いい親父じゃなかった。でも、楓ちゃん達にとっては、両親を失った後、心の支えになってきた親父だったんだ。
「よし、それじゃここにいる間は、俺が雪下ろしするか」
「……えっ?」
「それくらいはしないと、本当にぐーたらになっちまいそうだしな」
そう言って笑うと、楓ちゃんも微かに微笑みを見せてくれた。
「頼りにしてます」
カラカラッ
「ただいま」
玄関のドアを開けて、楓ちゃんが声を掛けると、奧から初音ちゃんが出てきた。俺の姿を見てぱっと顔を明るくする。
「お兄ちゃん!」
「よ、初音ちゃん。ただいま」
「うんっ、お帰りなさいっ。寒かったでしょ? こっちにこたつ出してるから、暖まってね」
「あんだ、もう来たのかよ」
そう言いながら、台所から顔を出す梓。
「よう。千鶴さんは?」
「千鶴姉えならまだ会社だよ。腹減ってない?」
「そうだな。新幹線の中で弁当食っただけだし」
「それじゃこたつに入ってな。何か作ってやるから」
そう言って台所に引っ込む梓。
初音ちゃんが可笑しそうに笑う。
「梓お姉ちゃん、帰ってきたらすぐに台所に入って何か作ってたんだよ。私も入れてくれなかったんだから」
「初音、余計なこと言うんじゃないのっ!」
梓がもう一度台所から顔を出して叫ぶ。
俺達は顔を見合わせて笑った。
梓の作った芋の煮っ転がしをつまみながら雑談をしていると、玄関の方でどたどたっと物音がした。
「ん?」
「千鶴お姉ちゃんかな?」
初音ちゃんがこたつを出ると、廊下に出ていく。と、声が聞こえた。
「わぁっ、どうしたの、これ?」
「耕一さんが来るっていうから、足立さんにお願いして用意したのよ。さ、早く耕一さんが来る前に飾り付けまでやっちゃいましょう」
「あ、あの、お姉ちゃん。耕一お兄ちゃんならもう……」
「いいのいいの。初音だって楽しみにしてるってわかってるから。梓、いる? これ運ぶの手伝ってくれない?」
梓は額を押さえていた。
「……あの亀姉ぇ、耕一の来る日は今日だってあれほど言っておいたってのに」
「あ〜ず〜さ〜ちゃ〜ん!」
俺は苦笑して、こたつから出た。廊下に顔を出す。
「やぁ、千鶴さん」
「えっ? こ、耕一さん?」
玄関には大きなツリーがあった。そしてそれを三和土から引っ張り上げようとしていた千鶴さんが、振り返って目を丸くする。
「ど、どうしたんですか? 予定じゃ明日って……」
「今日だって! 今朝も言っただろ!」
俺の後ろから梓が呆れたように言うと、すたすたと前に進み出る。
「で、これはどこに置くんだ?」
「えっと、耕一さんの寝る部屋に置いたら、ほら、電気がぴかぴかって光ってロマンチックで綺麗かなって思って……」
「馬鹿っ! そんなもん置いたら寝るに寝られねぇだろがっ!」
梓が一括すると、千鶴さんは「ひゃっ」と首をすくめた。
「でも、でも……」
「ったく。これは居間に置くぜ」
そう言うと、梓はツリーを担いで、のしのしと歩いていった。
俺はしょんぼりしている千鶴さんの肩を叩いた。
「ありがと、千鶴さん」
「ううっ、耕一さんは優しいです」
千鶴さんは、それから改めて頭を下げた。
「お帰りなさい、耕一さん」
「あ、うん。ただいま」
俺が答えると、千鶴さんは嬉しそうに微笑んだ。
「ゆっくりしていってくださいね」
「ああ」
「こらーっ、亀姉ぇっ! 飾りをさっさと持って来いっ!!」
居間から首を出して梓が怒鳴る。千鶴さんはぺろっと舌を出すと、居間に走っていった。
「あ、お姉ちゃん。飾りってこの箱でしょ〜? もう、しょうがないんだから」
その後を初音ちゃんが箱を持って追いかけていった。
「……なんか、いいよな」
それを見送って、俺は呟いていた。
「……はい」
「え?」
ちょっと驚いて隣を見ると、楓ちゃんがいた。
「楓ちゃん? どうしたの?」
「えっ? あ、別になんでもないんですけど……」
そう言って口ごもる楓ちゃん。
「ただ、……なんとなくです」
「そっか」
俺は、楓ちゃんの頭にぽんと手を乗せた。
と、楓ちゃんが顔を上げた。
「耕一さんは、クリスマスに何か欲しいものってありますか?」
「そうだな……」
俺は天井を見上げてから、にっと笑った。
「楓ちゃん、かな?」
「えっ?」
ポン、と音を立てたように真っ赤になると、楓ちゃんは俯いてもじもじし始めた。
「そ、そんな、私だなんて、その……」
「あはは、冗談だよ、冗談」
そう言ってぽんぽんと頭を叩くと、楓ちゃんはむっと俺を見上げた。
「もう、ひどいです。一瞬本気にしちゃったじゃないですか」
「ごめんごめん」
と、居間から梓が顔を出した。
「こら、そこの2人! いちゃいちゃしてないで飾り付け手伝えよっ!」
「ば、馬鹿っ! 誰がいちゃいちゃしてるかっ!」
俺が拳を振り上げると、梓は呆れたように肩をすくめる。
「へいへい。なんでもいいから手伝えよ」
「ああ。楓ちゃん、行こうか」
「……はい」
こくんと頷く楓ちゃんを伴って、俺は居間に入っていった。
そして、クリスマス・イブの夜。
梓と初音ちゃんが腕を振るった料理(ちなみに千鶴さんは台所への侵入を禁止されて拗ねていた)を食べ、シャンパンなどを空けて、すっかりいい気分で俺は部屋に戻ってきた。
もう敷いてあった布団の上にごろっと横になる。
と。
障子の向こう側に誰かがいる気配がした。
「誰かいるの?」
「……はい」
楓ちゃんの声だった。
「あの、いいですか?」
「ああ。入っておいでよ」
体を起こしながら俺が言うと、障子をすっと開けて、楓ちゃんが入ってきた。
俺は布団の上に座り直すと、訊ねた。
「どうしたの?」
「あの、えっと……」
楓ちゃんは俯いていたが、不意に顔を上げた。
「その、クリスマス……プレゼントです」
それだけ言うと、また俯いてしまう。
「……?」
俺がきょとんとしていると、楓ちゃんは俯いたまま、言葉を続けた。
「耕一さんが、欲しいって言ったから、私……」
「あ」
そう言えば、そんなこと言ったっけ。
俺自身もすっかり忘れてたような、他愛のない冗談のつもりだった。でも、楓ちゃんは……。
「ど、どうぞ、受け取ってください……」
ちょっと震える声で言う楓ちゃん。
俺は、くすっと笑うと、立ち上がった。
「楓ちゃんは俺の言うことを何でも聞いてくれるってわけだ」
「……」
無言のまま、こくりと頷く楓ちゃん。
「それじゃさ……」
キュッキュッ
山道を、雪を踏みしめながら歩いていく。
見上げると、空には白い月が輝いていた。その光が周りの雪に照り返し、夜とは思えないくらい明るい。
「大丈夫? 楓ちゃん」
「はい」
白い息を付きながら、楓ちゃんは俺の後についてきていた。
俺達は、あの水門へと続く山道を歩いていた。山道は雪で覆われ、普通の人間なら寒さで凍えそうだが、俺も楓ちゃんもあいにく普通の人間じゃない。
「……エルクゥの血っていうのも、たまには悪くないな」
雪をかき分けながら言うと、楓ちゃんは後ろでくすっと笑った。
それから、訊ねる。
「でも、本当に散歩だけでいいんですか?」
「ああ」
振り返って、俺はウィンクした。
「あの家じゃ、2人きりにはなかなかなれないからね」
「……」
ぽっと赤くなると、楓ちゃんは俺の背中にぴたっとくっついた。そして囁く。
「私も……」
どれくらい、雪をかき分けて歩いたか。
俺達は、水門にたどり着いた。
あの夏は、とうとうと水が流れていたが、今はそれも雪に覆われていた。
「耕一さん、気を付けてくださいね。滑りやすくなってますから」
「ああ、そうだね」
もっとも、下まで転落しても、俺達がそうそう怪我したり溺れたりすることもないと思うけど。
俺達は、水門に並んで腰掛けた。そして、月を見上げる。
「……月は、同じですね」
「ああ」
遙かな昔、俺と楓ちゃんが違う名前だったときも、月は同じように輝いていた。
「でもさ。俺は柏木耕一だよ」
「はい。……私も、柏木楓です」
楓ちゃんは柔らかく微笑んだ。
不意に吹いた風が、楓ちゃんの黒髪を舞い上げた。
それを小さな手で押さえる楓ちゃん。
俺はその唇をそっと奪った。
「あっ……」
柔らかくて、暖かい唇だった。
「……楓ちゃん」
「はい……」
「俺からも、クリスマスプレゼント、あげなくちゃな」
「えっ?」
「楓ちゃんが楓ちゃんをくれるんなら、俺は俺をあげることにするよ」
「それって……」
「もらって、くれるかな?」
「……耕一さんっ」
楓ちゃんは、俺の胸に飛び込んできた。
それ以上、俺達に言葉はいらなかった……。
寄り添う2つの影を、月が優しく見下ろしていた。
その頃の柏木家では……。
「ふんだ。耕一さんの意地悪〜。しくしく……」
「耕一のばっきゃろ〜っ! 酒もっと持ってこいっ!」
「もう、千鶴お姉ちゃんも梓お姉ちゃんも、いいかげんにしてよ〜。あーん、耕一お兄ちゃん、楓お姉ちゃん、早く帰ってきて〜」
あとがき
雪と月とクリスマスと 99/12/21 Up