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がんばれ葵ちゃん
はぁはぁはぁ
葵は、無意識のうちに拳を握ったり開いたりしていた。緊張していると出てくる癖のようなものだ。
相手は、そんな葵の仕草には無関心のようで、そっぽを向いている。時折頭を掻いたりして、完全にリラックスしているようだ。
(ダメだ、こんなことじゃ……)
彼女は、深呼吸し、リラックスするおまじないを心の中で唱えた。
(先輩、先輩、先輩……)
あの、好恵さんとの試合の時、先輩の言ってくれた言葉を思い出す。
『葵ちゃんは、強い!』
心なしか、少し落ちついたような気がする。
葵は、相手から視線を逸らさず、ゆっくりと動きだした。
1センチ、1センチ。
少しずつ相手に接近していく。
相手は、そんな葵にまったく警戒心を払っていない。
(今日こそ、今日こそは……、いけるかも!)
そう思った瞬間。
不意に相手が動いた!!
「きゃぁぁーーーっ!!」
大きな悲鳴を上げながら、反射的に2メートルほど飛び退いた葵をジロッと見ると、その猫はふわぁ〜と大欠伸をして、すたすたと歩いて行ってしまった。
それを見送りながら、葵は「はぁぁぁ〜〜〜」と大きくため息をついた。
「葵ちゃんって、猫、苦手なんだ」
「あ……、琴音ちゃん」
その声に顔をあげると、琴音が微笑んでいた。
葵は「まいったなぁ」という苦笑を浮かべた。
「見てたの?」
「うん。そろそろ、部活、終わりだろうなって思ったから、迎えに来たんだけど。そうかぁ、葵ちゃん、猫がだめなんだ。うんうん」
わざとらしく腕を組んでうんうんとうなずく琴音。
葵は、ウレタンの手袋を外しながらぷっと膨れた。
「もう。内緒だよ」
「はいはい。特に、藤田先輩には、でしょ?」
その言葉に、葵の頬がかぁっと赤く染まる。それを見て、また琴音は微笑んだ。
「本当にわかりやすい性格してるよね、葵ちゃんは」
「フンだ。琴音ちゃんの意地悪」
その頃、委員長こと保科智子は、ゲーセンでキャッチャーマシンを蹴飛ばしていた。
「どうして穫れんのやー!? こんなん詐偽やんかぁー!」
ゲシゲシ
「それじゃ、どうして怖いのか判らないの?」
ヤックシェイクのストローをくわえたまま、琴音は訊ねた。
「うん」
ヤックバーガーを頬ばりながら、うなずく葵。
「気がついたときには、もう怖かったんだもの」
「ふぅん」
頬杖をついて、琴音はにぃっと笑った。
「でも、このままじゃいけないよね」
「え?」
「考えてもみなさいよ。もし藤田先輩が、「葵ちゃん、この猫可愛いだろ? ほら、さわってごらんよ」とか言ったらどうするの?」
「う……」
口一杯にハンバーガーを頬ばったまま固まる葵。
「やっぱり、少しずつでも馴らしていく必要があるわよ、うん。それとも、葵ちゃんが藤田先輩をあきらめるって言うなら、別だけど」
「そ、そんなこと!」
慌てて口の中のものをごっくんと飲み込むと、葵は叫んだ。
琴音はうんとうなずいた。
「決まりね! 大丈夫。私も協力するから」
「……琴音ちゃん、なんでそんなに乗り気なの?」
「そりゃ決まってるじゃない。葵ちゃんと藤田先輩のためよ」
そう言いながら、心の中で舌を出す姫川琴音。きっとAB型だろう(笑)
「ありがとう、琴音ちゃん!」
その手をがしっと握って、目に涙を浮かべる葵ちゃんは、A型だな(笑)
「というわけで、やってきましたペットショップ!」
誰に説明してるか知らないが、琴音はペットショップの前でぴっと指さした。
「まずはここから行くわよ! ……って、いきなり逃げちゃだめじゃないのっ!」
葵の返事がないので琴音が振り返ると、彼女は電柱の影から琴音を見ている。
「だ、だってぇ……」
すっかり腰が退けているようだ。どう見ても、最強を目指すエクストリーマーには見えない。
「いいから、さっさと来なさい。別に取って食おうってわけじゃないんだし」
「でもぉ……」
琴音はずかずかと葵に歩み寄ると、その首根っこを掴んで軽々と持ち上げた。
「わぁ! こ、琴音ちゃん!?」
「ほら、行くわよ!」
周囲の奇異なものを見るような視線をものともせず、琴音は葵をぶら下げて、ペットショップに入っていく。
しかし、琴音よ。念力はそうそう使うものではないぞ。
にゃあ〜ん
「びゃぁぁぁあああ」
「ほらほら、可愛いでしょ?」
琴音は子猫を抱き上げて頬擦りする。葵はというと、反対側の壁にべたっと貼りついている。顔もひきつり、パニック寸前だ。
みゃぁぁ
「う〜〜、よしよし。ほら、あのお姉さんにもかわいがってもらいましょうねぇ」
そう言うと、琴音は無造作に子猫を葵に放り投げた。
子猫は空中で器用に身をよじると、葵の胸に飛び込んだ。
「ЖЗЛЩФ〜〜☆☆☆☆☆☆!!」
声にならない悲鳴を上げる葵。その腕の中にスッポリ収まった子猫は、気持ちよさそうに一声鳴いた。
うにゃぁ〜ん
「どう? 抱いてみるといいもんでしょ?」
近寄って声をかけた琴音。しかし、返事はない。
「どうしたの?」
不審に思って、琴音はさらに近寄って、その顔をのぞき込んだ。そして、ほっとため息をつく。
「立ったまま気絶してるのね」
その頃、委員長こと保科智子は、まだゲーセンでキャッチャーマシンを蹴飛ばしていた。
「もういい加減頭きたでぇ〜!!」
ゲシゲシ
それから2週間。血の汗がにじむような大特訓が繰り広げられた。
「いい? 葵ちゃん。これが最後の段階よ!」
いつもの神社。
琴音は抱いていた猫をそっと地面に降ろした。
葵は拳を握ったり開いたりしながら、心の中で言い聞かせた。
(怖くない、怖くない。そう、先輩のためなんだから……)
みゃぁ〜〜〜ん
そんな葵の心中の葛藤など知らぬげに、その猫はのんびりと鳴いた。
びくっと立ち止まる葵。琴音が声をかける。
「葵ちゃん、がんばれ!」
「う、うん!」
意を決して、葵は屈み込むと、ゆっくりと手を伸ばした。
あと20センチ、10センチ、5センチ、3センチ、1センチ……。
ぺたっ
「さ、さわれた……。さわれたよ、琴音ちゃん!」
「やったわ! とうとうやったのね、葵ちゃん!」
手を取り合って喜ぶ二人。嗚呼、美しきかな女の友情。
と、
「おや? 葵ちゃんに琴音ちゃんじゃないか。どうしたんだい?」
「あ、先輩!」
ぱっと顔をほころばせると、葵は汗を拭きながら石段を上がってきた浩之に駆け寄った。
「先輩、聞いてください! 私、さわれるようになったんですよ! これでもう大丈夫ですから!」
「え? 何のこと?」
「何のことって、ほら、あれですよ」
葵は、石畳の上にごろんと寝そべっている猫を指した。
浩之は、頭を掻いてこともなげに言った。
「あ、ごめん。俺、猫ってどうも苦手でさ」
ひゅ〜〜〜
猫を指さしたまま凍りついた葵を、北風が吹き抜けていった。
そんな葵をよそに、琴音は浩之に駆け寄ると、ニコニコしながら言う。
「じつは、私も猫苦手なんですよぉ」
「お、琴音ちゃんもかい? 気が合うね」
「えへへ」
笑って、浩之の腕を取る琴音。
「それじゃ、一緒に帰りましょ、先輩!」
そう言いながら、さりげなくその腕を自分の胸に押しつける。
ぽよん
こうなると、男の理性などあって無きが如し。
「う、うん、そうだね。それじゃ帰ろうか。葵ちゃん、それじゃお先に」
「練習がんばってねぇ〜」
ひらひらとハンカチを振りながら、浩之と石段を下りていく琴音。
その姿が見えなくなってから、ようやく葵は我に返った。
「ガッデ〜〜〜ム!!」
夕日に向かって中指を立てる葵。
それを木の陰から見守る綾香であった。
(葵、その口惜しさをバネに、もっと強くなるのよ! そう、あなたはあのエクストリームの星を目指すのよ!)
どうでもいいが、委員長こと保科智子は、またまたゲーセンでキャッチャーマシンを蹴飛ばしていた。
「ええかげんにせんと、血ぃ見るでぇ〜〜〜!」
ゲシゲシ
お・し・ま・い
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